柳生三厳 謎の護衛任務を受ける 3

 柘植つげに到着した十兵衛は旧友の伊賀忍者・与六郎と再会した。使いの者曰く、ここからは与六郎を含めた六人一組の班として動いてもらうとのことだった。

 その後十兵衛は今回の任務の総指揮官である百地道順どうじゅんと顔合わせを行う。

 道順によると今回の護衛任務は三区画に分かれており、十兵衛たちは甲賀から駿府までの区間を担当するそうだ。そして早速今晩、護衛の引き継ぎが行われるらしい。

「まもなく村を発ちますので準備をしてお待ちになっていてください」

 必要な情報を得た十兵衛はそれを共有するために屋敷へと戻った。


 道順との顔合わせを終えた十兵衛は与えられていた仮の屋敷へと戻り、早速部下たちに会合の内容を話して聞かせた。

 彼らは初めは大事なお役目ゆえ聞き逃すまいと神妙な顔をしていたが、聞き終わる頃には道順の秘密主義に対する不満に顔を赤くしていた。

「この期に及んでまだ護衛対象も教えてもらえぬとは、随分と舐められたものですな」

「まったくですな。いかに百地家といえども、こちらは将軍家に仕える家だというのに。よろしいのですか、三厳様?このまま向こうの言う通りに動いても」

 十兵衛も不満がないわけではなかったが、こうやって熱くなる部下を見ていると逆に冷静になってくる。

「そうカッカするな。向こうにも何か考えがあってのことだろう。それに護衛対象はかなり高貴な方のようだ。ならばわざわざ藪をつついて蛇を出すわけにもいくまい」

 現時点ではあくまで推定だが、今回の件は幕府と朝廷が関わっていると思われる。もとより政治的立ち回りがあまり得意ではない十兵衛だ。下手にそれを求められれば荷が勝つのは火を見るよりも明らかだろう。

 しかし相手がだれかわからないのならば、そんな立ち回りが求められることもない。

「教えてもらってないというのは、むしろ道順殿の温情だろう。単なる武者働きで構わないということだからな。ならば甘んじて受け取っておこうではないか」

「むぅ……十兵衛様がそうおっしゃられるのなら……」

 十兵衛に説かれて怒りを鎮める部下たち。彼らの怒りは柳生家に対する忠義の裏返しとも言える。それがわかっているからこそ十兵衛もそれ以上咎めることはしなかった。

「わかってくれるならそれでいい。それよりもまもなくここを発つそうだ。今のうちに少しでも体力を回復させておけよ」

 道順の話通りなら護衛任務の引き継ぎのためにまもなく村を出ることとなる。目的地はここから北にある近江国・甲賀。時間的に夜間行軍となるだろう。十兵衛は善祐たちを無理矢理座らせ、各々に体力の回復と装備の点検に務めさせた。


 それから半刻ほど経った頃だろうか。太陽がまもなく稜線に隠れようかとしている頃に、不意に庭先でヒヨドリがヒィィと鳴いた。

「……近いな。庭に迷い込んだのか?」

 これを耳にした者は山に帰ろうとしていた一羽が庭に迷い込んだのかと思った。しかし唯一与六郎だけが何かに気付いてスッと立ち上がる。

「どうかしたのか、与六郎?」

「……おそらくですが、今のが出発の合図かと」

「えっ!?今の小鳥がか!?」

 与六郎は庭の方に首を伸ばし、やがて確信めいた顔で頷いた。

「やはり忍びによる合図です。三厳様、出発です」

 どうやら先程の鳥の声はヒヨドリを模した百地の忍びによるものだったようだ。与六郎の指摘を受けて十兵衛たちは慌てて草鞋を締めて屋敷を出た。

 屋敷の外は隣の顔も見えぬような黄昏時で、村はずれということもあってか通りには人っ子一人見当たらない。しかし与六郎はまるですべてが見えているかのように十兵衛たちを先導する。

「こちらです、十兵衛様」

(何も見えん……)

 一応十兵衛もたしなみ程度には忍術の勉強をしていたが、道しるべらしいものは全く見当たらない。だが与六郎がそう言うならばそうなのだろうと、迷わず彼の後に続く。

「では案内頼んだぞ」

「お任せください」

 こうして十兵衛たちは暮れなずむ柘植の村を、こそりと北に抜け出した。


 与六郎の先導で柘植の村を出た十兵衛たちであったが、まもなくすると日は完全に沈み、周囲は夜闇に包まれた。

 時期悪く新月に近かったため、足元を照らすのはわずかな星明りくらいしかない。しかしそんな中でも与六郎は迷うことなく谷間の街道を進み、十兵衛たちはそれに必死について行く。

「右側、少し段差になってますので注意してください」

「あ、あぁ、わかった……。後ろの者も気を付けろよ」

「はっ」

 真っ暗闇の中、目の前の影を見失わないように必死について行く十兵衛たち。正直途中(このままついて行ってもいいのか?)という不安になることもあった。それでも信じて歩くこと約四半刻。伊賀と近江の国境あたりで一行はようやく他の護衛者たちと合流した。

「待て。貴殿らはどこの者だ?」

 その声は樹上から唐突にかけられた。おののく十兵衛たちであったが、与六郎だけが一人それに驚くこともなく応える。

「植田家および柳生家の者にございます」

「そうか、お前たちがか。話は聞いている。このまま北西に進み、目印の場所で待つように」

「はっ」

 おそらく相手も忍びだったのだろう、尋ねてきた相手はスッと夜闇に消えていった。

「……目印か。わかるのか、与六郎?」

「一応は。百地の方々と仕事をするのはこれが初めてではないですからね」

 そう言うと与六郎はしばらく歩いたのち、「ここですね」と言ってとある大ケヤキの下に陣取った。

「むぅ……。目印らしいものは何もないようだが……」

「まぁ普通の人に見破られたら商売あがったりですからね。ですが場所はここであってますよ。ほら、他の護衛者たちもちらほらと見えますよし」

 与六郎に言われて周囲の気配を探れば、確かにそこかしこに待機している影が見える。周囲に村や集落などはないため全員が護衛として集められた者だろう。

「結構な数だな。二十人……いや、もっとか。まさかこの気配全員が護衛者なのか?」

「多いのは京からの護衛もいるためでしょう。それにしたって結構な人数ですがね」

 普通の護衛任務なら対象一人につき腕利き三、四人が妥当だろう。しかしここに集まっているのは二十人以上。幾人かはここまでの契約なのだろうが、それにしたって並の数ではない。

 十兵衛がこれに困惑しているとその意を感じ取ったのか、与六郎が少し調べてこようかと提案してきた。

「まぁ気にはなりますね。少し探ってきましょうか?」

「大丈夫か?相手が相手だぞ」

「別段禁止されたわけでもありませんし、他の護衛仲間と談笑する程度なら問題ないでしょう。大丈夫じゃなかったとしても軽く叱られるくらいですよ」

「ふむ……お前がそう言うのなら、頼めるか?」

「お任せを」

 許可を得た与六郎は音もなく夜闇に消えていった。残った十兵衛は下手に動かず、仲間たちと藪蚊除けの薬を塗ったり夜食代わりの干飯ほしいいを食んだりして彼を待っていた。

 与六郎が帰ってきたのはそれから半刻ほど経った後のことだった。


 与六郎は十兵衛が干飯をボリボリと食んでいる最中に戻ってきた。

「お待たせしました、十兵衛様。少しばかり情報を仕入れてきました」

「ご苦労。何かわかったか?」

「はっ。まずは護衛対象ですが、かの人はここから数町北のお堂にて一夜を過ごすそうです」

 与六郎が聞いてきたところによると、どうやらこの先のお堂に護衛対象がいるらしい。またこのお堂には道順たちも詰めているらしく、同時に護衛任務の引き継ぎも行われているとのことだった。

「一目くらいは見ておこうかと近付いたのですが、さすがに警備が厳重で引き返してまいりました」

「無茶しおって。伊賀・甲賀双方の忍びが守っているのだから当然だろう」

 京都からここまでの護衛は甲賀の忍びが担当したと聞いている。名前は明かされていなかったが、後任が伊賀の名門・百地と考えると、それと釣り合うくらいの実力者であることは想像に難くない。

 しかしそんな護衛がいたにもかかわらず、彼らは道中襲撃を受けたとのことだった。

「聞いたところによりますと、彼らは京からここまでの間ですでに二度ほど襲われたとのことです」

「二度も!?それは本当か!?」

 現在地は近江と伊賀の国境付近であり、京都からはおおよそ70キロメートル程度しかない。その距離で二度も襲われたとあらば、過剰と言って差し支えはないだろう。

 加えて与六郎はその襲撃に妖術が使われたらしいことをほのめかした。

「それとこれはあくまで噂ですが、襲撃には妖術が使われたという話も聞いております」

「妖術までも!?どんな術が使われたのだ!?」

「申し訳ございませんがそこまでは……。ただ陰陽寮の方が対処したとのことでしたので、妖術が使われたこと自体は間違いないかと」

 十兵衛は妖術が使われたこともそうだが、陰陽寮の人間が駆り出されていることにも驚いた。

「陰陽寮の者も来ているのか?」

「直接見てはいませんが噂ではそのように。十兵衛様が呼ばれていることを考えると、呼んでいてもおかしくはないかと思われます」

 陰陽寮とは陰陽術師を管理する機関のことで、朝廷の実務を担う機関・中務省に属している。つまりは現代における中央省庁の官僚のようなもので、気軽に呼び出して使えるような相手ではない。おそらく公式な手続きを経て寄越されているはず。京都所司代からの書状といい、こんなところでも向こうの本気が見て取れた。

 ちなみにこの頃の陰陽頭・幸徳井友景は十兵衛の叔父であり、また十兵衛と寮員の幾人かには個人的な交流もあった。

「陰陽寮か……。知ってる顔がいるだろうか?妖術についても聞いておきたいし、一度会いに行くのも悪くはないかもな」

「でしたら明け方、出発前でしょうか?さすがにこの時間じゃ向こうももう休んでるでしょうしね」

 現在の時刻は夜の四つ頃(午後9時から10時頃)。山中ということもあって、隣に誰がいるのかすらわからないほどに周囲は闇に覆われている。

「それが妥当だな。仕方がない。こっちも交代で仮眠をとって日の出を待つとするか」

 十兵衛はお供たちに交代で仮眠をとるように指示を出し、自分も大ケヤキに背を預けて目を閉じた。

 夜間の行進で思った以上に疲れていたのだろうか、瞼は思っていたよりも素直に落ちてくれた。


 甲賀の山中にて睡眠をとる十兵衛。幸いこの日の夜は騒動もなく過ぎ去り、やがて肩を揺らして起こそうとしてくる声で目を覚ます。

「十兵衛様。空が白んできましたよ。出発は近いですぞ」

 声の主はお供の一人である善祐だった。十兵衛がこすりながら目を開ければ、確かに瑠璃色に染まりつつある空が見て取れた。

「……朝か。何か動きはあったか?」

「少し前に与六郎殿が呼ばれてお堂の方へと向かいました。それ以外は今のところ何も」

「そうか。配置の確認か何かかな?」

 大きく伸びをした十兵衛は手拭いを朝露で湿らせ顔を拭く。スッキリした頭で周囲の気配を探れば、他の組も静かに出発の準備を整えているところであった。

(……先に出発の準備だな。陰陽寮の者に話を聞きに行きたかったのだが、それは与六郎が帰ってきてからでいいだろう)

 とりあえず十兵衛も他の者に倣い自身の装備の点検や腹拵えを済ます。そして食後の用足しから戻ってきたところで与六郎も帰ってきた。

「ただいま戻りました。十兵衛様もお早いお目覚めで」

「お前には負けるさ。それより話は何だったんだ?配置の確認か?」

「はい。護衛の布陣を聞いてまいりました。少々お待ちください。今お伝えいたしますので……」

 戻った与六郎は早速説明しやすいように地面に適当な石を複数並べて見せた。それを十兵衛たちが囲んで覗き込む。

「中央の石が護衛対象で、周囲の石が京から同行している側近の護衛。某たちは最前面の守護――露払いのような場所を任されました」

「ふむ、俺たちが先頭か。ならば後ろは道順殿たちか?」

「いえ、背後は京から同行している方々で固めるそうです。道順様たちはさらにその外殻――周囲で隠れて監視を行うとのことでした」

 与六郎は並べられた複数の石を囲むように大きく円を描いた。これが百地の忍びたちによる警戒網である。襲撃者は十兵衛たちよりも先に、この層を突破しなければならないということだ。

「なるほど、これは堅牢だ。これを襲おうとするやつなどそうそういないだろう」

「油断は禁物ですよ、十兵衛様。昨日の布陣も似たようなものだったそうですが、それでも二度も襲撃されております。それに妖術やあやかしならば数など意味は持ちませぬ」

「妖術……。そうだ、それで思い出したのだが、陰陽寮の者と話をしてみたいのだが今は大丈夫か?」

「手配はしておきました。まもなく来られるはずです」

 さすがは付き合いが長いだけあって、与六郎は先んじて十兵衛が望むものを準備していた。そしてちょうど説明が終わるあたりで、一人の山伏風の男が近付いてくるのが目に入った。


 近付いてきたのは、ひげを蓄えた体格のいい四十前後の山伏風の男であった。

 善祐がこれに対応したところ、彼は京都から同行している護衛の陰陽師の一人で、自らを品田栗斎りっさいと名乗った。

「こちらに柳生三厳殿がいらっしゃると聞いて来たのだが、間違いないか?」

「某が三厳だ。今は柳十兵衛と名乗っておるがな。して貴殿は?」

「これはこれは、お会いできて光栄だ、十兵衛殿。某は陰陽寮は陰陽史生ししょうの品田栗斎りっさいだ。貴殿のことは陰陽頭様や雅行から聞いていた」

 栗斎はそう言うとニカッと気持ちよく笑って白い歯を見せた。彼が名前を挙げた陰陽頭とは十兵衛の叔父である幸徳井友景のことで、雅行とは十兵衛の旧友で陰陽寮に所属している多比羅雅行のことである(第九話にて登場)。彼らを知っているということは正規の陰陽術師と見て間違いないだろう。

「栗斎殿ですね。貴殿も対妖術要因としてこちらに?」

「ああ。ちょうど動けるのが俺しかいなくてな。しかし貴殿が来てくれて助かったよ。こっちは武闘派がいなかったものでな」

「ご期待に沿えるよう善処します。……ところで栗斎殿。ここまでの道中で妖術らしきものを使われたと耳にしましたが、それは真ですか?」

「ああ、目くらましや道に迷わせる程度のものだったがな。そこら辺の狸や狐でも使えるくらいのものだ」

 栗斎によると道中で使われた妖術は軽く進行の邪魔をする程度のもので、落ち着いて対処すれば新人陰陽師でもどうこうできるくらいのものだったらしい。

「とはいえここから先もそれだけで済むとは言い切れない。某たちは中央後方にて警戒するが、十兵衛殿はどちらを担当する?」

「某らは露払いの位置にございます。おそらくは敵の突破を止めることを期待されているのかと」

「なるほど、そちらも大変そうだな。……そろそろ発つようだが、努々気を付けられろよ」

「ご心配ありがとうございます。そちらもお気をつけて」

 気付けば誰かが合図をしたわけでもないのに、周囲はにわかに活気づいていた。おそらく皆まもなく出発であることを肌で感じ取っているのだろう。

「では、またな」

 栗斎も軽く手を振り自分の持ち場に戻っていく。そして入れ替わるように百地の伝令がやってくる。

「まもなく出発だ。配置につけ。場所はわかっているな?」

「承知しております。……ちなみにですが、今日はどこまで向かう予定となっているのでしょうか?」

「一応関宿を目標としている。だが予定はあくまで予定。臨機応変に動けるように覚悟しておけよ」

 関宿とは東海道の宿場の一つで、現代では三重県西部の亀山市関町に相当する。甲賀からは加太越かぶとごえという峠を越えた先にあり、一日に進む距離としては妥当な目的地であった。

「さぁ無駄話はもういいだろう。こっちも忙しいんだから早く配置に着けよ」

 伝令からの指示を受けた十兵衛たちは指定された場所に立つ。彼らの位置は護衛団の先頭で、少し振り返れば緊張した面持ちの他の護衛たちの顔が見て取れた。

「ふむ。これだけの連中の前に立つというのも、これはこれで壮観だな」

「ええ。と言っても実際の先頭は近くに潜んでいる百地の忍びですがね」

「わかってるさ。俺たちは言われた通りに歩いていればいいのだろう」

「それで済めば万々歳なんですがね……」

 お供の一人が懇願するように呟いたが、もちろん平穏な旅路になることはないだろう。十兵衛は一度鯉口を切り、腰の刀の感触を確かめた。体調、集中力は共に許容範囲内である。

「……合図が来ました。出ますよ」

「うむ、参ろうか」

 こうして十兵衛たちは護衛の最前線に立ち、一路関宿へと向けて歩き出した。

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