春豪 郊外の見回りに参加する 1
稽古の立ち合いを経て、尾張柳生の裏事情を知ることとなった春豪。
どうやら清厳にはどうしても打ち倒したい相手がいるらしく、利厳によるとそれは江戸柳生の次期後継者・柳生三厳なのではないかとのことだった。
複雑な事情に困惑する春豪であったが、悩める武士に寄り添うことを功徳と考えている彼はもうしばらくこの地に留まり清厳らを見守ることにした。
春豪が尾張柳生の食客となってから十日ほどが経過していた。この間彼は宿代代わりに連日利厳の門弟たちの稽古を手伝っていた。
この日も彼は朝から訓練用の槍を手にし、若い門弟たちをビシバシとしごいている。
「どうした、腰が引けておるぞ!攻められぬというのなら、せめて身を守るくらいはしっかりとしろ!」
「は、はいっ!」
尾張柳生では新陰流の剣術だけでなく新当流の槍術や穴沢流の薙刀術なども教えていた。さすがは利厳の門弟だけあって中には結構な実力者もいたが、そんな彼らも春豪の間合いには手こずっているようだった。
「くっ!ダメだ、隙がない!これでは踏み込めん!」
「焦るなよ!無駄に命を懸ける必要はない!丁寧に動いて、そして生き延びろ!」
「は、はいっ!」
技術的に大きな差はなかったが、経験と体格で門弟たちを追い詰める春豪。その後彼は相手が不用意に伸ばした槍を絡め取り、大きく弾いて吹き飛ばした。
これにて決着。負けた若侍は自分の腕に自信があったのだろう、悔しそうに一度地団太を踏んだのち春豪に一礼した。
「立ち合い感謝いたします、春豪殿。……某はどこが足りなかったでしょうか?」
春豪は少し考えてから返答した。
「腕は悪くなかったぞ。そうだな……強いて言うならば、打つ手がない時は引いてみるのも一つの手ということだ」
「敵に背を向けて逃げろというのですか?」
「そうではない。相手からすれば攻め一辺倒の方が対処しやすいということだ。だが引けば相手を釣ることができる。新陰流の方でも似たような技があるのだろう?得物は違えど真髄は何にでも通ずる。本質を理解し、よく考えて日々の鍛錬に励むことだな」
「は、はい!精進します!」
深々と頭を下げて去っていく若い門弟を見送りながら春豪はふぅと息を吐く。これで一段落――かと思いきや、早速別の門弟たちが春豪との立ち合いを希望して集まってくる。
「春豪殿!次は某と一戦お願いいたしまする!」
「おい、割り込むなよ!次は某が頼む番だ!」
「あー、落ち着け落ち着け。ちゃんと立ち合ってやるからそう焦るな」
(まったく、若いというのは時に空恐ろしくもあるな)
春豪は若侍たちの熱意に若干押されながらも、一人ずつ丁寧に相手をしてやった。
春豪が数日でこうも人気となった理由――それは目新しさや教えのわかりやすさなどがあったが、それより何より『自分たちに熱意を思い出させてくれた人』というのが原因だろう。
この点については、とある休憩中に古参の家臣から教えてもらった。
「いやぁ、春豪殿が来てから若い奴らにハリが出てきて何よりだ」
「以前は違ったのですか?」
「ああ。少し前までは目標を見失い、ただ義務のように稽古に出ていた者も多かった。それが今や自分で考え、自分の意志で剣を振っている。まったく大した進歩だよ」
今や尾張国の御流儀にまでなった新陰流は、その名誉を守るために他流試合を禁止していた。そのため鍛錬はいつも敷地内。成長を競う相手も見知った顔ばかりで、言ってしまえば日々の鍛錬にメリハリがなくなっていた。
だがそこに春豪という未知の強豪が現れた。利厳が連れてきたこの巨躯の怪僧は圧倒的な力で門弟たちを倒していく。それを目の当たりにすることで彼らの闘争心に火がついた。澄ました顔をしていてもその根っこには『誰よりも強くありたい』という野心を持つ武士であったのだ。
「今時の若い奴らは妙におりこうさんな奴が多いと思っていたが、存外熱いものを秘めていたんだな」
「若い世代の指針となれたのなら重畳です。……ただ逆に稽古に出なくなったものも多くなったと聞いたのですが」
「あぁいいんだよ。奴らは奴らでやりたいことを見つけたようだからな」
古参家臣曰く、熱を得た者とは別に、いい意味で武芸の道をあきらめた門下たちも増えてきたという。
「最近はそろばんや帳簿付けの方に精を出す者も増えて来た。どうにかして御家の役に立とうとしているのだな」
「いいことだ。全員が全員武芸向きというわけでもないのだからな」
春豪によって引き起こされた若い世代の熱意の攪拌。それにより新たに熱を得た者は鍛錬に励み、逆に限界を悟った者はその道をあきらめ裏方仕事の方に精を出すようになったらしい。
武の道をあきらめると聞けばさみしい印象を受けるが、武力の受け皿が圧倒的に足りていないこの時代、生きていくにはそれもまた一つの道であった。
(どうやら将来について考える若人が増えてきたようだな。いい傾向だ)
春豪は手拭いで汗を拭いながら、彼らの前途に幸あらんことを祈るのであった。
さて、少しばかり昼飯休息をしたのち、春豪は鍛錬場に戻った。
その間に稽古の内容は剣術に切り替わっており、庭には袋竹刀や木刀を持って型を確かめている門下たちであふれていた。
利厳が本来新陰流ということもあり、刀をメインに扱う一団は春豪が来て以来高いモチベーションを保っている。その中の一人に以前春豪と立ち合った須藤兼平がいた。
「春豪殿。今日もまた鍛錬の手伝いをなさっておられるのですね。連日お疲れ様です」
「なに、飯代にしては割のいい仕事ですよ。そうおっしゃる兼平殿も連日熱心ですな。どうです?またもう一度立ち合いますか?」
「ははは。今の某では結果は変わりませんよ。腕を磨いたのち、改めてまた挑ませてもらいますよ」
そう言って離れていった兼平は仲のいい者たちと共に、新陰流の技を一つ一つ丁寧に練習していた。
この兼平という男は、春豪が初日に立ち会った中ではかなり筋のいい部類の者だった。間合いの読みは抜群。加えて無理だと思えば引くような柔軟さも持ち合わせている。引くと聞けば聞こえは悪いが、戦場で生き延びるには必須の技術に他ならないため、春豪はその点を高く評価していた。
ただその一方で、彼が稽古であるにもかかわらず踏み込めなかったのも事実である。いくら筋がいいと言っても挑戦しなければ成長することはない。そのため兼平はいつまでいっても『筋がいい』止まりで、いずれ刀を捨てて机仕事の方に流れていくと多くの者が思っていた。
しかし蓋を開けてみれば彼は誰よりも熱心に剣術に打ち込むようになっていた。この変化は古参たちにとっても予想外だったようで、春豪は以前こんな話を聞いていた。
「兼平は勘はいいのだが、いまいち闘争心に欠けるやつでな。正直適当なところで剣を捨てて書類仕事に移るものだと思っていた。それが今や若い連中の中でも特に真剣に稽古に励んでいるというのだから驚きだ」
「まったくだ。このままいけば外仕事も任せられるかもな。親父さんも草葉の陰で喜んでいることだろうよ」
ここで言う外仕事とは屋敷外での奉公・お役目のことである。屋敷の外に出るということは柳生の名を背負うこととなるため、これらのお役目には半端な者は選ばれないようになっていた。
(それが今や代表して外に出ても大丈夫なほどの実力を身につけている。これもまた若い情熱がなせる
若者の成長に胸が熱くなる春豪。そうして感動していると、にわかに門のあたりが騒がしくなる。お役目で外に出ていた者たちが帰ってきたのだ。
それから間もなくして稽古場に普段着に着替えた清厳たちがやってくきた。
稽古場に出て来た利厳嫡男の清厳。彼は春豪を見つけると近付いてきて軽く一礼した。
「今日もですか。精が出ますね、春豪殿」
「宿代には足りないくらいですよ。それに利厳殿の門弟は皆やる気がありますからね。苦にはなりません」
実際情熱を持った若人たちとの交流は春豪にとっても新鮮で興味深い時間であった。彼らはいったいこの時代にてどのような武士となるのだろうか?それはとても興味深いもので、そしてその観察対象には目の前の清厳も含まれていた。
(清厳殿……。利厳殿曰く不俱戴天の仇がいるとのことだったが、果たして本当にそうなのだろうか?)
数日前、春豪は清厳の執着について利厳から相談を受けていた。利厳曰く、ある時期より清厳はとある人物を打ち倒すために鍛錬をするようになったらしい。そしてその対象は江戸柳生の次期当主・柳生三厳なのではないかとのことだった。
なるほど、明確に倒したい相手がいるのならば以前立ち合った時に見せたあの勝負への執着心も説明がつく。
だが春豪は利厳の話すべてに納得したわけではなかった。特にしっくりとこなかったのはその原因――利厳は清厳がここまで敵意を持つに至ったきっかけは柳生庄の権利を巡る対立があると見ていた。しかし春豪の目にはそのような俗っぽい執着は感じられなかった。
(これまでも家督や土地を巡るいざこざはそれなりに見てきた。そしてそういった争いには人間の醜さのような、
あくまで主観的な話だが、真剣に刀を振る清厳からはそんなドロドロとした後ろ暗い感情は見受けられない。春豪の感覚では彼の執念はもっと乾燥した、カラッとした情熱だった。
(何か利厳殿が思い違いをしているところがあるようだ。そのあたりも意識しつつ、もう少し探ってみるか)
そう思う春豪であったが、なかなか自然に清厳に近付けずにいた。というのも初日以降、清厳には春豪との立ち合い禁止令が出ていたためである。前回のように稽古の枠を超えた勝負をされては困るからと利厳直々に下した禁止令であったが、そのせいで春豪は清厳を遠くから眺めるくらいしかできずにいた。
(困ったな。何か話ができるきっかけでもあればいいのだが……)
そう思っていた矢先のことだった。ある日利厳に呼ばれた春豪は、清厳らと共に見回りの任務に参加してみないかと打診されたのであった。
ある日の午後、利厳に呼ばれて彼の部屋にまで来た春豪は見回りのお役目について打ち明けられた。
「郊外の見回り、ですか?」
「ええ。此度城の方より近くの村落に牢人が潜んでないかの見回り・哨戒をしてきてほしいと頼まれましてな。それに春豪殿も参加してほしいのです」
利厳曰く、治安維持のためにこういった哨戒任務は一定間隔で行われているらしい。だが城からの依頼ということは公的なお役目ということだ。果たしてそれに実質牢人に他ならない自分が参加してもいいのだろうかと春豪は首をかしげる。
「某は構いませんが、むしろよろしいのですか?単なる食客に過ぎない某が同行しても」
おそらく城としては柳生家の腕っぷしを見込んでの依頼のはずだ。そんなお役目に同行したい者は多くいるはず。その一席を自分が埋めてもいいのだろうか?
春豪がそう尋ねると利厳は疲れたように苦笑した。
「いやぁ、実は他にも人を寄越してくれと依頼が入っておりましてな。お恥ずかしながら人手が足りないんですよ」
利厳によると東海道の方で数件人手が足りなくなる事態が起き、動ける家臣はそちらの方に回してしまったらしい。
だが哨戒任務も立派なお役目。半端な者を送るわけにはいかないということで、苦肉の策で春豪も招集されたというわけだ。
「見回りは北の郊外のため春豪殿が目立つことはないでしょう。どうか若い奴らの護衛がてら協力してはくれないでしょうか?」
丁寧に頭を下げる利厳。こうも礼を尽くされれば春豪としても断る理由はない
「承知いたしました。取るに足らぬ身ですがお手伝いいたしましょう。……それで某は誰と見回りに出かけるのですか?」
「古家臣の沢城
(清厳殿……!それに兼平殿もか!)
気を回したのか利厳は見知った顔で固めてくれた。
こうして春豪は思わぬ形で清厳に接近する機会を得たのであった。
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