よもつくにの



 碧花の声が聞こえなくなっても、俺はどうして今更になって声が聞こえたのか考えていたが、証拠もなく、推測ばかりが並ぶ現状、進展に及ぶ事はあり得なかった。或いはもう少し考えれば、何かしらの閃きによって進展したかもしれないが、それよりも先に現実の方に進展があったので、思考はそこで中断した。


「あれあれ、お客さんだー」


「雪と、後は誰?」


 墓守姉弟の名は香と慈で、どちらかがどちらかである事は間違いないのだが、如何せん慈という名前が男女両方で使える名前なので、名乗ってくれないとどちらがどちらなのか分からない。俺の勘によると、見た目中学生くらいの女性……つまり姉の方が香で、小学生くらいの男の子……弟の方が慈だ。完全に偏見なので口には出さないが、男の子の方に香という名前が死ぬ程に会わない。


「うーん。似てないねー」


「新しい、住人?」


「そうだよ。彼の名前は狩。ここの事、あまり分からないみたいだから案内してるんだ」


 雪に文句を言っても仕方ないが、出来れば名前を呼びながら会話してもらいたかった。そうしてくれれば、それをさり気なく使う事で、どっちがどっちか分からないという恥ずかしい状態を打開出来たのに。


 二人は「そっかー」と頷いてから、俺の真正面に立って、自己紹介を始めた。


「私は香だよーお兄さん! よろしくねー」


「僕は慈です。よろしくお願いします」


「お……おう。雪の方から紹介されたけど、狩だ。二人は何で墓守に?」


 見る限り子供だし、俺の事を目上扱いしている時点で、実際子供なのだろう。だが気のせいか、二人を見ていると何かを思い出してしまう気がする。あまり思い出したくない、思い出しても何か得られるとは思えない気がする。



 ―――何なんだ? 



 何を忘れているのかまでは思い出せない。しかし思い出してしまうといけない予感はした。俺はそれとなく視線を逸らし、二人の顔ではなく、鎖骨辺りに視線を置いた。勘にしてもそうだが、この手の予感は、基本的に当たってしまう。当たって欲しい時に限って当たらず、当たらなくても良い時に当たるのが俺の予感だ。


 思い出さない方が良いと感じたのなら、それに従った方が、きっと俺は辛くない。雪と楼と俺との生活がひょっとしたら崩れてしまうかもしれない事を考えると―――忘れたままの方が、良いのではないかと。


「特に理由は無いよー。一番家が近かったからってだけー。でもでもー、やりがいはあるから辛くは無いよー」


「墓守の仕事は僕達にしか出来ない。狩さんが墓守にどんな想像をしていても構わないけど、僕達は誇りを持ってる。悪口を言うつもりだったら、居ない所でお願い」


「良いイメージが無いのは本当だが、だからって悪口を言う程悪くも思ってないよ。ま、墓守なんて実際見たのは初めてだからな」


 俺のイメージでは、墓というものはお寺が管理しているものである。何故ってそういう墓しか見た事が無いからであり、こんな棒倒しの棒なんか……文明レベルが原始的な絵本ぐらいでしか見た事がない。そういう絵本でも、大抵墓石か、十字架なので。もしかしたら気のせいかもしれない。


 そもそも悪口を言うという時点で、俺はかなりそいつから痛い目に遭わされている。家族でも殺されれば間違いなく悪口を言うが、それ程知りもしない職業に就いている人を馬鹿にする道理はあるまい。俺としては好感度を狙って発言したつもりはなかったが、二人の墓守は目を丸くして、お互いを見合わせた。


「凄ーい」


「初めてだ」


「墓守を見た事が無いんだってー」


「土葬以外に死体を葬る方法なんてあるのかな」


 最後はおかしい。素人の俺でも火葬とか鳥葬とか思い付くのだから、墓守が思いつかないなんておかしい。


「ねーねー。狩は何処に住んでるのー」


「え……」


 言葉に詰まり、雪の方を見遣る。俺の視線が向けられた事に雪は少々疑問を感じていたらしいが、程なくして頷いてくれた。適当に頷いた疑惑が拭えなかったが、これ以上言葉に詰まると、かえって変な雰囲気を出す事になる。首肯を受けとった瞬間、直ぐに続けた。


「雪と楼の所だ。訳あって二人の所に住ませて……いや、住んでる。家族だからな」


「家族ー? でもそれっておかしくなーい」


「外から来た人は、家族なのかな」


「ああ、そういう。まあ俺もそう思わない訳じゃないが、家族は家族だよ。なあ雪」


「うん。狩は私の大切な家族。それは誰にも否定させない」


 家族。


 何てことのない言葉だが、俺にはそれがとても愛おしく感じられた。ここに来る前は、いつも感じずにはいられなかった心の空白が、すっかり埋まった感じがする。控えめに言って幸せだ。大袈裟に言ってこんな幸せな事はない。


 考えるだけで笑みが零れてしまう。どうして今までの俺には空白があったのだろうと考えてしまうくらい、幸せだ。碧花が死んだ訳でもない。碧花に嫌われた訳でもない。碧花が他の誰かと付き合った訳でもない。『雪』が死んだ訳でもない。楼が死んだ訳でもない。何も失っていない筈なのに、何が俺の胸に空白を与えたのか。


 『首狩り族』の被害を忘れた訳ではないが、あれで心に空しさが残るくらい傷ついた事は数回しか無く、その傷も碧花が励ましてくれたお蔭ですっかり良くなった。今でもたまに振り返って傷つく事はあるが、それは俺がネガティブだからこそであって、平常時には関係ない。空しさなんて感じない。




 ―――空しさが残るくらいの事件があったら、忘れるとは思えないんだけどな。




 自分で言うのも何だが、なまじ後ろ向きなせいで、強烈な事件は人よりも印象に残ってしまう性質だ。忘れるなんて無理無理。記憶を改造でもされない限りは、だが、そんなSFチックな事が起こり得るだろうか。


 これに限った話ではないが、ここに来てからというもの何かしら忘れている気がする。偶然も重ねれば必然と言うし、何か忘れてしまっているのは間違いないが……






 思い出す気は、あまりない。






 人間の記憶は一時的な保存が精々だ。例えば俺は、幼少期の事をそんなに覚えちゃいないし、死体と碧花が絡まなかった日の事は印象が薄くて思い出せそうもない。飽くまで例として挙げたこれらは、忘れている事は自覚しているがやはり思い出す気はない。


 どうでもいい。どうでもいいのだ。


 碧花の事を忘れていたら大問題だが、ちゃんと覚えている。『雪』と楼の事もちゃんと覚えている。『首狩り族』としての罪は自覚しているし、俺が友達を作るのが下手くそなのも覚えてる。


 ならもう、忘れてはいけない事はない。裏を返せば、残りの記憶は忘れて良いものばかりだ。


 知らぬが仏だ。碌でもない記憶を身体が勝手に忘れてくれたなら、それに越した事はない。


「そっかー。家族かー。雪にもようやく家族が出来たんだねー」


「楼が、居るって」


「楼…………? 楼…………? 楼…………!」


「思い出した?」


「何を?」


「楼だよ」


「楼ぉ?」


「思い出してないね。お前」


 漫才みたいなやり取りに、俺は不覚にも笑ってしまう。姉をお前呼ばわりする時点で慈の粗っぽさはそれとなく伝わってくるが、それ以上に二人の仲が良好である事が伝わってくる。良い兄弟だ。


「こらー! お姉ちゃんに向かってお前とは何ですかー」


「楼には結構お世話になってるのに、覚えてないお前が悪い」


「あれは冗談だってばー。私が楼を忘れる筈がないでしょー」


「どうだかね」


 香の喋り方といい、テンポといい、緩やか過ぎて怒っているとは思えない。それに反して慈は目にもとまらぬ速さで墓地の果てまで逃げて行ってしまった。逃げ足が速いと賞賛すべきなのだろうが、あっという間に走り去ってしまったので、その評価は誰にも届かない。


「あー! こら-! まだ二人の用が終わってないでしょうがー!」


「いや、もう用は終わったよ」


「えー、本当ー?」


「私は狩にここを案内したかっただけだし、二人に挨拶したかっただけだから。香は早く慈を追って行けばいいんじゃない?」


「そうー? じゃあ行くねー」


 香も駆け出して、弟の下まで走り去っていく。慈の逃げ足の早さとは一転して、香の足は遅すぎた。うさぎとかめではないが、あれでは弟が昼寝していても追いつけないだろう。


 そんな事を考えながら微笑んでいると、横に居た雪が俺に肩の位置を合わせてこちらも見ずに尋ねてくる。


「……狩。どうだった?」


「どうっ……って?」


「香と慈。仲良く出来そうか?」


「まあ、出来るだろ。二人共良い子だし」


 この世界には俺を色眼鏡……『首狩り族』として見る人が居ない。友達が出来ない原因の大半はコイツが担っているので、これさえなければ、基本的には仲良くできると俺は思う。


「なあ雪。次の人形屋敷に行く前にさ、少し聞いてもいいか?」


「何?」


「お前はさ、俺の事どう思ってる?」


「好きだよ。何度も言うのは、流石に少し恥ずかしいけど」


「じゃあさ。もし俺が殺人鬼だったら、どうなる?」


 雪は特に悩む様子も見せず、同じ言葉を繰り返した。


「好きだよ」


「…………理由は」


「狩は狩だ。事実がどうあれ、私にとっての狩は一人しか居ない。家族だもの。何があっても私は狩の味方だよ。狩のしたい事を応援するし、したくないなら私が阻止する」


 これが心からの言葉ッ?


 一切、何も考えず、思ったままに告げた言葉が、これだと言うのか。


 ネガティブな人間は、落ち込みを繰り返す内に、その人が慰めの為に言っているのか、それとも本心から言っているのか分かる様になってくる。雪の発言には、裏というものが感じられなかった。


 裏を感じられないからこそ、裏が無いと考えられない俺は、言葉が出なかった。その優しい言葉に対する答えを、返すべき優しい答えを知らなかった。半分口を開けて呆然と見つめていると、雪の発言がまだ終わっていない事に気が付く。


「狩がもし五人殺したら、私は五回、狩の事を嫌いになる。でもそれと同時に六回、狩の事を好きになる。きっと、それが私にとって貴方にしてあげられる事だと思うんだ。せめて私だけでも味方じゃないと、狩は悲しいでしょ」


「……雪」


 深編笠の中で、果たして雪はどんな表情をしているのだろうか。返すべき言葉も見つからない中、せめてものお返しにと、俺は視線を逸らしながら、ギリギリ聞こえるくらいの声量で感謝を告げた。


「―――有難う。お前がそう言ってくれるなら、俺は嬉しい」


 元居た世界への執着なんて、殆どない。せめてもの心残りは碧花くらいだが―――碧花?



 そうだ。碧花の所に行かないと。



「すまん雪。ちょっと行かなきゃいけない所が出来た。一旦家に帰ってもらっていいか?」


 話の流れを無視した突然の申し出に、多分雪は困惑した。 


「いいけど、何処に行くの。案内するよ」


「大丈夫だ、多分分かる。目印は教えてもらったし」


「そう。なら一足先に帰ってるけど、本当に大丈夫? 怪物が出たら―――」


「大丈夫だよ。じゃ、また後でな!」

















 住宅街の、三角の家が南方に見える位置にある廃墟。


 碧花はそう言っていたが、何だそりゃ。宝探しでもしているのだろうか、俺は。三角の家は見つけたが、そこから北に行くと廃墟がたくさんあって、どれがどれだか分からない。語彙力の無い俺が伝えたのなら話は悲しい事に分かってしまうが、国語満点の碧花ならもう少し適切な伝え方を知っているだろう。知っていないと満点なんて取れない。あんな不親切な教え方をされれば誰だって迷う。


「狩也君ッ!」


 左耳を突き抜ける高音。振り向くよりも早く、俺は地面に押し倒された。マウントポジションを取ってきたのは、他でもない彼女―――水鏡碧花だった。


「あ、碧花ッ。お前なあ、もう少し伝え方を―――」


「良かったあ! 本当に良かったよお!」


「…………え?」


「幾ら探しても見つからないから……あり得ないけど、あり得ないけど。死んじゃったかと思ったじゃないかあああああ!」


 色々と腑に落ちない点はあるが、珍しく碧花が泣いている。状況は全く呑み込めていないが、取り敢えず彼女を力いっぱい抱き締めて、髪を梳く様に撫でる。


「…………泣くなって」


「誰のせいだと思ってるんだい…………! 突然消えたら、取り乱すに決まってるだろ! う、う…………嬉し泣きなんて、私がする筈無いのに……君のせいだからな!」


「悪かったよ。だから取り敢えず一旦落ち着こうぜ、な?」


 何処がとは言わないが、柔らかい。温かい。紛れもなく彼女の感触だ。どうやって来たかは知らないが、彼女もこの世界に居るのだ。嬉しい。


「…………お前、一人で来たのか? 美原と神乃は?」


「二人はちゃんと逃がした。君を探すのにも乗り気じゃ無かったし、連れて来てないよ」


 残念でも無ければ当然。神乃は俺の事を嫌っているみたいだし、美原も、俺に対して思い入れはない。あそこで出会った仲とはいえ、他人は他人だ。恨むつもりはない。


「じゃあ、その片目は?」


「……片目かい?」


 抱き付かれる瞬間に見えたのは、右目に包帯を巻いている彼女の姿だ。俺が最後に見た碧花は、ちゃんと両目があった。それが突然片目を隠してきたのだから、気になるに決まっている。


「これは……いや、そんな事はいいんだ。それよりも君、ここに来て何か食べたかい?」


 誤魔化された気がしてならないが、一先ずは質問を優先する。


「え……まあ、食べたぞ。色々と。一週間くらいここに居るし」


「……………………ああ、やはりか。成程。―――馬鹿」


 碧花はゆっくり顔を上げて、泣き腫らした瞳で俺を捉えて、デコピンした。


「いてッ!」


「この大馬鹿。何で食べたんだよ」


「何でってそりゃ―――っていうか、食べたら何が駄目なんだよ!」


「駄目に決まってるだろ! 君は黄泉戸喫を知らないのかッ?」


「よもつへぐい? いやあ、知らないが」





「死者の世界の食べ物は食べちゃ駄目なんだ! 食べたら最後、君は帰れなくなる。一体どういうつもりで食べたんだ。ここは君が大っ嫌いなまほろば駅だぞッ?」




 




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