柳十兵衛 護衛任務にて東を目指す 2

 加太越を抜けて伊勢・関宿にまでやってきた護衛団一行。ここの宿にて十兵衛は明日は東海道を外れて津へと向かうことを告げられる。

 遠回りの理由は津にもう一人江戸まで連れて行かねばならない人物がいるためであり、しかも陰陽術師の品田栗斎りっさいによるとこの人物は五百年以上は生きている人外とのことだった。その名は『箱木専女はこぎのとおめ』ことゑいえい

 十兵衛個人としてはそんな人物を江戸に入れたくはなかったが、上が決めたのならば従う他ない。十兵衛は明日迎え入れる際に同席する約束を取り付けて護衛一日目を終えた。


 護衛二日目。この日護衛団の一行はかなり早い時間に起こされた。具体的には日の出の一刻以上前、おおよそ午前三時頃には全員が起床していた。そして彼らは起きるなり、まだ暗い室内でそれぞれ出発の準備を始める。

 彼らがこれほどまでに急いでいる理由は、本日の予定がかなり余裕のないものだったからだ。

 彼らは今日東海道から外れて津へと向かい、そこでもう一人の重要人物である『箱木専女はこぎのとおめ』ことゑいえいなる女性と合流する。合流したのちは伊勢湾に沿って北上。東海道に戻り、現代で言う鈴鹿市北西部にある石薬師いしやくし宿で宿を取る予定になっていた。この宿も警護のために一日貸し切りで予約しているらしく、変更はできないとのことだ。

 以上の総距離がおおよそ50キロメートル。一般的な成人男性が時速4キロメートルで歩くことを考えると、かなりタイトなスケジュールと言えるだろう。だが不満を言っても始まらない。半刻ほどして準備を整えた一行は昨日と同じ陣形を組み、泊まっていた旅籠『鶴屋』を出た。

 宿を出た一行はまだ薄暗い関の町を進んでいき、やがて東の追分にまでやってきた。追分とは街道が交差しているところであり、道は東と南東へと延びている。このうち東に延びている方が東海道の本道であるが、ここで一行が選んだのは南東へと延びている道だった。この道は伊勢神宮へと続いている古い街道で、その道中に目的地である津の町がある。

 彼らが関宿の門を抜けた頃、ようやくどこぞの鶏が、日の出が近いことを知らせるかのように一声鳴いた。


 東海道から外れて津を目指す護衛団一行。その中で十兵衛たちの班は昨日と同じく隊列の一番先頭、露払いの位置を任されていた。

 とはいえ本当の警戒と進行の調整は、こちらも昨日と同じく周囲に潜む伊賀忍者が行っているため、十兵衛たちが気を張る必要はほとんどない。特に山間部を越えて安濃川沿いの道に合流してからは見晴らしもよく、襲撃の心配はまずないと見ていいほどであった。

「いい日和ですね、十兵衛様。川風も心地いいですし、このまま津まで何も起こらないことを祈るばかりです」

「ああ、まったくだ。……それにしても津か。思わぬところで善祐殿たちを連れてきた甲斐が生まれたな」

 十兵衛が話題に上げたのは、お供として連れて来た善祐と康成についてだった。彼らはつい先日、三厳の命を受けて津に行ってきたばかりであった(第八話)。

「向こうで何かあったら頼りにしますよ、善祐殿」

「はっ。ですが某たちが滞在したのはほんの一瞬でしたので、さほどお役には立てないかと」

「いいんですよ。要は気持ちの話なんですから」

 全く知らない町と、一度来たことがある町とではその意味合いは大きく異なる。一瞬の油断が命取りになりかねない護衛任務では善祐たちの経験は重要な資産となるはずだ。

 そう期待していたのだが、津の町が遠くに見えてきたところで、先導していた百地の忍びが不意に脇道に進むように指示を出してきた。

「む?町には向かわないのか?」

 不思議に思いつつも指示に従い脇道に逸れる十兵衛たち。当然後続もそれに続く。彼らはそのまましばらく町の遠景を右手に見ながら北上していき、やがて開けた空き地にて停止の指示を受けた。

 周囲には何もない。一瞬罠かとも思ったが、それらしい殺気は感じられない。

「……どうしてここで止まったんだ?津に入るのではなかったのか?」

「さぁ、某には何とも……。……あ、噂をすれば伝令の方が来ましたね」

 近付いてきたのは山伏に扮した伝令の忍びであった。彼曰く、どうやらここからは選抜された数人だけで津に入り、例のゑいという女性を迎えに行くらしい。よくよく考えれば別に津には泊まりに来たわけではないので、思いついてしかるべき手段であった。

「全員では向かわないのか。まぁ警護のしやすさを考えれば不要な人混みは避けるのは当然か。残念でしたね、善祐殿」

「某は気にしておりませんよ。それよりも昨日栗斎殿が言っておられたのはこのことではありませんか?」

「ああ、そうか。栗斎殿らは知っておられたのか」

 昨日の関宿にて十兵衛はゑいと合流する際の同席を打診されていた。確かに少数で向かうのならば、腕が立つ上にあやかし関連の対処もできる十兵衛の存在は頼もしかろう。ふと振り返れば素知らぬ顔をしているこちらに向かってくる栗斎が見えた。

「栗斎殿。こうなることを知っておられたのなら、昨日のうちに教えてくださればよかったのに」

「ははは、失礼した。某もどこまで話していいものかわからなかったものでな。ともかく十兵衛殿、今日はよろしくお願いしますよ」

 そんなこんなで護衛団から津へと向かう人員が選別された。その面子は代表の道順と彼の部下が五名。人外の化け物相手ということで栗斎をはじめとした陰陽寮の術師が三名。そして栗斎の推薦で同席することとなった十兵衛の計十名であった。残りはこの場でしばしの休息となる。

「それでは少し行ってくる。留守は任せたぞ、与六郎。善祐殿」

「はっ。お気をつけて」

 こうして十兵衛たちは本隊から離れ、箱木専女・ゑいを迎えに行くために津の町へと向かっていった。


 ゑいとの合流のために選抜された十兵衛一行は北門から津の町に入り、栗斎の案内で屋敷へと向かう。なぜ栗斎が案内役なのかというと、ゑいの屋敷の周囲には幾重にも人払いのまじないがかけらおり、並の人間ではたどり着くことができないためだそうだ。

 十兵衛もとある辻に入るや桜花にも似た甘い香りを感じ取った。これが人払いのまじないを示す香りで、これを嗅いだ者はふらふらと屋敷とは別方向の道にいざなわれてしまうらしい。実際耐性のない伊賀の忍びたちは、栗斎が先導しているにもかかわらず時折脇道に逸れることがあり、そのたびに十兵衛やほかの術師が必死に隊列に戻していた。おそらく彼らだけでは屋敷の姿を拝むことすらできなかっただろう。

「強力な術だな。しかし敵対しているわけでもないのに、なんでまた人払いの術などかけているのだ?」

 十兵衛が面倒な仕掛けにぼやくと、前を歩いていた陰陽寮の術師が答える。

「聞くところによると、くだんの屋敷は普段から常に人払いのまじないがかけられているらしい。それを逐一切り替えるのが面倒だから、用があるのならばそちらで勝手に突破してきてほしいとのことだそうです」

「なるほど。確かにこれだけの規模だ。張り替えるのが面倒になる気持ちもわかりますな」

 納得し頷く十兵衛。しかししばらくしたのち、さっき答えた術師が申し訳なさそうに訂正した。

「……すいません。実を言いますと彼の人は今回のような厄介事をひどく嫌っておりまして……。そのため自分を引っ張り出したければこれくらいは突破して見せろということで、まじないがそのままになっているんです」

「えっ!?それはつまり、今某たちは試されているということですか!?」

「まぁそういうことになりますね」

 思わぬ事実に唖然とする十兵衛。

「な、なんだそれは……。ということはあれですか?もし屋敷にたどり着くことができなければ、その時はこの旅すべてが無駄になるということですか!?」

「さすがに完全に台無しにはなりませんが、かなり厳しい状況になることは避けられないかと……。ですが栗斎殿は道探しならば寮内でも有数の術師ですし、それに万が一の時は十兵衛殿もおりますゆえ、きっと大丈夫でしょう」

「え?どうしてここで某の名が出てくるのですか?」

「え?」

 一瞬無言で見合う十兵衛と術師。やがて口を滑らせたと気付いた陰陽師は、やってしまったと顔をゆがめる。

「陰陽寮の術体系で突破できなかった場合は、十兵衛殿に案内役を代わってもらうつもりだったのですが……、もしかして聞かされては……」

「は、初耳ですが……!?」

 どうやら栗斎は十兵衛を単なる善意で誘ったのではなく、万が一の保険として同行させていたらしい。しかし十兵衛は術の解析などは専門外であるし、術体系も陰陽師のそれとさほど変わらない。つまりはお鉢が回ってきたとしても、できることなど何もないということだ。

(やってくれましたな、栗斎殿……!)

「も、申し訳ございません、十兵衛殿!まさか話していなかったとは……」

「いや、まぁ……手を打っておきたい気持ちはわかりますゆえ怒りはしませんが……」

 思わぬところで大役を任されそうになった十兵衛。とはいえ必死な栗斎を見ていると怒るに怒れない。

 現在栗斎は選抜隊の先頭に立ち、全神経を集中させて正解の道を探している。いくら後ろに十兵衛が控えているとはいえ、失敗すればすべてがおじゃんになりかねない。彼はそんな重圧を背負いながら丁寧に印を結び、複雑に折り重なる術の構造を読み解いていた。額に浮かんでいる汗は決して暑さだけが原因ではないだろう。

 そうして進むこと約半刻。一行はようやく目的の屋敷の門前にまでやってきた。

「……ここがそうですね」

 そう言って振り返った栗斎の顔は、やつれながらも安堵と達成感に満ちていた。


 栗斎の案内で十兵衛たちがたどり着いたのはやや古めかしい様式で建てられた中規模の屋敷であった。

 壁は築地塀ついじべいがずらりと続いており、正門の平唐門ひらからもんはぴっちりと閉じられている。また門前の通りはそこそこ広いにも関わらず人っ子一人見当たらない。これもおそらく人払いの術の効果だろう。屋敷を前にしている十兵衛たちですら甘い匂いに誘われて、ふらふらとここではないどこかに行きたくなってきているほどであった。

「やはりこのまま進むのは危険ですね。少々お待ちを。改めて守護の印を結びますので」

 耐性を持たぬ者がこのまま進んでは危なかろうと、屋敷に入る前に栗斎らが改めて防御のための術をかける。それらの術を一通りかけ終えると、それを待っていたと言わんばかりに正面の巨大な扉が開かれた。開かれた門の先には公家に仕えてそうな子供――童直衣わらわのうしをつけた稚児が一人待っていた。稚児はかわいらしく微笑んだのち十兵衛たちに一礼する。

「皆さま、遠路はるばるようこそお越しくださいました。主様も皆様方がいらっしゃるのを心待ちにしておりました。どうぞこちらへ」

 怪しいことこの上ないが進まないわけにもいかない。十兵衛たちは警戒しつつも稚児に従い屋敷内に足を踏み入れた。

 屋敷はいわゆる簡素な寝殿造りをしていた。白木造りの柱を並べた開放的なひさし付きの母屋。屋根は傾斜の緩やかな檜皮葺ひわだぶき入母屋造いりもやづくりで、戸は開放的に開かれているものの御簾や屏風で奥が見えないようになっている。庭の一角には小さな池があり、松やら菖蒲などがさりげなく植えられているのも古い貴族様式であった。

(立派な屋敷だ。しかし人の気配がない。前のこいつだって式神みたいなものだし……)

 歩きながら十兵衛はこの場に人の気配や生活痕がないことに気付いていた。先導する稚児ですら人間ではなく、陰陽師が使う式神のような存在である。そのゾッとするほどの静けさに思わず引き返したくなるが、いまさらそんなことができるはずもない。

(覚悟を決めるしかないか……)

 一行は稚児の案内に任せるがまま母屋に入り、座して主を待つ。それからまあまあの時間待っていると、先の稚児が一人の気だるげな女性を伴って戻ってきた。


「ほら、主様。皆様お待ちになっておられますよ」

「はぁ、まぶしい……。もう少し寝ていたかったというのに、まったく、せわしないことよ……」

 稚児に連れられて現れたのは肌も髪も全体的に白い若い女性であった。見た目は二十代後半から三十代前半で、顔立ちは整っておりおおよそ美人と言って差し支えないだろう。白い髪も老人の白髪のようなハリのないものではなく、つややかで見てわかるほどに瑞々しい。そんな見目麗しい彼女は迷うことなく一段高くなっている上座に座し、脇息きょうそくにもたれかかった。

 多くの人はこんな彼女を見て何とも覇気のない、だらしない女だと思うかもしれない。しかしその見た目とは裏腹に、彼女を一目見た十兵衛は総毛立つほどに戦慄していた。

(な、なんだあの化け物は……!?これほどまでとは聞いてないぞ!?)

 十兵衛は肺腑が凍りついたのかと思うほどに彼女の存在感に圧倒された。数日前道順と出会った時もその存在感に圧倒されたが、それですら比較対象にならないほどの――例えるならば一種の災害のような存在感がそこにあった。

(こんなのが市井に潜んでいるだと!?まるで嵐の日の濁流ではないか!)

 十兵衛が持ったイメージは大雨によって荒れ狂った濁流だった。全ての物をあっという間に押し流し、翻弄し、破壊する。その流れはいたるところでうねっており、弾ける白波と濁りで底は見えない。そんな人知の及ばぬ暴力が、あの人型の皮の下に押しとどめられていた。

 彼女がほんの少しでもその内に隠しているものを晒せば、誰であろうとまさに濁流にのまれた木の葉のように何もできぬまま沈んでいってしまうことだろう。そんな天災にも似た存在が今目の前にいる。

 横目で他の者を見れば栗斎ら陰陽師たちも青い顔をしている。対して道順の部下たちは普通に緊張した顔をしているので、おそらく霊感のない者は彼女の異質さに気付けていないのだろう。十兵衛はこの時ほど自分にあやかしが見える才があることを後悔したことはなかった。


 さて、そんな人知を超えた女性、『箱木専女』ことゑいは数度面倒そうに溜め息をついたのち、気だるそうに口を開いた。

「……それで、お前たちは都からの使いで相違ないな?」

 これに代表して答えたのは道順であった。

「左様にございます。某らは武家伝奏ぶけてんそうであらせられる正二位・中宮大夫ちゅうぐうのだいぶ様の命でこちらに参りました」

(……これは俺が聞いてもよかったものなのか?)

 なりゆき耳にしてしまったが、ここで十兵衛は今回の依頼の大本が武家伝奏の中宮大夫であると知った。ちなみに中宮大夫とは天皇の妻(后妃、中宮)に関する事務を行う役職の長のことであるが、今はさほど重要ではない。問題なのは武家伝奏の方である。

 武家伝奏とは朝廷の役職の一つで、天皇に代わって幕府からの奏請を取り次ぐお役目を担っている。いうなれば幕府・朝廷間の窓口の様な役職であるが、彼らは時に天皇の実質的な名代として幕府と交渉することもあった。京都所司代が幕府側の代弁者ならば武家伝奏は天皇側の代弁者と言ったところだろうか。

 ともかくそんな責任重大なお役目のため、武家伝奏は半端な身分の者が就くような役職ではない。それこそ正二位くらいの高位の者が任せられるお役目であった。そんな雲の上のような人物が今回の依頼の裏側にいたのだ。(ちなみにこの頃の将軍・家光が一つ上の従一位である。)

 思わぬところで背後に潜む大物を知り、十兵衛は再度戦慄する。

(予想通り高位の朝廷関係者だったが……それにしたって高位すぎるぞ!?)

 いよいよ倒れかねないほどに肝が冷えてきた十兵衛であったが、しかしそんな困惑を知る由もない道順たちの話は続いていく。

「お手紙にて啓した通り、箱木の姫君に今回の件の立会人になっていただきたいのです」

「立会人ねぇ……。坂東の荒武者たちがいまさら古狐の顔なんて立てないと思うのだが?」

「そんなことをおっしゃらずに、どうかそのお力を少しばかりお貸しください……!」

 細かいところまではわからなかったが、話を聞く限りどうやら道順もとい中宮大夫は幕府との交渉の際にゑいに立会人になってほしいとのことだった。ゑい本人は果たしてそれに意味があるのかと疑問を抱いていたが、彼女の力を知っていれば自殺志願者でもない限りぞんざいに扱うことはないだろう。

 彼らはしばらく行く行かないの問答をしていたが、元より行く方向で話はついていたのか、最終的にゑいはいやいやながらも江戸に向かうことに合意した。

「わかったわかった。約束通り下ってやろう。支度をしてくるからしばし待っておれ」

 そう言って重い足取りで奥に引っ込んだゑいは、たっぷり半刻ほどかけて支度を整え帰ってきた。

「では行こうか」

 気付けば母屋の外には立派な駕籠とその駕籠かきが待っていた。ちなみにこの駕籠かきたちも式神と同等のものである。こういったものをさらりと使うところに彼女の実力の高さが見て取れた。


 なお余談だが、ゑいがいざ駕籠に乗ろうとした際、彼女はふと思い出したかのように動きを止めた。

「……そういえばここまでの案内は誰が行ったのだ?」

「それならば陰陽寮の品田栗斎なる術師にございます」

「ふぅん……」

 ゑいは何気なく紹介された栗斎の方を向く。ただそれだけの行為であったが、相手の強大さがわかる栗斎はまるで大蛇に睨まれた蛙のように身を固くしていた。気の毒ではあるが、今彼ができることは静かに嵐が去るのを待つのみである。

(ご愁傷様です、栗斎殿……)

 そのままゑいは並んでいる他の術師を流すように眺め、そして最後に十兵衛に目を止めた。

「あれも陰陽寮の者か?」

「いえ。あれは江戸の『怪異改め方』なるお役目の者です」

「ほう。まだ続けていたのか。ふぅん……そうかそうか……」

 今度は十兵衛の方が蛙のように固まる番であった。ゑいは何が気になったのかは知らないが、しばらくしげしげと十兵衛を眺めたのち、やがて飽きたのか何も言わずに駕籠に入っていった。

 視線が切れたのを見て、横の術師が労うように肩を叩いた。

「お疲れ」

「あぁまったく、疲れたよ……」

 軽く見つめられただけでこのありさまである。これから彼女と共に駿府まで向かわなければならないと考えると、それだけで吐きそうになるくらいに気が重くなった。


 さて、そんな場面もありつつ、ゑいの協力を取り付けた一行は彼女の駕籠と共に屋敷を出た。その後彼らは町の外で待っていた護衛団一行の元に戻る。ちなみに行きは歩きに歩いて半刻ほどかかったというのに、帰りはたった十数分しかかからなかった。

(この道はこんなに短かったのか……。まったく、つくづく化け物だな……)

 相変わらず規格外な部分しか見えてこないゑい。そんな彼女の駕籠は護衛団の後方に置かれ、その周囲には栗斎たち陰陽寮の術師たちが配置された。

 そして十兵衛は元の配置、護衛団の先頭に戻される。栗斎たちと別れる際、十兵衛は心の底から幸せをかみしめた。

(栗斎殿には申し訳ないが、駕籠から離れられて本当によかったよ……)

 解放感で戻る足取りも軽くなる十兵衛。だが帰って顔を見せるや、与六郎たちはひどく驚愕した。

「十兵衛様、お帰りなさいませ。……どうしたのですか!?ひどく疲れているように見受けられますが!?」

「む?そうか?」

「そうですよ!なんというか、三日くらい寝ていないかのような顔になってますよ!?」

 どうやら気付かぬうちに、顔に出てしまうほどに疲弊してしまっていたようだ。与六郎たちはかなり本気で十兵衛の体調を心配している。だがその原因を口に出して説明する気にはなれなかった。

「気にするな。ちょっと肝を冷やしただけだ」

「?」

 不思議がる与六郎たちであったが、十兵衛が気にするなと言えばそれに従うしかない。

 それにゑいの屋敷で大分時間を使ってしまったため、一行はすぐさま発たねばならなかった。百地の忍びは早速出発するようにと合図を出す。十兵衛たちは先頭なため、彼らが歩きださなければ後続も進みようがない。

「ほら、合図が出たぞ。行こうではないか」

「むぅ……。無理はなさらないでくださいね、十兵衛様」

「わかってる、わかってるさ」

 心配する与六郎たちであったが、摩耗したのは精神の方であり体の方はいたって健康だ。その後は特に体調不良などで苦しむようなことはなく、十兵衛一行はどうにか日が完全に沈むその直前に本日の宿場・石薬師宿に到着することができた。

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