柳十兵衛 邂逅する 5

 三河山中にて十兵衛と少年を囲む牢人たち。その中の頭領らしき男が適当な二人に指示を出した。

「おい、お前ら。ガキの相手をしてやれ」

 ガキとは十兵衛たちを尾行していた一行の山伏風の子供のことだ。牢人たちは何故か十兵衛たちの味方だと思ったらしく、少年も少年で何故か助太刀すると言って十兵衛側に立っている。

「小僧一人に二人でですかい?」

「逃げて人を呼ばれると厄介だからな。きちんと押さえとけよ」

「ちぇっ、しょうがねぇ。ちょっと遊んでやりますか」

 こうして十兵衛たちを囲んでいた牢人六人のうち二人が少年の方に向かった。だが十兵衛はさほど心配はしていなかった。

(先程の少年の立ち振る舞い。あれならすぐにやられるなんてことはないだろうな)

 一時とはいえ少年と対峙した十兵衛は、彼が生半ではない腕前であることを知っていた。牢人の方の実力は知る由もないが、まぁこんなところでくすぶっているような奴らだ。そうやすやすと後れを取ることはないだろう。もちろん少年が実戦に焦って向こう見ずに飛び込めば話は変わるが、さすがにそこまでは面倒見切れない。なにせ十兵衛の方も四対一と決して油断できる状況ではなかったからだ。

(さすがにこの数は厄介だな)

 相手は四人であったが十兵衛は十分勝つ自信があった。ただし簡単に全員打ち倒せるかと聞かれればそれは無理だと答えざるを得ない。今はもう全員が抜刀し向き合っている状況だ。こうなればいかに十兵衛であっても地道に間合いを管理し、隙を見て一人ずつ切り倒していくほかない。

 加えて言えば牢人はこの四人以外にもまだいるし、それに半分背中を預けた形となった少年も信頼に足るかはまだ定かではない。見た目以上に神経を使いそうな状況に軽く舌打ちをする。

(ちっ!まったく、本当に面倒だな!)

 だが嘆いても仕方がない。十兵衛はとにかく死角にだけは気をつけながらまずは正面の牢人たちを見据えた。


 さて、こうして十兵衛と牢人たちとの戦闘が始まったわけだが、その攻防は牢人たちの熱量の割にひどく地味な立ち回りが続く展開となった。

 まず牢人たちは数の有利を生かすために複数人を十兵衛の背後に回そうとする。さすがの十兵衛も死角に潜り込まれるのは厄介なので、これを巧みな足さばきでかわし常に面を取るように立ちまわる。このとき十兵衛は相手に隙があれば一太刀入れてやるつもりでいたが牢人たちは存外慎重で無理に踏み込んできたりはしなかった。どうやら彼らは完全に囲み切るまでは程よく距離を取り続けるつもりらしい。

(くっ、意外と考えて動いてくる!)

 牢人らは再度背後に回ろうとし、十兵衛もまた再度それをかわす。傍から見れば舞踏のような攻防が続く。四対一でこう動かれてはさすがの十兵衛も攻めの手が打てない。だが十兵衛はまだ焦ってはいなかった。

(我慢比べだな)

 長期戦を覚悟する十兵衛。

 しかし丁度その時、のんびりとしている十兵衛らを叩き起こすかのような野太い悲鳴が背後から聞こえた。

「があぁぁぁぁぁぁぁ!!??」

「!?」

 驚き振り向けば、そこでは丁度少年の一閃が牢人の前腕を切り裂いたところであった。


 少年には牢人二人がついていた。といってもこの二人は別に少年を殺すつもりはなく、頭領の指示通りあくまで人を呼ばれないように囲っているだけだった。さすがの牢人たちも元服前後の子供を切り捨てて満足するほどの狂人ではなかった。

「やれやれ。ここに来てまさかガキのお守りとはな」

「いいじゃねぇか。俺らの腕じゃあ兄貴たちの邪魔になるだけだからよ。無駄に切られなかっただけ良しとしようぜ。ほれ、小僧もそんな危ないもん振り回してないで楽にしろ。俺らの目的は向こうの柳生三厳だけなんだからな」

 だが少年は牢人たちを睨みながら、ただ「……構えろ」とだけ返した。

「はっ。若いねぇ!」

 この少年の態度に始めは牢人たちも鼻で笑うだけであったが、いつまでたっても構えを解かないその態度にやがて一人が忌々し気に舌打ちをした。

「チッ!気に入らねぇな、あの目。ガキのくせに一丁前ぶりやがってよ」

「おい、何をする気だ」

「なぁに。ちょいとガキに現実ってもんを教えてやろうと思ってよ」

 そう言うと牢人は無駄に芝居がかった態度で刀を抜いて見せ、その切先を少年の前にちらつかせる。

「ほれ、わかるか、小僧?これが本当の刀だ。お前のチンコみてぇな短い脇差じゃあ勝負にもなんねぇんだよ。わかったら痛い目見る前にさっさと引けや、このガキが!」

 ドスの利いた声で恫喝する牢人。しかし少年は間合い外で振られる刀などには見向きもせず、それどころか牢人を睨むその目はさらに軽蔑の色が濃くなっていた。

「ちぃっ!このクソガキがぁ!!」

 牢人は怒声と共にドカドカと乱雑に近づき、そして刀が届く距離に入るやそれを上段に構えた。しかし少年はまだ動かない。これにはとうとう牢人の堪忍袋の緒が切れた。牢人は柄を強く握りしめ下腹部に力を込める。後ろで相方が「お、おいっ!」と声をかけるが、そんなことはお構いなしに牢人は少年の頭をかち割るように刀を振り下ろした。

「死に晒せぇ!!」

 実のところ、このとき牢人は本気で少年を殺すつもりはなかった。少年とて死にたくはないはずだ。ならば当然その脇差で受けるだろう。そうすれば大人と子供だ。刀は弾かれ体もそのまま吹き飛ばされることとなる。そしてようやくその力量差を理解するはずだ。そのあとは死なない程度になぶってやればいい。牢人の一撃はそんなことを考えての一撃だった。だが事態は予想外の方に動く。

(は!?こいつ、抵抗しないつもりか!?)

 刀を振り下ろす際の凝縮された時間の中で牢人は困惑する。少年が避ける様子を全く見せなかったからだ。その目は確かに振り下ろされる刀を見ていたが、受けようとも避けようともしていない。牢人の背中が今更ひゅっと寒くなるが、もはや寸止めなどもできやしない。困惑したまま牢人は少年の頭をかち割った――かに思えたが、その瞬間少年は牢人の視界からふっと消え、刀は宙を切った。

(えっ、何が……?)

 牢人は何が起こったのかわからなかった。振った刀は宙を切り、そのまま地面に突き刺さる。そして少年はいつの間にか視界の右端に、自分の右手側に移動し脇差を振り上げていた。

 少年は汚らわしいものを見るかのような目で牢人を見つめながら、その脇差で牢人の無防備な半身を切りつけた。


「があぁぁぁぁぁぁぁ!!??」

 少年の一閃が牢人の無防備な前腕を切り裂いた。牢人は痛みから地面に転がりしばらくうなっていたが、やがて気を失ったのかうずくまったまま動かなくなった。

 叫びに気付いてそれを見ていた牢人たちは始め何が起こったのか理解できずにいた。しかし動かなくなった仲間と、軽く血振りをしてから何事もなかったかのように構え直した少年を見たところでようやく状況を理解した。

「く、くそっ!誰か向こうに回れ!あのガキをさっさと切り捨てろ!」

 頭領の男が慌てて叫ぶと牢人の一人が「へ、へいっ!」と慌てて加勢に向かおうとした。

 しかしその隙を見逃すほど十兵衛は甘くない。十兵衛は姿勢を低くし一気に間合いを詰める。加勢に出ようとした牢人も気付いて刀を振るうがもう遅い。苦し紛れのの一撃を十兵衛は受け流しその無防備な前腕に一刀を加えた。十分に肉をそいだ感触が手に返ってくる。

「ぐはぁっ!?」

「ち、畜生!」

 十兵衛の急襲につられてまた別の牢人が飛び掛かってくる。しかし十兵衛はこの一撃も落ち着いてかわし、返す刀で襲撃者の左腕を縦に切り裂いた。

「ぐっふぉぁっ!?」

 一瞬で二人の牢人が地に転がり周囲に血の匂いが満ちた。


「く……畜生が……!お前ら落ち着け!数はまだこっちの方が有利だ!!」

 十兵衛は瞬時に二人、少年の分もあわせれば合計三人の牢人を行動不能にさせた。しかし頭領の男が叫んだ通り、単純な数の優位はまだ向こうの方が上だった。

 まずこのタイミングで木に登って十兵衛たちを見つけた牢人が合流、そのまま少年側の増援に向かう。つまり牢人たちは二人ずつに分かれて十兵衛と少年をそれぞれ二対一の構図で迎え撃とうとしたのだ。

 加えて厄介だったのが仲間がやられたことで気が引き締まったのか、彼らの動きや集中力が一段鋭いものとなっていたことだ。例えば今十兵衛と相対している二人は片方が間合い外から牽制をし、その間にもう片方が死角に回り込むことを徹底していた。見れば少年の方でも同じように慎重に立ち回っている。戦局は先程と同じく神経戦の様相を見せ始めてきた。

(だが二人ならまだ何とかなるか)

 もとより四人の時から勝つ自信のあった十兵衛だ。相手が二人ならそれだけでなく戦況を自分で動かせる自信まである。そう、例えばわざと隙を見せて相手を誘うなんてこともできるだろう。

 十兵衛がそう考えるに至ったのは他でもない少年の影響であろう。そもそも先程の十兵衛が牢人二人を討ち取った攻防――あれは少年の一撃から生まれた混乱に乗じてのものだ。

(ならば今度はこちらから動かなければ面子が立たないじゃないか)

 本来このような功名心は抱くべきではないと宗矩から口酸っぱく言われていた。しかし何故かこのときはあの少年に負けたくないという思いの方が強かった。

(さて、それじゃあ……)

 早速十兵衛はさりげなく後方への反応を少し遅らせる。それは本当にささやかな行動であったが、思えばこの牢人らもそれなりにできる連中である。きっと気付いてくれることだろう。

 しばらくするとそんな十兵衛の思惑通り、牢人たちに明確に虚を突こうという意志が見られるようになる。動きにも緩急が加わるようになり、ふと油断すると本気で見失いかねないほどになった。

(いい動きだ。それだけに惜しいな)

 もしも彼らが地道に仕官への道を歩んでいたら今頃それなりの場所にいたことだろう。しかしそうはならず、今この瞬間正面の頭領らしき牢人は十兵衛に向かって高く上段に構える。迫力のあるいい構えだ。だがこれは囮だった。仰々しく構えることで相手の注意を引き、その隙に背後の牢人が一気に詰め寄り最短距離の攻撃――突きを繰り出す。正直見事な連携だと言える。おそらく彼らはこれでここら一帯に悪名を轟かせていたのだろう。

 だが相手は柳生三厳だった。相手の呼吸を読んで攻撃をかわし、そこにできた隙に一撃を加えるというのが柳生新陰流の真骨頂である。十兵衛は大きく半身回転して突きをかわし、その勢いを刀に乗せ相手の刀を巻き込むように振る。現代で言う『巻き技』に近い技だ。ただし刀を弾き飛ばすほどのものではなく、あくまで一瞬だけ刀のコントロールを乱す技である。一瞬乱すだけとは言うが刀の重さは約800グラム。それが手元で暴れてしまえばおおよその者はそれを抑えるために体を固くして踏ん張るしかない。新陰流にとってはその一瞬の隙さえ作れればそれでよかった。十兵衛は一歩踏み込み、暴れる刀に気を取られてほとんど無防備となっていた背後の牢人をざっくりと切った。

「はあっ!」

「づがぁぁぁぁっ!?」

 切られた牢人が地に転がる。これでこちらはあと一人。


(さて、向こうはどうなってるかな)

 背後の牢人を切った十兵衛はもちろんすぐさま体勢を立て直し最後の一人に対して構えた。だがここまで来ればもう消化試合であり、少年側の戦況を観察するくらいの余裕はできていた。見れば向こうも丁度少年が二人のうちの一人を切り伏せたところであった。

(ほぉ。やはりやるな、あの少年)

 苦戦している様子はなく、何より落ち着いていた。普通実戦となればどんなに訓練している者であっても多少は焦るものである。しかし少年は得体の知れぬ大人相手によく立ち回っている。

(実戦であれだけ立ち回れる奴がうちの門下にどれほどいるか。下手をすれば半分くらいはあの子に敵わないのではなかろうか)

 十兵衛はそんな風に少年を評しながら……、

「よそ見してんじゃねぇぞ、てめぇ……っぐああぁぁっ!!??」

 切りかかってきた最後の一人、頭領らしき男を難なく切り捨てた。


 十兵衛が自分側の牢人を全員切り伏せてから一呼吸おいて少年も最後の一人を切り捨てた。どうやら十兵衛が全員倒したのを見て慌てて逃げようとしたところを逃さず討ち取ったようだ。十兵衛は少年の見事な集中力を褒めたかったが、それよりも先にまずは数歩距離を取った。

 今更この少年が十兵衛を襲ってくるとは思っていない。しかしそれはそれとして得体のしれないのは事実だ。十兵衛は刀の血をぬぐい納刀してから改めて尋ねた。

「そう言えば名を聞いていた最中だったな。改めて訊こう。お前は何者だ?」

 さすがにこの頃にはもう少年に緊張感はなく、素直に名を名乗ろうとする。

「名乗るのが遅れて申し訳ありません。お初にお目にかかります。某は……」

 しかし少年は「某は……」と言ったところで急に何かに困ったかのように言葉に詰まってしまった。考え込むかのように宙に目をやる少年に十兵衛が再度訝しむ。

(何だ?急に黙りこくって。まさかこの期に及んで偽名でも使うつもりか?)

 十兵衛が不審な目で言葉を待っているとその視線に気付いた少年は皮肉気に笑ってこう続けた。

「私は……『柳生家』の長男です、三厳様」

「む……」

 少年の言葉に十兵衛は不服そうに眉根を寄せる。だがそれも当然であろう。『柳生家の長男』。少年は確かにそう言った。しかし柳生家の長男は他でもない十兵衛もとい三厳自身である。

 一瞬おちょくられたのかと思い十兵衛の表情が険しくなる。しかしここで十兵衛はようやく思い出した。隣国・尾張にはもう一つの『柳生家』が存在しているということに。そんな十兵衛の様子に気付くと少年はにこりと微笑む。

「ええ、そうです。あなた方からすれば『尾張の柳生』とでも言えばいいのですかね。ともかく改めて名乗らせていただきます。某は従二位権大納言様(徳川義直)の剣術指南役・柳生利厳としよしが長男・柳生清厳きよよしと申します」

 そう言って山伏の変装をした少年・清厳は一礼をした。


 これが江戸柳生の長男・柳生三厳と尾張柳生の長男・柳生清厳きよよしの最初の邂逅であった。

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