柳十兵衛 怪しい術の出所を探る 1

 駿府に到着した十兵衛たちは宗矩から任務の内容を聞かされる。それは駿府城城主・徳川忠長の身辺調査。しかも老中たちからの承認を得ていない、家光から直接下された命とのことだった。

 戸惑う十兵衛たちであったが宗矩からの強い説得を受け、彼らは真実を求めて動き出すのであった。


 十兵衛たちが駿府に到着してから一夜明けた翌日。この日から本格的な調査が始まる。

 まず動いたのは与六郎であった。彼は明け六つの鐘が鳴る少し前に館を出る。

「某は知り合いの伊賀者に話を聞いてまいります。蜂助は連絡役兼護衛に置いていきますゆえ、お好きなようにお使いください」

 その後明け六つの鐘が鳴り外がにわかに騒がしくなるが、十兵衛たちはまだ屋敷の中にいた。この時間は仕事に向かう武士や町人たちが慌ただしく動き回っているため調査には向かないという判断からだ。

 十兵衛たちはそれから一刻後、五つの鐘が鳴ったのを合図に動き出した。

「そろそろ俺たちも出るか。では父上、行ってまいります」

「うむ。そちらは任せたぞ。私はもう少ししてから城に向かう」

「はっ。父上の方もお気をつけて。……さぁ行こうか。雅行。常隆」

 前日の打ち合わせ通り、十兵衛は雅行と常隆を連れて町に出る。彼らは呪術的な観点から忠長を害する者がいないか調査することとなっていた。

「こればかりは並の者にはできぬことだからな。頼むぞ、雅行」

「ああ。……とはいえ期待薄だろうがな。こんなにも人目がある中で悪意ある術式が見逃される何てまずありえないだろう」

「概ね同意見だが万が一ということもある。手は抜くなよ」

「わかってる。友景様の名代として来てるんだ。下手な真似なんかしないさ。……それじゃあ城の東側から行くぞ」

 そう言うと十兵衛、雅行、常隆の三人は駿府の町を東に向けて歩き始めるのであった。


 駿河国・駿府。この町は晩年の家康が住処としただけあって、その町割りは江戸のそれとよく似ていた。まず主君が住まう城があり、その周囲には上級武士が住まう武家屋敷が城を護るように建ち並ぶ。通りには敵が簡単に攻められぬように水堀があたったり道幅が狭く作られており、城から離れるにつれて家格も中級、下級と下がっていく。

 十兵衛たちはそんな武家屋敷通りを目立たぬようにして歩いていた。

「……やはり悪い気配は感じぬな。そっちはどうだ?」

「こっちも同じだ。では次は向こうの通りに行ってみるか」

 呪術方面から忠長を狙う者がいないか探っていた十兵衛たちであったが、その手法はひどく力技――とにかく歩き回って悪意ある術の気配がないか探すというものだった。言うまでもなく非効率的な調査方法であったが、そうせざるを得ない理由もある。それは駿府という町の特性のためであった。

 先程述べた通り、ここ駿府の町は晩年の家康が暮らした土地である。そのため町は呪術的にもかなり気を揉んで作られていた。具体的には町の四方に四神――北には玄武を模した竜爪山。東には青龍に通じる巴川。南の静岡平野は豊穣と開放をつかさどる朱雀につながり、西の宇津山や安倍川は白虎がごとく西からの敵を阻止する意味を持つ。――を配置し、さらに鬼門である北東の沓谷くつのやには蓮永寺れんえいじを建立。そこに家康の側室・お万の方を置いて城を護らせるという徹底ぶりであった。

 上記のことよりこの町は、それ自体が一つの巨大な呪術的な力場となっていた。そのような場所では巡る気の総量が大きすぎて繊細な探知系の術は使えない。ならばどうするかというと、今十兵衛たちが行っているように近くまで歩いて行って直接気を探るしかないというわけだ。

 だがはっきりと言ってしまえばこれで見つけられる可能性はかなり低い。理由は雅行が言った通り、天下をひっくり返さんとするほどの術式を誰にもバレないように行使するなどほとんど不可能だったからだ。これについての詳しい話は歩きながら常隆が訊いてきた。

「しかし本当に歩いているだけでわかるんですか?俺なんか良いも悪いも関係なしに何も感じないんですけど」

「本当はもっとちゃんとした式盤しきばんでも使って調べた方がいいんだろうけどな。それでも術師なら近くを通るだけで術の傾向くらいはわかる。まぁだからこそ誰かが気付いていなければおかしいという話なのだがな」

 この時代はまだ祈祷や呪詛が一般的に行われていた時代であった。この風潮に庶民や大名の区別はなく、一般人はもちろん天皇や将軍でさえも病気にかかれば快復を祈り、その陰では憎い相手に天罰が下るよう祈祷を行っていた。

 そういった背景もあり、この時代の市井には多くの術師が存在していた。もちろん何の力も持たないモグリの術師も多くいるだろう。だが実際に力を持つ者もそこら中におり、加えて忠長の周りには彼を護衛するための本物の術師が多数いるはずだ。そういった術師の目をかいくぐって悪意ある術式を使うことができるのだろうか?もし誰かが忠長を狙っているのなら彼らが発見していなければおかしいのではないか、というのが十兵衛たちの見立てであった。

「城の中には俺たち以上の術師もいるはず。そんな術師が主君を狙う呪詛に気付かないなんてことはないと思うんだがな……」

「父上もそのあたりのことはわかってはいるはずだ。ただ上様に報告する以上をなくしたいのだろう。こういったときの父上は本当にがないからな。とにかく俺たちは言われたことをやるだけだ」

「わかってはいるが、こうも手応えがないのはな……」

 不満を抱えつつも十兵衛と雅行は今日だけで東の武家屋敷通り一帯と、六の寺社を見て回った。しかし行われていたのは主の健康や成長を願うポジティブな祈祷ばかりで、目的の悪意ある呪詛を発見することはできなかった。

 くたびれもうけのところでまもなく日の入りを知らせる七つの鐘が鳴る。十兵衛たちは今日はこれまでと切り上げて屋敷へと戻った。


 初日の調査を終えた十兵衛たちは宗矩が借りた屋敷に戻った。宗矩たちもすでに帰ってきており、十兵衛たちが戻った時彼らは蜂助が作った夕食の雑炊をすすっていた。

「うむ。戻ったか、七郎」

「はい、ただいま。父上の方もお早いお帰りでしたね」

「まぁ今日は顔見世程度だったからな。明日以降は少しは忙しくなるやもしれん。……それで調査の方はどうだった?」

 宗矩の問いかけに十兵衛は首を振る。

「残念ながら手掛かりになりそうなものは何も。幾つかの寺社も巡ってみましたが、行っているのはどれも健康祈願や邪気祓いのまじないばかりでした」

「そうか……。まぁわかりやすい呪詛などは使ってないだろうからな。とはいえ万が一があってはいけない。明日もしっかりと頼むぞ」

「はっ。そちらの方はいかがでしたか?」

 尋ねてはみたものの、宗矩も首を振って返した。

「こちらは何も。与六郎の方もめぼしい情報はないとのことだ」

「はい。もちろん明日も聞き込みに回りますが……、正直あまり期待はなさらないでください」

 どうやら与六郎も調査の手応えのなさに困惑しているようだった。

「……父上。もしこのまま何の手掛かりも得られなかったらどうなるのです?」

「その時はもちろんその通りに上様に報告する。あとは上様の御心次第だが、最終的には老中様方の政治的判断に従うこととなるのだろうな……」

 今回のお役目は忠長の悪い噂を老中たちが政治的に利用するのではないかと危惧した家光による依頼であった。つまるところ家光が求めているのは、政治の主導権を握る老中たちに対抗できるカードであるとも言える。

 しかし何の成果も持ち帰ることができなければ、家光は変わらず政治からは蚊帳の外にされ、忠長の命運も老中たちの思うがままになることとなるだろう。

 十兵衛個人としては忠長の行く末などに興味はなかったが、主君である家光が腐心しているのならばどうにかして目的を達成したい気持ちはあった。

「……明日は今日以上に調査に励みます」

「うむ。私も明日はもう少し踏み込んで調べてみることにしよう。そのためにはまずは飯だ。食べるものを食べたら早めに寝るようにな」

 十兵衛は短く「はっ」と言って渡された雑炊に手を付け、この日を終えた。


 一夜明けた調査二日目。この日も十兵衛たちは足での調査に精を出す。

 しかしそれに結果はついてこず、北部の武家地・寺社地を調べ終わった時点で手掛かりと呼べるようなものは欠片程度も見つけることができなかった。ある程度覚悟していたこととはいえ、こうも無駄足に終わると気も滅入る。歩き疲れた三人はここらで気分転換にと近くの辻茶屋にて茶と団子を買い、水堀沿いの土手に腰掛けた。

「はぁ。半日歩いてか。こうなるとは薄々思っていたが、やはり気分のいいものではないな」

 そう言いながら団子をバクバクと口に放り込む雅行。術師である雅行たちは悪い術式を見逃さないように常に気を張りながら歩いていたため、見た目よりもはるかに疲労が溜まっていた。

「すまんな、雅行。だがこれも必要なことなのだ。もう少しばかり協力してくれ」

「まぁそこは手を抜かずちゃんとするさ。友景様にもよく尽くすように言われているからな。とはいえもう少し位張り合いがあればな……。常隆殿は大丈夫か?ただついてくるだけでは、それはそれで暇だろう?」

 雅行は十兵衛の護衛である常隆にも気を配る。だが当の常隆は控えめに首を振って返した。

「いえ。むしろお二人の力になれず歯痒く思っております」

「真面目だねぇ。……ふぁぁ。腹に物を入れたら少し眠くなってきたな」

「今日は暖かいからな。少しくらいなら寝てもいいが、本気で寝るなよ?」

「ほう、そうかい。それじゃあお言葉に甘えて少しばかり……」

 大あくびをした雅行はそのまま肘をついて横になるが、目は閉じずにのんびりと往来を眺めていた。そして唐突に十兵衛に尋ねる。

「なぁ三厳。実際のところ駿府の城主様は本当に処分されるのか?将軍家の血筋なんだろう?」

「なっ!お前っ、こんな往来で!」

 十兵衛は慌てて周囲を見渡すが、幸い近くに彼ら以外の人影はなかった。

「そう慌てんな。俺だって時と場合くらい見てるさ。……それでどうなんだ?駿府は実際こんなに平和じゃないか。それでも江戸の奴らは本当に処分するつもりなのか?」

「それは……」

 十兵衛はしばし言葉に詰まったが、やがてぽつりぽつりと話し出す。

「父上の話では、江戸の御公儀は権力を上様に集中させたいらしい。そうなると確かに駿府の大納言様や尾張、紀伊は邪魔な存在と言えるだろう……。血筋に関しても上総介かずさのすけの少将のこともある」

 十兵衛が引き合いに出した『上総介の少将』とは、十二年前に改易された松平忠輝のことである。彼は徳川家康の六男であるにもかかわらず、秀忠の時代に改易の憂き目を見た。ただし彼の場合は、大坂の役の時に犯した幾つかの軍法違反が改易の原因だと言われている。対する忠長は今のところ不穏な噂が流れている程度に過ぎない。

「さすがに噂だけでは強権は振れんだろ。実際に江戸との揉め事はなかったのか?」

「揉め事か……。そういえば数年前の話だが、上様が上洛する際に一悶着あったと聞いたことはあるな。なんでも西の大井川に橋をかけてしまったことで怒られたらしい」

「橋を架けて?どういうことだ?」

 十兵衛は自分が聞いた話を雅行にも聞かせてやった。

 時は二年前の寛永三年。徳川秀忠と家光がそろって上洛した年である。この時忠長は兄・家光が駿河国内を流れる大井川を渡ると聞いて、渡りやすいように舟をつなげて橋を作った。しかしそもそも大井川に橋が架かっていなかったのは、賊が東に侵入してこないようにという防衛上の理由があったためであった。そのためこの行為は戦を知らない不適切な行為としてこっぴどく非難されたという話だ。

「へぇ。そんなことがあったのか。確かに見方によっては刺客のために道を作ったようなものだからな。でも不憫といえば不憫だな。せっかく兄のためを思ってしたことだってのに」

 忠長からすれば善意から行った行為が裏目に出てしまった形である。雅行は憐れんで眉根を寄せたが、十兵衛はそれも仕方のないことだと返す。

「仕方あるまい。『城主』とは言わばその地を守る責任者。そのまま解任や転封になっててもおかしくなかった失態だ。上様が襲われなかったのも結果論に過ぎないのだからな」

「ふぅん。大変なんだなぁ、城主ってのも」

 十兵衛は他人事のような雅行の反応に苦笑した。

「ふっ、なんだその適当な感想は。……ほら、もう十分休んだだろ。次の区域に行くぞ」

「へいへい」

 休憩を終えた十兵衛たちは調査に戻る。残っているのは城から見て西の区域。しかしここでも何も出ず、十兵衛たちは気落ちしたまま屋敷へと帰るのであった。


 夕暮れ時になり調査に出ていた者たちが続々と屋敷に戻ってくる、しかしその顔は皆一様に明るくない。十兵衛も、宗矩も、与六郎も、誰も新しい情報を得ることができなかったためである。

「二日調べて得られたのはすでに知ってる噂のみ、か……。江戸への土産にしては少々心もとないな……」

 宗矩のぼやきに十兵衛が代表して頭を下げた。

「力及ばず申し訳ありません。……そういえば父上はいつまでここにいられるのですか?」

「実を言えばもう打ち合わせはほとんど終わっている。一応無理を言って明日鞠子宿の視察に行けるようにしたが、それでも一日二日期間が延びる程度だろう」

 宗矩は表向きは沢庵和尚護送計画の打ち合わせのために駿府に来たことになっている。そのため見る場所を見終えたら江戸に帰らなければならない。

「滞在できるのはせいぜい明後日まで。つまりあと二日以内に何かしらの証拠を見つけ出さねばならぬということだ」

「そう、ですか……」

 宗矩がそうまとめると全員が思わず口をつぐんだ。皆内心では、おそらくこのまま何の成果も得られずに終わるのだと覚悟していたからだ。

 その後一行は暗い雰囲気のまま夕食を平らげ、就寝までのわずかな時間を過ごす。その中で宗矩は明日が早いからと一足先に床に就こうとしたが、その直前にあることを思い出して十兵衛の方を向いた。

「おっと、そうだった。七郎や。先程報告し忘れたが、以前お前に送った『よく切れる刀』があっただろう?今日軽く調査したが、あれ以降刀が追加された形跡はない。無論見落としがあるかもだが、その線で大納言様を貶めようとする者はいないと見ていいだろう」

「よく切れる刀?……ああ、父上が送ってきたやつですか。なるほど、それはいい知らせですね」

 二人で頷きあう宗矩と十兵衛。それを見て雅行が何事かと割って入る。

「何だ、『よく切れる刀』とは?刀は切れた方がいいんじゃないのか?」

「あぁそうか。お前は知らないんだったな。実は何度か『切れすぎる刀』が流通したことがあってだな……」

 話に上がった『切れすぎる刀』とは、十兵衛が何度か遭遇したの事のある妖刀の一種であった。妖刀と言っても呪術が込められているといったそういった類のものではなく、単純に尋常じゃないほどによく研がれた刀のことである。それだけなら問題ないようにも聞こえるが、過ぎた力は人を魅了するもので、この切れ味を知ってしまった者はついつい刀を振ってみたくなってしまうという危険極まりない代物だった。

 初めこれは小田原にて発見され(第二話)、その後宗矩が駿府城内で同じようなものを発見し回収、その後十兵衛に送っていた(第十一話)。ちなみに現在十兵衛が腰に据えているうちの一本のはそうして送られてきた中の一振りであった。

「ほぉ、そんな刀があったのか。確かにそんな刀が大納言様やその側近の手に渡っていたら危なかっただろうな」

「ああ。城内で刃傷沙汰なんて起きたらそれこそ改易・転封の理由になっただろうからな。だが追加で配備されていなかったということは、それが城にあったのはやはり偶然だったということか?」

「さあな。まだ回収されたことに気付いてないか、あるいは別の罠を張ったから用済みになったのか……。そう、例えば……」

 そう言って何気なしに天井を見上げる雅行。彼としては寝る前の軽い雑談として楽しんでいたのだろう。しかししばらくして彼は急に目を見開き、雷に打たれたかのように立ち上がった。

「……そ、そうか、それだ!それだったんだ!俺たちが探すべきだったのは逆だったんだ!」

「ど、どうした、急に!?」

 雅行の急変に驚く十兵衛であったが、彼は構わず興奮したまま十兵衛の肩をつかんで前後に振った。

「逆の発想だったんだ!俺たちが探すのはそれだったんだ!」

 雅行は興奮した様子で十兵衛につかみかかっていた。おそらく会話の中で何かに気付いたのだろうが、このままでは話ができないと十兵衛はまず落ち着かせようとする。

「い、いいから落ち着け!そう叫ばれてもわからんから、一からちゃんと説明しろ!」

 十兵衛が怒鳴ったことで少し落ち着いたのか、「あぁすまない」と手を離し腰を下ろす雅行。しかしその目は未だ興奮で見開かれていた。

「それで何に気付いたんだ?逆だとか何とか言ってたが……」

「そう、逆だったんだ!いいか、十兵衛!俺たちはこの二日間、悪意の気配を探して歩き回った。それは誰かが悪意のこもった呪術によって大納言様を貶めようとしているのではないかと考えたからだ。だが敵の目的は大納言様に不祥事を起こさせることだ。ならば必ずしも悪意を送る必要などないんだ!」

 鼻息荒い雅行に若干引きつつ、十兵衛は尋ねた。

「悪意じゃない?それじゃあどうやって大納言様を貶めるんだ?」

「善意だよ。昼間話したじゃないか!例え善意からの行動であっても、過ぎた行為は悪行として評価されるということを」

 ハッとする十兵衛。彼らは昼間にした話――忠長が善意で橋を作ったら叱責された話を思い出していた。

「……そうか!思えばよく切れる刀も普通ならば良い点を利用した罠だった。もし同じ敵が大納言様を狙っているとしたら、同じような罠を仕掛けてきてもおかしくはない!」

「そう、善意の呪詛なんて誰も咎めなどしないからな!言わば『善意の罠』だ!」

 そこまで話したところで話を聞いていた宗矩や与六郎たちが膝を寄せてきた。どうやら彼らもこの推察は考える価値があると感じたようだ。

「……その話、詳しく聞かせてもらってもよいかな?」

「もちろんですとも。さぁこちらに」

 こうして一同は輪になってこの善意という罠について話し合い始めた。


 新たに現れた善意という罠の可能性。まず宗矩はそれが現実的にあり得るのかを尋ねた。

「それで雅行殿。善意の呪詛ならかけられるかもしれないとのことだが、具体的にはどんな術が考えられる?」

 少しばかり落ち着きを取り戻した雅行は、しばし考えたのち丁寧に返答した。

「おそらくですが、家族や主君に忠義を尽くすような術をかけられていると思います。聞いたところによると大納言様は以前、善意から大井川に橋を架けて叱責を受けたんですよね?だったらその時と同じような感情を高めれば、同じような暴走につながると期待しているのではないでしょうか?」

 なるほど一理あると頷く宗矩。

「ありうる話だ。しかしそんな術が存在するとはな……」

「そりゃあありますとも。惚れた腫れたの術なんてそれこそ千年前から存在してます。それに肉親への情は家内安全や子孫繫栄につながりますからね。仮に気付かれてもそれが罠だとはだれも気付きませんよ」

「まるで毒だな……」

「そうですね。気付かぬうちに蝕まれているという点は毒と変わりないでしょう。しかも見た目は薬に見える厄介な毒です」

 主君への忠義や肉親への情。それは言葉だけ見れば尊ぶべき立派なものである。しかし薬も過ぎれば毒となる。ましてやそれが原因で天下がひっくり返りかねないと思うと、思わず背すじも寒くなった。

 そこに横から十兵衛が意見する。

「父上。そもそも手掛かりなど存在するかもわからぬお役目。加えてもう時間もない。ここはもうこの線に賭けてみてはいかがでしょうか?」

 宗矩も同じことを思っていたのだろう。彼はすぐに頷いて指示を出した。

「……そうだな。正攻法はもう調べ尽くされているだろうし、その線を追ってみるか」

 ここで一行の方針は決定した。彼らはこれまでの調査を捨て、『善意の罠』を全力で追うことにする。そして話は細部を詰める作業へと移る。

「して雅行殿。その仮説を正しいものとしたとき、それを見つけるすべは何かありますかな?」

 宗矩の質問に雅行は再度熟考してから返答した。

「いかに善意の術と言えど、過剰に城に向けて放てば誰かが気付いてもおかしくはありません。そうなると考えられる手は一つ。力の弱い術を長い時間をかけてかけ続けているのでしょう。それこそ雨垂れが岩を穿つのを待つほどの慎重さで」

「弱い術。つまり見つけることは困難だと?」

「いえ、そういうわけではありません。いや、確かに弱い術は見つけづらいものですが、そこが付け入る隙なんです」

「?」

 要領を得ない顔をした宗矩に対し雅行は丁寧に説明する。

「弱い術は弱いというだけあって、他の強力な術にかき消されることが多々あるんです。特に駿府では常にどこかで祈祷が行われてますからね。普通にやったのでは術が大納言様に届くことすらないでしょう。そのため敵はおそらく『道』を用意しているはずです」

「道とは?」

「読んで字のごとく術が通る道です。専用の道を通せば弱い術であっても城の中枢にまで届かせることができる。そしてそれは城の周囲をぐるりと回れば見つけることができるでしょう。道は普通の祈祷とは違う気配を持っておりますからね。さらにそれをたどっていけば術をかけている者もわかるかもしれません」

「なるほど面白い!早速明日からその調査をしてくれるか!?」

 ようやく見えてきた可能性に興奮気味になる宗矩。しかしここで雅行は首を横に振る。

「いえ。今すぐにでも探しに行った方がいいでしょう。おそらく敵は夜中にも術を使っているはずです」

「夜中にも?何故そう思う?」

「弱い術だからです。いかに城の奥深くにまで届かせられるとは言え、元の術が弱ければそれだけ結果が出るまで時間がかかります。最悪他の術で祓われてしまう可能性だってある。そのため敵は夜間にも術を送っていると考えていいでしょう。この時間なら邪魔な他の祈祷はありませんし、人目に付く可能性も低いですしね」

 雅行の指摘に宗矩は納得した顔で頷いた。

「逆に言えばここが調査のし時というわけか。だが夜中に動き回るのは危険だぞ。盗人や辻斬りに間違われてしょっ引かれるかもしれん」

「それなら逃げるなり隠れるなりができる者じゃなきゃいけませんね。だとすると適任なのは……」

 話し合いの結果、夜更けの調査には十兵衛と与六郎の二人が出ることとなった。この二人ならば夜間の見回りとかち合っても逃げ切ることができるだろう。

「それでは頼んだぞ、七郎。与六郎」

「はい。必ずや悪事の証拠をつかんできましょうぞ」

 そして数刻後の丑三つ時。屋敷からするりと抜け出した二つの影は、音もなく夜の駿府に消えていくのであった。

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