柳十兵衛 護衛任務にて東を目指す 3

 関宿で一夜を明かした十兵衛たち護衛団は、一度東海道を外れて津へと向かった。ここにはもう一人の江戸に連れて行かねばならない人物――『箱木専女はこぎのとおめ』ことゑいえいという女性の屋敷があったためだ。

 十兵衛たちは化け物と評してもいいほどの力を持つゑいと対面。終始圧倒されながらもどうにか彼女の協力を取り付けることに成功する。

 またこの屋敷での問答にて、十兵衛はなりゆきで今回の件の裏に朝廷の武家伝奏がいると知った。

 こうして様々なことがありつつも、ゑいを加えた一行は津から北上して東海道に戻り、再度江戸を目指すのであった。


 ゑいとの合流後、北上して東海道に戻ってきた十兵衛一行は石薬師いしやくし宿で宿を取る。

 そして翌日、護衛三日目。この日も一行はまだ日が昇らぬうちから出発し、正午前に桑名宿が見えるところにまでたどり着いた。

「おぉ!とうとうここまで来たか!」

 小高い丘を越えた十兵衛たちは眼下に雄大に広がる伊勢湾と、そこを列をなして走る帆船の群れに思わず感嘆の声を上げた。

 彼らがたどり着いた桑名宿は伊勢湾の北西部、揖斐川の河口付近にある宿場であった。その特色はなんと言っても、ここ桑名宿から次の尾張・宮宿までを結ぶ東海道唯一の海路『七里の渡し』の存在だろう。伊勢湾北岸を文字通り七里ほど船で渡るこの海路は、潮の流れにも左右されるがおおよそ五時間ほどで対岸へと渡ることができた。一応陸路もあるにはあったが、川をいくつも越える上に半日以上も遅れてしまうため、少々値は張るが十兵衛たちもこれで向こう岸まで向かう予定であった。

「では皆様方、船が出るまでこちらでお待ちになっていてください」

 船の手配は先駆けしていた百地の忍びがすでに行っていた。ただし彼らは本隊の到着が多少遅れても大丈夫なように予約時間に余裕を持たせていたため、一行は少しばかり待つ必要があった。その間彼らは船着き場近くの空き地に陣取り、早めの昼食をとることにした。

「一度港を出れば二刻は船の上だからな。酔わない程度に腹に入れとけよ」

 大声で部隊に指示を飛ばす道順の側近。そこに愛想のよい笑顔を浮かべながら地元の棒手振りが寄ってくる。

「おや、お侍様方。船待ちですか?それならどうぞ、存分に食っていっておくんなせぇ」

「む、煮つけか。よし、一つ貰っておこう」

 十兵衛たちが空き地の一角に陣取るや、こういった船待ちの客に慣れているのか地元の棒手振りたちがどこからともなく集まってきた。獲物を見つけた彼らはひっきりなしにやってきては、焼いた貝だの煎り酒に漬けた小魚だのを勧めてくる。そのにぎやかなさまは、さながら小さな祭りのようだった。

(これはまた一気に姦しくなったな。警護の方は大丈夫だろうか?)

 十兵衛が心配して奥の方をちらと見れば、そこはさすがに百地の忍び。馬に乗っていた覆面の貴人もゑいが乗っている駕籠もさりげなく、しかしまったくの隙なく守られていた。

(さすがだな。あれなら襲撃される心配もないだろう)

「どうかしたのですか、十兵衛様?この小魚、おいしいですよ」

「なんでもない。それより俺もその魚を貰おうかな」

 百地の忍びが進んで食べたところを見るに毒などの心配もないだろう。十兵衛は部下のおすすめに任せて小魚を甘く煮たものを一つつまんだ。


 船着き場近くの空き地ではにぎやかな昼食が続いていた。さすがに酒を飲んで踊りだすような者はいなかったが、美味い食事は過酷な任務中の一行を存分に楽しませたようで、全員目に見えてわかるほどに活力が回復していた。

 それは十兵衛たちの班も同様で、特に若い常隆と四郎五郎は里では食べられない海の幸にたいそう興奮していた。

「こんなに大きな貝を食べたのは初めてですよ!この貝殻持ち帰ってもいいですかね?」

「好きにしろ。だが腐って匂いが出るからちゃんと洗っておけよ?それに四郎五郎、お前は食い過ぎだ。これから船に乗るってことを忘れてはいないだろうな?」

「大丈夫ですって、康成様。ちゃんと腹八分にとどめておきますから」

「本当か?まったく子供のようにはしゃぎおって……」

 呆れる康成。そんな彼らを見て善祐や十兵衛らは微笑ましげに笑っていた。

 そこにこそりと伝令の忍びがやってくる。彼はさりげなく十兵衛の背後に近付くと、低い声で淡々と要件を述べた。

「十兵衛様、まもなく手配した船が出港いたします。波止場の方に向かってくださいませ。なお此度の海路は都合により三組に分かれて乗船する運びとなりました。十兵衛様方の班は一番目の船に乗ってもらいます」

 伝令によると、手配できた船の都合上、護衛団は三組に分かれて海を渡らねばならなくなったらしい。そして十兵衛たちの班はここでも第一陣に割り振られた。

「最初の船ですか。何か気を付けておくようなことはありますか?」

「道順様曰く、宮宿での安全の確保。および海上に罠が仕掛けられていないかの確認をお願いしたいとのことでした」

「海上の罠ですか……。万が一見つけた場合はどうすれば?」

「できれば無力化をお願いしたいのですが、それが無理ならば同乗している他の忍びに報告なさってください。その後はこちらで対処いたします」

「承知いたしました」

 ささやかな打ち合わせが終わると伝令はスッと離れていった。十兵衛はそれを見送ったのち、パンパンと手を叩き家臣たちを注目させた。

「そろそろ船が出るそうだから波止場へと向かうぞ。忘れ物などないように気を受けろよ」

 善祐たちは「はっ」と威勢よく返事をして、各々旅装束の紐を締めなおした。


 十兵衛一行が支度を終え指示された波止場に向かうと、そこにはすでに出港待ちの客が十数人ほどいた。そして彼らの中には山伏や芸人に化けた百地の忍びの姿も見えた。彼らが同乗する護衛仲間だろう。しかしわざわざ話しかけたりなどはしない。十兵衛らは一瞬視線を交わしただけで、あとは互いに他人の振りをしながらやってきた平田船へと乗り込んだ。

 平田船とは大きな帆柱を持つ喫水の浅い運搬用の舟で、ここ七里の渡しでは一般的な船種であった。大きさはそれこそ一人乗りのものから五十人近く乗せられるものまであったが、今回十兵衛たちが乗り込んだのは定員二十名から三十名ほどの中型のもので、乗員は船頭も含めて二十六名。うち十一名が十兵衛たち護衛団の一員だった。

 しばらくして予約者全員が乗船しているのが確認されると、船頭と思わしき頭のハゲた初老の男が客たちに向かって一礼した。

「某が船頭の竹五郎にございます。それでは皆様、しばしの間海の旅を楽しんでいってくださいまし」

 船頭が最後にもう一度頭を下げると、それを合図に長方形の大きな帆が張られた。その帆は西からの風を大きく受け止め、船がぐんと動き出す。

(いよいよ出港か)

 ふと波止場の方に目をやれば、誰とも知れぬ者たちが出港する船に向かって手を振っているのが見えた。十兵衛は何気なしに手を振り返していたが、それもまもなくしてはるか後方へと過ぎ去っていった。


「今日は風の具合がいいですね。これなら普段よりも早く着くかもしれませぬ」

 船頭の竹五郎がそう言ったのは出港から十分ほどが経った頃だった。場所としては揖斐川河口を抜けたあたりで、ここらへんから海の波の影響が大きくなってくる。

 ただ影響と言っても船が転覆するほどではない。もしそうならば初めから出港などしていない。もちろん多少揺れは大きくなるが、よほど船酔いしやすい体質でもない限り気にすることはないだろう。……しかし残念ながら一行の中に一人、その船酔いしやすい体質の者がいた。

「うぅ……気持ちが悪い……」

 十兵衛のお供の一人・四郎五郎は早くも船酔いで吐きそうになっていた。そんな彼の背中を、同じくお供の一人・康成が呆れながらさすっている。

「ったく……。だから食いすぎるなと忠告しただろうが」

「す、すいません……。まさかここまで酷いとは思ってなくて……。うっ……!」

 口に手を当て喉をキュッと締める四郎五郎。崩壊が間近なのは誰の目から見ても明らかであった。

「あぁもう!申し訳ございません、十兵衛様。少しこいつを後ろの方に連れて行ってまいります」

「ん、気にするな。揺れに気を付けろよ」

 許可を得た康成は四郎五郎を引っ張って船の後尾の方に向かって行った。その様子を見守りながら十兵衛や善祐たちは苦笑する。

「まってく、四郎五郎め。お役目の最中だというのに体調管理もできないとは。……申し訳ございません、十兵衛様。後できっちりと言いつけておきますので」

「まぁまぁ、初めての船だったんだ。酔うのも仕方のないことでしょう。それに今お役目としてできるようなことは何もないんだ。そう厳しくする必要もありますまい」

 現在の十兵衛たちのお役目は先んじて宮宿に渡り、後続のためにそこの安全を確保することであった。つまり本格的に動き出すのは船が着いてからであり、現段階でそれほど気を張る必要はない。お役目のことを忘れれば気ままな船旅である。十兵衛は心地よい海風を吸い込み、その潮の香りに自分が遠くまで来たことを改めて自覚した。

「海を渡れば尾張か。随分遠くまで来たものだな……」

「いかがなされましたか、十兵衛様?」

「いや、里を出てからもう四日も経ったのかと思ってな。想像以上の長旅になってしまった。話を聞いたときは精々伊勢あたりまでだと思っていたのにな……」

「気付けば七里の渡しを渡っておりますからな。頼元様も心配しておられることでしょう」

 頼元とは柳生庄の代官で、里では十兵衛の相談役のような役割も担っている人物である。彼は護衛任務の話が来たときに同席していたが、駿府まで向かうことは聞かされていなかった。おそらく彼も五日か六日くらいで帰ってくると思っていたはずだ。

 しかしそれまでに帰郷できないことはもう明らかである。もし推定していた期間を過ぎれば、事情を知らない頼元は何かあったのかと心配することだろう。

「……いや、心配するだけならまだマシな方だ。事情を知るために方々に使者を送って騒ぎ立てられでもしたら、それこそ目も当てられないことになりかねない」

「確かに十兵衛様の安否を確認するためならば、そのような早まった真似をなさるかもしれませんね。……ならば里に一筆書いてみてはいかがでしょうか?」

「一筆だと?」

 訊き返した十兵衛に善祐は「ええ」と頷いた。

「一筆書けば頼元様も安心なさることでしょう。もちろん細かい地名等は書けないでしょうが、まだ数日かかるというくらいなら道順様もお目こぼししてくれるやもしれませぬよ」

 確かに手紙という案は悪くない。だが十兵衛は苦い顔をしてそれは難しいだろうと返す。

「どうだろうな……。なにせ今回の件は政治的にかなり重要そうだからな……」

(そう、今回の任務の背後には朝廷のお偉いさん方がいる。情報の漏洩など簡単に許してはくれないだろう)

 十兵衛はゑいの屋敷にて、なりゆきで今回の任務の背後に朝廷の武家伝奏がいることを知った。武家伝奏とは幕府との連絡・交渉を行う朝廷の高位の役職で、そんなお役目にかかわる人物が秘密裏に江戸へと向かうのだ。政治的に高度な問題が背後にあることは想像に難くない。

 十兵衛はこのことを与六郎たちには話してなかったが、十兵衛の態度から彼らも何かを感じ取ったようで、これ以上この話題は続けずに別の話を振った。


「……そういえば罠の気配はございませんか、十兵衛様?」

 こそりと尋ねたのは与六郎だった。彼は十兵衛には宮宿のお役目とは別に、怪異改め方視点での海路の安全確認も頼まれていることを聞いていた。具体的に言えば妖術を使った罠などがないかということだ。

 だが十兵衛は軽く周囲を見渡すと、つまらなさそうに首を振った。

「それらしいものは何もないな。そもそも海上に妖術を用意しておくというのはかなり難しいんだ。おそらく今後も何も出てきはしないだろう」

「そうなのですか?」

「ああ。少なくとも俺は仕掛けようとは思わん。波は不規則だし、陸地からは距離もある。そして何より塩が多すぎる」

「塩?」

 一瞬意図がわからなかった与六郎たちであったが、しばらくして塩にはお清めの効果があったことを思い出す。

「あぁなるほど。海水の塩によって用意されていた妖術がかき消されるというわけですか」

 頷く十兵衛。塩によるお清めは現代でも知られているくらいに簡易で、それでいて強力な不浄祓いのまじないであった。

「そう。術師がポンポンと使っているからそうは見えないかもしれないが、本来妖術というものはかなり繊細な代物だからな。余程のものでもない限り、あっという間に塩で洗い流されてしまうだろう」

「なるほど。ですがもしその『余程のもの』が用意されていたとしたら……」

「それほど強い術式なら寝てても気付く。だがそんな気配はどこにもない。つまるところ罠の類は仕掛けられてないと見ていいということだ。まぁ道順殿はこっちの方は門外漢だからな。過剰に警戒してしまっても仕方あるまい」

 十兵衛の説明に納得する善祐たち。

 しかし怪異による脅威は妖術だけではないと善祐はさらに尋ねる。

「では水棲のあやかしによる襲撃ならどうですか?某はあまり詳しくはありませんが……例えば河童やら船幽霊のような輩ならば直接船に乗り込むこともできましょうぞ」

 河童も船幽霊も水中で自在に動けるあやかしだ。そういったあやかしに目を付けられれば確かに普通の人間では対処できないだろう。しかし十兵衛はこれにも首を振る。

「もし後続の船が襲われれば、正直俺にはどうしようもできない。……ただ実際に襲ってくる可能性はほとんどないだろう」

「どうしてそう思われるのですか?」

「こういった交通の要所では裏でいろいろと契約が結ばれているからだ。このあたりだとおそらく伊勢神宮の管轄だろう。そこに目を付けられる覚悟で襲ってくる奴などそうそうおるまい」

(それに今回はあのゑい殿もいるのだからな)

 五百歳以上生きていると言われている化け物、『箱木専女』ゑい。彼女はその気配ですら人外の域に達しており、それを感じ取れる者で彼女を襲おうと考えるやつはまずいないだろう。そういう意味では彼女の乗る舟が一番安全だと言ってもいいほどである。

「まぁとにかく、もうしばらくの間はのんびりしていていいということだ。陸に上がったらまた忙しくなるから、今のうちにしっかりと休んでおくべきだな」

 そう言うと十兵衛は体をもぞもぞとさせたのち、狭い船内でうまく横になった。これに倣い与六郎たちも各々思い思いの体位で楽に座る。

 そして船が進むこと約四時間半後。十兵衛の予想通り大きな旅禍なく、船は尾張国・宮宿の波止場へと入っていった。

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