CASE10
已むに病まれず
お兄ちゃん一人が居なくなっただけで、そこまでの寂しさは無い―――なんて、そんな浅はかな考えをする私は馬鹿だった。隣に萌さんや由利さんは居てくれるけれど、それよりも私はお兄ちゃんが一人居るだけの方が、ずっと寂しくなかった。
二人が悪い訳じゃない。二人はとても優しいし、親切だ。でも違う。私の隣にあった温かさは、今まで当たり前の存在に感じられた安心感は、こんなものではなかった。
「お兄ちゃん、あっちで変な事してなきゃいいけど……」
「変な事って、どういう事ですか?」
「萌さんは知らないんですか」
「え、知らないって……先輩の事は、結構知ってると思いますけど」
「……何か、認識が違う気が。萌さんから見て、お兄ちゃんってどういう存在ですか?」
「とっても頼れて、優しい先輩です!」
認識は寸分違わず合っていた。私にとってもお兄ちゃんは頼れて、優しい家族だ。強いて言えば、彼女が答えた回答に、もう一つ付け加えられる。
「お兄ちゃんって、エッチなんです」
「え、エッチ……ですか?」
話に加わっていない筈の由利さんが、何故か渋い顔を浮かべた。一度はそれに気を取られるも、直ぐに視線を戻す。
「お兄ちゃん、碧花さんの事が大好きなんです。碧花さんの事考えるだけで、すっごい鼻の下を伸ばすんですよ」
「そ、そこまでッ?」
「はい。お兄ちゃんって胸の大きな女性が…………あれ?」
私はそこで言葉を止めて、萌さんの身体を見た。彼女とはハロウィンパーティーの頃から面識があるが、何かが違う気がする。間違い探しをやっているみたいだ。しかし何処を見渡しても、刹那の瞬間に感じた違和感が見つけられない。
―――二次元的に見たら、駄目なのかな。
「萌さん。ちょっと横向いてもらっていいですか?」
「え、あ、はい……」
二次元的に見て分からないなら、三次元的に物を見る。萌さんからすれば不思議極まりない要求だけど、私には必要な情報だった。少し困惑しつつも、萌さんは言われるがままに身体を横に向ける。
無かった。
お蔭でモヤモヤがスッキリしたが、えっと……え? いやいやいや。物理的におかしい。
私の記憶違いでなければ、萌さんは身長に似合わず胸が大きかった筈。それが―――消失している!
信じられない。サラシで誤魔化しているとかそういう次元じゃない。今まで気にしていなかったから気付かなかったけれど、もしかして着痩せ……というには度が過ぎているが、そういう人なのだろうか。
「失礼しました。もう大丈夫です」
「……? はい」
「で、話を続けるんですけど。お兄ちゃんってそれはもう胸の大きな女性が大好きなんですよ。普段は『変態扱いされたくない』って言ってごまかすんですけど。お兄ちゃんと碧花さん二人きりじゃないですか。昨日も……今も。だから変な事しないかなって! あ、別にそれこそいやらしい意味じゃないですよ!」
「文脈的にいやらしい意味以外無いと思うけど」
「違いますよ! お兄ちゃんにそんな事出来る筈ないじゃないですかッ。だって、生まれた時から彼女出来た事無いんですよッ?」
「生まれた時は誰だって居ないと思うけど。許嫁でもない限りはね」
「そう言えば先輩って、全然女の子に人気無いですよね。知り合ったのは最近ですけど、先輩が告白されている所、私見た事ありません」
私も見た事がない。と言ってもお兄ちゃんが高校に入ってからは聞く事も出来ていないけれど、一度でも告白されたなら、お兄ちゃんの事だ。ウキウキになって帰ってきて、それからも暫くは笑顔になっているだろう。
「萌。『首狩り族』の事忘れてる」
由利さんが割り込んでくる形で、私達はお兄ちゃんがモテない最大の理由を思い出した。
そうだ。お兄ちゃんは物凄く運が悪いんだ。
今まで碧花さんを除くほぼ全ての友達を失って。一番酷かった時期のお兄ちゃんは、毎日家で泣いていた。妹である私から見れば、お兄ちゃんが可哀想で仕方なかったけれど、他人にすれば、お兄ちゃんは死神に見えるかもしれない。そんな死神にわざわざ寄り添う人は、滅多に居ない。
納得しかけて、私が俯いた瞬間、
「そんなの理由になりません!」
萌さんが、ガタッと椅子を吹っ飛ばして、立ち上がった。
「御影先輩! それは違いますよ!」
「違わないと思うけど。彼自身も認めている事だし」
「でも違います! 本当に先輩の事が好きなら、『首狩り族』なんて気にしない筈です! 私達は例外かもしれないですけど。その証拠に、碧花さんは気にしてないじゃないですか!」
「…………つまり、彼がモテない理由に『首狩り族』は不適切だって言いたいの」
「そうです! 先輩がモテないのは、何か理由がある筈です!」
理由……顔なんて言ったら、二人は怒るだろうか。でも実際にお兄ちゃんはそれ程容姿は端麗じゃないし、それが真理な気がしなくもない。女性が面食いばっかりとまでは言わないけど、第一印象は顔で決まるから。
「……多分。水鏡碧花のせいだと思う」
由利さんがぼそりと零した一言が、後に間違いでなかった事を私達は知る事になる。この時の私達にその声は届かず、代わりに聞こえたのはインターホンの音。
ピンポーン!
現在の時刻は朝の六時。お兄ちゃんが出かけてから一晩経った事になる。訪問者が居るとすればそれこそお兄ちゃんくらいなものだけど、こんな早く家を出る訳が無い。
「……誰だろ」
一応は客人の二人に役目を与える訳にはいかない。私は「失礼します」と言ってから席を外すと、小走りで玄関前に移動し、扉を開けた―――
「……あのー、どちら様です―――っッ!?」
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