柳十兵衛 山で釣りをする 2

 十兵衛たちが山釣りを始めてから四日目。それはこの日一本目の山釣りの時だった。

 今日もまた旅人のふりをして山中の獣道を進んでいく十兵衛。整備されていない道だけに道幅は狭く足元の起伏も一様ではない。小さな坂を滑ったり折れた枝の下をくぐることも一度や二度ではない。朝露で裾が重くなるのももう慣れた。そんな鬱陶しい道を十兵衛は黙々と歩んでいた。

 そんな道中、十兵衛はふとその道の先に小さな倒木が横たわっていることに気付いた。ただこれも獣道ではたまに見る光景だ。倒木は大した大きさではなかったため十兵衛は特に気にせずそれをまたぐ。しかしこの瞬間、十兵衛は肌にぴりりとささやかな違和感を感じ取った。

(……なんだ?今のは)

 言語化できないほどに些細な、しかし確かに感じた違和感。十兵衛は裾が何かに引っかかったふりをして立ち止まりあたりを見渡した。しかし周囲に不穏な気配はなく、目につくのは獣道に藪、倒木、つる、小枝……ありきたりなものばかりでおかしなところは何もない。

(何もない?いや、これは……選ばされた?)

 落ち着いてよく見れば獣道は倒木のあたりから複数に分かれていた。だが倒木をまたいだ際それに集中したことで他の道に気付くことなく自然に特定の一本を選ばされてしまったようだ。それに気付けば藪やつるも他の道を隠すかのように置かれているようにも見える。偶然かあるいは作為か。今の段階では何の確証もないがそれでも十兵衛はにやりと口角を上げた。

(釣れたか?ならば望むところよ!)

 十兵衛は素知らぬ顔をしつつ、五感をさらに研ぎ澄ましながらその選ばされた道を歩き始めた。


  こうして進むこと数十歩、十兵衛はまたも道の先に何かを発見する。

(あれは……人か?)

 まず目についたのは布の一部であった。雑多なものであふれる山中では布の一律の模様ははよく目立つ。そして目を凝らすとそれが何かに巻き付いてるのに気付く。大きさ、形からそれが人らしきものだと思うのにさして時間はかからなかった。

(あれが彦二の言っていた「人のようなもの」か。なるほど確かに遠目からでは行き倒れに見えてもおかしくない。ということはあれの近くに……)

 ここで普通の人なら自分と同じように山に入って行き倒れた人だと思うのかもしれない。だが事前に話を聞いていた十兵衛は当然そうは思わなかった。

 十兵衛は訝しんで立ち尽くすふりをして目だけをぎょろりと動かし周囲を見渡す。すると予想通りその近くの木の上に身を隠す人影を一つ見つけた。こんな山中で木の上に身を隠す人影。よもや一般人であるはずもない。十中八九あれが山賊であろう。

 さすがに敵前で笑みを見せるほど十兵衛は愚かではなかったが、ようやくの手ごたえにここ数日の疲れが一気に吹き飛んだ。十兵衛は丁寧に呼吸を整え集中を研ぎ澄ます。同時に他にも潜んでいないかと目を凝らすが少なくともここからは見つけることはできなかった。

(まぁ他は平左衛門様に任せればいいか。俺はとりあえずあいつを釣り上げてやろうかな)

 十兵衛は軽く刀の位置を整えてから再度その歩を進める。


 まず十兵衛は素直に道なりに進み、行き倒れの人影らしきものに近づく。近づいて見てみればなんてことはない、それは布切れがまとわりついたただの倒木だった。

(なるほど。よくできている)

 よほどうまい細工がしてあるのだろう、近づけば見間違えようがないが遠目では確かに人のように見えた。彦二の時は大岩だったというがそれと同等のものだろう。そして彦二らはこれらに気を取られている隙に背後から襲われたとも言っていた。その下手人がやはり同等に木の上の曲者の仕業というのは想像に難くない。当然十兵衛はそちらへの意識も切らしてはいない。

(ふむ。位置取りもうまいものだ)

 山賊の潜む木は倒木とは逆側にあった。加えて足元の倒木に対して木の上と高い所にいるために余計に気配を感じ取りにくい。ただでさえ真上は人間にとって死角である。そこから飛び降りて襲われればよほどの実力者でもその一撃をかわすことは難しいだろう。十兵衛とて事前情報がなければどうなっていたかはわからない。

 だが逆に言えば今情報の利は十兵衛にある。十兵衛はこのまま引き付けて飛び降りてきたところを逆に捕らえるつもりでいた。しかし上の男はなかなか降りてこない。

(来ないな。気付かれてはいないと思うが……俺の立ち位置が悪いのか?)

 十兵衛は試しに数歩進んでみた。もちろん上への集中を切らさずにだ。するとくだんの木がほぼ真後ろになったところで微かに、本当に微かであったが頭上にて木肌を蹴る音がした。それを聞くや十兵衛は思いっきり前方に飛び込んだ。後方から困惑の声が聞こえる。

「なっ!?」

 次の瞬間曲者が振り下ろした獲物が何もない地面を叩いた音がした。

「ふぅ……危ない危ない」

 前方に飛び込んだ十兵衛はすぐに体を回転させて体勢を立て直す。そして先ほどまで自分のいたところを見てみれば、そこには右手に光沢鈍いボロ刀を持った破落戸の男が一人立っていた。目的の山賊の一人と見て間違いないだろう。山賊の男は必殺の一撃をかわされたことに見るからに困惑していた。

「なっ、なんだ、てめぇ……!?」

「なんだと言われても、それはこちらの台詞なのだがな」

「なにぃっ!?この小僧が!ふざけやがって!」

 適当におちょくりつつも十兵衛はしっかりと間合いを取って相手の姿かたちを確認する。

(山賊らしき男。身の丈は五尺半ほどで腕の長さは体格並。年は五十ほど……いやもっと上か?)

 情報収集は兵法の基本であり、適切に集めることでこちらの立ち回りも変化する。そして今回最も重要な情報は……。

(こいつ自体はあやかしではないな……)

 目の前の山賊の男はあやかしではない。十兵衛は重心を軽く下げて(さて、どうするか)と思案した。

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