柳生三厳 旧友に協力を依頼される 1 (第九話)
すっかり朝夕寒くなった十一月某日の早朝。江戸の柳生宗矩は庭先で鳴く雀の声で目を覚ました。
(……朝か。少し起きるのが早かったかな?)
うっすらと目を開ければ障子からは淡い光が差し込んでいるものの、部屋の外に活動的な気配はない。おそらくはまだ明け六つ前なのだろう。江戸の町の木戸は基本明け六つの鐘と同時に開くため、通りに耳を済ませば今がそれ前後かがわかるのだ。
宗矩は自分が存外早い時間に目覚めたと気付くと、寝転がったまま大あくびを一つしてこれからどうするかを考えた。
(さて、どうしてくれようか。今日は誰かと会う予定も、どこかに赴く予定もない。このまま誰かが呼びに来るまで横になっているのも悪くはないな)
普段ならば登城や門下生への稽古があるためこの時間であってもそれなりに忙しいのだが、今日はその手の用事はない。宗矩はせっかくだからたまには二度寝でもしようかと目を閉じてみたりもしたが、やはり慣れぬ習慣なのかついぞ寝付けず、結局無理矢理起床したのち古草履をひっかけて庭に出てみた。
(ふむ。やはり日の出はまだ先か)
飛び立った雀を目で追いながらそのまま空を見上げる宗矩。空は薄く瑠璃色の入った晴天で周囲のものがわかるくらいには明るかったが、まだ西の方では星がちらほらと見えてもいた。明け六つまではあともう四半刻もないだろう。
(まぁ日が昇ったところですることもないのだがな)
怠惰を持て余す宗矩は何気なしに庭木を愛でながら屋敷内を歩き始めた。
ところでこの時代の時間表現でよく言われる『明け六つ』『暮れ六つ』であるが、これはある特定の時間を指しているわけではない。当時の時制は太陽の動きを基準にしており明け六つは日の出、暮れ六つは日の入りの時刻に相当する。例えば日の出の早い夏至の頃なら『明け六つ』は午前四時半くらいになり、逆に冬至の近い十一月付近だとそれは午前六時を越える。これは『暮れ六つ』も同じで日の入りが早ければ早く、遅ければ遅くなる。
これが何を意味するかというと、この時代の人たちにとって一日の長さは季節によって変動するということだ。この時代はろくな明かりがないため日が出ている時間帯しかまともに活動できない。つまりは明け六つから暮れ六つまでであり、それが短い冬場などはそのまま活動時間および勤労時間が短いことを意味していた。
勤労時間が短くなる。ならばこの時期の職人は楽ができたのかというと話はそう単純ではない。むしろ明るい時間が短い分それを補うために仕事を急いだり、少しでも早く職場に行けるように明け六つ前から早支度をして待機したりといろいろと手を尽くしていた。
そして柳生屋敷の内にもそのような思惑の者がいるのだろう、宗矩が庭伝いに玄関の方に回ると何やらごそごそとやっている複数人の気配がした。おそらく鐘と同時に屋敷を出ようと準備している者なのだろうが、はて一体誰だろうかと宗矩が柱の影から少し覗いてみると、そこにはお供を連れた宗矩の次男・柳生
「ふむ、どうだ?服に変なしわは入ってないか?」
「問題ありませぬ、友矩様。まもなく開門ですね」
「うむ。鐘が聞こえたらすぐに出るから気を抜くなよ」
(あれは
柳生友矩。現在数えで十五歳になる宗矩の次男であり、三厳にとっては六歳下の腹違いの弟である。そんな彼は今年から柳生庄へと戻った三厳に代わって将軍・家光の小姓の一人となっていた。名誉あるお役目を与えられたことと三厳が江戸から離れたことで次代の柳生家を支える自覚が生まれたのか、最近の友矩はとみにやる気に満ち溢れていた。
宗矩はそんな友矩に水を差してはいけないとこの場を去ろうとする。実は顔を合わせたくない理由は他にもあったのだが、とにかく宗矩は気付かれないようにこそりとその場を離れようとした。しかしうっかり庭の砂利を踏みしめてしまい、それにより友矩に目ざとく見つかってしまう。
「ん?誰かおるのか?……おぉ父上ではないですか。おはようございます。どうしたのですか、そのようなところで」
「う、うむ、少し朝の空気を吸いたくてな。それにしても早いな、左門。今日は御小姓のお役目か?」
「はい。今日も御家の名に恥じぬよう全身全霊を持って尽くしてまいります。……それよりも父上、お体の方は大丈夫なのですか?」
心の底から気遣う瞳を向ける友矩。それがいたたまれなくなった宗矩は思わず目線を逸らす。
「ん。問題はないから気にするな。それよりもしっかりとお役目を果たすのだぞ」
「はい!お任せください!」
力強く返答した友矩に宗矩は頼もしさと後ろめたさを感じながら目を細めた。
実は現在宗矩は療養と称して剣術指南役のお役目を休んでいた。なるほど宗矩も今年で五十七歳。さすがに節々にガタが来てるのだろう……というのは表向きの理由。その真実は坂崎家残党たちから身を守るための謹慎であった。
戦国大名・坂崎直盛。彼はいろいろあって十年ほど前に亡くなったのだが、近年その家臣たちが彼の死に対する復讐するために徒党を組んだという噂が流れてきた。狙われれるであろう対象は当時の関係者――酒井忠勝や立花宗茂、そして柳生宗矩であった。
当然宗矩たちはこれについて調査を実施。その結果残党らの背後に思った以上の大物がいる可能性が浮上し、また坂崎事件が再度語られることとなればそれは幕府にとっても不都合であることが発覚した。これを重く見た老中・酒井忠勝は事態が思わぬ方向に動かぬよう宗矩に謹慎を言い渡したのだ。
「万が一宗矩殿が討たれてしまっては噂が広まり江戸は大きく揺れることとなりましょう。それを避けるためにもしばしの間屋敷にこもってもらえますか?」
この頃の幕府は外交問題や牢人問題、京都における幕府と朝廷との対立と問題は山積みだった。そんな中十年前の遺恨なんぞに構っているような暇はない。忠勝らは宗矩を謹慎させることで残党たちが手を出せないようにしたのだ。もちろん宗矩がこれに反抗できるはずもなく、表向きは療養という
(まいったな。讃岐守様は無下にはしないとおっしゃっておられたが、いつ謹慎が解かれるか分かったものではない。下手をすればこのまま指南役の立場を追われるかもしれないぞ……)
宗矩は将軍家の剣術指南役として身を立ててきた。そんな彼が指南に出れないとなれば、それはタダ飯食らいに他ならない。ただでさえ最近は御公儀における武芸者の立場は悪いのだ。解任、減俸、御家取り潰し……。次々に浮かぶ悪い予感に宗矩の心中は穏やかではない。
とはいえ謹慎が老中・忠勝からの指示である以上江戸の宗矩が大っぴらに動くことはできない。そこで宗矩が頼ったのが柳生庄に戻っている三厳であった。
(七郎(三厳の幼名)が何か決定的な証拠をつかんでくれたら上も動いてくれるやもしれない。わしの進退は、延いては柳生家の将来はお前にかかっている。頼んだぞ、七郎!)
宗矩は祈るように柳生庄のある方角、西を向く。しかしその空は暗く、まだ夜の名残を残していた。
さて、そんな動けぬ宗矩から期待されていた三厳であったが、残念ながらその調査は全く進展していないと言わざるを得なかった。原因は単純明快、残党たちが自分たちの情報をつかまれたと知って雲隠れしたためである。
三厳は少し前に柳生庄近くまでやってきた残党三人を捕らえていた。うち一人は捕らえる際に抵抗されたため首をはねてしまったが、三厳らは残る二人を拷問にかけ確保から三日後に口を割らせることに成功した。その情報をもとにすぐさま敵のねぐらへと踏み込んだのだものの、一足遅かったのか聞き出した小屋はすっかりもぬけの殻となっていた。
その後も小さな情報を得ては現地に赴くが、あと一歩というところで逃げられることが続き、いよいよ探す先がなくなったところで月は十二月・師走に変わった。
「……またこれも無駄足だったということか」
十二月初旬の某日、柳生屋敷の一室にて三厳は読み終えた報告の手紙を雑に放り投げた。それは残党の手掛かりを求めて大坂まで足を延ばした家臣からのものであったが、内容は三厳が放り投げたことからわかる通り空振りの報告。一応念のためにと代官である小沢頼元が拾い改めるも書いてる内容が変わるはずもなく、読み終えた頼元も同じようにただ溜め息をつくばかりであった。
「芳しくありませんな。まぁ相手は根無し草の一団ゆえに仕方がなくはあるのですが……」
「とはいえここまで尻尾をつかめんとはな。まいったな……。今年のうちに解決したかったのだが……」
三厳らははすでに宗矩の謹慎を聞かされており、それが柳生家にとって危急存亡の問題であることも把握していた。そのため一刻も早く解決の糸口を見つけたいとは思っていたがその思いに結果はついてこず、彼らは焦燥する日々を送っていた。
「これはもう相手は冬ごもりに入ったかもしれませぬな……」
「考えたくはないが十分あり得る話だな……」
三厳たちが懸念していたのはこれから本格的な冬がやってくることであった。
いくら恨みを持って集まった残党たちとはいえ彼らにも日々の生活がある。本格的な冬が来る前にしっかりと蓄えを用意しておかなければ、いかに彼らとて野垂れ死んでしまうことだろ。つまり残党たちも大っぴらに動くようなことは控えて越冬に備えるようになるということだ。
これは早期解決を求める三厳たちにとっては頭の痛い問題である。相手が目立った行動をしてくれなければ探しようがない上に、本格的に冬ごもりを始めれば少なくとも四か月、下手をすれば半年近く事態が進展しない恐れがあるからだ。もちろんその間も宗矩の謹慎は続くだろう。そのため三厳は今年中の解決を目指して励んでいたのだが、先の手紙でいよいよ打つ手がなくなり溜め息をついたというわけだった。
「はぁ……手掛かりの方からこちらに来てくれたらなぁ……」
意気消沈する三厳たち。そこに玄関の方から下男が駆けてきて、襖越しに声をかけてきた。
「若様、頼元様。ただいまよろしいでしょうか?客人がお見えになられました」
「客人?誰だ、こんな時期に?」
「それが陰陽頭・
「なんと!友景様からの使いとな!」
そう驚いたのは頼元だった。幸徳井友景とは朝廷の陰陽術機関・陰陽寮の首座にして柳生家縁故の陰陽術師である。そんな彼が一体何用かという驚きであったが、対する隣の三厳は使いとしてやってきた者の名前の方に反応していた。
「雅行だと!?まさかあの雅行なのか?……あぁ、すぐにここまで通してくれるか!」
三厳が喜色と困惑を含んだ声で指示を出すと、下男は「は、はい!ただいま!」と駆けていく。それを見送ったのち頼元が尋ねた。
「お知り合いですか?」
「うむ。昔同じ師の元で陰陽術を習っていた同窓だ。最後に会ったのは七年ほど前だったかな。しかしまさかあやつが友景様の使いとしてやってくるとは、縁とはわからんもんだな」
まもなくして奥座敷に友景の使いの男がやってきた。三厳は久しぶりの再会のため相手が旧友だとわかるかどうか不安であったが、いざ会ってみると二人はすぐに互いがかつて机を並べた友であることを悟った。
「雅行!本当にお前なのだな!いやぁ久しいな!」
「おぉ三厳!お前も変わらぬなぁ!……あ、いや三厳様か。ふふっ、此度は某なんぞのために時間を割いていただき誠にありがとうございまする」
「よせ。お前にそんな態度を取られると、むずがゆくなって仕方がない」
三厳がわざとらしく肩をすくめると二人は目を合わせたのち笑いあった。それはまるで二人の時間が七年前の少年期に戻ったかのようであった。
久しぶりに再会した三厳と雅行の二人は早速思い出話に花を咲かせていた。
「しかし本当にいつ以来だ?俺が京に上る前だから七年ぶりくらいか?」
「俺が師匠のところに通いだしたのが御小姓になってすぐだからそのくらいだな」
三厳は小姓としての資質を見る試験を受けている最中にあやかしを見る才が露見した。それ以降三厳は小姓のお役目や剣の鍛錬と並行して怪異改め方としての修行を行っており、雅行との縁はそのときにできた。
雅行は当時を思い出し顔をほころばせる。
「懐かしいな。あの頃は互いに悪ガキで、よくくだらないことで張り合ってたな。どちらが先に人混みを避けて通りの向こう側に行けるかだとか、どちらがより多く餅を食えるかとか」
「そうだそうだ。剣なら俺に方に分があって、陰陽の術ならお前の方に分があったからな。だからどちらかが有利にならないよう、わざとくだらないもので競い合ったものだ。今思えば馬鹿なことばかりしていたがそれも七年前か……。つい昨日のような気もするが、考えれば長い年月だな。まさかお前がその間に友景様の使いにまで出世するとはな」
「ははっ、ただの使い勝手のいい奉公人のようなものさ。江戸の将軍の御小姓様には及ばんよ」
二人は互いに軽口を言い合いながら再会の喜びを分かち合っていた。しかしそれが目的でここまで来たわけではあるまい。名残惜しくはあったが話題が一区切り着いたところで三厳は本題を切り出した。
「ところで雅行や。お前、本当は何の目的でここまで来たのだ?よもや顔を見せるためだけにふらりと立ち寄ったわけではあるまい」
これに対し雅行は特に隠す様子もなくにやりと笑って返した。
「ふっ、察しがいいな。その通り、今日はお前の力を借りたくてやってきたんだ」
「俺の力を?……それは陰陽寮からの依頼か?それとも単にお前個人の問題か?」
「陰陽寮の仕事だが正式な依頼ではない。もちろん断ってくれても構わないが、友景様が協力を仰ぐ際に自分の名前を出しても構わないともおっしゃっておられた」
「ふむ……」
思案する三厳。雅行からの依頼は正式なものではないそうだが、友景が理由もなしにここに来させるはずもない。おそらくは三厳側にも何かしらの利点があってのことなのだろう。とりあえず話を聞くくらいはしてもいいはずだ。
「受けるかどうかは内容を聞いてから判断しよう。それで何をしてほしいのだ?」
雅行は「感謝する」と礼を述べてから今回の訪問の目的を話した。
「ありていに言えば妖怪退治に協力してほしい。近江の
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