柳十兵衛 護衛任務にて東を目指す 1

 十兵衛たちは護衛任務の引き継ぎのために夜間行軍をして近江国・甲賀の山中にまでやってきた。

 護衛対象を受け取ったのち、山中で一夜を明かした一行はいよいよ駿河・駿府に向けて出発する。


 さて、いよいよ本格的な護衛任務が始まったので、ここで一度改めて任務内容のおさらいをしておこう。

 まず護衛対象であるが、これは未だ明かされていない。状況証拠から位の高い朝廷関係者ではないかと推察できるが、あくまで推察止まりであり、十兵衛もあまり深入りするべきではないと考え特別詮索しようとはしていなかった。

 そんな依頼主が目指すは江戸。京都からはおおよそ500キロメートルの長い道程である。しかし十兵衛たちはこの道すべてに付き合うわけではない。今回の任務は三区画に分かれており、十兵衛たちの班が担当するのは近江・甲賀から駿河・駿府までの区間であった。駿府には江戸からの使者が待っているらしく、彼らに引き継げば任務は終了となる。十兵衛たちは柘植に到着したその日の晩に近江・甲賀に入り、甲賀の忍びから護衛任務の引き継ぎを行った。

 一行は引き継ぎを行った山中で一夜を過ごし、そして日の出とともに出発する。十兵衛たちの班が任されたのは護衛団の先頭、露払いの位置であった。と言っても実際の行軍の指示は周囲に紛れた伊賀忍者が行っており、十兵衛たちはそれに従って進むだけである。彼らは周囲の木々に隠れたり、農民や旅人に変装するなどして周囲の警戒と安全の確保に努めていた。彼らのおかげで十兵衛たちは比較的気を張らずに進むことができた。

 そして護衛団一行が甲賀の山道を抜け伊賀に入った頃、与六郎が十兵衛にこそりと耳打ちをした。

「……十兵衛様。後ろの方に貴人の馬が見えますよ」

 十兵衛がさりげなく振り返ると、別の護衛班のさらに背後に人を乗せた馬が一頭ちらりと見えた。

(あれが今回の依頼主か?)

 一団の中で馬に乗っているのはこの人物のみである。この馬上の人物が護衛対象ならば、十兵衛は初めて護衛する相手の姿を見たことになる。

 とはいえ見た目から入ってくる情報はほとんどないに等しい。馬印のようなものはなく、服装もちょっと上等な普通の旅装束。顔も頭巾で隠していたため年齢すらわからない。なんなら影武者の可能性だってある。

「……何もわからんも同義だな」

「ですね。ですがどこを守ればいいのか分かったのは大きいですよ。少なくとも我々は『かの人』を守っていれば、お咎めなしということなのですから」

「そんな簡単な話になってくれたらいいのだがな」

 軽口を叩きながら進んでいく十兵衛たち。一行は柘植の村を素通りし、まもなくして伊勢と伊賀とを分かつ峠・加太越かぶとごえのふもとにまでやってきた。


 柘植の村を通過した護衛団一行は右手に流れる柘植川に沿って東進。まもなくして加太越のふもとにまでたどり着く。加太越は標高約300メートル、全長約15キロメートルほどのなだらかな峠道で、本日の目的地である関宿はこの峠を越えた先にあった。

 ふもとには旅人目当ての辻茶屋などが開かれていたが、先導する伊賀忍者からは『止まらず進め』と指示が出る。

「休息はなしか。まぁまだ一刻くらいしか歩いてないし当然か」

「ふもとは人通りも多いですからね。休むならもっと守りやすいところでということでしょう」

 先頭を歩く十兵衛たちは言われた通り立ち止まることなく峠道へと入っていった。

 峠道は古くから利用されているだけあって、普通に通れるくらいには整備されていた。近日大雨もなかったため変なぬかるみもなく、馬での通行も問題ないだろう。

 強いて不満を挙げるなら、初夏の陽気に当てられて道脇の木々が青々と茂っているところだろうか。これだけ茂っていれば隠れるのも容易たやすかろう。また進むにつれて人影もまばらになっていく。気付けば周囲は襲撃するにはもってこいのシチュエーションになっていた。

「十兵衛様……」

「ああ、わかっている。全員いつでも動けるようにしておけよ……」

 十兵衛たちは少し前から何者かの視線を感じ取っていた。常に一定の距離を保ち、監視しているかのようなねっとりとした視線。位置は前方の山中だろうか。しかし周囲に潜んでいる百地の忍びからは何の合図もない。十兵衛たちが気付いているのに、彼らが気付いていないということはあり得ないと思うのだが……。

「与六郎。百地の忍びはどうしてあの気配を放っておいているのだ?」

「某には何とも……。取るに足らない相手と見ているのか、それとも監視の背後にいる本隊が出てくるのを待っているのか……」

「俺たちは釣りのエサというわけか。まったく、おいしいお役目を貰ったものだな」

 愚痴る十兵衛であったが、『止まれ』という指示が出ていない以上進むしかない。そうしてしばらく嫌な気配と並走すること十数分。とある細道に差し掛かったところで不意にヒィィとヒヨドリの鳴き声のような音がした。それと同時に隊列がビタリと止まる。

「十兵衛様、お気を付けください。今のは……」

「わかってる。百地の忍びの合図だな。どうやら客が来たようだ!」

 十兵衛たちは鯉口を切り右手を柄に添えて構える。すると次の瞬間、道の両脇から一団の前後を塞ぐかのように牢人たちが一斉に飛び出してきた。


「覚悟っ!」

 人気のない加太越の山中にて、十兵衛たちの行く手を阻むかのように牢人たちが飛び出してきた。その数、前後ともに八名ずつの合わせて十六名。全員が汚れた小袖を尻端折りにし、黒い頭巾で顔を隠している。

 十兵衛たちとりあえず前方の敵の相手をしようと抜刀し、迎え撃つ形をとる。

 しかしはっきりと言ってしまえばこの牢人どもは三下もいいところだった。というのも彼らは隠れて護衛していた道順たち忍び一同にまったく気付いていなかったのだ。その結果どうなってしまったのかと言うと、彼らは四方八方から飛んでくる寸鉄や鉄菱をモロにくらってしまい、一瞬のうちに瓦解してしまった。

「なっ、何だこれは!?どこから!?ぎゃっ、ぎゃああああっ!?」

 悲鳴と共にバタバタと倒れていく牢人たち。幸か不幸か致命傷を免れて本陣に向けて突っ込んできた者も二人ほどいたが、彼らも十兵衛のお供である善祐と康成の抜き打ちの一刀で処されてしまった。おそらく二分とかかっていない、あっという間の決着であった。

 敵の腹を裂いた康成はその余りの呆気なさに思わず肩をすくめた。

「……生け捕りにした方がよかったですかね?」

「切った後で言っても仕方あるまい」

 善祐は苦笑しながら返答し、刀についた血を払った。


 襲撃者たちを撃退した一行は予定外ではあったがここで休息を取ることにした。その間に道順たち百地の忍びは手早く首実検を行う。

「どうだ?何か身分がわかるものは持っていたか?」

 道順が尋ねるも検視を行っていた忍びは残念そうに首を振る。

「それらしきものは何も。ただ報告にあった近江での襲撃者と同じ風貌なので、それの残党ではないでしょうか」

「確か現地の牢人を適当に雇って襲わせたんだったな」

「はい。その残党が褒美目当てに改めて襲ってきたのでしょう」

 これはのちに情報共有されることであるが、実は前日の昼過ぎ頃――道順たちが引き継ぐ以前に同じような襲撃があった。

 襲撃の主犯は地元の牢人たちで、当時護衛していた甲賀の忍びが生け捕りにして吐かせたところ、彼らは見ず知らずの人物から金を渡され襲撃を依頼されたとのことだった。渡された金は前金だけで一人頭銀60もんめ。そこからさらに首一つにつき金1両、獲った首の持ち主次第では仕官の斡旋までしてくれると言ってきた。

 この上手い話に牢人たちも怪しいとは思ったが、もとより日銭にも困るような連中である。背に腹は代えられず、とりあえず貰うものだけもらって襲撃相手を確認してみれば、思っていたよりも護衛が少なかったため「これは行けるのではないか?」と勢いのままに襲撃。しかし今回のように隠れていた甲賀忍者によって返り討ちにあい壊滅させられたという流れであった。

 もし今回の襲撃犯がこの前日の残党ならば、すでに甲賀の忍びが存分に締め上げた後である。新たな情報は期待できないだろう。

「さて、どうするか……。そういえば妖術等が使われた痕跡はあったのか?」

「十兵衛殿や陰陽寮の方々はなかったと言っております」

「ということは逢坂での襲撃とは別口か……」

 前任の区画では先に述べた牢人による襲撃事件とは別にもう一件、別勢力と思われる連中による襲撃があった。

 場所は京と近江とを分かつ逢坂関を少し過ぎたあたり。襲ってきたのは今回のように牢人風の格好をした奴らであったが、甲賀の忍びをして誰も捕らえることができなかったためその素性は定かではない。相対した者の中には、彼らの中に牢人らしからぬ統率された動きを見たと証言した者もいたため、格好は偽装である可能性が高い。

 またこの襲撃には妖術が使われた痕跡があった。護衛の陰陽師曰く、甲賀の忍びが敵の接近に気付かなかったのも、追跡に失敗したのもこの妖術が原因だったという。この術の使用者ももちろんまだ野放しにされたままである。

 以上の報告を踏まえて道順たちはこの勢力こそが敵対勢力の本命だと推察、最も警戒するべき相手としていた。

「……こいつらは足止めの可能性がある。本命が来る前にここを抜けた方がいいだろう。二人ほど残してさっさと発とう」

 妖術使いと比べればこんな牢人風情なんぞ取るに足らない存在である。道順は後始末要員に部下二人を残して、早々に再出発することに決めた。彼の号令の下、休憩をとっていた護衛団一行はすぐさま陣形を組みなおし再度加太越の峠道を歩き出す。

 幸いその後襲われるようなことはなく、一行は無事加太越を抜けて昼過ぎ頃に伊勢・関宿へと到着した。


 伊勢国・関。現代における三重県北西部に位置する町で、北に鈴鹿峠を望む東海道の宿場の一つでもある。

 十兵衛たちがたどり着いたのは八つか七つの頃(午後3時前後)で、夏場ということもありまだまだ昼の範疇であったが、道順曰く今日はここで宿を取るとのことだった。

「むぅ。さすがに人が多い。この混み具合は危険だ。早く宿に向かわねば……」

 護衛団は小さく固まり、先導する伊賀忍者の指示に従い宿へと向かう。そうして彼らは宿場内で最も格式高い旅籠屋の一つ、『鶴屋』へと案内された。

 一行がわざわざ高級な宿を選んだのは贅沢思考というわけではなく、誰でも泊まることのできる宿と比べて護衛がしやすいためである。実際事前に根回しをしていたのだろう、この日の鶴屋は一行の貸し切りとなっていた。十兵衛たちも警護のためにと十畳ほどの部屋を一部屋あてがわれたのだが、お供の善祐たちは思いがけずに身分不相応な部屋に通されて若干居心地悪そうにしていた。

「おぉ……。これはまた……」

「すごいですな。畳ですらいい匂いがしますよ」

 わけもなくぐるぐると回ったり柱を撫でたりする部下たちを見て、十兵衛は苦笑しながら嗜める。

「おい、お前たち。あまりソワソワとするなよ。みっともなく見えるぞ」

「ですが十兵衛様。こうも立派なところに通されると、逆に尻がムズムズとしてくるんですよ」

「まぁ確かに立派な宿ではある。上様がお泊りになられてもおかしくないくらいの品格だ。だが俺たちには警護というお役目がある。周囲のものに気を取られ過ぎてはいかんぞ」

 善祐たちは「はっ!」と気迫のこもった返事をした。しかし実のところ今現在彼らができること・すべきことは特にない。

 今は道順たちが別室で今後の旅程について話し合っている最中で、十兵衛たちにはただ部屋で待機しておくようにという指示しか下されていなかった。


「しかし暇ですねぇ。せっかくまだ日が高いというのに」

 窓の桟に頬杖をついて退屈そうに呟いたのはお供の一人の康成であった。

 十兵衛一行がこの部屋に通されてから早くも半刻が過ぎており、その間彼らは指示に従い部屋から出ずに待機していた。これがお役目だと承知はしていたが、それでも遠くに宿場の賑わいを聞きながらただ待つというのは苦痛なほどに退屈な時間であった。

「まぁそう言うな。与六郎が戻ってくれば、さすがに少しくらいは自由な時間が与えられるだろう。それまで辛抱しろ」

 警護の打ち合わせには与六郎だけが出席していた。彼が戻ってくれば改めて警備のシフトなどが伝えられて自由に動けるようになるはずだ。そう思っているとちょうど廊下の奥からこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。

 足音の主は戻ってきた与六郎。そして何故か陰陽術師の品田栗斎りっさいも一緒に部屋にやってきた。

「帰ったか、与六郎。それに栗斎殿も。何かあったのですか?」

 品田栗斎は陰陽寮に所属している陰陽術師で、十兵衛と同じく対妖術要因として護衛に参加していた。そんな彼は十兵衛に折り入って頼みたいことがあるらしい。

「実は十兵衛殿にお願いしたいことがあってな。だがその前に打ち合わせの報告から聞いた方がいいだろう。頼めますかな、与六郎殿?」

 順番を譲られた与六郎は一礼してから、道順たちとの打ち合わせの内容を報告した。


 与六郎は早速聞かされた護衛計画を報告する。

「まず明日以降の指針ですが、どうやら我々は明日は津へと向かうようです」

「津だと!?東海道から外れるのか!?」

 津とは現代で言う三重県津市のことで、関宿からは南東の方角にある。なお本来の東海道のルートは東へと延びているため、津に向かうのは完全に遠回りの形となる。

「どうして津を目指すんだ?まさか船で江戸を目指すわけでもあるまい」

「それが聞いたところによりますと、どうも津にもう一人江戸に連れて行かねばならない方がいるらしく、そのお方を迎えに行くために立ち寄るのだそうです」

「江戸に連れて行かねばならないお方?誰なんだ、その人物は?」

「某も名前は聞いたのですが、存じ上げないお方でした。ですが栗斎殿は覚えがあるようで……」

 与六郎は栗斎をちらと見て語り手を譲った。

「そのお方はゑいえいという名の女性で、この名前とは別に『箱木専女はこぎのとうめ』とも呼ばれているお方だ。色々と噂のあるお方でな……。まぁはっきりと言ってしまえば化け物だな」

「化け物?それはどういう……?」

「ん?……あぁ比喩ではないぞ。五百年以上生きてると言われている本物の化け物だ」

「なっ!?あやかしということですか!?」

 驚きで混乱する十兵衛たち。栗斎は彼らを眺めながら、くっくといたずら気に笑った。

「失礼、少々驚かせすぎたようだな。……だが化け物というのは本当だ。俺も老人たちから話を聞いただけで詳しくは知らないが、五百年以上生きている伊勢の相談役の一人だそうだ。噂では時の斎宮いつきのみやとも親交があったと言われている」

 斎宮とは朝廷が伊勢神宮に派遣していた巫女のことである。しかしこの制度は南北朝時代の初期――十兵衛たちの時代から見ても三百年以上昔に廃止されている。つまりはそれほど高齢のあやかしということだ。

「……そんな奴を江戸に連れていくのか?いったい何のために?」

「何のためにかは知らないが、上はそれが必要だと判断した。ならば俺はそれに従うだけだ。そしてここからが俺の本題なのだが、彼女を迎えに行く際に十兵衛殿にも同席してほしいのだ」

「えっ!?俺がですか!?」

「なに、別に対面に座って話をしろというわけではない。ただ万が一の場合に備えて十兵衛殿にも彼女を一目見ておいて欲しかったのだ」

「万が一とは?」

「こんな状況だ。俺も俺の同僚らも明日無事かどうかなどわかったものではない。最悪の場合彼女だけでも生きて江戸に連れて行かねばならない。そのためにも十兵衛殿に顔合わせくらいはさせておくべきだと思ったのだ。もちろん許可はとってある。十兵衛殿、どうか協力してはくれないだろうか?」

「……」

 頭を下げる栗斎に十兵衛はどう答えたものかと眉根を寄せる。

 十兵衛個人としてはそんな化け物を江戸に入れたくはなかったが、自分がそれを拒否できるような立場にいないこともわかっている。

(ならば情報を得るためにもここは素直に協力した方が得策か……)

 十兵衛はしばしの内的葛藤ののち、諦めたように溜め息を吐いてから協力に同意した。

「……承知いたしました。某もそのゑいとかいう化け物に協力いたしまする」

「協力感謝する。だが間違っても本人に化け物などと言うなよ?」

 そう言うと栗斎は二かっと笑って白い歯を見せた。

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