柳生宗矩 坂崎事件を思い出す 3

 大坂の役での褒章をめぐり幕府と意見をたがえた出羽守・坂崎直盛。彼は遺憾の意の表明として湯島の邸宅に家来を集め挙兵の構えを見せていた。

 彼としてはこれで自分が本気であることを示したかったのだろうが、残念ながら時代が悪かった。折りしも時は家康がこの世を去り、名実ともに秀忠に代替わりをした時分。幕府としては新政権を舐めるような直盛の行動を許すわけにはいかなかったのだ。

「出羽守は上様に弓を向けた逆賊。故にどんな理由があれど必ず討ち取らなければなりませぬ。異論はありませぬな?」

 利勝の言葉に反論する者は誰もいなかった。この時より正式に直盛は幕府の討つべき敵となったのであった。


 会議は直盛を処分する方向でまとまった。方針が決まれば次はどのように実行するかの話となる。集まった面々はそれぞれ意見を出していく。

「腰の引けた対応では相手が調子づきます。ここはやはりこちらも兵を使って早々に討ちに行くのがよろしいかと」

「それでは向こうも抵抗して被害が大きくなってしまう。ここは落ち着いて使者を送り交渉を重ねることが上策だ」

「時間をかければまた別の大名が駄々をこねるやもしれないぞ。火は小さいうちに消すべきだ。……見せしめの意味も込めてな」

「いっそ腹でも切ってくれたら楽なのだが……。まぁあの性格では望むべきではないか……」

「私としては西国残党が気になります。出羽守様は囮なのではないでしょうか?」

「いや、やはりここで問題なのは……」

 喧々諤々と意見を交わす一同。だが前例のないことだけに会議は紛糾していた。

 ある者は早期解決を第一とし、またある者は町への被害を最小にすべきだと主張する。豊臣残党を警戒した方がよいだろうと言う者がいれば、全く別視点の意見を出す者もいた。彼らの主張はどれも一理あるだけになかなか意見はまとまらない。

 そんな中一人の白髪髷の武士が静かに手を挙げた。

「少しよろしいかな?」

 若干しわがれた、それでいて妙な威圧感のある声に一同は思わずはっと言葉を呑んだ。声の主は御年六十になる知将、従四位下左近将監飛騨守ひだのかみ・立花宗茂むねしげであった。


 立花宗茂。永禄十年(1567年)豊後(現大分県)生まれの戦国武将で、幾つもの戦場をその知略で生き抜いてきた天下に名高い名将である。その才覚は家康も一目置いていたほどで、関ヶ原の戦いの西軍の中で唯一旧領回復を許された武将だと言えば家康がどれだけ彼を評価していたかがわかるだろう。

 そんな宗茂の発言である。一同は自然と口をつぐみ彼の方を向いていた。宗茂は全員の視線が自分に集まったことを確認すると落ち着いた口調で語りかけた。

「急な話故仕方のないことですが、どうも意見にまとまりがないように見受けられます。このような時は問題を一つずつはっきりとさせてしまうのが定石ですが、いかがですかな?」

 周囲の幕臣はこれに沈黙で答え、利勝が代表して「ふむ。ではまずは何をはっきりとさせるのですか?」と尋ねた。これに宗茂はきっぱりと答える。

「まずは一番の下策の確認をするのがよろしいかと」

「ふむ。してそれは?」

「それはこちらも兵を挙げて屋敷を落とそうとすることでしょう。古くからの教えにもあるように武力の衝突は極力ない方がいいのです。怪我をするのはもちろんのこと、戦場の混乱は思わぬ事態を引き起こしかねない。追い詰められた敵が破れかぶれの行動をするかもしれないし、味方も武功欲しさに思いもよらぬ動きをするかもしれない。戦後の再興や論功行賞も楽なものではない。故に兵を用いて力で解決するのは下策、良くて最後の手段と言ったところでしょうな」

 宗茂の整然とした話に集まった者たちは自然と相槌を打っていた。

「なるほど、さすがの見識ですな。しかし兵を動かさずにどうやってこの騒動を納めるおつもりで?」

「まぁ落ち着きなされ。今挙げたのが愚策。ならば最善は何か?それはやはり出羽守の自刃と降伏でしょう。彼が責任を取って腹を切り家臣の者が降伏すれば、動かす兵もその後の処分も最小限で済む。ならば我々がすべきことは出羽守に自刃を薦める使者を送ることでしょう」

「自刃ですか……。それは確かに一番楽な解決法ですけれども、あの出羽守がそれをするとは思えませぬ。そんな殊勝な振る舞いができるのなら初めから立てこもりなどしてないでしょう」

「ええ。だから餌も用意するんです。そう、例えば『自刃をすれば御家の取り潰しは免除する』とでも言えば心も動くでしょう。彼らとて四万石の家は惜しいはずだ」

 これだけの騒動を引き起こしたのだ。直盛の改易、坂崎家の御家取り潰しは免れられない処罰であろう。それが許されるというのならかなり魅力的な餌となるはずだ。

 だが利勝は若干渋い顔で反論した。

「うぅん……。果たして出羽守は食いつくでしょうか?向こうにも面子がありますからね。そう簡単に飲むとは思えませぬ」

「ええ、そうでしょうね。出羽守ならば意地で突っぱねるかもしれません。……しかしその下の者ならばどうでしょうか?御家のことを憂慮する家臣は少なくありますまい」

 ここで幕臣たちは宗茂の案の真意に気付いた。

「……家臣らに主君を討たせると?」

 会議の場がざわりと揺れた。宗茂の真意――それは御家取り潰しの免除を餌に坂崎家内で謀反を起こさせるというものだった。

「それは……いや、確かにあの屋敷内で完結してくれればそれに越したことはないですが、そんなことが可能なのですか?」

「なに、十人二十人を寝返らせろと言うつもりはございません。一人でいいんです」

「一人?」

「ええ。あれだけの屋敷です、一人くらいは今回の騒動が御家の危機だと理解している者もいるでしょう。一人見つかればそれで十分。人一人を討つには人一人いれば十分ですからね」

 まるで邪魔な虫の始末の仕方を語るように淡々と話す宗茂。その様子に参加者たちは肝を冷やすが、彼の案の有用性は間違いなく事実であった。

「確かにうまく事が運べばこれ以上の解決方法もないでしょうが……」

「難しく考えなくていいのですよ。どちらにせよ何かしらの使者は送るのでしょう?その者に今の旨を書いた奉書を持たせればいい。上手くいけば万々歳。上手くいかなくとも次の手を討てばいいだけのことなのですから」

 確かに明確な解法がわからぬこの状況、期待値が高い手ならば打つだけ打ってもいいかもしれない。ざっと幕臣らを眺めてみれば反対意見もないようだ。利勝は代表して意見をまとめた。

「……承知いたしました。とりあえず『上手くいけば儲けもの』でやるだけやってみましょうか。それで誰を使者に送りましょう?自刃を迫るのならば半端な者は送れませんよ」

 この時直盛は知行四万石の大名であった。そんな人物に切腹を迫るなら、こちらも相応の人物を使者に立てなければ話も聞いてもらえない。

 では誰を送るか?ここで宗茂は再度手を挙げた。

「一人推薦したい人物がいるのですがよろしいでしょうか?」

「ほう、飛騨守直々にですか。どなたでしょうか?」

 宗茂は一人の男の名を挙げた。

「私は上様の剣術指南役・柳生宗矩殿を推薦します」

 思わぬ人物の名に会議に集まった者たちは皆驚きの表情を浮かべた。


「えっ、柳生殿をですか!?」

 宗茂の提案に集まった者は皆驚いた。この頃の宗矩は家康・秀忠と二代続けて剣を教えていたとはいえ、知行三千石の本当にただの剣術指南役に過ぎなかったからだ。さらに言えば時代は文官主義へと移行しており、武術指南役など斜陽の人と言ってもいいほどである。

 普通の人ならば候補にすら挙げないし、仮に出たとしても鼻で笑って一蹴しただろう。しかし推したのは他でもない知将と名高い宗茂である。何かしらの考えがあってのことだろうと利勝は慎重にその理由を尋ねた。

「……飛騨守殿、理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「理由も何も、宗矩殿が先ほど挙げた条件を一番よく満たしているからですよ。此度の使者の件、万が一のことを考えたら高位の者を遣わすわけにはいかないが、どこの馬の骨かもわからぬような輩では相手にもされない。その点宗矩殿は知行の割に上様に近しいお役目です。それこそ直接お話しできるほどに。上様へのお目通りを願い出ている出羽守が無下にすることはないでしょう。また出羽守は昔ながらの武の人だ。ならば下手な能吏のうり(文官)が向かうよりも、武術で名の知れた宗矩殿の方が心証がいいはずです」

 利勝らは「なるほど」と呟く。聞けば確かに思った以上に宗矩は適任の様だ。その一方で利勝は宗茂が彼を妙に評価していることも気になった。

「飛騨守殿は宗矩殿とはお知り合いで?」

「ええ。権現様(家康)のお引き合わせで何度か話をさせてもらいました。曰く戦場での考え方がよく似ているとのことだったので。実際話してみたところ非常に聡明なお方でしたよ。考え方も私とよく似ている。きっと今回の件も一任すれば賢く動いてくれることでしょう」

 これに周囲の者は「ほぅ」と感嘆の声を漏らした。あの智謀で知られる宗茂が「自分と考えが似ている」と評したのだ。まさかただの剣術指南役がそれほどの人材だったとは。

「ふむ。では此度の件の使者を宗矩殿に任せてもよろしいかな?」

 会議の中には宗矩のことを全く知らない者もいたが、宗茂の推薦ならばと反対意見は出なかった。

 こうして宗矩は坂崎事件解決のための使者に選ばれたのであった。

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