柳生三厳 大坂に入る 1

 時の権力者と朝廷・寺社勢力との対立はそれこそ数百年前から続いてきたことであったが、徳川の世においてそれがこれまで表面化してこなかったのは各地の戦国大名という先に対処しなければならない相手がいたためであった。しかしそれも三代と続き幕府運営が安定の兆しを見せ始めてきた今、いよいよ幕府・朝廷間にて本格的な衝突が起こるではないかという噂が京都周辺にてささやかれ始めていた。

 そんな激動の西国情勢に既知の情報網だけでは対処できないと感じた三厳は新たな情報源の開拓を決意する。そして目を付けたのは、つい先日ひょんなことから知り合いになった大坂の酒造・海運業者である『鴻池山中屋』であった。

 鴻池山中屋――かつては摂津の伊丹にて酒造を行っていた一家であったが、昨今の江戸の発展に目を付けて大坂に出て海運業を始めた名うての実業一族である。彼らの西国でのコネクションや海運業で新たに培ったつながりはきっと役に立つことだろう。

 こうして早速里を出た三厳と与六郎は大和国と河内かわち国(現大阪府東部)との国境付近、生駒いこま山脈の峠から遠い大坂の町を眺めていた。生駒の峠は大坂から五里(約20km)ほど離れたところにあったが、それでも大坂湾に沿うように発展している大坂、摂津、和泉の町々、そして再築途中の大坂城がよく見えた。

「ふぅむ。相変わらず大きな町だなぁ」

「三厳様は大坂に出たことがおありで?」

「ああ。幼い頃に一度だけ、友重殿に連れられてな。あれは大坂の役の少し前だったか……今思えばあれは父上の命で開戦前に町の様子を調査していたのかもな。あの時も、生駒だったかは覚えてないが、こうして峠の上から遠い大坂の町を見たものだ。しかしいい日和だ。これなら今日のうちに城下町まで入れるやもしれないな」

 天気は快晴で峠から大坂までは約五里。日中が短い時期とはいえ三厳たちの足ならば問題なく走破できる距離である。三厳は気合いを入れなおしてそれでは行こうかと立ち上がるが、対する与六郎はどこか身が入っていなかった。

「そうですね……はぁ」

「ふふっ。ため息が漏れているぞ」

「えっ!そ、そうでしたか!?申し訳ございません!」

 どうやら完全に無意識でのため息だったようだ。与六郎にしては珍しい。

(だがそれも仕方あるまいか)

 三厳は苦笑しながら数日前のことを思い出していた。


 大坂へと向かう数日前、三厳たちは一度伊賀の長老らのもとに出向き今回の件――新たな情報網構築のために鴻池山中屋に接触することについての相談をしていた。これについて長老らはおおむね賛同してくれたが同時に忠告もしていた。

「大坂の海運問屋の一つと縁を結ぶ、ですか……。悪い案ではありませぬが、しかしあまり深入りするべきではないでしょうな。いつ縁が切れても大丈夫なように浅いつながりを意識するべきでしょう」

「いつ縁が切れても?それは山中屋と縁を結ぶのは危険だということでしょうか?」

 三厳の問いかけに長老は物悲し気に首を振った。

「そうではありませぬ。むしろ切られるとしたら我々の方でしょう。故にいつ切られてもいいように――厳しい言い方をすればいつ見限られてもいいような距離感を保っておけということです」

 この忠告に三厳と与六郎は虚を突かれたようにどきりとする。

「我々の方が見限られるとおっしゃるのですか?」

 傍から見れば三厳は現将軍の小姓でありその父は歴代将軍に仕える剣術指南役、さらに背後に控えるのは伊賀の忍びである。対し相手は新進気鋭とはいえ単なる商人に過ぎない。それでもなお長老は見限られるのはこちらの方だと断言する。

「時代は変わってしまったのですよ……」

「時代……?」

「ええ。戦乱の時代であれば確かに我々のような草(忍者)の者も、それを使役できる柳生家のような土着の権力者も重要視されたことでしょう。だがもう大坂の役ですら一昔前だ。太閤殿縁故の大名・牢人らもほとんどいなくなった今もはや大きな戦など起きる見込みもない。それはつまり……歯痒い話ですが我々の時代は終わりつつあるということです」

「……っ」

 三厳はうつむき言葉を失う。時代が変わったというのは父・宗矩も幾度となく言っていたことであり三厳自身も薄々とは感じ取っていた。それでもなお武に生きると決めた者としては受け入れがたい事実である。長老もそんな若人の苦しみを理解しているのだろう、いつもより少々優し気な口調で言葉を続ける。

「もちろんすべての役目がなくなるということはないでしょう。どんな太平の時でも悪意を持つ者は隠れている。それに対処するための存在として我らのようなものは使われ続けることでしょう。しかし問題なのはその重さなのです。大きな敵のいない時代では我々のような者に重きは置かれない。求められるのは平穏な日常を支える者――つまりは経済を回す山中屋のような商人たちが重要視される時代となったということです」

「……故に見限られると?」

「というよりも仮に我々が山中屋と手を結んだとしても、おそらくすぐに我々以上の後ろ盾が現れるだろうということです。経済力にしろ影響力にしろ。そんな者が現れた時それでもなお我々と関係を保つか、それとも見限られるかはその時にならないとわからない。故にどう転んでもいいような距離を意識して付き合うべきだと言っているのです」

「……」

 長老の予言めいた忠告に三厳と与六郎は厳しい顔をする。確かに今の柳生家の影響力では税制や政治的な優遇という点で山中屋に協力できることはほとんどない。厳しい現実であったが、しかし長老の顔には三厳らほどの悲壮感はなかった。

「そう落ち込みなさるな。逆に言えばそれが付け入る隙とも言えるのですよ」

「えっ?どういうことでしょうか?」

 疑問符を浮かべる三厳たちに長老は諭すように続ける。

「考え方を変えるのです。宗矩様も常々おっしゃっておりましたでしょう?無理して大きな勝ちを狙うのではなく確実な、細くとも長い勝利を目指すのです。山中屋を始めとした大坂の海運問屋たちははやがて大名とも手を結ぶこととなるでしょう。彼らの持つ資金や影響力は我々のそれを大きく凌駕しております。それはつまりその分野で彼らと争うべきではない――別のところで争うべきだということです」

「それは確かに道理ですが……では具体的には我々はどこで争うべきなのですか?」

 三厳の問いかけに長老は強く断言をした。

「情報。それ一つに尽きます」

「情報……しかしそれならば他の大名らでも提供できるものではないでしょうか?」

「左様。しかし彼らの場合あくまで本筋は政治的なつながりであり情報の提供は副次的なもの。仮にあったとしてもそれは大味なもので商売に使えるようなものではないでしょう。だが我々なら迅速かつ正確な、商売に使えるような各地の情報を提供することができる。それが我々の強みなのです」

「なるほど。そこで勝負をしろと」

「ええ。不要な儀礼を省き必要な情報の交換だけを行う。これならば他の大名らと競合しても我々の価値を維持できることでしょう」

 長老の妙案に三厳と与六郎の顔が「おおっ」と明るくなる。この案ならば当初の目的を果たすことができそうだ。しかし長老はここでさらに提案をしてきた。

「そこでだ、与六郎」

「はっ。何でしょうか?」

「うむ。この計画、お前がすべての代表となって取り仕切れ。山中屋とのつながりも三厳様ではなくお前が縁を結ぶのだ」

「はっ……えっ!?そ、それはどういうことでしょうか!?」

 動揺する与六郎に長老はにやりと笑う。

「情報だけの関係性なら武家である柳生家よりも我々が直接結んだ方が向こうも気兼ねしなくていいだろう。三厳様にはあくまでその関係の後見人として立ってもらう」

「そ、それは構わないのですか、私が代表ですか?年寄様方の名代とかではなく?」

「ああそうだ。なまじ儂らのような古狸が前に出ては余計なしがらみが生まれかねん。お前と三厳様という若い二人だからこそ向こうも下手に勘繰ることなく交渉の場が設けられるというものだ。それにお前ももう十分次の時代を担えるだけの年になっただろう。これを機に新たな時代の我々の在り方を考えてみるといい。もう一度言うぞ、与六郎。今回の件、渡す情報や受け取った情報の精査、人事や資金その他一切の裁量をお前にゆだねる」

 唐突な丸投げの指令。急な展開に与六郎は言葉を失うが、一方で頭の奥では長老直々に指名された以上断る道など始めからありはしないと理解していた。

「任せたぞ、与六郎」

 与六郎は混乱しつつも「承知いたしました」と言って頭を下げた。


 そして話は大坂へと続く道へと戻る。

「はぁ……まったく年寄衆は無茶を言いなさる……」

 途中の辻で買った棒団子をかじりながら与六郎はまだぶつくさと言っていた。彼にしては珍しい態度であったがそれだけ内心では不安なのだろう。それを理解しているだけに三厳も笑って聞いていた。

「いずれ来るべき時が来たということだ。長老様方もそれだけお前に期待しているということだろう」

「それはわかっておりますよ。ですが三厳様とていきなり宗矩様の名代ではなく自分の名で立ち振る舞えと言われれば困惑もしましょう」

「それは……まぁ確かにいきなりは願い下げだな」

「えぇえぇ、そうでしょうとも。あぁ、思えば使いっ走りをしていた頃がどれだけ楽だったことか……」

「ではどうする?帰るか?」

 意地悪そうに笑う三厳。しかし二人はもはや今里を越えて大坂城のお膝元のあたりにまで来ていた。

「まったく意地の悪い……わかっておりますよ。もう子供じみたことなど言いません。さぁ行きますよ、三厳様!」

 与六郎は頬をパンパンと叩き気合を入れなおしてその歩みを早め、三厳は笑いながらその背を追った。こうして次の時代を担った若人二人は商都・大坂の町へと入るのであった。

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