荘田之平 柳生庄へと向かう 5

 お役目を果たすために旅路を急ぐ之平と康成。しかし二人は柳生庄まであと少しというところで残党たちに追いつかれて戦闘となってしまう。

 二人は善戦したものの二対三という劣勢は覆せず、いよいよとどめを刺されようかというその時、間一髪で里からの救援が間に合った。

 そしてその救援の中には柳生三厳その人もいた。


「無事ですか、之平殿?」

 之平たちにとどめを刺そうとした男に不意打ちで一太刀入れたのは他でもない三厳であった。本来里の屋敷にいるはずの三厳がこんなところにいることに之平は信じられないという風に目を丸くする。

「み、三厳様!?なぜこのような場所に!?」

「なに、猫婆ねこばあが街道に変な奴らがいると気付きましてな。それでそろそろ之平殿たちが戻ってくる頃だったので、もしやと思って人を連れて来たらこうなったというわけです」

 猫婆とは柳生庄の北のはずれの方に住んでいるあやかし、猫又の老婆である。百年以上この地で暮らしているという噂のある彼女は、あやかし特有の人知を超えた力で里にやってくる者の監視をするのが趣味だった。どうやらその能力は街道沿いにまで届くようで、それが之平たちの命を救った。

「間一髪でしたな。しかし二人だけですか?まさか善祐殿たちは……」

 隙なく構えながら周囲を見渡した三厳はこの場に善祐と長右衛門がいないことに気付いて顔を曇らせる。だがこれは之平がすぐに訂正した。

「ご安心ください。善祐殿は少しばかり手傷を負ったため伊勢に残っております。長右衛門はその世話のために残しました。二人とも無事です」

「そうですか、それはよかった。しかし善祐殿が手傷を負うとは、まさか奴らにですか?」

 頷く之平。

「人は違えど同じ一派、坂崎家の残党にございます」

「そうですか、やはり坂崎家でしたか……」

 これを聞いて三厳の顔が曇った。

 ここまで坂崎家残党の不審な動きはあくまで推察に過ぎなかった。しかしこれで彼らが害意を持って動いていることが確定した。こうなると柳生家としても家を挙げて迎え撃たざるを得なくなる。

 しかし時は泰平。むやみに兵を動かせば――元が幕府がらみの因縁とはいえ――御公儀から目をつけられかねない。今や為政者側の立場を知った三厳からすれば頭の痛い話であろう。

(面倒なことになったものだ。だがここで三人捕らえられたのは不幸中の幸いといったところか)

 之平たちを襲った残党三人はそれぞれ三厳が連れてきた柳生家家来たちに囲まれていた。生け捕りも時間の問題で、これで多くの情報が得られるはずだ。

 だがここで残党の一人が叫ぶ。

「三厳!そうか、お前が!お前が柳生宗矩の嫡男、柳生三厳か!」

 叫んだのは之平を襲おうとした男、三厳の一太刀を受けた男であった。彼は負傷した右腕を押さえながら血走った眼で三厳を睨みつけている。

 三厳はこれに答える必要はなかったのだが、どうせ知ったところで何もできないだろうと考え「そうだ」と素直に返答した。すると男は犬歯を剥き出しにしてクックッと笑い出す。

「くっくっく。これは上々!俺にもツキが回ってきたみたいだ!ここでお前を殺せば宗矩に一矢報いたことにもなろうぞ!」

 一聴すると負け惜しみにしか聞こえない言葉であったが、男の叫びには狂気にも似た妙な威圧感があり、これに囲んでいた家来たちが一瞬たじろいだ。その隙を突いて男は懐から印籠を取り出し、中に入っていた黒い丸薬らしきものを一気に飲み下す。

「しまった!毒か!?」

 瞬間自害を疑う三厳たち。しかしそうではないと気付いた康成が慌てて叫ぶ。

「マズい!全員奴から離れろ!あれはおそらく力を増大させる秘薬の類だ!」

「なにっ!?」

 男を囲んでいた柳生家家来たちが一斉に飛び退く。そして彼らが飛び退いたところを男の尋常ならざる速さの剣が通過した。あと一歩後退が遅れていれば何人かはこれの餌食となっていたことだろう。

「……くくく。上手く避けたか」

 幸い康成の声が早かったため被害を受けた者はいなかった。しかし男の残したブオンという強烈な風切り音は、勇猛果敢な柳生の剣士たちですら思わず戦慄するに足るものであった。

「きょっ、距離を取れ!こいつは危険だ!それと残りの二人に薬を飲ませるな!」

 家来の誰かが怒号混じりの指示を飛ばす。そしてこれを契機に山道は騒乱に包まれた。


 まず動いたのは残党の残りの二人であった。彼らは最初の男に続こうと懐から印籠を取り出した。それに気付いた周囲の家来が慌てて止めるも、一人が丸薬を口に含んでしまう。このままでは厄介な敵が一人増えてしまうと悟った家来は迷わず男の首を切り落とす。男の首がごろんと落ち、頸動脈から噴き出した血が周囲と首をはねた家来を赤く染めた。

 もう片方の男は薬を飲む前に印籠を弾かれてしまったがそれで終わらず、今度は短刀を取り出し自らの腹を裂こうとした。こちらは正真正銘の自害である。おそらくもう助かる見込みはないと悟っての行動だろう。だが情報を聞き出したい柳生家側としてはこれも見過ごせない。家来の一人がこれを阻止するためにとびかかり、二人は取っ組み合って短刀の奪い合いを始めた。

「くそっ!やめろっ!このっ!」

「離せ!この畜生め!」

 修羅場じみてきた山道。そんな中、初めに薬を飲んだ男は周囲のことなど興味がないという風にただじっと三厳だけを見据えていた。

「……」

「……仲間の二人はいいのか?大変なことになっているようだが?」

「構わんさ。どうせ互いに十年前に死んだ身。それよりも今ここで貴様を討てば少しは皆の無念も晴らせられようものぞ」

 にちゃりと笑う残党の男。その顔は無念云々というよりは力に呑まれている狂人のそれであった。

(もはや正気ではないか……。半端な心構えではこちらが飲まれるな……)

 三厳は刀を丁寧に握りなおし、男に向かって構えた。


 正眼の切っ先を男に向けた三厳は、早速相手の異様な気配に気付いた。

(こやつ……普通の人間のくせに妙な気配を漂わせている。先の薬の影響か?)

 あやかしの気配がわかる三厳だからこそ感じる相手の異様さ。それを背後に控えていた康成が裏打ちする。

「……三厳様、お気を付けください。おそらくですが、善祐様が後れを取ったのもこの力にございます」

 三厳は目線を切らさぬまま、これに「ほう」と反応する。

「ほう。どのような力かは聞いているか?」

「はい。善祐様曰く、膂力りょりょくが増大し動きの力強さや速さが増すとのこと。ただし体そのものは変容せず、技術が向上するわけでもなし。刀の方にも細工はしてなかったとのことです」

 これを聞いて三厳は改めて男を観察する。するとなるほど男は妙な気を纏ってはいるものの、その下の生身の体や得物の刀はいたって普通の気配であった。

「なるほどな。先程の丸薬による力というわけか」

「おそらくは。ですがこれは推察なうえに別の残党の話ですので、かの者がどこまで同じかまではわかりませぬ。そこはお気を付けください」

「承知した。お前は下がって之平殿の手当でもしておいてくれ」

「はっ」

 康成は之平に肩を貸しこの場を離れる。残党の男はこれを目にしていながら、興味ないという風に黙って見送った。

「……執拗に追っていた割には随分と簡単に見逃すのだな」

「ふん。そいつらがどんな話を持ち帰ったのかは知らないが、こちらの素性が知られた今となってはたいした問題ではない。それよりもここで貴様を屠る方がよっぽど価値がある」

「高い評価痛み入る。だがそう易々と取れる首ではないぞ」

「上等だ。それくらいでなければ村を出てきた意味もない」

 男がにやりと笑うと三厳もつられて口角を上げた。そして両者は無言で構えなおし、互いに呼吸を整えた。


 二人の間に糸が張ったかのような空気が流れる。もういつ衝突が始まってもおかしくない。そんな緊迫の雰囲気の中で三厳は冷静に勝つための分析を行っていた。

(さて、どうやって仕留めようか。出来ることなら手傷を負わずに捕えたいところだが……)

 男は貴重な情報源のため出来ることなら生け捕りにしたかった。だが先程男が見せた力任せの横薙ぎ――剣筋はひどいものであったが、それを補って余りある威力。あれを御するのは相当骨が折れることだろう。

(下手をすればこちらが致命傷を負いかねないな。となると……)

 戦術を決めた三厳は小さく息を吐くと、一歩踏み込み剣気を飛ばした。

 剣気とは「これからお前を切るぞ」という気迫である。これによって相手を脅したり、自分を鼓舞したり、あるいは敵を惑わすフェイントにもなる。

 今回三厳はフェイントとしてこれを行った。踏み込んで自分の闘志を前面に押し出す。これを受けた相手は「相手の攻撃が来る!」と錯覚し、無駄に後ろに引いたり不利な体勢にもかかわらず反撃してきたりする。もちろん熟練の剣士には効かないが、牢人崩れの残党の男には十分すぎるほどに効果があった。

「くそっ!舐めるなっ!」

 三厳からの一撃が飛んでくると勘違いした男は、間合いの外にもかかわらず闇雲に反撃してきた。

(この程度のまやかしに引っかかるとは、やはり技術の方は素人か。だが……)

 だがここで男の筋力が生きた。三厳の位置は間合いの一尺以上外。普通ならば男の切っ先は空を切る。しかし男は強く大地を蹴ってその間合いを詰めてきた。

「しゃぁっ!」

「むんっ!」

 キィィンと鉄塊の交錯する甲高い音が山道に響いた。届きそうになった男の切っ先を三厳が弾いたのだ。両者に傷はなし。しかしこの交錯は三厳が間合いを見誤ったことを意味する。

(想像以上に飛んでくる!まるで鳶か何かだな!善祐殿が初見で不覚を取るわけだ!)

 猛禽類を思わせる男の鋭い飛び込み。これに三厳は一瞬たじろぎ、対する男は手応えを感じて高笑いをする。

「ふはははは!どうした、柳生三厳!?腰が引けているぞ!」

「っ!言わせておけば!」

 そうと返したものの、ここからしばらく三厳は打つ手がなく防戦一方となる。

「さあさあさあ!この程度なのか、柳生家の嫡男とやらは!?」

 狭い山道に男の煽りと刀の衝突音が響く。それを黙って受けながら三厳は冷静に思案していた。

(やはり普通に戦って生け捕りは難しいか……。何か策を練るか、あるいはもう諦めて殺してしまうか……)

 そんなことを考えながら三厳はまた一つ男の乱暴な振りをいなした。


 防戦一方に見えた三厳であったが、実はそれは男を生け捕りにする方法を考えていたためであり、手段を選ばなければやりようはいくらでもあった。

 実際男の膂力は規格外ではあったものの剣術の方は素人もいいところ。そのため落ち着いて見極めれば隙を突いて一撃を食らわせることはさほど難しいことではない。伊勢の長野峠では手傷を負っていた善祐でもできたのだ。五体満足の三厳ならばそのくらいは難なくできるだろう。問題はその力加減である。

(まいったな……。下手に致命傷を与えたら山中故に手当てができず、そのまま死んでしまいかねない。かといって反撃できる程度の傷ならばこっちが反撃を貰ってしまう。あぁもう面倒だ。いっそ殺してしまおうか)

 三厳の目的は男の生け捕り。故に命にかかわるような傷を与えることはできず、それでいて抵抗できないくらいには痛めつけないと手痛い反撃を貰ってしまうかもしれない。

 絶妙な力加減が求められる中、男が薬を飲んだことでその難しさはさらに跳ね上がった。それは筋力もそうだが、生命力がどれほど強化されたかわからないという問題だ。もしかしたら切り傷程度では怯まないかもしれない。普通なら致命傷となる傷でも動けるかもしれない。痛みを感じず反撃してくるかもしれない。あるいは生命力は全く強化されておらず、簡単に死んでしまうかもしれない。そんないろいろな可能性が三厳の剣を鈍らせていた。

(……しかしいつまでもこうしているわけにもいくまい。俺だっていつ手筋を間違えるかもわからんしな。……仕方がない。ちょっと賭けに出るか)

 このままでは埒があかないと思った三厳はほんの少しだけ受け方を変える。この些細な変化を男はすぐに感じ取った。

(何だ、この……刀が引っ張られるかのような感覚は!?こいつが何かしているのか!?)

 剣術の心得のない男であったが三厳が何か仕掛けてきたことにはすぐに気付いた。というのも何故か打ち込むたびに自分の刀が引っ張られているかのようなおかしな感覚がしたからだ。

 実はこの時三厳は男の剣を受ける際に相手の刀を絡め取るような動き、巻き技や弾き技をひそかにかけていた。といっても本気で力比べをするつもりはない。あくまでほんの少しだけ、手元に違和感を感じさせる程度にである。

 これが男には効いた。何かされている感じはするが何をされているのかまではわからない。そんな微妙な気持ち悪さを感じた男はそれを振り払うかのように攻撃の圧を強くした。

「えぇい、うっとおしい!さっさと死んでしまえ!」

 力任せに乱打を繰り出す男。その判断は正しかったのか、三厳はまるで反撃ができずに後退して受けるばかりであった。

(行ける!このまま押し切れる!)

 優勢を確信した男はここでこれまで出さずに取っておいた渾身の突きを繰り出す。最短距離で三厳を襲う高速の突き。これにはさすがの三厳も驚いたのか、間一髪で弾いたものの、そのまま後方に尻もちをついた。

(勝機!)

 これこそまさに千載一遇の好機。男はここで勝負を決めようぞと踏み込んで、振りかぶった刀を転んだ三厳に向けて振り下ろす。

 高速の袈裟切り。これに三厳は首を引っ込めるくらいしかできない。男は勝利を確信した。

 しかし男の一撃は三厳に当たる直前に何故か唐突にガッと止まった。

「な!?なんだぁっ!?」

 鈍色に光る刀身は三厳の数寸手前で止まっている。当然三厳の肌には切り傷の一つすらついていない。

 男は完全に想定外の光景に困惑するが、やがてその原因に気付く。なんと彼の振り下ろした刀身の先端が三厳の背後にあった木の幹にがっちりと食い込んでのだ。

「何だとぉっ!?」

(……やはり素人だな。周りがまるで見えていない)

 もはやほとんどの人が気付いているだろうが、ここまでが三厳の作戦――あえて防戦一方となることで相手の雑な攻撃を誘い、周囲の木々で刀を絡め取るというものであった。

 実はこれはそれほど突拍子もない作戦というわけでもない。周囲を山に囲まれている中で戦国時代を生き抜いた柳生庄ではよく研究された戦法であった。最近古い文献を読み返してこれを知った三厳が(これは使えるかもな)と思い出したのだ。

 もう一点付け加えるならば、三厳は男の不用意に踏み込む癖を見抜いていた。おそらく男は普段は短刀や匕首を得物としているのだろう、男は明らかに刀の間合いを把握していなかった。

 そういった要素の結果が今の状況である。

「くっ、くそっ!抜けん!」

 男は木から刀を抜こうとするも全身全霊の力で叩き込んだそれはびくとも動かない。そして三厳がその隙を見逃すはずもない。三厳はすぐさま刃筋を上に向け、低い姿勢から飛び上がるかのようにして無防備に伸びた男の腕を断った。

 男の右腕は木に食い込んだ刀を掴んだまま男の体から離れた。

「ぐがあぁぁぁぁぁっ!?」

 暮れゆく笠置の山道に男の野太い絶叫が響き、それが決着の合図となった。

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