春豪 郊外の見回りに参加する 2
春豪が利厳の食客となってから早くも十日余りが過ぎていた。
家臣たちからも一目置かれるようになっていた彼はある日、城下町郊外の哨戒任務に協力してほしいと頼まれ、これを了承した。
人手が足りないということで急遽駆り出されることとなった城下町郊外の見回り任務。その当日早朝。春豪が支度を整え正門前に向かうと、すでに待機していた清厳が少しばかり驚いた表情で彼を迎えた。
「春豪殿!話には聞いていましたが、本当に参加なされるのですね」
「ええ、清厳殿。宿代にはほど遠いでしょうが、まぁ足を引っ張らないように精進しますよ。それで他の方々は?」
「もうすでにそろっておりますよ。あとは開門の鐘が鳴るのを待つだけです」
その言葉通り、正門前にはすでに今回のお役目に参加する者たちがすでに集合していた。その数は五人。内訳は春豪に清厳。そして清厳付きの下男・武藤
そしてその直房が春豪が来たことに気付いて話しかけてきた。
「いやぁ春豪殿、ご協力感謝いたしまする。某はもう長いこと机仕事ばかりしておりましてな、春豪殿のような腕っぷしの強い方が同行してくれて心強い限りですよ」
「屋敷の方々にはよくしてもらってますし、このくらい何てことないですよ」
「ははは。そう言ってもらえるとありがたい。ともかく頼りにさせてもらいますよ」
そう言うと直房は快活にはははと笑って春豪の背中を叩いた。
直房はやや贅肉のついた四十前後の中年侍であった。見た目と本人の言葉通りおそらく武術の方はからっきしなのだろうが、その分机仕事で柳生家に貢献しているのだろう。その証拠に清厳や儀信は武闘派ではない彼をないがしろにすることなく、むしろ敬意をもって彼に従う姿勢を見せていた。
「直房様。まもなく六つの鐘が鳴ります」
「そうかそうか。ではそろそろ出ることになるが、皆忘れ物等はなかったな?」
全員が問題ないと返すと直房は満足そうにうなずいたのち出発の音頭を取った。
「では参ろうか。各々ケガなどせぬよう気を付けるのだぞ」
こうして屋敷を出た一行は堀切筋を東に進んだのち、やがて北へと伸びる街道へと足を踏み入れるのであった。
名古屋城城下町を出て北へと向かう一行。彼らはよく整備された街道を歩いていたのだが、その道中にて春豪が直房に尋ねた。
「それで、今回具体的にはどこを見て回るのですか?」
「おや、殿から聞かされてはいなかったのですか?」
「北に向かうことは聞かされておりましたが、如何せんこのあたりの地理には疎いもので……。この街道がどこに向かっているのかもわかりませぬ」
「ああ、なるほど。確かにこっちの街道は地元の者でもあまり使いませんからね」
名古屋周辺の街道と聞いて真っ先に思い浮かぶのは町の南を通る東海道だろう。近くには街道有数の宿場・宮宿もあり、春豪もこちらの方ならば若干の心得があった。
だが現在彼らが進んでいるのは名古屋から北に伸びるている道である。直房によるとこの道は俗に『
「小牧街道……。名前から察するに小牧という場所に続いているのですかな?」
「左様。ここから五里ほど先に小牧宿という宿場がありましてな。近くに大納言様(徳川義直)の別荘などもあるのどかな土地ですよ」
義直の別荘とは数年前に建てられた小牧御殿のことである。
「別荘……。なるほど。妙に歩きやすい道だと思ったら、お上のためというわけですか。この見回りもそのためですかな?」
「違いないが、まぁそうトゲのある言い方をしないでくださいな。この街道は中山道にも通じているため、北の警戒は必要不可欠なんですよ」
一行が歩んでいた小牧街道は小牧、
中山道とは江戸五街道の一つで、江戸・京都間を現在で言う岐阜県や長野県、群馬県といった内地を横断して繋いでいた街道のことである。この街道は幾つもの山を越えるため東海道よりもその道程は険しいと言われているが、それゆえに東海道と比べて物価が安く御公儀の警備も緩やかだった。そのため賊やガラの悪い牢人が現れて治安を脅かすようなことがしばしばあった。
「小牧は古来よりこの地の要所として知られていましたからね。そこが賊に襲われては大納言様の名誉にもかかわる。ゆえにこうして定期的に見回りに出る必要があるのですよ」
余談だがこの小牧という地は、1584年の小牧・
(なるほど。将軍家の一員としては、どうしても守りたい土地というわけか)
今回の任務の背景をおおよそではあるが把握した春豪。
これは失敗できないなと改めて意気込むが、幸いにも道中特に問題なく一行はその小牧宿へと到着することができた。
「見えました。あれが小牧宿にございます」
小牧宿。現代で言う愛知県北西部・小牧市に位置する宿場町で、戦国時代には徳川家康や豊臣秀吉といった名だたる武将たちが覇権を巡り争った土地でもあった。
しかしそれも昔の話。今の小牧宿は人通りもまばらなのどかな田舎の宿場町である。
「思ったより閑散としてますね。中山道に通じているというならもっと人がいると思っていたのですが」
「この街道は身分の高い方々が使うこともありますので、町人らはあまり近付きたがらないんですよ。普通の旅人は基本ここより東にある別の街道を使うことが多いですね」
「なるほど。どうりで店も少ないわけだ」
春豪の言う通り小牧宿の大通りには宿や出店が片手で数えられる程度しかなく、かといって裏通りに隠れ宿があるような気配もなかった。これは一般の旅人がほとんど通らないこと、およびたまに来る城の関係者も宿をほとんど使わないことを意味していた。
「ほとんどの者は日帰りか、あるいは皆あそこに泊まりますからね」
そう言って直房が西の小牧山に目をやると、そのふもとには場違いなほどに巨大な屋敷が一軒建っていた。徳川義直の別荘・小牧御殿である。
「……大きいですな。利厳殿の屋敷の四倍以上はありそうだ」
「実際そのくらいありますよ。それでは某と清厳様はあそこに報告に行ってきますので、春豪殿たちはここで待っていてください」
小牧街道の見回り任務。その報告は小牧御殿に詰めている義直の家臣にすることになっていた。しかしその報告に五人でぞろぞろと行く必要もない。というわけで御殿に向かうのは直房と清厳だけで、残りの春豪、儀信、兼平の三人はこの宿場にて待っているようにと指示が出た。
「それでは行ってくる。おそらく半刻もかからんだろうから、儀信殿たちは先に昼飯でも食べていてくれ」
「承知いたしました。ではお気をつけて」
頭を下げて清厳たちを見送る儀信と兼平、そして春豪。こうして春豪たちは一時的に清厳たちと別れて小牧宿にて待つこととなった。
小牧宿に残った春豪たち。彼らは姿が見えなくなるまで直房たちを見送り、さて何を食べようかと思ったところで、その中の一人がガクリと膝をついた。
膝をついたのは兼平であった。
「大丈夫か、兼平殿!?足でも痛めたか?」
慌てて駆け寄る儀信と春豪。するとこれに兼平は苦笑しながら首を振った。
「いえ、どこも痛めてはおりませぬ。ただ……思っていたよりも気を張っていたようで……」
「気……?あぁそういえば兼平殿はあまり外でのお役目に慣れていないんでしたな」
「情けない限りです……。とにかく某は大丈夫ですので、お二人はお好きなように昼食を食べに行ってくださいな」
「そうはいきますまい。とりあえずどこか木陰で休みましょうぞ」
儀信と春豪が引っ張るようにして兼平を近くの木陰に横にする。その間しきりに申し訳なさそうにしていた兼平であったが、やはり疲れが溜まっていたのだろう、横になるやすぐに目を閉じ小さな寝息を立て始めた。
「緊張とこの暑さで本人が思っていた以上に疲れていたようですな。……昼食の件ですが、清厳様が戻ってくるまで待つ流れでよろしいですか、春豪殿?」
「某は構いませんよ、まだ早い時間ですしね。……それにしても、やはり
春豪の問いかけに儀信はこくりと頷いた。
「おそらくは。最近の兼平殿は稽古にもよく励んでおられましたからな。元より真面目なお方でしたから、殿も期待しているのでしょう」
柳生家は家の評判を守るために、十分な実力を持たぬ者は外での役儀に参加できないこととなっていた。そんな中で兼平は技術こそあるものの、いまいち積極性に欠けるということでこれまで大きなお役目は回ってこなかった。
しかし春豪と刃を交えて以降心境に変化があったようで、日々の鍛錬も人一倍真面目にこなすようになったらしい。その成長が認められ、今回経験を積ませるために清厳たちに同行する運びとなったのだ。
「春豪殿が呼ばれたのも兼平殿のためではありませんかね?兼平殿は春豪殿をえらく尊敬しておりましたからな」
「尊敬だなんてもったいない。某はただの牢人ですよ」
「ご謙遜を。主の有無で武人かどうかが決まるなんてことはありませんよ。春豪殿が立派な武人であることは皆が承知しております。もちろん某もね」
「ははは。それはありがたい」
どうやら愚直に武に生きる春豪の生き様は、思っていた以上に好意的に思われていたようだ。
彼らの好意にはありがたいこそばゆさを覚える反面、思うところもある。憧れるのは勝手だが春豪の生き方は所詮は牢人。自ら望んでなるような立場ではない。果たして彼らは本当はどのような武士になりたいのだろうか?
せっかく手持ち無沙汰で二人きりなのだ。春豪は気になるがままに儀信に尋ねてみた。
「儀信殿はどのような武士になりたいと考えてらっしゃるのですか?」
「どのような武士、ですか?それはまた……何とも言えぬ質問ですね……」
唐突な質問に困惑する儀信。少々漠然とし過ぎたかと反省した春豪はもう少し補足する。
「先程儀信殿は『主の有無で武人かどうかは決まらない』とおっしゃられておりましたが、今のご時世結局牢人は牢人なんです。立派な武士と評されるのは良く主君に仕える者――そしてその仕え方は武術である必要はない。剣ではなく筆を持つ机仕事も今や立派な武士のお役目。直房殿などもその口の武士ではありませぬか?」
「確かに直房様は家の細々したことを任せられている立派なお方ですが……」
儀信の口振りからは直房のことを尊敬してはいるが、彼のようになりたいかと訊かれれば肯定することはないだろうという微妙な心境が現れていた。
しばらく真剣な顔で熟考していた儀信は、やがて絞り出すような声でこう返答した。
「某は……清厳様に仕える身にございます。ゆえに清厳様が死地に向かうならばそれに追随するような、常にお背中を守れるような武士になりとうございます」
なるほど、どうやら儀信は主君に忠を尽くすことが真の武士の道と考えているらしい。それは確かに立派な考えであったが、しかし儀信は肝心なことを忘れている。
「ふむ、立派な考えだ。だが果たして死に直面するような戦場がこの先現れるのだろうか?」
「えっ?」
「太平の世になってからもう長い。某は各地を放浪してきたが、いるのはチンケな牢人ばかりで天下を狙うような傑物はもはや存在しない。ゆえに清厳殿が死地に向かうような機会は訪れることはないでしょう。おそらく今後は刀よりも筆を持つ機会の方が多くなるはず。そんな主君に対し、儀信殿はどうお仕えするつもりなのだ?」
「そ、それは……」
儀信は狼狽していた。おそらく彼の中では清厳の隣で刀を振るう日常がいつまでも続くと信じていたのだろう。しかしいずれ清厳も利厳の跡を継ぎ、御公儀という組織の中で生きていくこととなる。そうなると求められるのは腕っぷしだけではなくなるだろう。
この武士の在り方の変化について儀信もまったく気付いていないわけではなかった。だが改めて向き合えば、どうしても狼狽せざるを得なかった。
「わ、わかってはおりますよ。磨いた武を発揮する場がないということは。しかし柳生家は剣術の家。それをないがしろにするわけには……」
「……すまない。悩ませるつもりはなかった。年を取ると若い者の
「い、いえ。いずれ考えなければならないことであることはわかっておりましたので……」
(考える必要があることはわかっていた、か……)
若い儀信ですら将来の行く末を案じていた。ならば清厳も何か思うところがあるはず。
(清厳殿は江戸の柳生三厳を狙っているのではないかと思われている。しかし本当にそうなのだろうか?彼はいったいどのような武士を目指しているのだろうか……?)
清厳の心中は気になったが、それはまた適切な場面で探ればいいだろう。
その後二人は気まずい空気の中、言葉を交わすこともなく清厳たちが戻ってくるのを待っていた。
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