春豪 柳生清厳と対面する 2

 柳生利厳の食客となった春豪は、利厳に請われて家臣たちの鍛錬に協力する。

 幾人かと立ち合いあらかた程度を知った春豪であったが、そこに城勤めを終えた別の家臣たちが戻ってきた。

 その中には利厳の嫡男である柳生清厳きよよしの姿もあった。


 城勤めから戻った清厳たちは、玄関からではなく庭を伝って春豪たちの前に現れた。おそらく利厳が稽古場に出ていると誰かから聞いたためだろう。

「父上、ただいま戻りました」

「戻ったか、権平ごんべい(清厳の幼名)。早かったな」

「今日は簡単な報告会のみでしたので……。父上こそ宿場の監査で今日は帰れぬやもと言っておられませんでしたか?」

「そっちは存外早く片がついてな。おかげで昼頃には帰ってこられたよ」

 親子らしい会話をする利厳と清厳。お供の家臣たちもそれを黙って聞いていたが、彼らの視線は時折ちらちらと巨僧・春豪の方に向いていた。

 まぁ見知らぬ巨僧が庭にいれば目が向いてしまうのも仕方のないことだろう。やがて話が区切りのいいところまで来ると、清厳が皆の想いを代弁するように尋ねた。

「……それで父上。そちらのお方は?」

「おぉ、うむ、紹介しておこう。こちらは春豪殿。しばらくうちで預かることとなった」

「……初めて見るお顔ですよね?」

 不快そうに眉根を寄せる清厳一行。それは不審な人物が屋敷内にいることを明らかに嫌がっている反応であった。

「父上の古い友人か何かで?」

「いや、つい今日、宮宿にてお会いしたのだ。理由は……お前だってわかるだろう?かの人が並の武人ではないと」

「それは……それはわかりますが!ですが不用意に人を招いて、あらぬ噂を立てられたらどうするのですか!」

 筋骨隆々の四肢に鋭い目つき、そして隙のない立ち姿。確かに清厳も一目見て、彼がそこらへんにいる牢人風情とは一線を画す強者であることは理解できた。だがそれを屋敷に招くというのはまた別の話である。

 今や利厳ら尾張柳生家は尾張徳川と縁の深い、他の旗本たちからも一目置かれる御家である。だが春豪のようなみすぼらしい格好の者を不用意に招いてはあらぬ噂を立てられて、せっかく高めた家格も名声も損なってしまう恐れがあった。

 道理は清厳の方にあるだろう。だが利厳は「つまらないことを言うな」と言わんばかりに肩をすくめてそっぽを向いた。

「固いことを言うな。春豪殿ほどの武人、今時なかなかお目にかかれぬぞ。お前も着替えたら相手をしてもらうといい。……強いぞ」

「!」

 この一言でぴくりと清厳たちの表情が変わった。結局は彼らも根っこは剣に生きる武人だった。強者と聞かされれば顔色を変えざるを得ないのだ。

 しかも利厳が直々に「強い」と評する人間などそうそういない。清厳らは一瞬湧き上がった興奮を抑えて一歩引いた。

「……承知いたしました。そこまで言うのなら急いで着替えてまいります。どれほどのものか見せてもらいましょう」

 清厳はそう言うと、一度キッと春豪を睨みつけたのち、着替えのために一度屋敷へと引っ込んでいった。


 着替えのために屋敷に引っ込む清厳たち。それを待つ間、春豪は汗を拭いながら近くの者に清厳たちについて訊いてみた。

「あの一番背の低かったのが利厳殿の嫡男と言っていたな。随分と若いようだが、強いのか?」

 この質問に家臣らは熱っぽく頷いた。

「強いなんてもんじゃありませんよ!まだ齢十四だっていうのにほとんどの門弟よりも強いお方です!世が世なら、天下の剣豪の一人としてすでに人口に膾炙されていたことでしょうよ!」

「ほう、そこまで言うか……」

 こういった評価には身内贔屓が多分に含まれているものであるが、去り際の清厳から一瞬感じた鋭い闘気――あれは十四の少年が出していいものではなかった。

(あながち過大評価ではないかもしれんな)

 またこの家臣によると、清厳と共にいた者たちも漏れなく強者ぞろいとのことだった。

「お供の方々も皆、若いながらも腕の立つ者ばかりですよ」

「城に出ているのに強いのか?鍛錬している分、ここで稽古をしている者たちの方が強い気がするのだが」

「逆ですよ、逆。なにせ柳生の名を背負って城に行くわけですからね。それなりの実力がなければ殿がお許しになりませんよ」

 これに春豪はなるほどと納得した。

 清厳たちは言ってみれば『柳生』という看板を背負って出仕している。そんな彼らが仕事で後れを取ったり、名を挙げようと勝負を挑んできた牢人や下級武士に負けてしまえばどうなるか。万が一にでもそうなれば家名に傷がつくだけではなく、最悪剣術指南役の任も解かれてしまうかもしれない。

 そう考えれば家の代表として外に出ている清厳たちが強いというのも納得できる話であった。

「どうやら楽しめそうだな」

 春豪は無意識のうちに不敵な笑みを浮かべながら清厳たちの用意を待った。


 まもなくして動きやすい恰好に着替えた清厳たちが庭に現れた。彼らは皆一見リラックスした様子で近付いてきたが、その瞳の奥では好戦的な炎がギラギラと輝いていた。

(ふむ。確かにこちらの方が強そうだ)

 現れた清厳らの雰囲気は先程戦った兼平たちとは明らかに異なっていた。好戦的で功名心があり、家と自分の腕に対する誇りと自信を持っているのが立ち振る舞いからわかった。そんな彼らの姿に春豪はちょっとした懐かしさを覚える。

(懐かしいな、この感じ……。昔は奴らみたいな若武者がそこら中にいたものだ)

 少し以前の戦国時代、市井では彼らのような自信に満ちた若武者がよく見られたものだった。

 だがここ十数年のうちに世は太平となり、それに伴い彼らのような血気にはやった若者は表舞台から姿を消していく。有望ある若者は机仕事に精を出すようになり、辻で騒いでいるのは主君を持たぬ牢人風情。最近では『旗本奴はたもとやっこ』とかいう親の権力を傘に暴れまわる若侍もいるそうだが、春豪から言わせれば取るに足らない小粒もいいところである。

 そんな中で清厳たちからは、自らの武に自信を持ち己が両足で立っている昔ながらの武士の気配が感じ取れた。

(若いのによくできた者たちだ。まぁまだ青臭さは残っているようだがな)

 唯一春豪が気になったのは、彼らの瞳が良くも悪くも純粋だった点だ。彼らはまだ戦場の絶望も理不尽も知らない。だがそれは仕方のないことでもある。なにせ本物の戦場を経験したことがないのだから。

(……まぁ知ればいいという話でもないがな。私との戦いが彼らの一助となればいいのだが)

 清厳らがこれからどんな武士になっていくのか。それを確かめるために春豪は庭の中央に立った。

「さあ、それで誰から来るのだ?」

 春豪が振り返るとギラギラした瞳の清厳と目が合った。しかし一番槍に名を挙げたのは彼ではなく、彼のすぐ隣に立っていたお付きの男であった。

「では某から参りましょう」

「貴殿は?」

「武藤儀信よしのぶ。清厳様のおそば付きをしている者だ。まずは某がお相手しよう」

 名乗り出たのは清厳よりも五歳ほど年上に見える、側近の武藤儀信という男であった。この名乗り対して清厳たちが静観しているのを見るに、こう言った場面で彼が出てくるのは既定路線なのだろう。

 元より春豪は望みとあらば誰とでも戦うつもりであったため、特に不都合もない。春豪は庭の中央に立ち、袋竹刀を正眼に構えた。

(相手にとって不足なし……であってほしいものだな!)

「春豪だ。流派は円明流を少々」

 春豪が名乗ると儀信も三間の間合いを取って正眼に構えた。

「柳生新陰流門下、武藤儀信。参る!」

 こうして春豪はまずは清厳のお傍付き・儀信と剣を交えることとなった。


 春豪と儀信との立ち合いは兼平らのそれと同じような流れで始まった。

 まずは互いに正眼で向かい合い、徐々に距離を詰めていく。そして間合い有利な春豪がおもむろに足を止めて相手を待つという流れである。これにより儀信は自らの足で相手の間合い内に踏み込んでいかなければならなくなった。

 この戦法でこれまでの家臣たちはことごとく苦渋を呑まされることとなった。そのためかぐっと腰を静めた春豪を見て、観戦していた家臣たちが悲鳴にも似た声を挙げる。

「あぁっ!春豪殿が足を止めた!」

「ここからだぞ、儀信!どうにか俺たちの仇を取ってくれ!」

 ここまではこれまで戦った他の家臣たちと同じ。だが儀信は彼らと違って表立って動揺を見せるようなことはなかった。

「……」

(動揺はなし。あるいはそう見えないように上手く誤魔化しているのか……。どちらにせよ駆け引き慣れしているな……)

 儀信も間合いの不利は承知しているはずだ。にもかかわらずそれが表情に出ないのは、相手に情報を与えることがどれだけ愚かなことなのかを理解しているためだろう。

 実際春豪は彼の無表情から何の情報も得ることもできなかった。こうなると春豪もいろいろと考えざるを得なくなる。

(どうやって私を崩すつもりだ?……まさか相打ちでも狙っているのか?)

 ない話ではない。儀信の主君は利厳と清厳。彼らの名誉のために、あるいは後続を信じて命をなげうって敵(春豪)にダメージを与えるというのは選択肢の一つとしてはありである。そして選択肢が一つ生まれたということは、対応する春豪の負担が一つ増えたということでもある。

(……少し揺さぶりをかけるか)

 このまま選択肢が増え続ければやがて身動きが取れなくなり、せっかくの優位性も崩れてしまう。そう危惧した春豪は止めていた足を自ら動かし儀信に揺さぶりをかける。間合いはまだ二歩以上離れていたが、早いうちにもう少し儀信の動揺を誘いたかったのだ。

 だがこれに儀信は過不足なく対応して見せた。右に動けば同じだけ右に、左に動けば同じだけ左に。極々自然に、極々無表情で儀信は春豪についていった。この完璧な対応に春豪は内心感嘆した。

(この年齢でここまで立ち回れるか!若いのによくやるものだ!)

 春豪は想像以上の強敵に一瞬口角を上げるが、すぐにそれを打ち消して真剣な顔に戻した。

(小細工はするだけ無駄か。ならば真正面から相対するのみ!)

 春豪は竹刀を握りなおしたのち四半歩前に進み、それに応えるように儀信も四半歩前に出た。


 互いに駆け引きを繰り返した春豪と儀信。その結果両者はここまで一振りも竹刀を振るわぬまま、攻防は円熟期に入っていた。

 彼らはすでに小手先の小細工が通用しないことを悟っており、勝負を決めるには間合い内での攻防しかないと覚悟を決めていた。

(次で……)

(決める!)

 草鞋を滑らしながらミリ単位で間合いを詰める両者。攻撃が届く範囲は一歩ほど春豪有利。その距離まであと二歩……。一歩……。半歩……。そして零歩……。

(入った!)

 儀信の右手が春豪の間合い内に入った。固唾を呑んで観戦していた皆が両者の衝突に身構える。

 しかし間合い内に入ったにもかかわらず二人は未だ基本の構えのまま動かない。

 まだ剣の届かぬ儀信は当然のこととして、攻撃が届くようになった春豪も動かなかったのは儀信の集中力を警戒してのことだった。

(……やるな。ここまで来て未だ心に乱れがない。これは……狙っているな!)

 新陰流という流派は『後の先』――完全に間合いを見極め敵の攻撃を避けたのちに素早く打ち込む、いわゆるカウンター攻撃を得意としていた。おそらく儀信はそれを狙っているのだろう。彼は春豪の動きのを見逃すまいと、全神経を集中させていた。

 本当ならこんな見え見えな待ちに飛び込むのは愚策である。しかし今の春豪はこれを真正面から打ち破りたい気持ちの方が強かった。そのためには高速かつ正確な一撃が必要となる。覚悟を決めた春豪は落ち着いて息を吐き、吸い、そしてグッと下腹部・丹田のあたりに力を込めた。

(来るっ!)

 見ていた全員が思った通り、次の瞬間、春豪は大股で踏み込み儀信の右手に打ち込もうとしていた。

「はぁっ!」

「させるかっ!」

 春豪の攻撃は素早かったが、来るとわかっていれば対処はそれほど難しいものではない。儀信はほんの少し横にズレてこれをかわすと、その勢いを利用してカウンターの小手を打とうとする。

 しかし春豪の方もこれを読んでおり、手首を返して踏み込んだ儀信の竹刀に自分の竹刀を合わせる。春豪の反撃に重さはなかったが、儀信の刃筋を変えるには十分すぎるものだった。

「くっ!」

 パチンと竹刀同士が衝突する音が響く。ズラされた儀信の攻撃は春豪の鍔の当たりで止められていた。これでは有効打とは言えない。勝負はまだ続く。

(くそっ!止められたか!)

 儀信は仕切り直しだと思った。だが春豪は違った。彼にとってはが布石であった。

「はぁっ!」

「なにっ!」

 攻防が一区切りついたと思った一瞬の油断。そこを突いて春豪は肩から儀信に体当たりをした。

 おそらく普段の鍛錬ではこのような泥臭い戦法は使われていないのだろう。油断していた儀信は衝撃で大きく後ろにのけぞる。この時尻もちをつくまでには至らなかったのは彼の体幹がしっかりしていたためだろう。

 だがそれでもこの隙は致命的だった。儀信が改めて視界を上げると、そこにはすでに上段に構えた春豪がいた。

(間に合わない!)

 そう直感した儀信は、せめて一矢報いらんとあらん限りの力で下から上へと竹刀を振った。対する春豪は全体重を乗せた上から下への振り下ろす。

 そんな両者渾身の一撃がぶつかった結果、両者の竹刀は共にバチンと中央から爆ぜたのであった。


 バチィィン!

「おぉっ!?折れた!どっちの竹刀も折れたぞ!」

 あらん限りの力でぶつかった両者の竹刀は、その衝撃に耐えきれず中央から真っ二つに爆ぜた。

 その衝撃的な結末に観客の家臣たちはどよめいていたが、対照的に戦っていた二人は極めて冷静に互いの現状を評価していた。

「武器が折れたか。引き分けだな」

 春豪がそう言うと、儀信は苦笑しながら首を振った。

「御謙遜を。最後の場面、真剣ならば負けていたのはこっちでしょう」

 儀信の言う通り、もし互いに真剣ならば最後の場面は春豪優勢だったと言えるだろう。

 だが春豪はこれにあまり納得していない表情で返す。彼が納得していないのは、言い換えればそこ以外では互角だったためである。

(不覚……。もっと圧倒的な力の差を見せてやるつもりだったのに、正直舐めていた……)

 どうやら自分は無意識のうちに儀信たちを舐めてかかっていたようだ。未熟な自分に反省する春豪。しかも儀信たちの力はこれだけに留まらなかった。

「ちなみに春豪殿。貴殿の本当の得物は何ですか?刀ではありませんよね?」

「む。どうして気付かれた……」

「うまく言葉にはできませんが、わかりますよ。使い慣れていない得物を使っていることくらい」

「ほう……」

 一応春豪は円明流を修めていはいたが、それでも自分でも気付かないほどの違和感が出ていたらしい。そして儀信らは戦っている最中それに気付いたとのことだった。

「……見事。貴殿の推察の通り、某は普段は長巻を得物としている」

「長巻ですか。いずれその貴殿とも相対してみたいものですね」

 そう言うと儀信は一礼して引き下がり、代わりに利厳の嫡男・清厳が前に出て来た。

「長巻か……。確か蔵に刃引きにしたのが一振りあったな。誰か持ってきて差し上げろ」

「次は貴殿ですかな?」

「ええ。連戦を挑むのは気が引けますが、父上の言った通りお方だ。ぜひお手合わせをお願いしたい。もちろん長巻でね」

 そう言って不敵に笑う清厳。その目は獲物を見つけた猛禽類のように鋭い闘気を放っていた。

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