春豪 柳生清厳と対面する 3

 利厳門下の中でも指折りの実力者たちと剣を交えることとなった春豪。その実力は想像以上で、彼の実力をもってしてもやや優勢の引き分けに持ち込むので精一杯だった。

 そんな中、次の挑戦者に名乗りを上げた利厳の嫡男・清厳は、春豪に長巻を持たせた立ち合いを希望した。


 儀信よしのぶを辛くも退けた春豪であったが、それに続いて挑戦者に名乗りを上げたのは利厳の嫡男・清厳であった。

 聞いたところによると清厳はまだ十四歳ながらも、家中でも指折りの実力者らしい。しかも彼は春豪に長巻を持たせての立ち合いを希望した。

「次は某とのお手合わせをお願いしたい。もちろん長巻でね」

 清厳らは春豪のわずかな動きの固さから、彼の本当の得物が刀でないことを見抜いていた。春豪は彼らの慧眼に驚きながらも、それでいいのかと確認をする。

「長巻での立ち合いを望むのならば止はせぬが、戦った経験はあるのか?槍や薙刀とは違う動きだぞ」

 春豪は別に侮蔑のつもりで竹刀を使っていたわけではない。長巻はこの時代ですら滅多に見ない時代遅れの武器であったため、ほとんどの者が対処法がわからず、一方的な勝負となって鍛錬にならないと思って封印していたのだ。

 だが清厳はそれでもかまわないと返答した。

「お心遣い感謝します。ですが戦うなら万全の貴殿と戦いたいので。なに、武器ならばこちらも刃引きの刀を使わせてもらいますのでお気になさらずに」

(戦うなら、か……)

 春豪も武人の端くれとして、万全の状態の敵と戦いたいという気持ちはわかる。だが清厳の瞳に宿る炎はそんな健全なものではなかった。あれはではない。あれは「万全の相手を倒したい」という野心の炎だった。

(そんな目を十四の少年がするのか……。こやつ、他の者とは違う『何か』を持ってるな……)

 春豪は清厳の奥に潜むに気付き、思わず息を呑んだ。


 柳生清厳。いわゆる尾張柳生初代当主・柳生利厳の嫡男で、江戸の柳生三厳からすると従甥いとこおい(従兄弟の子供)の間柄となる。

 年は数えで十四で、現在は名古屋城城主・徳川義直の小姓を務めており、日夜父・利厳の指導の手伝いやその他細々とした小姓仕事に精を出していた。

 そんな清厳の立ち振る舞いはいかにもいい家の嫡男らしいもので、丁寧な所作やピンと伸びた背すじはこれからの将来が約束されている者らしい気品に似たものが感じられた。

 その一方で春豪は見逃さなかった。彼の瞳の奥に十四の少年が持つには荒々しすぎる、勝負に対する執念が潜んでいることに。

(なんだこの勝負に掛ける情熱……いや、執念は?)

 もちろん年頃の男児ならばどちらが強いかににこだわる気持ちは別段珍しいものではない。武術家の嫡男であることを考えれば人一倍敏感になるのも頷ける。だが勝負事には負けるリスクという側面もある。

 先程別の家臣とも話したが、柳生の名を背負っている以上野良試合とはいえそう簡単に負けるわけにはいかない。ならば普通に剣術同士で戦えばいいものを、清厳は春豪に長巻を持つよう願い出た。これははっきり言ってリスクを上げる行為に他ならない。なぜ彼はこのような勝負を望んだのか?何がそこまで彼を駆り立てるのか……。

(十四にもなれば自分が戦うことや、負けることの意味も理解しているはず。それがなぜ……)

 その点についてじっくりと考えてみたい春豪であったが、それよりも先に武器の方が到着してしまった。

「春豪殿。長巻を持ってまいりました」

「……うむ。借り受ける」

 春豪が受け取ったのは皮拵えに小さな鍔のついた七尺程の長巻だった。普段使いしているものと比べるとやや長く細身であったが、取り回しに困るほどではない。

「具合はどうですか?」

「……問題ない。いつでも始められる」

 清厳の精神状態は気にはなったが、ここまで来て「話がしたい」というのも無粋な話だろう。それに語りたいことは刃で語ればいいと、春豪は右足を前に出す右前構えで長巻を構えた。

「そうですか。ではこちらも……」

 それを見るや清厳も刃引きの刀を正眼に構える。途端に場の緊張が一気に高まった。その緊張感たるや、気の弱い者などこの時点で思わず後ずさっていたことだろう。

 向かい合った二人はその雰囲気に呑まれぬよう、互いにふぅと鋭く息を吐いた。


 春豪と清厳。両者が向かい合って構えるや周囲の者は皆口を閉ざし、稽古場は緊張からの無音に包まれた。

 両者の構えは清厳が正眼。対し春豪は右手右足を前に出した右前半身の構えであった。これを見た古参の家臣は静かに分析をする。

(春豪殿は右前半身の構え。清厳様を迎え撃つ自信があるということか)

 一般的に槍や薙刀、そして長巻のような柄の長い武器は、左手左足を前に出す左前半身の構えを取ることが多い。この構えを取る理由は利き手である右手を守ったり、右手で力を込めやすくなるというメリットがあるためである。

 しかし春豪が選んだのは右手右足が前に出る右前半身の構え。この構えの利点は、一般的な剣術の構えと同じように右足を前に出すことで、相手の剣士の呼吸や動きが読みやすくなるところにあった。おそらく新陰流の鋭い攻撃に反応するためにこちらの構えを選んだのだろう。

 またこの構えには相手に威圧感を与える効果も期待できる。春豪という巨僧が長物武器を持ってなまじ同じ構えをとるのだ。並の武芸者ならばその体格差に呑まれ及び腰になってもおかしくはない。

 だが清厳は並の武芸者ではなかった。彼は軽く目視して間合いを確認すると、長巻が届かぬ範囲ならばお構いなしにずんずんと進んできた。

(臆する気配はなしか……。まぁこのくらいは当然か)

 むしろ納得する春豪。彼らの度胸は兼平や儀信で見ていたので、今更長巻程度で臆することはないだろうとは思っていた。

(ならばこれはどうだ?)

 春豪は清厳がまもなく間合いに入ろうかというところで、目を逸らさずに構えを下段に変えた。

 春豪のこの行為は清厳の視界から長巻の刀身を隠すという意図があった。通常の構えのままだと相手の目を見ながら刀身の位置を確認することができる。それを下段に変えることで相手の表情か切っ先の位置、そのどちらかしか注目できないようにしたのだ。ただでさえ長物の間合いは読みづらい。そこにこんな小細工をされれば攻める気持ちが萎えてしまっても仕方がないだろう。

 だが清厳は一瞬顔をこわばらせただけで、怯むことなく改めて距離を詰めてくる。そして彼はやがて春豪の切っ先がギリギリ届かない、間合い寸前のところで止まって見せた。その完璧な間合い読みに利厳は感嘆し、春豪も敵ながら舌を巻いた。

(見事だ、権平!)

(ここまで完璧に読んでくるか!まったく化け物ぞろいだな!)

 とはいえまだ決着がついたわけではない。これはただ清厳がスタート地点に立っただけ――清厳がただ余計な間合いを詰めたに過ぎない。

(ここからが本当の勝負だ!)

 観戦者たちは固唾を呑んで両者のいきさつを見守った。


 圧倒的な間合い読みの力で春豪の間合い寸前のところにまで来た清厳。ここまでくれば後はもう互いに刃を交えるだけである。

 さぁどちらが先に仕掛けるか?息のつまりそうな緊張感の中、先に動いたのは清厳の方であった。

「ふっ……!」

「!?」

(清厳殿が敵の間合い内に入った!だが春豪殿は……!)

(春豪殿は動かない!やはり警戒しているのか!?)

 清厳はおもむろに半歩ほど春豪の間合い内に入った。これにより彼の肘あたりまでが春豪の攻撃範囲内に入ったこととなる。

 対し春豪はこれに無反応で返した。彼が反応しなかった理由は儀信の時と同じ――『後の先』のカウンターを警戒したためである。

(何も考えずに踏み込んできたわけではあるまい。長巻はどうしても小回りでは刀に劣る。半端に手を出せば格好の餌食となるだけだ)

 武器の都合上小技の応酬となれば不利となるのはこちらの方である。ゆえに春豪はもう少し引き付けてから手を出すつもりでいた。幸い体格差から来る間合いの余裕はまだ一歩ほどある。

 だがここで清厳はそんな春豪の思惑を読んでいるかのような行動に出る。なんと彼は春豪の間合い内であえて腕を伸ばして構えを崩し、わざと自ら打たれるだけの隙を作ったのだ。

「なっ!?」

「清厳様!?なぜそのような真似を!?」

 清厳は不用意に、まるで打ってくれと言わんばかりに春豪の間合い内で腕を伸ばした。これには春豪も観ていた家臣たちも驚いた。

 だが意図はすぐにわかった。やっていることは兼平や他の家臣たちも行った誘いの型――『後の先』を取るためにわざと隙を作って相手の攻撃を誘う動きであった。兼平らとの違いは清厳が春豪の間合い内でこれを行ったという点だ。

(権平め、大胆不敵な!……だが正解だ!)

 兼平たちの誘いが失敗した理由。それは彼らが春豪の間合い外でそれを行ったためである。

 よくよく考えれば当然の話だ。どれだけ打ち込みたくなるような隙を晒したところで、それが剣の届かぬ範囲ならばわざわざ打ちに行くはずもないない。彼らの失敗は安全圏で春豪を誘おうとしたことだった。

 だが今回清厳は違う。彼は春豪の間合い内でわざと隙を作って誘ってきた。これにより清厳は相当なリスクを負うこととなったが、同時に春豪もまた切りかかる・切りかからないという選択を迫られる形となったのだ。

(くっ!明らかに誘いではあるが……どちらを選ぶ!?)

 安牌を取るならば、ここは誘いには乗らずに一歩下がって仕切り直しをするべきだろう。だがそれをしてどうなるという想いもある。勝負は第三者の介入がない一対一の立ち合いだ。こちらが一歩下がったところで、向こうが一歩詰めて同じ流れになるのは目に見えている。

 それに、春豪本人に自覚はなかったが、十四歳の少年に臆してなるものかという意地もあった。ここで自分の半分も生きていないような少年に引いてしまえば、これまで戦ってきた者たちに申し訳が立たない。

(ならばここは……!)

 覚悟を決めた春豪は鋭く息を吐くと一歩踏み込み、下段に構えていた長巻の切っ先をしゃくりあげるかのように突いた。

「ふっ!」

「早いっ!?下からの突き!?」

「だが清厳様もかわした!?」

 春豪の突きは必要最小限の軌道で清厳の腕を狙ったが、清厳はこれを小さく横に飛んで回避。だがこれが避けられることに関しては春豪の計算のうちだった。

(さすがにかわすか!だが問題ない!)

 向こうも攻撃されることを承知でわざと隙を作っていたのだ。これくらいはかわすだろう。大事なのは攻撃した後に隙を作らないことである。

 その点は春豪も万全だった。彼の攻撃は軽く小突いただけ――元々下段に構えていたものを少し持ち上げただけだった。つまり今の構えはほぼ中段。ここから振り下ろしてもいいし、薙いでもいいし、しのぎを使って打ち返してもいい。言ってみればどうとでも対処できる構えである。

(さあ!どう来る!?)

 そんな万全の態勢で待ち構える春豪に対する清厳の行動は……。

「ふっ!」

(やはり右手を狙いに来たか!)

 清厳はかわしながら、刀の切っ先を春豪の右手へと向けていた。胴や頭はまだ遠い。狙うならば確かにここだろう。

 しかしそれでもわずかに距離が足りなかった。その分はおそらく春豪の隙を突いて踏み込む、あるいは駆け抜けることで届かせるつもりだったのだろう。しかし春豪が存外万全の態勢で待ち受けていたため直前でこれを変更。ギリギリのところで後ろに飛んで距離を取って仕切り直す作戦に変更した。

 だが春豪もこの機を逃すつもりはない。

「逃がすか!」

 春豪が後ろに飛んだ清厳を追うように前に出る。そして同時に清厳の手を狙う。両者共に手にダメージを与えられれば、その後の戦局がかなり有利になると踏んでいたのだ。

「はあああああっ!」

 春豪は長巻をまるで槍のように幾度も突き出し執拗に清厳の手を狙う。これは長巻本来の戦い方ではなかったが、それでも余りある春豪の膂力にて清厳を押していた。

(くっ!一撃一撃が重いっ!このままでは……!)

 紙一重で攻撃を捌く清厳であったがこのままでは勝ち目がないことは理解していた。どこかで大きく戦況を動かさなければならない。

 追い詰められた清厳は一か八かで春豪に武器弾きの巻き技を仕掛ける。

「これでどうだ……!?」

 清厳はわずかに浮いた春豪の突きに鎬を合わせ、手から離れるように巻き技を仕掛ける。

 だがこれははっきり言ってしまえば経験不足からくる失敗であった。単純な筋力差に加えて、ただでさえ重心から離れたところを持つ刀と比べて長巻は広くどっしりと持つことができるのだ。清厳の膂力では春豪の長巻を弾くまでには至らなかった。

 この失敗により清厳にいよいよ大きな隙ができた。

「もらった!」

「くっ……!」

「あぁっ!清厳様っ!」

 好機を得た春豪はすかさず長巻を横に薙ぐ。この体重を乗せた横薙ぎこそが長巻の本来の使い方である。これを避けられぬと踏んだ清厳は刀を立てて盾のように構えたが、その程度で止められる薙ぎではない。

(判断を誤ったな!ここで決める!)

 春豪は迷わず全体重をこの横薙ぎに乗せ、刀ごと清厳を吹き飛ばそうとした。

 だが清厳も巧者だった。彼は自分の刀と春豪の長巻とが接触したその瞬間、己が体と刀を地面と水平にならんばかりに傾けたのだ。

「なっ!?」

 その結果、春豪渾身の一撃はほぼ水平となった清厳の刀に弾かれ、滑るように彼の頭上を通り過ぎていった。

(い、今のを弾かれるのか!?)

 思いがけない事態に一瞬放心する春豪。

 だが本当に驚くべきことは弾かれたことではなく、そこからすぐさま清厳が反撃してきたことであった。

「っ!」

 未だショックから立ち直れずにいた春豪であったが、足元から感じた殺気に反応して本能的に後ろに飛び退いた。するとそこに飛んできたのは清厳の低い体勢からの突きだった。

 幸い無茶な体勢からの反撃だったため難なく避けることができたが、その攻撃本能に春豪は思わずうすら寒いものを覚えた。

(今の薙ぎを凌いですぐに反撃してきただと!?まったく末恐ろしいな!?)

 このままでは清厳の若さに呑まれてしまうかもしれない。そう思った春豪は大きく後ろに飛び退き距離を取って息を吐くのであった。


 激しい攻防が一段落し、大きく距離の離れた両者はここで一度呼吸を整える。互いに想像以上の相手だったため、消耗もいつもよりも激しかったのだ。

 二人は肩で息をしながら相手の腕前を称賛する。

(柳生清厳!まったく驚愕だな。こんな若人がいるなんて!)

(全然崩せなかった……!素早さならこちらの方が上だったというのに!?なんてお方だ!)

 戦場が遠くなったこの時代、これほどまでに血潮が熱くなる戦いなどそうそうできるものではない。できることならばずっと刃を交えていたいとすら思いもしたが、いずれ最後の時は来てしまうだろう。

(それならば、次で決着をつけてしまおう……)

 清厳はおもむろに刀を鞘に納めた。一見すると勝負を放棄したように見えるがそうではない。清厳は刀を鞘に納めたまま前傾姿勢になって構えた。

(あれは……抜刀術か!)

 居合あるいは抜刀術。納刀された刀を抜きつつ敵を攻撃する技で、通常時よりも間合いが測りづらかったり、切りかかる際の起こりが見えにくくなるといった特徴がある。

 ここで清厳が抜刀術を選んだ理由は、攻撃の気配を春豪に察知されたくなかったためだろう。春豪が反応するよりも早く懐に入り攻撃を決める。それが清厳が見つけた勝ち筋であった。

(なるほど、確かに抜刀術ならば一瞬の勝負に適してはいる。だが……)

 抜刀術は一瞬の瞬発力こそ驚異的ではあるものの、抜刀後はどうしても大きな隙ができてしまう。春豪ほどの手練れが相手ならば、それはほとんど致命傷と言ってもいいようなものだ。だが清厳がそれをわかってないとは思えない。つまり彼はリスクを承知でこの一刀に賭けたというわけだ。

(なんという勝利への執念!面白い!乗ってやろうではないか!)

 自分の半分も生きていない少年にここまでされれば乗らないわけにはいかないだろう。春豪は目を爛々にかっぴらき、両足の指にグッと力を込め一瞬の勝負に備えた。

 もはや誰もが次の一撃ですべてが決まると確信していた。全員が呼吸すら忘れて、刹那の決着を見逃さないように集中していた。

 しかし彼らの勝負は唐突な叫びによって中断させられたのであった。


 その怒声は唐突に響き渡った。

「その勝負、待てぃ!!」

「!?」

 限界まで緊張が高まっていた稽古場に響く有無も言わさぬ怒声。春豪・清厳を含めた全員が思わずその声のした方を向けば、その声の主は他でもない柳生利厳その人であった。

「父上!?なぜ止めるのです!?」

 当然噛みつく清厳であったが、利厳も般若のような形相で清厳を叱責する。

「清厳!それは柳生の技ではないだろう!?」

「っ!?」

 清厳は痛いところを突かれたという顔で柄に伸ばした手を引っ込める。どうやら清厳が繰り出そうとした抜刀術は新陰流とは無縁の技だったようだ。

 そして利厳は続ける。

「これはあくまで手合わせの仕合しあい!歪んだ剣を使う必要はない!もし使いたいのならばお前が正式に跡を継いだのち、自分の手で目録に加えてから使え!」

「ぐ……」

 清厳はしばらく歯を食いしばって立っていたが、まもなくして自分に非があることを認めて頭を下げた。

「……承知いたしました。……申し訳ございませんでした」

 これに利厳は「うむ」と返した。その時にはもうすでに稽古場の空気は水を打ったかのように冷めきっていた。

「うむ。……どうやらもう勝負という雰囲気ではないようだな。両者の立ち合いは引き分け。それでよろしかったですかな、春豪殿?」

 さすがにこの冷えた空気の中で続きができるほど春豪も図太くはなかった。

「そちらがそれでよろしいのならば」

 春豪がそう言って長巻を下げると、清厳も刀を引くことで同意の意を示した。

 こうして二人の立ち合いは不完全燃焼ながらも引き分けという形で決着がついた。


 しばらくして稽古場が落ち着きを取り戻すと、改めて清厳が先の件について頭を下げに来た。

「……申し訳ございません、春豪殿。半端な立ち合いになってしまって」

「いや、構わぬさ。こちらも少々熱くなり過ぎた」

 清厳は未だ悔しそうにしていたが、落ち着いた今となっては利厳の言い分もわかる。

 いくら練習用の刃引き武器とはいえ、まともに当たれば骨は折れるし最悪命にかかわることもある。そんな危険と隣り合わせの状況で、わざわざ型にはない動きをしてまで勝負にこだわる必要もない。なにせこれは殺し合いではない、単なる鍛錬のための仕合なのだから。

(そう、あれは命を懸ける必要のない勝負だった。だがこの少年は命を懸けてでも決着を付けようとしていた……)

 改めて思えばおかしいのは清厳の方である。なぜ不利になることを承知で春豪に長巻を持たせた?なぜただの鍛錬仕合に命懸けで挑んだ?なぜ最後は柳生の型にない技を使ってまで勝ちにこだわった?

(……こいつはいったい何と戦っているんだ?)

 ただの剣術家の嫡男とは思えない清厳の振る舞い。いったい彼には何が見えているのだろうか?

 春豪はそこに彼の底知れなさを感じ、ひそかに背すじを寒くしたのであった。

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