柳生三厳 駿府に呼ばれる 2
将軍・徳川家光から極秘裏に駿府城城主・徳川忠長の調査を依頼された宗矩。この難題に宗矩は柳生庄の三厳や陰陽寮に勤める甥に協力を仰いだ。
救援要請を受けた三厳は柳生庄にて旧友の多比羅雅行や植田与六郎らと合流。一行は一路駿府に向けて柳生の里を発つのであった。
宗矩からの要請を受け、五人の救援が里を発つ。筆頭はもちろん柳生三厳。次いで彼の護衛として柳生家家臣の守山
彼らは柳生庄を北に抜け伊賀上野へと向かい、そのまま西の加太越えを越えて関を目指す。関からは東海道に従って尾張や浜松を経由して駿府まで向かう予定である。これは成人男子ならばおおよそ十日ほどかかる道のりで、鍛えている者ならばさらに二三日短縮することもできただろう。しかし今回は一行の中に並の身体能力である雅行がいたため通常通りの日程で進むこととなった。
「すまんな。俺の足が遅いばかりに」
申し訳なさそうな顔をする雅行であったが、騒動慣れしている三厳たちからすればこの程度のことは気にするほどのことではなかった。
「なに、気にするな。こういうのは適材適所というやつだ。きっと向こうではお前が一番働くことになるだろうよ」
「それは恐ろしいな。それじゃああまり疲れないようにほどほどで参ろうか」
軽口を叩きあいながら進む一行は順調に伊賀上野、関、尾張と越えていき、六日目には浜名湖南岸にある今切の水路を渡っていた。
暦も気付けば十二月。天気は快晴で風はやや強め。水上ということで少々冷えはするものの、一行を乗せた帆掛け船は気持ちよく水路を進んでいく。
「うぅ寒い。やはり陸路で言った方がよかったんじゃないか?」
「まだ言うか、雅行。陸だって寒いのは変わらんよ。ならば早く着く方が良かろう?」
「それはそうなんだが……。しかしここを渡ればもう遠江か。今日の宿はどのあたりになりそうだ?」
「この調子だと浜松あたりか?さすがに今日中に
浜松も見附も共に東海道上の宿場町で、浜松は船着き場から約二里(約8キロメートル)、見附はそこからさらに四里(約16キロメートル)ほど進んだところに位置していた。合わせておおよそ24キロメートル。冬場は日が落ちるのが早いことを考えるとあまり現実的な距離ではないだろう。
三厳と雅行がそんな会話をしていると、横から与六郎が割って入った。
「そのことなのですが、三厳様。船が着きましたら某は一時離脱してもよろしいでしょうか?」
「離脱?なにか気になることでもあったのか?」
「いえ、先んじて駿府に赴き三厳様方が来られたことを伝えてこようかと。ここまで来ればもう護衛は必要ないでしょうからね」
ここで与六郎は、先に情報だけ駿府の宗矩に伝えてはどうかと提案してきた。ここら辺の気配りは忍びである彼らしい着眼点である。当然止める理由もないため三厳はこれを許可した。
「そうだな。急ぎのようだし詰めれるところは詰めておくべきだろう。行ってくれるか、与六郎?」
「もちろんにございます。蜂助は残しておきますので、どうぞお好きなようにお使いください」
こうして与六郎は船が着くや一行と別れて東へと駆けていった。彼の足ならば一日半もあれば駿府へとたどり着くだろう。対する三厳たちは当初の予定通り三日かけて残りの旅程を進んでいく。
彼らは浜松で一泊したのち掛川宿にてもう一泊。そして出発から九日目。三厳たちは予定通り駿府手前にある川・安倍川にまでやってきた。この川は防衛上の理由から橋が架かっておらず、対岸には船を使って渡る必要がある。三厳たちも例に漏れず十人乗りの小さな舟で川を渡ると、対岸では与六郎が待っていた。
「三厳様。無事の到着、何よりです。お父上もお待ちですよ」
「そうか、父上も到着していたか。では待たせないように早速向かおうか。……ところで与六郎。父上がいるということは此度の目的も聞いたのだろう?父上はなんと言っておられたのだ?」
「それは……宗矩様から直接お聞きになった方がよろしいかと。ここでは他人の耳もありますしね」
「……?」
与六郎の返答に三厳は少しだけ腑に落ちない顔をした。そもそも与六郎を先行させたのは、先んじて宗矩と情報交換をさせるためである。ならばそうして知った情報をここで報告するのが道理であるはずなのに、彼はそれをしなかった。
その一方で人目が気になるという意見もわかる。宗矩からもらった手紙を見るに大っぴらには言えない任務なのだろう。それにどうせ間もなく宗矩に会えるのだ。完全に納得したわけではなかったが、詳しい話は直接本人から聞けばいいと三厳はこの疑問を捨て置いた。
「……そうか。では参ろうか」
「はっ。どうぞこちらに」
こうして三厳たちは与六郎の先導で駿府城城下町へと足を踏み入れた。
城下町に入った三厳たちは与六郎の案内で宗矩が待つという屋敷へと向かった。しばらく歩いたのち一行は武家屋敷通りの一角にある、比較的小さな屋敷に通された。
「こちらにございます」
「む。駿府だからまた友重殿の屋敷かと思ったが、家を一つ借りたのだな」
「おそらく人目を気にしてのことでしょう。さぁどうぞ気にせずお入りください。蜂助、お前は表の監視を任せたぞ」
与六郎に促され屋敷に入る三厳たち。そのまま奥へと向かうと、宗矩他数名が地図らしきものを囲んで何やら真剣に話し合っていた。
「宗矩様。三厳様が参られました」
与六郎が声を掛けると宗矩たちは顔を上げ、そして安堵したかのような表情で一行を出迎えた。
「おぉ来たか、七郎。急に呼び出してすまなかったな。……そちらの方が陰陽寮からの使いかな?」
「いかにも陰陽寮は陰陽頭、従五位下・幸徳井友景様の名代・多比羅雅行にございます。此度は若輩ながら、友景様に代わり参上いたしました」
宗矩は深々と頭を下げた雅行を見て満足そうに頷いた。
「やはり貴殿が雅行殿か。七郎から何度か話は聞いている。期待しているぞ」
「はっ。主の名に恥じぬよう精進いたします」
「……それで父上。此度我々は何のために呼ばれたのでしょうか?」
「む?与六郎から聞かなかったのか?……まぁいい、もちろん教えてやる。だがその前に……与六郎。周囲に聞き耳を立てている者はおるか?」
宗矩が与六郎に振ると、与六郎はしばし集中し気配を探ったのち首を横に振った。
「大丈夫にございます。周囲に我々以外の気配はありませぬ」
どうやら宗矩は今回の件が外部に漏れることを相当に嫌がっているようだ。そしてその心配がないとわかるや宗矩は場違いなほどに居住まいを正す。そんなことをしても誰も見ていないのにと思いつつ、その厳粛さにつられて三厳たちの背すじも伸びた。
「そうか。では話そう。今回私が上様から下された命について……」
そして宗矩は呼吸を整えると、今回三厳たちを呼びつけた理由を語った。
「此度の我らのお役目は、駿河の大納言様に謀反の兆しがあるかどうかの調査である。これは老中様方を通していない上様直々の命だ。全員心して挑むように」
「某は駿河の大納言様の調査を命じられた。上様直々の命である。心してかかるように」
今回の集まってもらったわけを話した宗矩。それを聞いた三厳たちは想像以上の大役に思わず口をあんぐりとさせた。
「なんと……。大納言様の身辺調査ですと?しかも老中様方の許可もなしに……。よろしいのですか、そのようなこと……?」
三厳が戸惑うのも無理はない。大納言様こと徳川忠長は、徳川家光の実弟にして五十五万石の大大名である。それと比べれば柳生家など部屋の隅のチリ同然。それを老中たちの後ろ盾もないまま調査など、ほぼほぼ自殺行為と言っても過言ではないだろう。
宗矩も事の重大さを理解しているのか深刻な表情をしていたが、かといってこのお役目から手を引くつもりはないらしい。
「不敬なのはわかっておる。だが上様が自らの意思で決め、自らの意志で某に任せたのだ。ならばそれに応えるのが忠義であろう?」
この宗矩の振る舞いは現代的な目で見れば少々過剰な忠義に見えるかもしれない。だがそもそも柳生家は徳川親子三代の寵愛を受けてここまでのし上がってきた家である。特にこの時代の各お役目は、社会的な官僚システムというよりは個々人の信頼関係によって成り立っている部分が大きい。そんな中で大恩のある徳川家の家光から直々に頼まれたのだ。ここで忠義を示さずしてどこで示そうか。
この点においては三厳も同意見だったようで、彼は一度諦めるかのように大きく息を吐くと、覚悟を決めた表情で顔を上げた。
「……わかりましたよ。上様のためとあらばこのお役目、見事完遂して見せましょうぞ」
「うむ。感謝するぞ、七郎よ」
「いえ。……ところで今になって大納言様の調査とは、やはり昨今聞かれる噂話のせいですか?」
三厳も何度か忠長の不穏な噂は聞いていた。これに宗矩は眉根を寄せて頷く。
「うむ、その通りだ。やれ大納言様は上様と不仲だの、やれ謀反のために武術の達人たちを集めているだの……。そんなどこの馬の骨が言ったかもわからん噂話がはびこっている現状を上様は憂いておられるのだ」
「……よろしいのですか、父上?こう言っては何ですが、大納言様は上様の政敵。ならばここで退いてもらったほうが……」
「馬鹿者!勝手な早合点をするな!」
気の早い三厳を宗矩はたしなめた。どうやら三厳は今回の件を『忠長が謀反を起こそうとしている証拠を見つけ追い詰める』ことだと拡大解釈したようだ。しかしそれは間違いで、正確には単に『謀反の有無を含めて、忠長に関する真実を調査する』ことが目的である。
この二つは似ているようでまったく違う。前者は灰色のものを黒にする行為だが、後者は何色かわからないものを白か黒かはっきりさせる行為である。先入観や流言飛語に悩まされていた家光が求めたのは後者の方であった。
(まったく、早合点しおって。しかし、やはりこういうすれ違いも起きてしまうか……)
三厳の早とちりの原因は宗矩と三厳、二人の立場の違いによるところが大きいだろう。
宗矩は家光・忠長両名が生まれた時から知っているため、出来る限り両者が幸福となるように動こうとする。対する三厳は小姓についていた家光のことしか知らないため、無意識のうちに家光が利するように考えてしまったのだ。
これはどちらが正しいというよりは経験から来る価値観の違いである。そのため宗矩も一度の叱責にとどめた。
「……お前の言い分もわかる。だが上様から依頼を受けたのは私だ。ゆえに調査の方針は私が決めさせてもらう」
「むぅ……、承知いたしましたよ。ですが不都合な証拠などが出てきても忖度などはしませんよ?」
「無論そこはこちらも受け入れよう。上様が求められたのは混じりっけなしの真実なのだからな」
宗矩もまた覚悟を決めた顔で頷いた。
目的を共有した宗矩と三厳たちは、続けて具体的な調査方法について話し合っていく。彼らは先程まで広げられていた駿府一帯が描かれた地図の周りに集まった。
ちなみにその地図の周りには宗矩の側近である木村友重や出淵平兵衛などがいた。見知った顔の間に挟まり三厳は尋ねた。
「それで私たちは何をすればいいのですか?」
「七郎たちには市井での調査。および目に見えない呪術にて大納言様を陥れんとする者がいないか調べてもらいたい。もちろん方法は任せよう」
陰陽寮に救援を要請していた時点である程度予想は出来ていたが、やはり宗矩は呪術的な面からのサポート要員として三厳たちを呼んだようだ。
「もし怪しい奴らを見つけたら、どうすればよろしいでしょうか?」
「すぐには攻撃せずに一度報告に戻ってこい。どこの勢力がそのようなことをしているのかを、はっきりとさせないといけないからな。……ただし一つ肝に銘じておいてほしいことがある。此度の件、我らに政治的な後ろ盾はない。下手を打てばその責はすべて自分に返ってくると心得よ」
「む?上様からの下命ではなかったのですか?」
「その通りだが、今回の件は老中様方らの承認を得ていない非公式のものだ。そのため何か問題が起こればその責は上様へと届くこととなる。しかし当然そのようなことになってはならない。ここまでは理解できるな?」
頷く三厳。失敗して主君の足を引っ張るなど武士の風上にも置けない失態である。
「おっしゃる通りで。……つまり『失敗するな』ということですか?」
「理想はな。だが失敗する確率というものは常に一定は存在する。万が一失敗した場合――その時は御家で罪をかぶることとなる。意味は分かるな?」
宗矩の指示は、最悪の場合は自らの身をもって責任を取れというものだった。そうすれば主君である家光は守られる。まさに捨て身の忠心。だが三厳もその程度の覚悟ならもうとっくに完了していた。
「承知いたしました。ならば某は『柳生三厳』ではなく単なる『十兵衛』としてここでは動きましょうか。それならば何か起こったとしても処分されるのは『十兵衛』という一牢人のみ。御家にまで迷惑がかかることはなくなるでしょうし」
「それがいいだろう。酷なお役目だがこれも上様の、延いては御家のため。頼んだぞ、十兵衛」
「はっ」
深く頭を下げた三厳もとい十兵衛は、この日一番の引き締まった顔をしていた。
さて、こうしておおよその段取りを確認したところで十兵衛がふと気付いた。
「そういえば父上は何をなされるのですか?もちろん父上も調査なさるんですよね?」
ここまで三厳たちの調査方法について話し合っていたが、そういえば宗矩のそれをまだ聞いていない。宗矩の調査方法によっては協力したり、あるいは調査個所が重複しないように上手く立ち回る必要もあるだろう。だが宗矩は気にすることではないと返す。
「私か?私は城に入って不穏な動きがないか色々と訊いて回るつもりだ。お前たちとかち合うことはないから気にするな」
「いや、城に入るって、どうやって入るおつもりなのですか?」
当たり前の話だが、城は理由もなく入れるような場所ではない。十兵衛がそのことについて尋ねると、宗矩は思い出したかのように「あぁ」と返事をした。
「あぁそのことか。そういえば言ってなかったな。実を言うと大納言様の調査については後ろ盾はないが、駿府に滞在する理由は貰っておる。今回私は警備計画の確認のためにここまで来たことになっているのだ」
「警備計画?」
「そう。沢庵和尚を江戸まで連行する際の警備計画だ」
「なっ!?」
驚く十兵衛。沢庵和尚とは宗矩や十兵衛と交友のある禅僧で、現在は紫衣事件の重要参考人として京都で取り調べを受けている人物であった。そんな重要人物を江戸に護送するということは……。
「もしや江戸で裁判を行うのですか?」
「どうやらそのつもりのようだ。まぁこれだけ大事になったのだ。面子を保つためにも江戸で裁可を下したいのだろう。護送は年が明けてからの二月に決まった。おそらく判決も来年中に下るだろうな」
「……随分と急に話が動きましたね」
「まったくだ。おそらくは夏に護衛した武家伝奏の者がよく働いたのだろう」
紫衣事件とは寺社の人事を巡って幕府と朝廷が対立した事件のことで、規模が規模だったためなかなか裁判が進んでいなかった。それが急に動き出したと聞いて、宗矩たちは夏に護衛した武家伝奏の使いのことを思い出す。
宗矩と十兵衛は七月ごろに武家伝奏の使いを江戸まで護衛した。武家伝奏とは朝廷と幕府とをつなぐ調整役のような役人のことで、この時の使いは急死した高仁親王についての交渉のために江戸に向かっていた。
そしてその際交渉材料として持ってきたのが、紫衣事件に対する解決案だったのではないかと宗矩は睨んでいた。内容は『紫衣事件の判決に口答えしない代わりに、高仁親王急死の件については寛大な対応をしてほしい』といったところだろうか。これはあくまで推察に過ぎなかったのだが、この情勢を見るにあながち間違いではなかったのかもしれない。
「和尚がとうとう江戸に……。俺が武家伝奏の使いを護送したばかりに……」
「悔やむな、七郎。あの時の我らではどうしようもなかったことだ。それよりもここで上様の御役に立てれば、減刑のお伺いもできるやもしれないぞ」
名目上とはいえ幕府の現在のトップは家光に違いない。ならばここで恩を売っておけば沢庵の減刑や放免につながるかもしれない。希望が見えてきたところで十兵衛の顔が少しだけ明るくなった。
「そうですよね。今は余計なことなど考えず、出来ることからやっていかねば!」
「そうだ。その意気だぞ、七郎」
だが宗矩は口では励ましつつ、頭では別のことについて考えていた。
(紫衣事件が済めば、次はいよいよ大納言様の番やもしれない。上様が結論を急がれたのもこのせいかもしれんな)
紫衣事件を始めとした朝廷とのいざこざは、幕府の政策スケジュールに多大な影響を及ぼした。特に大きな遅延を被ったのは尾張および駿府に対する政策だろう。家光への権力一元化を謀っていた幕府からすれば尾張の義直と駿府の忠長は目の上のたんこぶに他ならない。ゆえにいろいろと難癖をつけて弱体化させようとしていたのだが、朝廷がどう動くか読めなくなったせいでこれらの計画は一時中断となっていた。
逆に言えば諸々の問題に解決の目途が立てば、これらの計画は再始動しかねないということだ。家光が宗矩を極秘裏に派遣するという大決断を行ったのもこの流れがあったためかもしれない。とはいえこれも未だ宗矩の推察の域を出ない。
(いやまったく、これこそ余計な考えだな)
宗矩は軽く首を振ったのち、十兵衛と自分に対して改めて気合を入れた。
「ともかく上様の御心内は一つ。歪みのない真実が知りたい、ただそれだけだ。お前たちも余計なことなど考えず、真実だけを追い求めるようにな」
これに十兵衛たちは「はっ!」と鋭い返事で返した。
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