柳生宗矩 謹慎を言い渡される (第八話 終)

 三厳のかち上げるかのような一撃は坂崎家残党の男の右腕を切断した。男は一瞬あっけに取られていたが、ぽっかりとなくなった自分の右腕を確認すると思い出したかのように叫び声を上げその場にうずくまった。

「ぐがあぁぁぁっ!?痛ぇ!くそっ!くそぉっ!」

 男は叫びながら痛みに悶えてその場で転がる。三厳は構えを解かずそれを冷静に眺めていた。

(さて右腕は落としたが、どう出る?まだ動けるのか?)

 男は謎の丸薬を呑んで力を増強させていたため思いもよらぬ行動をしてくる可能性がある。それを警戒してしばらく残心を残していた三厳であったが、男はやがて痛みに耐えきれずに気絶した。どうやらあの薬は単に膂力を上げるだけのものだったようだ。

 これで一人は確保できた。では他の者はどうなったのかと周囲に目をやれば、一人は首をはねてしまったが、もう一人は連れてきた家来たちが押さえつけていた。一段落ついた様子に三厳はふぅと息を吐いて刀一振りし、ついていた血を払った。


 緊張を解いた三厳はまず全員の無事を確認した。

「皆無事か?怪我をした者はおるか?」

 これにほぼ全員が無傷あるいは擦り傷程度だと返答した。唯一深手らしい傷を負ったのは三厳合流前に一撃貰っていた之平であったが、彼の傷ですら一人で歩けるほどのものであった。

「上出来だ。ならば早速こいつらを里に連れて帰ろうか。急がなければ日が暮れてしまうからな」

 続けて三厳は捕らえた残党たちの輸送を命じた。彼らは今回の件に関する貴重な情報源である。生け捕りにした者はもちろん、首をはねた死体も持って帰る。死体であっても怪我や入れ墨などからわかることもあるからだ。

 しかしこれがなかなか難儀した。というのも里までの道中、残党たちが地味な抵抗を続けていたためだ。

「おい、じっとしてろ!危ないだろうが!」

 三厳らは初め残党たちの手だけを縛って歩かせていたが、彼らは立ち止まったりわざと藪の中に転んだりして一行の足並みを乱していた。仕方がないので足も縛って担ごうとしたが、それでも身をよじるなどして抵抗するためなかなか前に進めない。いっそ棒にでも括り付ければ運びやすくなるのだろうが、慌てて駆けつけてきたためそこまで用意はしてこなかった。そこで見かねた家来の一人が三厳に進言する。

「三厳様、このままでは日が暮れてしまいます。どうでしょう。里から戸板を持ってきて、それに縛って運ぶというのは」

「そうだな、それがいいかもな。よし、では悪いが数人里まで走ってくれるか」

 これに二人ほどが駆けていき、しばらくして応援と戸板数枚を持って帰ってきた。三厳たちは早速それに捕らえた残党たちを縛り付ける。

「あっ、くそっ!てめぇら、何しやがる!?」

 残党らは縛られている際もなけなしの抵抗をしていたが、さすがにがっちりと戸板に固定された後はおとなしくなった。これでようやく楽に運べるだろうと三厳らは戸板を担いで里へと戻る。

 だが戻ってからも面倒は続いた。話を聞きつけた里の者が野次馬として集まってきていたのだ。

「おぉ、三厳様が戻ってきた。三厳様、何かあったんですかい?」

「おやおや、怪我をしている人もいるじゃないか。物騒なこって」

「あの戸板に括り付けられているのは何者だ?……うわぁっ!首を落とされている者もいるぞ!?」

(……まぁ騒ぎになるのも当然か)

 普段は平穏な柳生庄でこれだけドタバタとしたのだ。注目など集めて当然だろう。だが今はそれに対処している暇はない。日はまもなく山影に隠れるところにまで落ちていた。

「後日話してやるからさっさと散れ。早く帰らねば夜道は危険だぞ」

 野次馬を割って屋敷へと戻った三厳たちは捕らえた残党らを蔵に入れて錠をかけた。本当はそのまま彼らについて話を聞きたかったのだが、さすがにもう遅いため本格的な取り調べは明日以降にすることにしたのだ。

 三厳は見張りを数人残して母屋に戻り、汚れや返り血を落とすために水を浴びる。そこに代官の頼元が寄ってきた。

「三厳様。譜代の方々より何があったのか説明を求める声が届いております。いかがなされますか?」

「さすがに隠し通せぬか。とりあえず必ず説明はするから少し待つようにと言っておいてくれ」

 頼元が「承知いたしました」と言って離れると三厳は心底面倒そうに息を吐いた。

(できれば大事にはしたくなかったのだがな……)

 三厳としては今回の件は幕府がかかわっているため最小限の人員で解決したかった。だが里の近くにまで敵がやってきた以上事情を説明しないわけにもいかない。おそらく明日か明後日にでも家臣らに説明する場が設けられることだろう。そしてその中には柳生家で預かっている坂崎直盛の嫡男・坂崎平四郎もいるはずだ。

(平四郎様がどう動くか……。いや、彼だけではないな。里の者にも早まった行動をとらぬように釘を刺しておかねば。……はぁ。明日からまた忙しくなりそうだな)

 三厳は再度ため息をついたのち、自らを慰めるように傍らに置いていた徳利を傾けた。


 山道での攻防から一夜明けた翌日、この日三厳は早朝から精力的に動き回っていた。

 三厳はまず朝一でお供を連れて昨日の現場へと戻り、回収できなかったものはないかと調べ歩いた。昨日の決着は日暮れ時だったため目についたものしか持ち帰れていなかったからだ。特に三厳が求めたのは彼らが服用した丸薬であった。

(あれほど効果のある丸薬はそうそう見られない。調べればきっと何かがわかるだろう)

 しかし半刻近く探してみたものの丸薬も、それを入れていた印籠もすら見つからなかった。小さな丸薬はともかく印籠も見つからないのはどういうことかと訝しんだ三厳らであったが、その答えは猫婆が知っていた。

「七坊たちが立ち去った後に二人組が来てね、何やらごそごそとしたのちに東の方に逃げていったよ」

 猫婆曰く、之平たちを追って山に入った残党は五人いたとのことだった。そのうち二人が途中ではぐれてしまい、のちに仲間たちを見つけるもその時はすでに三厳たちとの決着がついた後だった。結局彼らは近くの草むらに潜んだまま三厳たちが去るのを待ち、その後自分たちにつながりそうなものを回収して離れていったそうだ。印籠もこの時に回収したのだろう。

「なるほどな。そういえば昨日捕らえた奴らが妙に抵抗するなと思ったが、あれは仲間の助けを期待していたのか。だがそうすると厄介だな。近くに潜んでいたということは、こちらがあの残党らを捕らえたことも向こうは知っているということか」

「そうなるね。こういった状況、前に教えたことを覚えているかい、七坊?」

「『知っていると知られている』だろう?情報は得られたが言うほど有利に立てたわけではないということだ」

 確かに今回三厳たちは残党らを生け捕りにして情報源を得た。だがそこから得た有益な情報――例えば敵のねぐらや使っている符号といった情報も、相手が変えてしまってはその価値は一気に低くなる。情報を『知って』いても相手に『知られて』いては意味がない。それどころか向こうの『対処』以上の動きをしなければ今度こそ出し抜かれる恐れすらある。

(おそらく今回の件を受けて向こうも何かしらの手を打ってくることだろう。ならばこちらもそれを迎え撃つために今以上に団結する必要がある。そのためにはやはり今回の件を話さなければならないか……)

 あまり気は進まなかったが、ここまで騒ぎになった以上話さないわけにもいかない。屋敷に戻った三厳は代官の頼元に主だった家臣を集めるように指示を出す。そして数刻後、屋敷に柳生家家臣らが集結した。

 集まった家臣らは昨日の騒動に対する不安と説明してもらえるかもという期待とが入り混じった顔をしており、その中には坂崎平四郎の姿も見えた。全員が集まったのを確認するとまず頼元が口を開いた。

「皆の者、急な呼び出しにもかかわらず欠けることなく集まってくれたことに感謝する。薄々勘付いている者もおるだろうが、此度は昨日の騒動を含め今この柳生庄に何が起こっているのかを説明するために集まってもらった。先んじて申しておくが、此度の件を黙っていたのは殿や三厳様にも思うところがあってのことだ。それを踏まえて話を聞いてほしい。……では三厳様。お願いいたします」

「うむ。まずは事の始まりだが、それは半月ほど前、江戸の父上がとある年寄様に呼ばれたことだった……」

 こうして三厳は柳生家家臣らに今回の騒動――坂崎家の残党が徒党を組んで動き出したことを打ち明けた。なお三厳はおおよその事情は開示したが残党らが蜂起した理由に関しては当時の御公儀の醜聞は隠し、単に逆恨みが過熱した結果ということにしておいた。それだけに平四郎が肩身狭そうにしているのが心痛んだ。

「……平四郎様。平四郎様がこの十年誠実に過ごされていたことは存じております。故にこのようなことをお聞きするのは心苦しいのですが、他の者の手前尋ねさせていただきます。今回の残党らの行動、平四郎様は何かご存じではありませんか?」

 一同の視線がさりげなく平四郎に集まる。これを受けて平四郎は苦渋の表情で返答した。

「お恥ずかしながら全く存ぜぬことにございます。お役に立てず申し訳ございません」

 それは少なくとも三厳には本心からの言葉に聞こえた。おそらく今回の件に関して平四郎は全くの蚊帳の外なのだろう。しかしそれを証明することはできない。つまるところ三厳もほかの家臣らも、疑いたくはないが立場を考えれば警戒せざるをを得ないという中途半端な評価しかしようがなかった。

「……まぁ知らぬのならば仕方のないことでしょう。では今後同じようなことが起これば残党たちは処分することになりますが、よろしかったですね?」

「宗矩様らに仇なすというのならばそれも致し方のないことかと」

 平四郎は真摯に頭を下げたが結局最後まで何とも言えぬ雰囲気が払しょくされることはなかった。

(わかってはいたが、こればかりは時間が必要そうだな)

 とりあえず今できることはこのくらいだろう。三厳は今後の里の雰囲気を危惧しつつも、説明を済ませたことにとりあえず安堵した。


 このように気の滅入るような事後処理が続いた三厳であったが、うれしい知らせもあった。

 あの山道での攻防から四日後、伊勢に残っていた善祐と長右衛門が帰ってきたのだ。彼らは伊賀忍者の護衛に守られながら里へと戻ってきた。

「おぉっ!無事で何よりですよ、善祐殿!」

「ご心配をおかけして申し訳ございません。不覚を取りまして、お恥ずかしい限りです」

「何を言いますか。命あっての物種ですよ。もう少し待っていてくださいね。今家の者が之平殿たちを呼んできてますので」

 まもなくして之平たちが駆けつけてきて彼らは再会を喜んだ。中には目に涙を浮かべている者もいる。互いに今生の別れを覚悟していただけにその喜びも一入ひとしおなのだろう。

 そんな彼らを眺めながら三厳は隣にいた頼元に話しかけた。

「全員無事で本当によかった。それにしても之平殿の息子を見ましたか?里を出た時とは顔つきがまるで別人だ。すっかり男の顔になっている」

 三厳が話題に出したのは之平の息子・長右衛門についてだ。善祐の付き添いとして伊勢に残っていた長右衛門は善祐の命令で宿場近くの森の中に潜んでいた。何の頼りもない土地で不安に駆られながらも長右衛門はお役目とは何か、責任とは何かを真摯に考え、その結果主君を持つ一人の武士としての自覚を持ったそうだ。それは時間にすれば一日程度の出来事に過ぎない。しかし少年を男にするには十分な時間であった。

「ええ、おっしゃる通りで。今後が楽しみにございます。……だからこそ古い時代の汚れは我らの代で落としてしまわねばなりませんな」

「わかっている。父上に報告する手紙も間もなく書き終える。善祐殿たちから聞いた話を書き加えたらすぐにでも出すさ」

 翌朝、三厳は今回の件で集めた情報を手紙にしたため、善祐たちを送ってきた忍びに持たせた。内容は之平が持ち帰った坂崎家残党の名簿、そして之平や三厳が戦った残党との記録およびその所見といったものである。これらは数日中に宗矩の元に届くことだろう。

「さぁこれで事態がよい方向に進めばいいのだが……」

 だが数日後、この件は柳生家にとってあまりよくない方向へと転がることとなる。


 三厳が手紙を出してから九日ほど経ったある日の午後。この日宗矩は家光の稽古を終えたのち、老中・酒井忠勝に呼ばれて江戸城の一室にて待機していた。呼ばれた理由は聞かされてはいなかったが、数日前に三厳からの報告を提出したことを鑑みるに坂崎家残党のことについてで間違いないだろう。

(さて、讃岐守様は此度の件をどうなさるおつもりなのだろうか……)

 宗矩が面会用の小部屋にて一人悶々と待っていると、半刻ほどしたのち忠勝が案内役の坊主に連れられてやってきた。

「お待たせいたしました、宗矩殿。今日もまたいろいろと立て込んでましてな」

 忠勝は高貴な者らしく上等なかみしもを折り目正しく着ていたが、それでも彼が時間に追われている雰囲気なのは見て取れた。

「いえ、年寄様方がお忙しいことは承知しております。それで本日はどのような御用でしょうか?」

「うむ。用というのは他でもない、出羽守の残党についてだ」

 宗矩は心の中で(やはりそうか)と呟いた。ここまでは予想の範囲である。しかしこれに続く忠勝の言葉は完全に宗矩が思ってもみなかったことであった。

「先の報告書は読ませてもらった。それを鑑みた結果、宗矩殿にはしばらくの間登城せず屋敷にこもっていてほしいのだ」

「……はい?申し訳ございませんが、今何とおっしゃいましたか?」

 完全に思いがけぬ言葉に思考が停止する宗矩。登城するな?屋敷にこもれ?宗矩は忠勝の御前であったがぽかんと口を開き、対する忠勝は(まぁそういう反応になるだろうな)という風に申し訳なさそうな顔をしていた。

「……え、某が屋敷にこもる?謹慎しろということでしょうか?……え?いったいなぜ!?」

「そう言いたくなる気持ちはわかる。だが此度の件、どうやら思っていた以上に根が深そうでな。故に対処の目途が立つまで宗矩殿には行動を控えてほしいのだ」

「も、申し訳ありませんが理解ができかねます!?いくら元は大身であられた出羽守様の家臣とはいえ、敵は所詮は牢人のようなもの。そのような相手に何故そこまで慎重にならねばならないのですか!?」

 ずいと詰め寄る宗矩。普通圧倒的に地位の低い宗矩がこのように詰問するのはあり得ないことなのだが、今回ばかりは忠勝もその気持ちもわかるのだろう、彼は特に注意をすることもなく説明をするためにごほんと一つ咳払いをした。

「気持ちはわかる。だからこそ落ち着いて聞いてほしい。今回の件、残党らの背後に存外に大物がいる可能性が出てきたのだ。まだ相手の姿かたちは見えぬが対処を誤ればこの江戸自体がひっくり返りかねない。故に何があっても宗矩殿が討たれるわけにはいかなくなったのだ」

「……どういうことでしょうか?」

「ふむ、もう少し順序だてて話そうか。私とて今回の件の調査を宗矩殿らに丸投げしていたわけではない。こちらはこちらで残党らの動きを探っていた。具体的に言えばこちらは資金面から向こうの背後を探っていたのだ」

「資金面ですか?」

「ああ。奴らの徒党があまりに急速に発展していたからな。いくら思うところがあったとしても十年前の遺恨でこれだけの数が集まるはずもない。おそらく誰かが奴らに金を流しているはずだ。三厳殿たちが徒党に参加した者の名簿を手に入れていたが、そもそもそんな名簿を作ることができたのも明示的な金の流れがあったためであろう。……そして行っていた支援は金だけではない。例えば三厳殿も言及していた例の丸薬とかな」

「!」

 忠勝の言葉に宗矩もわずかに反応する。残党たちが使ったとされる丸薬。これについては三厳も報告の中で強く危惧していた。

「三厳殿も言及していたが残党らが使っていたとされる怪奇なる薬、これは非常に珍しいものだ。普通そういう謳い文句の薬は、偽薬か噂に尾ひれがついたものに過ぎない。例えば少し前に尾張の方で『天狗薬』なる怪奇な薬の噂が出回っていたが、あれも結局はただの噂だった。だがこれは本物だった。滅多なことでは手に入らない薬を残党たちは所持しており、しかもまるで腹下しの薬のように気軽に使っていたと聞く。これは相当に伝手のある人物が背後にいなければできないことだ。……ところでそのような人物がいるとして、宗矩殿はそれはどのような者だと考えるか?」

 急に話を振られた宗矩は困惑しながらも答えた。

「えっ、それは……出羽守様にかかわりのある人物で……金や薬を手に入れられることから、大店持ちのような裕福な人物といったところでしょうか?」

「うむ。そう考えるのが自然だろう。だがそちら方面で調べたところ該当するような者はいなかった。旧坂崎家の者で現在それなりの額を動かせる立場になっている者は何人かいたが、そのすべてが新しい人生を歩んでおり古い因縁など忘れてしまっているとのことだ。同じように出羽守と親しかった者、例えば津和野の小野寺家などにも伊賀者を送って調べてみたが、こちらもそのような動きは見られないとのことだった。……これはつまりとても面倒なことになったということだ。わかりますかな、宗矩殿?」

「ど、どういうことでしょうか?」

「これはつまり残党らの背後にいる者の目的が出羽守の仇討ちなどではないということだ」

「なっ!?し、しかし仇討ちが目的ではないのなら何が目的だというのですか?」

「うむ。これはあくまで推察に過ぎないのだが、私は背後にいる者の本当の目的は出羽守の事件そのものを蒸し返すことなのではないかと思っている」

「蒸し返す?なぜ今になってそのようなことを?」

「それはもちろん上様(家光)の正当性を問うためにだ」

「なっ!?」

 忠勝の言葉に、宗矩は急に深淵を見たような気がしてぞっと背すじが寒くなった。


 今回の契機となった事件――坂崎事件は家康の死後、秀忠が本格的に二代将軍になって間もない頃に起こった事件である。その原因は家康が交わした約束が秀忠に引き継がれなかったことであり、この点を深く指摘すれば秀忠が家康の後継者であることを疑問視する者もあらわれたことだろう。それを防ぐために当時の忠勝や宗矩は多少の無茶をしてでもこの事件を収束させたのだ。

 それを今蒸し返せばどうなるか?秀忠はもちろんのこと、その次代である家光の正当性にも疑いの目が向く恐れがある。特にこの時代は家光が将軍になって間もない上に、他の将軍候補として実弟の忠長や家康の実子である尾張徳川の義直などが存命だった頃である。彼らが、あるいは彼らの側近がそのような謀略を企んでいてもおかしい話ではない。この頃はそういう時代であった。

「もちろんこれは推察に過ぎない。しかし大きな事件が起これば――例えば宗矩殿が討たれでもすればそれは当然噂になり、やがて例の事件にたどり着く者が出てくる恐れがある。それはこちらの望むところではない」

「故に屋敷にこもっていろとのことですか……」

「申し訳ないとは思っている。しかし上様の御代になってまだ日も浅い。京やら牢人やらといった火急の問題も少なくない。そんな中で余計な悩みの種を増やすわけにはいかないのだ。なに、そう心配なされるな。宗矩殿がよく働いてくれていることは某たちもよく知っている。無下にするつもりはないから、骨休めとでも思ってしばらくの間控えていてくれるか?」

 忠勝は温和な口調の中に有無を言わさぬ圧を込めていた。ここまで言われればもはや宗矩に論じ返す道はない。

「……お心遣い感謝いたします。では少しの間お暇をいただきます」

 宗矩は硬い表情で頭を下げ、忠勝はこれに満足そうに頷いた。


 江戸城から出た宗矩はしばらく歩いたのち、苦渋の表情で振り返り城を見上げた。

(押し切られてしまったか……。讃岐守様は無下にはしないとおっしゃっていたが、果たして戻れる日は来るのだろうか……)

 急遽謹慎を言い渡された宗矩。柳生家は将軍家の剣術指南役の家であるため、城に出れなければその存在価値はない。

 忠勝は心配するなと言っていたが、それも所詮は口約束。御公儀が幕府を守るためならば誰であろうと躊躇なく切り捨てることを宗矩は誰よりもよく知っていた。

(こうなれば一日も早い解決を望むべきだが、しかし直接じっとしているようにと言い渡された以上私が動くわけにもいかない。……となるとやはり頼るのは七郎ということになるか。早く一筆書いて知らせねばな)

 宗矩は寒い冬を予感させる秋風に吹かれながら足早に屋敷へと急いだ。


 こうして宗矩は以後しばらく表向きは病気の療養と称して屋敷にこもることとなる。時は寛永四年(1627年)十一月の頃だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る