春豪 柳生清厳と対面する 4

 春豪と清厳の一戦は途中で利厳が清厳を叱責し、そのまま引き分けという形で決着となった。

 勝負自体は春豪がやや優勢であったものの、清厳が最後見せた執念に春豪は彼の底知れなさを感じ背すじを寒くした。


 春豪と清厳との一戦は引き分けという形で片が付いた。不完全燃焼であることは否めなかったものの、あれ以上続けていればどちらかが大怪我をしていたかもしれないためこの結末も致し方ないだろう。

 その後は続く挑戦者もあらわれなかったため、この日の稽古はそのままお開きとなった。ちなみに十分に実力を見せた春豪は、すっかり門下生たちから一目置かれるようになっていた。

「春豪殿、こちらで汗を流せますよ」

「うむ、ご相伴にあずかろう。ところでこの長巻は……」

「あー、春豪殿。それは自分が片付けておきますよ」

「そうか、すまない。ではお任せする」

 こうして汗を流し夕餉を貰い平らげると、やがて暮れ六つの鐘が鳴った。長い夏の夕方が終わり、屋敷に夜のとばりが下り始める。人によってはここから友人らと語り合ったり酒でも飲んだりするのだろうが、あいにく春豪にそんな相手はいない。

(することもないし、そろそろ寝るか)

 そう考えて客人用の寝具を整えていると、利厳からの使いの下男がやってきた。

「春豪殿。殿が少々お話したいことがあるとのことです。申し訳ありませんがお時間よろしいでしょうか?」

「利厳殿がか?うむ、すぐ参ろう」

 やや疲れはあったものの、一宿一飯をもらい受けた以上無下にするわけにもいかない。春豪は下男の案内で利厳の部屋へと向かった。

 その利厳は自室前の縁側に腰掛けて一人手酌で月を眺めていた。月は十三夜。雲はなく眺めるには悪くない月である。

「おぉ春豪殿。こんな時間に申し訳ない。少し話し相手になってほしくてな」

「いえ、お構いなく。大した話もできませぬが」

 利厳に誘われ春豪が縁側に腰を下ろすと下男は去っていった。

 利厳と春豪の二人きり。周囲に他に気配はなし。内々の話をするにはちょうどいい状況であった。


 夜の縁側に腰掛ける利厳と春豪。こんな時間に呼び出したのだ、きっと何かあるのだろうと春豪は利厳にその意を尋ねる。

「それで某を呼んだ理由は何ですかな?このような場まで設けられたのだ。人目を気にするようなお話なのでしょう?」

「まあまあ、急ぐ必要もないではないですか。どうですか、まずは一杯」

 そう言うと利厳は自ら酌を注いでお猪口を差し出すが、春豪はそれを一息で飲み干して本題に入ることを要求した。

「某は腹芸はあまり得意ではありませんので」

 あまりに正直すぎる春豪の返答に利厳は一瞬呆気に取られたのち、くっくと楽し気に笑った。

「そうですか。……いや、そうですな。そういえば私も腹芸はあまり得意ではないんでした。まったく年を取るとイヤな習慣まで身につくものだ」

「……それでお話とは?」

「なに、権平――清厳と刃を交えた感想を聞いておこうと思いましてな」

「感想、ですか……」

 春豪が昼間に刃を交えた清厳は利厳の嫡男であり、尾張柳生家および尾張新陰流の次期後継者である。それと相対した感想――第三者の意見が欲しいのだろうか?春豪はとりあえず感じた通りに返答した。

「相当な腕前でしたね。十四とは思えぬ技量でした。もう少し手足が伸びれば、天下でも有数の剣豪となることは間違いないかと」

 春豪は清厳をべた褒めするが、これはお世辞ではなく本心からの評価であった。実際清厳はこれまで春豪が戦ってきた中でも十指に入るほどの実力者であった。体が完成すればもっと上位になってもおかしくはない。

 だがこれに対する利厳の反応は「ほぉ、そうですか」とどこか薄い。興味がないというよりは「それくらいのことはわかっている」とでも言いたげな反応である。

(腕や技量の話ではない。ということは……)

「……強さ以外で気になったことと言えば、やはり勝負に対する異常なまでの執着でしょうかね。勝ちにこだわっているとでも言いましょうか……。とにかく『若さ』で片付けるにはあまりに強い意志でした」

「ほう……」

 春豪が清厳の精神面について言及すると、利厳は興味ありげに視線を寄越した。どうやら利厳が気になっているのはそのあたりのようだ。

「……春豪殿の目にもそう映りましたか?」

「ええ。例えば某に長巻を持たせたのもそうです。勝つにしても鍛錬にしても、某の得物は刀で十分だった。しかし清厳殿はそれでは万全ではないと拒絶した。勝ち方にこだわっている証拠です。それと何より最後にしようとした抜刀術。判断は悪くないと思いましたよ。稽古という点を除けばですがね」

 清厳戦終盤、清厳は起死回生の一手として抜刀術を使おうとした。動きの起こりが見えづらい抜刀術なら春豪との差し合いを制することができるやもと思っての選択だったのだろう。しかし抜刀術は失敗してしまえば致命的な隙を晒してしまう。まさに勝つか負けるかの諸刃の剣であった。

 もちろん勝利をもぎ取るにはこのくらい大胆な一手が必要な時もあるだろう。だが稽古で使うような技かと訊かれると、やはり疑問は残ってしまう。

「抜刀術が新陰流の内にあるのならまだ理解はできましたが、聞けばあれは体系外の技とのこと。そこまでして勝ちたかったということなんでしょうが、果たして何が彼をそこまで駆り立てていたのでしょうか……」

「……」

「お心当たりはないのですか?」

 春豪が尋ねると利厳は口を真一文字にして無言を貫いていた。どうやら心当たりがあるらしい。本人が言っていた通り腹芸はあまり得意ではないようだ。

 そのまま二人はしばらく互いに無言を貫いていたが、やがて傍らのお猪口が空になったところで利厳がようやく重い口を開いた。

「おそらくですが権平……清厳には倒したい相手がいるのでしょう」

「倒したい相手ですか?」

「ええ。最近の清厳はその者を倒すことを目標に鍛錬に励んでいるように見受けられます。春豪殿相手に引かなかったのも、その倒すべき敵を想定していたのやもしれませぬ」

 なるほど、清厳が日ごろからとの決戦を念頭に置いていたのだとしたら、あの異様なまでの勝負への執着も説明がつくかもしれない。

「してそのどうしても倒したい相手とやらに心当たりはあるのですか?」

 春豪の問いかけに利厳はまたたっぷりと時間をかけたのち、「推察ですが」と前置きをしたのち返答した。

「あくまで推察ですが、江戸の柳生の次期当主・柳生三厳ではないかと」


 清厳はおそらく誰かを倒すつもりでいる。その相手は誰か?利厳は推察ながらも一人の名前を挙げた。

「おそらくですが、清厳が討とうとしているのは江戸柳生の次期当主・柳生三厳ではないかと」

「えぇっ!?確か江戸の柳生とは近縁だったはずじゃ……!?」

 利厳の推察に驚く春豪。しかしそれも無理はあるまい。利厳の予想では清厳が討とうとしているのは身内の柳生三厳ではないかとのことだった。

 しかも彼は単なる身内というわけではなく、江戸の将軍の小姓であり、次期江戸柳生の当主となる人物でもある。下手をすれば尾張と江戸とで戦争になりかねない、実にのっぴきならない話である。

 春豪はとりあえず落ち着いて、利厳が何故そう推察したのかを問いただした。

「まさか江戸柳生の次期当主とは……。どうしてそのような考えに至ったのですか?」

「……某ら柳生の一族は大和の山中にある土地――柳生庄を長年治めてきました。現在の領主は江戸にて将軍様の剣術指南役をしている宗矩殿にございます。ですがかの人は……いわゆる長男筋ではないお方でした」

 現在、先代の跡を継いで柳生庄を治めているのは江戸の宗矩である。だが彼は先代の長男ではない。宗矩は先代・宗厳むねよしの五男であり、長男は利厳の父・厳勝よしかつであった。

 この時代は必ずしも長男に跡を継がせなければならないという時期ではなかったが、それでも側室の子でもない限りはおおよそ最も年長の子がその後を継ぐものである。

 しかし厳勝は若い頃に戦場で負った傷が原因でろくに動けぬ身に。その他長兄たちも戦死等で消えていった結果、先代・宗厳は最も成功していた五男・宗矩に跡を継がせるに至った。宗矩は存命で里にいる長男を差し置いて、父祖伝来の地・柳生庄を継いだのだ。

 利厳の父・厳勝は宗矩が当主となった後も里に残って療養していたが、その肩身は狭かった。皆表立って侮蔑してくるようなことはなかったが、実質廃嫡された宗家の長男。どう扱うべきかと腫れ物扱いされており、その待遇は当然子の利厳にも伝わっていた。それを情けなく思った父に涙声で謝られたことも一度や二度ではない。

 そしてそのたびに利厳は、長兄を差し置いて図々しくも領主となった叔父の宗矩に憎しみの感情を抱いていたのであった。

(必ずやあの憎き宗矩を倒し、この柳生庄を取り戻して見せる!)

 若い頃の利厳は宗矩の背を思い浮かべながら刀を振るっていた。


 とはいえそれも数十年前の話。

「そんな風に思っていたのも、今はもう昔の話です」

 月日は流れ利厳も五十歳の大台に乗っていた。気付けば主君を持ち、妻を娶り、嫡男まで生まれていた。胸のしこりが完全に消えたわけではなかったが、それでも社会を知り世間を知り、宗矩に憎悪を向けることが間違っていることくらいは自覚できるようになった。

 となると次に自分にできることは、この憎しみを次代に引き継がないようにすることである。もはや自分は柳生庄を去った身。今はこの尾張が本拠地なのだ。そういう意図で利厳は息子・清厳にあまり柳生庄のことを話さずにいた。

 しかし人の口に戸は立てられぬもので、清厳はどこからか柳生庄の話を聞きつけ、そして柳生三厳が尾張近くを通った際に同行したいと申し出て来た。

『私も一度柳生庄を見てみたく存じ上げます!』

 この申し出を聞いたとき、利厳は(いよいよこの時が来たか)と覚悟した。柳生庄は確かに父祖伝来の地であるが、一方であの地はもはや宗矩の領地である。少々被害妄想の強い考えを述べれば、追い出された土地とも言える。

 しかしそれでも息子に自分がかつて暮らしていた故郷の地を見せてやりたいという親心もあった。結局利厳は息子が柳生庄に行くことを了承し、清厳は三厳に連れられて柳生庄へと向かった。そして数日後、彼は帰宅する。

「思えばあれ以降でした。清厳がおかしくなり始めたのは……」

 柳生庄から帰ってきた清厳はそれ以降、以前にも増して稽古や小姓仕事に精を出すようになった。これを利厳らは、里を見たことで柳生家の一員としての自覚が生まれたのだと解釈していた。

 しかしまもなくして異変に気付く。清厳が剣の稽古中に抜刀術のような体系外の技を磨いたり、武力を行使するかもしれないお役目に積極的に参加するようになったのだ。明らかに対人を意識した鍛錬。利厳は自分と重ね合わせてすぐに悟った。柳生三厳であると。

「柳生三厳はいずれ柳生一族の象徴である地・柳生庄を相続し、名実共に柳生の当主となるでしょう。おそらく清厳はそれが許せなかった。私が柳生宗矩を一方的に憎んでいたのと同じように、清厳もまた柳生三厳を今生における倒すべき敵に定めたのだと」

「柳生庄の権利を巡って?いや、まさか……今の時代にまさかそんなこと……」

 もちろん太平のこの時代、武力による土地の権利の奪取は認められていない。しかし武士の誇りとはそういうものではないと利厳は続ける。

「実際に領主の座まで狙っているかどうかはわかりません。ただ自らの名誉のためには不俱戴天の仇と思っていてもおかしくはありません」

「どうしてそう言い切れるのですか?」

「私が宗矩殿をそう思っていたからです」

「……!」

 暗い瞳でそう言い切った利厳。そこまではっきりと言われてしまえば反論の言葉も出てこなかった。


 尾張柳生の裏側に流れる重い因果を知った春豪。

 言葉に詰まった彼はとりあえずその柳生三厳について尋ねてみた。ちなみに春豪は室生の山中にてすでに三厳と出会っている。しかしそのとき三厳は『柳十兵衛』と名乗っていたため、春豪の方に出会った覚えはなかったのだ。

「それでどういった方なんですか?その柳生三厳とやらは」

「実は私も直接会ったことはないんです。音に聞く限りはかなりの腕前だとか。また体格にも恵まれているらしく、春豪殿ほどではありませぬが、身の丈六尺程度はあるとのこと」

 六尺は約180センチメートル。当時の江戸の成人男性の平均身長が160センチメートル弱とのことなので、確かに体格はいい部類である。

 ちなみに現在の清厳の身長は140センチメートルあるかないかといったところ。現時点で清厳の方が頭一つ分以上背が低く、その分間合いでは不利になる。

「なるほど。その体格差のせいで抜刀術などという外法に頼る道に至ったのやもしれませぬな」

「おそらくは。流派が同じ新陰流、そして同じくらい習熟しているのならばその勝敗の決め手は体格差になるでしょうからね。それをひっくり返すために足掻いているのでしょう」

「……止めないのですか?新陰流にはない技なのでしょう?」

 立ち位置的に利厳は清厳の無理な鍛錬も、暗い感情も止めれるだけの立場にある。

 しかし利厳はこれに首を振った。

「言えるわけがないでしょう。そもなんて言えばいいのです?強くありたいと願うのは武士の本質です。技術に関しても新しい技を磨いていくのは間違いではない。もちろん本当に柳生三厳を切れば大事になるでしょうが、かといってその想いを抑えつけてしまえば、それはもはや武士ではない」

「……利厳殿。矛盾しておられますよ。貴殿は戦場のない今の時代、武士という生き方をあきらめるのも一つの道だとおっしゃられていた。だが貴殿が清厳殿に望んでおられるのは古い時代の武士の生き方だ」

「わかっております。わかっているんですよ……!」

 利厳は苦し気にダンッとお猪口を握った手を床にたたきつけた。中に残っていた濁酒がこぼれ、甘い香りが鼻にまとわりつく。

「……わかってはいるんです。早く権平を修正してやらねばというのは。ですが私にはそのための言葉が思いつかない……。あやつが間違っているとは言い切れない……」

「それを某に頼みたいと?」

「ふふふ……。本当はそこまで頼むつもりはなかったのですがね……。ただ少し話を聞いてほしかっただけだったというのに、思ったよりも話し込んでしまいました……」

 利厳は外様の剣術指南役という立場上、相談できるほど親しい相手が周囲にいなかった。それが春豪を招くに至った原因だろう。

 春豪としても悩める武士の話を聞くことはやぶさかではなかった。偶然もまた一つの運命。彼らに奉仕することもまた一つの功徳だろう。

「難しい話ですが、とりあえずやれるだけのことはやってみますよ。有望な若者が間違った道に進むことは私も望みませんしね」

 春豪は何気なしに空を見上げた。月は十三夜。これから満ちていく月であったが、あいにく何処より来た雲に隠されそうになっていた。

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