柳生三厳 大坂に入る 2

 山中屋と協力関係を結ぶために大坂へと入った三厳と与六郎。しかしいきなり店に押しかけに行ったりなどはしない。なにせ相手は生き馬の目を抜く商都・大坂で切った張ったをやっている商人だ。ろくに準備もしないで行けば切り伏せられるのはこちらのほうだろう。

「というわけでやはり今日のところは宿にて休み、明日一日は情報収集に当てたほうがよろしいかと。まぁ逃げる相手でもありませんしね」

「うむ。お前が言うならそれでいこう。それで宿はどこにするんだ?俺はもうほとんど初めてのようなものだからな。どこに宿屋があるのかも知らないぞ」

「お任せを。ここには何度か来ておりますので」

 与六郎の案内で三厳らは東横堀川ひがしよこぼりがわを越えた南船場せんばのあたりでしばしの拠点となる宿屋を押さえた。一間四畳半の安宿であったが数日泊まる分には何ら問題ないだろう。旅の疲れもあったのか三厳らは部屋に入るやすぐに横になり大坂での一日目を終えた。


 大坂二日目。この日は情報収集もだが、与六郎の提案で同時に三厳を大坂の町に慣れさせるところから始めることにした。当の三厳は「そんなものは必要ない」と言っていたが、いざ日が昇り通りへと出るとその活気に「おぉ……!」と圧倒されていた。

「ま、まさかこれほどとはな……!」

「昨日は遅い時間に町に入りましたからね。平時ならこのようなものですよ」

 堺筋の通りには朝早くだというのに人、人、人……。どこかの奉公人だったり、駕籠だったり、荷車だったりが通り狭しと往来していた。人の流れに飲まれないように道端に立ちながら三厳は改めて大坂のにぎわいに感嘆していた。

「いやぁ舐めていた。江戸の日本橋付近よりも混雑しているんじゃないか?」

 大坂は古来より文化・流通の中心として栄えており近年は豊臣秀吉が拠点としたことで名実ともに『天下の中心』として君臨していた。ただ一方で二度の大坂の役、豊臣の滅亡、そして徳川・江戸の発展により一時低迷下にあったのも事実である。三厳のように噂でしか大坂の町を知らない者はその頃の印象がまだ残っているのだろう。しかし実際は松平忠明による城下町復興や幕府天領化、市中の川堀りや大坂城再築普請などによる市場の拡大が功を奏し、大坂という町は改めて商業の中心地として往時の隆盛を取り戻していた。

「とりあえず今日は一日ぐるりと町を回ってみましょうか。ここ数年で町もだいぶ変わっておりますからね」

「あぁ任せた。俺はもう今日は素直にお上りさんになっているよ」

 こうして三厳と与六郎は活気あふれる大坂の町を歩き始めた。

 三厳たちは船場からまずは南に、島之内しまのうちに入り道頓堀川どうとんぼりがわまでやってきた。そのまま川に沿って西に進み開発途中の河口付近を眺めながら今度は北上。やがて大川おおかわを望む土手に腰を下ろす。

「ふぅ。結構歩いたな。今何時くらいだ?」

「今は間もなく八つ(午後1時頃)になろうかという頃です」

「ん?まだそのくらいなのか」

「慣れぬ土地で人通りも多かったですからね。お疲れにもなられましょうぞ」

「ははは。情けないがそうかもしれないな」

 与六郎の言う通り大坂の通りはどこもかしこも活気に満ちていた。思えばこれほどまでの人混みに呑まれたのは江戸以来だろう。それだけここ大坂が栄えているということだ。

 そしてその大坂発展の要因の一つが今、つうと三厳の前を通り過ぎた。三厳はそれを目で追い、そしてのんびりとつぶやいた。

「舟か……そういえば先程からよく見かけるが、ここは人も多いが舟も多いのだな」

「ここ大坂はそこら中に水路が走っておりますからな。これもまた大坂の強みでしょう」

 のちに『天下の台所』とまで呼ばれるようになる商業都市・大坂。そんな大坂に別の二つ名を与えるとすれば、それは『水の都』が適当だろう。当時の大坂は大坂湾や大川に面していただけでなく、その市中には横堀川や道頓堀川といった人工の水路が無数に張り巡らされていた。これはまさに大坂の大動脈と言えるもので、ここを小型の舟が生活物資等を乗せて縦横無尽に走ることにより大坂という巨大な市場が成り立ち、そしてその規模に比例して商業や産業も発展していった。

 三厳たちの目的地である山中屋もまたこの水路の一つ――東横堀川の近くにでんと店を構えていた。この頃の山中屋は酒問屋としてもまだ健在で、近くの川岸では酒甕を乗せた小舟が北に南に走っており、それを指示する番頭の怒号がひっきりなしに聞こえていた。橋の上にて団子をかじりながら三厳と与六郎はそんな景気のいい光景を眺めていた。

「噂通り盛況のようだな」

「ええ。聞いたところによると最近では大坂城城代より直々にお褒めの手紙ももらったとかだそうで。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いというやつですね」

 町を散策しつつ情報を集めていた三厳たち。そうして聞いて回った結果、山中屋は三厳たちが予想していたよりもはるかに大きな店だということがわかった。

 噂によると山中屋は大坂周辺の海運問屋としては後発組であったが下り酒で培った東国とのつながりと、丁度折よく始まった大坂城再築普請や淀川河口の開発の流れに乗りあれよあれよという間にこの町で頭角を現したそうだ。

 その勢いはすさまじく、すでに現大坂城城代・阿部正次を始めとする西の幾つかの大名が山中屋を贔屓にしているらしい。その噂を思い出した三厳はふっと嘲笑めいた笑みをこぼした。

「これは悔しいが伊賀の爺様らが言った通りだな。今の柳生家では向こうにとっては米粒一つくらいの価値しかないだろうよ」

 卑屈そうに笑う三厳に与六郎が少し心配そうにするが、それに気付いた三厳は笑って与六郎の背中を叩いた。

「そう心配そうな顔をするな。彼我ひがの力量を冷静に分析しただけだ。それにだからこそのお前らなのだろう?」

 確かに柳生家の影響力だけでは向こうは歯牙にもかけないだろう。だが今隣には伊賀の与六郎がいる。

「明日は頼んだぞ、与六郎」

 三厳はもう一度背中をばんと叩いた。これに与六郎は決意を新たにした顔で「はっ」と頭を下げて返した。


 翌日大坂三日目。三厳たちはこの日に山中屋を訪ねるつもりでいたが、さすがに朝一から向かったりはしない。向こうとて仕事があるのだ。そんな時間に訪ねて行っても印象が悪くなるだけで通る話も通らなくなる。

 というわけで三厳らは午前のうちは適当に時間を潰し、そして昼の三つの鐘が鳴った頃にようやく山中屋の敷居をまたいだ。この時分に客足が穏やかになるのは昨日のうちに調査済みである。予想通り程よく落ち着いた店内に入り込めた三厳たち。与六郎はその内より一番暇そうにしていた奉公人に目を付け声をかける。

「もし。少しよろしいか?」

「あ、はい。いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「いや、客というわけではないのだが……すまないが年寄役の宗信むねのぶ様はいらっしゃられるかな?」

 気の抜けた顔をしていた奉公人であったが、宗信の名を出すとさすがに警戒した顔つきとなった。

「……申し訳ないですがどちらさまでしょうか?」

「少し縁のある者で、近くまで来たので挨拶でもと立ち寄らせてもらいました。柳生家の三厳とその使いです。お忙しいのでしたらまたの機会を見繕いますが、いかがだったでしょうか?」

「柳生家の?」

 訝しむ奉公人であるがそれも当然だろう。なにせ見るからに二十歳前後の若者二人が還暦を越えた店の重役の知り合いだと言ってやってきたのだ。だが一方で『柳生』という名にも心当たりがあったのか、奉公人は一応「少々お待ちください」と言って確認のために奥へと消えていった。

 しばらく店の隅で待つ三厳たち。急な来訪故にもしかしたら門前払いをくらうかもなどと危惧していたが、戻ってきた奉公人は「どうぞこちらへ」と奥座敷まで案内してくれた。その後さほど待つことなく宗信が顔を出す。

「お待たせして大変失礼しました、三厳様。いやぁ、よもや三厳様自らお越しになっていただけるとは、うれしい限りですよ」

「こちらこそ急にお伺いして申し訳ありません。偶然近くにまで来たものですからな。ところで本日は店の御主人は……」

「あぁ、申し訳ございません。生憎と主人(山中幸元)は今播磨の方に出ておりまして……ご紹介いたしたかったのですが、まこと残念です」

「お気になさらずに。急に訪ねたのはこちらですからね。はっはっはっ……」

「そう言っていただけると幸いです。はっはっはっ……」

「……」

 しばらくぎこちないながらも外面のいい会話を交わしていた三厳たち。しかしふとした折に会話が途切れ沈黙の空気が流れた。だがそれも仕方のないことだろう。三厳らと宗信はまだ会って二回目の上に武士と商人、若人と老人である。そもそも話が合うことの方がおかしいのだ。三厳は自嘲するように笑いその沈黙を破った。

「ふっ。やはり慣れない腹芸などするものじゃあないですな。……宗信殿。今回我々が尋ねてきたのは折り入ってご相談したいことがあってのことです。急な話で不躾なのは承知の上。それでも若人の頼みとして、どうか話だけでも聞いてはいただけないでしょうか?」

 三厳がこう言うと向こうも予想していたのだろう、宗信は軽く居住まいを正して「お聞きしましょう」と返した。

「感謝いたします。実は此度はこちらの者を紹介したくてさんじました」

「そちらは確か……与六郎殿でしたかな?」

 さすが名うての商人だけあって宗信は柳生の里で一度会っただけの与六郎のことを覚えていた。

「はい。こちらは植田与六郎なる者でして私によく仕えている者です。それと同時に伊賀の忍びでもあり同族内でもかなり大きな権限を持っている、若頭とでもいうべき立場の者にございます」

 実際のところ伊賀内に『若頭』などという役職はない。しかし与六郎が今回の件で大きな権限を持っていることは事実なため、わかりやすさと印象操作のためにこう紹介した。その効果はあったようで宗信は「ほう……」とその瞳にわずかに興味を込めて与六郎を見直した。与六郎はずいと前に出て頭を下げる。

「改めまして、植田与六郎にございます。此度は山中屋様にお頼み申したいことがありましてこうしてやって参りました」

「どうぞ遠慮なくおっしゃってください」

「それでははばりながら、どうか山中屋様内にてうちの手の者を幾人か働かせてはいただけないでしょうか?」

「それは……単に奉公先が欲しいという話ではないですよね?」

「はい。某どもの目的は西国を耳目し情報を集めること。それには西国に多くの縁故を持つ山中屋様に頼るのが最適だと判断いたしました。その見返りとしてこちらからは東国諸国の情報を提供することができます」

 これが今回の件を一任された与六郎が出した案だった。山中屋と直接情報を交換するのではなく伊賀の手の者を潜ませてその者に情報を集めさせる。与六郎らはその者から情報を受け取り、山中屋は対価の情報をその者を通じて受け取る。これならば山中屋自体は潜ませた伊賀者を黙認するだけでいいため負担とは思わないはずだ。

 与六郎の話を聞いた宗信は少し沈黙して考え、そしてまずは三厳の方を向いた。

「……それは江戸の御公儀からの正式なご依頼でしょうか?」

 まずそこを確認するあたり宗信も隙の無い商人である。三厳は内心で感嘆しつつ首を振る。

「いえ、江戸は関係ありません。私個人の裁量で与六郎をこちらに紹介するべきだと思ったにすぎません」

 三厳の言う通りこれに江戸の御公儀は関係ない。しかしたとえくみしていないといっても渡された情報が与六郎―三厳―宗矩―江戸御公儀と流れることくらい少し考えればすぐにわかることだ。

(さて、そこらへんの機微に宗信殿はどう算盤を弾くか……)

 情報の価値がわからない相手ではないだろう。三厳や宗矩との表面上のつながりをあえて持たないことも悪いことではないはずだ。だがそれだけでは決め手に欠ける。そこで与六郎は最後の一押しを行う。

「なおこちらが送る伊賀の者ですが、時には遠方の情報を得るために船に乗せていただくこともあるでしょう。その時は用心棒のような真似もできるやもしれませぬ」

「ほう。それはそれは……」

 この提案に、老獪な宗信は顔にこそ出さなかったが、確かに心惹かれたのを与六郎は感じ取った。

(よし!動いた!)

 これは昨日の調査中に知ったことなのだが、現在山中屋を始めとする海運問屋の多くが腕っぷしの強い用心棒を求めていた。これは単純に金回りがよくなったがための警戒でもあるが、それ以上に彼らにとって預かった荷物の保護が急務となっていたからだ。

 当たり前だが預かった荷物は無事に届けなければならない。しかしその荷物を狙う者は多く、それは海賊のような外敵だけではない。時には船員自らが積み荷の一部をくすねて売りさばくという事案も発生していたのだ。無論帳簿などを見れば荷物が減っていることはすぐにわかるのだが、ここで「大波で船が傾き荷が落ちた」とでも言われれば店も客も飲み込むしかない。当時は天災等による荷物の紛失は責任を問わない問うのが通例だったからだ。

 だが法的な責任がないとはいえ店の信用にはかかわってくる。そのため経営者としては見逃せないのだが半端な見張りを立てても逆に打ちのめされるだけである。故に海運問屋の多くが腕が立ち、かつ信頼できる積み荷の用心棒を欲していたというわけだ。播磨の明石に槍の名手である高田吉次が雇われたのもこの背景が影響していたのかもしれない。

 そしてそんな中でのこの与六郎の提案だ。宗信の心が動かされないはずがない。

(さて、こっちはもう出し尽くした。あとは向こうがどう出るかだ……)

 宗信はうんうんと唸り考え込んでいた。あるいは安く見られないために考えるふりをしていたのかもしれない。ともかくしばし考えたのち宗信は「少し時間が欲しい」と返答した。

「申し訳ございませんが、此度のような案を私の一存で決めてしまうのはいささか荷が勝ちすぎること。一度主人に話を通します故それまで少々のお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「無論です。色よい返事を期待しております」

 結果だけを見れば三厳らは返事をもらうことはできなかった。しかし宗信の口調や態度からは確かな手ごたえを感じた。現状の両家の力量差を考えればこれでも十分なほどの成果だろう。

(まぁ今は話を聞いてもらえただけでも良しとしようか)

 とりあえず無事に一幕終えられたことに三厳らは静かに安堵の息を吐いたのであった。

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