春豪 柳生清厳と対面する 1
諸国を渡り歩いていた春豪房。彼の武に生きる姿勢を気に入った尾張柳生家当主・柳生利厳は、彼にしばらくここに留まってほしいと請う。
「どうか若い者たちに『武士の在り方』を示してほしい」
「どこまでできるかはわかりませぬが、やってみましょう」
こうして春豪はしばらくの間利厳の世話になることとなったのであった。
太平の時代に武士はどう生きるべきか?それについて悩んでいた利厳は偶然春豪と出会い、彼の助力を求めて頭を下げた。
「『武に生きる』ということがどういうことなのか。それを若い世代に伝えて、できることならあきらめさせてほしいのです」
「どこまでお役に立てるかはわかりませんが、やれるだけやってみましょう」
「おお!そう言っていただけると幸いです!」
幸い急ぎの用事もなかった春豪はこれを了承。こうして彼は利厳の一時の食客となった。彼もまた時代と武士の在り方については思うところがあったのだ。
さて、そうと決まるや利厳は春豪を連れて庭に出た。どうやら家臣たちに早速春豪のことを紹介するつもりらしい。庭では先ほど見た通り、若い家臣たちが各々鍛錬にいそしんでいるところであった。ちなみにこの時代はまだ道場のような建物はなく、武芸の鍛錬は野外にて行うのが基本であった。
「うむ。皆精が出ているな」
彼らは利厳に気付くや鍛錬の手を止め深々と頭を下げた。
「あっ、殿!はい!皆つつがなく鍛錬に励んでおります!……して、何か御用でもございましたか?」
「いやいや、何もないさ。ただ一人客人を紹介しようと思ってな。……皆聞いてくれ。故あって数日我が家に逗留することとなった春豪殿だ」
「春豪……殿?」
利厳が春豪を紹介すると家臣たちはにわかにざわついた。
それもそのはず、なにせ主君・利厳が紹介したのはボロい僧衣をまとった、明らかに堅気ではない雰囲気の巨躯の僧侶だったのだ。見るからに牢人風のその男は、徳川御一門の剣術指南役を務める利厳と並ぶにはあまりに不釣り合い過ぎた。
だが利厳はそんな反応を気にせず続ける。
「かの人はその身一つで諸国を渡り歩いていた、いわば『武に生きる』者である。もちろん志のない牢人とは違う。きっと学ぶことも多かろう。皆、失礼のないようにな」
利厳にそう言われれば家臣たちは頷く他ない。彼らは春豪を胡散臭い目で見ながらも、若々しい
春豪はそんな若人たちを眺めながら、(本当に無垢な小僧ばかりだな……)とこれからのことにわずかに不安を覚えた。
怪僧・春豪房は『戦場の布施』と称して諸国を渡り歩いていた。戦場の布施とは自らが噂に名高い猛者となることで、戦場を失った武人たちに目標を――『春豪』という倒すべき敵を用意してやる行為であった。
彼に勝負を挑んで勝利することができれば、その者は強者を討ちとった者として名を挙げることができるだろう。また仮に敗北したとしても、その者は強者に挑んで負けるという武士らしい死に様を迎えることができる。春豪に挑むような武人たちにとって最も恐ろしいことは死ぬことではなく、武人としての本分を全うすることなくただ無為に生きることであったのだ。
そんな事情のため、彼の前に立つ男たちは、そのほとんどが絶望や虚無、あるいは狂気によって濁り切った瞳をしていた。こんな時代に命を懸けた果し合いをするような奴らだ。彼らは言わば世に馴染めずここまで追い詰められた者でもあった。
だが利厳の家臣たちはそんな追い詰められた者たちとは全く違った。彼らの瞳は皆情熱や若さゆえの渇望で澄んで輝いていた。
(若いな。まだ絶望を知らない目をしている)
おそらく彼らはまだ自分の限界を知らないのだろう。よく動く腕と足、それに刀があれば何でもできると信じている。
若さゆえの無知。無知ゆえの根拠なき自信。だがそれが春豪のような擦れ切った者には直視できないほどにまぶしくもあった。
(なるほど、利厳殿が躊躇われるわけだ。こんな無垢な小僧らに『武士として生きる未来はない』なんて残酷なこと、言えるわけがないからな……)
残念だが彼らの未来に武人として生きる道はない。だからこそ利厳も「できることならあきらめさせてほしい」と依頼してきたのだろう。
(まったく損な役回りだ。……だが嫌いではない)
純粋な僧侶だった頃の血が騒いだのか、春豪は若い彼らに一つ説法をしてやりたい気持ちになった。もっとも彼にとっての説法とは、つまりは立ち合いのことであるのだが。
春豪は自ら一歩前に出て叫んだ。
「春豪だ。聞いての通り腕には少々自信がある。誰か試してみたい者はおるか?」
「……!」
この挑発を聞いて家臣たちは目の色をガラリと変えた。
挑発への反発か、それとも強者を討って名を挙げたいという名誉欲か。あるいはこのどこの馬の骨とも知らぬ僧侶の鼻を明かしてやりたいという後ろ暗い欲望か……。
(理由など何でもいい。それを力で押し通すことこそが武人なのだからな)
「さあ、誰からでもいいぞ。かかってこい」
春豪は若い家臣から袋竹刀を一振り借りて庭の真ん中まで向かい、彼らを待ち構えた。
さて、春豪は利厳の家臣たちを挑発し、それを受けて若い家臣たちは目の色を変えた。だがその熱量に反してなかなか一番槍に名を挙げる者は現れなかった。
「……お前、行かないのか?」
「お、俺よりも強い奴が他にもいるだろ!?俺が行ったって殿の名を汚してしまうだけだ!そういうお前はどうなんだよ!」
「俺はその……少し疲れが残ってるし……」
利厳の家臣たちはどうももじもじとするばかりで一行に前に出てこない。
実はこれは後で知ることとなるのだが、この時こういった場面で切り込み隊長を務める家臣が他の任務に出ていたためこの場にいなかったのだ。
また他の主要な門弟も城勤めに出ており、今ここにいるのは普段は取り巻きをしているような一段劣る家臣しかいなかった。
結果生じたこの情けない譲り合いには利厳も頭を抱えた。
「何をやっているのだ……。こういった場面こそ自ら名乗り出るような気概のある奴はおらんのか……」
一応彼らもこのまま誰も勝負に行かないのはマズいとは思っているらしく、無言で自分よりも強い奴に「お前が行け」と視線を送る。そしてそれはやがて一人の男に収束した。
「……」
「おい、
男も自分が推されていることには気付いていたようで、あきらめたように一つ舌打ちをしたのち前に出た。
「くそっ、わかったよ……。
ようやく出て来た挑戦者に利厳は安堵とも呆れとも取れる溜め息をついた。
「まったく、ぐずぐずしおって……。春豪殿。かの者・兼平は今いる中ではなかなか筋のいい者にございます。刃引きの長巻もございますが、竹刀でよろしかったですか?」
刃引きとは練習用に刃を潰して切れないように加工した武器のことである。これに春豪は首を振って返した。
「お心遣い感謝しますが、一応こっちの方も覚えはありますので問題ありません。まぁ足らぬということはないでしょう」
そう言うと春豪は袋竹刀を正眼に構えた。その構えは体格と相まって、まるで一つの大きな岩のような存在感があった。
「お、おぉ……」
「兼平!構える前から臆してどうする!」
「わ、わかってる!くそっ!やってやるさ!」
対する兼平も半ばヤケクソ気味ではあったものの、きれいな正眼に構えて見せた。
(ほう。弱腰だった割には悪くない。思ったよりも楽しめそうだ)
「新陰流、須藤兼平。参る!」
「
こうして屋敷の庭にてさすらいの怪僧・春豪と若い新陰流の使い手・兼平とが向き合った。
柳生利厳の屋敷、その庭先にて春豪と兼平とが対峙する。流派はそれぞれ円明流と新陰流で、構えは互いに正眼であった。
「……」
「……」
立ち合いはまずは互いに距離を取ってからの睨み合いから始まった。
初めの距離は二間半(約4.5メートル)。そこから少しずつ互いに距離を詰めていくのだが、まもなくしてその構図は全く動かない春豪に対して兼平が攻めあぐねているというものへと変化した。
「はあっ!」
「……」
「くそっ!はあぁぁっ!」
春豪は初めの距離から数歩進むと急に動かなくなった。正確に言えば歩くなりなんなりして自ら間合いを詰めるような動きをしなくなったのだ。
こう書くと春豪が打つ手がなくなったように聞こえるかもしれないが、実際のところ攻めあぐねているのは兼平の方だった。彼は上段に構えたり剣気を飛ばしたりして必死に春豪を動かそうとしている。しかしこれに春豪は全く動じず、兼平の顔には徐々に焦りの色が見え始めていた。
この構図となった原因は両者の体格差にあった。春豪の身長はこの時代では珍しく六尺半(約195センチメートル)に届くほどの巨躯。対し兼平は五尺程度(約150センチメートル)と30センチ以上も差があった。背丈がこうも違えば当然間合いにも反映される。具体的には春豪の方が二歩以上間合いに余裕があったのだ。
こうなると兼平としては厳しい話である。なにせ自分の剣を届かせるためには、相手の間合いに二歩以上も踏み込まなければならない。その難しさをわかっているからこそ兼平は色々と手を尽くしているのだが、百戦錬磨の春豪からしてみればそれらは小細工と言っても差し支えのないようなものだった。
(その程度では敵は動いてはくれないぞ。さあ、どうやってひっくり返す……?)
「くそっ!はぁぁっ!」
足を使っての押し引きを繰り返す兼平。だがその効果のなさに外野からのヤジが飛ぶ。
「おい、どうした兼平!?腰が引けてるぞ!」
「う、うるさいなぁ!関係ないからって好き勝手言いおって!……くそっ!」
ヤジを受けたからかは知らないが、兼平は今度は切っ先を下げて若干構えを変えた。右足も通常時よりも前に出し、構えの正中線もわざと崩す。一見すると隙が増えたように見えるが、それが誘いであることはすぐにわかった。
(新陰流らしい誘いの形だな)
兼平の狙いは春豪が不用意に伸ばした竹刀を紙一重でかわし、その隙に一気に懐に潜り込むというものだった。月並みだがこの実力差ではこれくらいしか打つ手はないだろう。もっとも読まれていては結局意味などないのだが……。
(……こんなところか。さて、これ以上虐めても仕方あるまい。そろそろ引導を渡してやるか)
おおよそ敵の底が見えたことにより、いよいよ春豪も動き出す。彼は正眼に構えたまま足の指先を使ってじりじりと間合いを詰める。兼平はその迫力に圧されて一瞬下がりそうになったが、逃げてはいけないとグッと踏ん張ってそれを待ち受けようとした。
(下がらなかったのは良し。しかしこの間合いの差はどうしようもあるまい)
じりじりと詰められる間合い。春豪の一撃が届く距離になるまであと二歩……。一歩……。半歩……。
そしていよいよ完璧に兼平を仕留められる間合いになったその瞬間、とうとう兼平はあきらめて竹刀を下に下げた。
「……すみませぬ。某には無理でした」
春豪と兼平との立ち合いは兼平の降参という形で幕を下ろすのであった。
「お恥ずかしながら、打てる手がありませんでした……」
兼平の降参宣言。これに周囲の者たちは「おおっ」とどよめいた。
「まさか兼平が飛び込めないとは……。春豪殿はそれほどということか……」
「あの体格差ならば仕方あるまい。命あっての物種というやつだ」
「いやいや、武士ならば命を惜しまず飛び込んでいくべきだっただろう!この根性なしめ!次は俺が行ってやる!」
外野からは様々な意見が出ていたが、相対した春豪本人は彼のこの判断を高く評価していた。
(間合いを読み切ったか。なるほど、利厳殿が筋がいいと評したわけだ)
はっきり言って兼平の勝ち筋は一つもなかった。もちろん外野が言った通り、命を惜しまず飛び込めば何か起こったかもしれないし、仮に死んでも武士としての矜持は示せたかもしれない。
だが恥を忍んででも生き延びることも一つの勝利である。そういった意味では本当にギリギリまで死線を見極めていた兼平は叩けば伸びる逸材なのかもしれない。
実際その後も春豪は何人かとやり合ったが、そのうち半分が無理に飛び込んでは返り討ちにあい、残り半分が兼平ほども近付かないうちに降参していた。
「つ、強い……、強すぎる……!」
「ふむ。こんなものか」
春豪は半刻ほどで鼻っ柱の強い奴らをあらかた倒した。もちろん全戦全勝。だが経験の差を考えればこの結果は当然のことで、ここで見るべきは彼らの精神性にある。
それを確認するかのように、ここまで黙って見守っていた利厳が春豪に近付き尋ねた。
「どうでしたかな、春豪殿。彼らの具合は?」
「……酷なことを言いますと、半人前以下ですね。腕前の話ではなく精神面での話です。戦場では様々な理不尽がまかり通る。それに耐えられるような者はここにはおりませんでした」
辛辣な評価に家臣たちは顔をゆがめるが反論はしなかった。――いや、できなかったといった方が正しいだろう。実際彼らは春豪の気迫に、技に、力に屈してしまったのだから。
(何人かは見どころのある奴もいたのだがな……)
もちろんこの経験を糧に自らを鍛え直して成長できる者もいるだろう。だがそれだけが道ではない。利厳と話した通り、先のない道ならば早々にあきらめるという判断をするのもいいだろう。
(まぁ最終的にどうありたいかは、その者自身が決めることだがな。せめて悔いのない生涯を送ってほしいものだ)
そう彼らの行く末を案じながら春豪は手癖で竹刀の血払いをした。
その時であった。にわかに屋敷の正門付近が騒がしくなる。
「……誰か来客ですかな?」
「いえ。あれはおそらく城勤めに出ていた者が戻ってきたのでしょう。私の嫡男なんぞも城にて小姓を務めておりましてな……」
そのまましばらく待っているとまもなくして六、七人の青年たちが庭に姿を見せた。彼らは皆いかにも城勤めらしいパリッとした
その中でも特に春豪の目を引いたのは一番背の低い少年――幼い顔立ちながらも背すじがピンと伸びた利発そうな少年に目が行った。
「あの少年、もしや……」
「ええ。あれが我が家の嫡男・
春豪の目を引いた少年――彼こそが今年数えで十四歳となる利厳の嫡男・柳生
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