柳生三厳 謎の護衛任務を受ける 2
伊賀忍者の名門・百地家から護衛任務を依頼された柳生三厳。
困ったことに詳しい任務内容は伏せられていたものの、政治的に重要な気配を感じ取ったため三厳はこれを受けることにした。
準備を整えた三厳一行は詳しいことは何も知らされぬまま、任務の指揮官が待つ伊賀国・
柳生庄を出発し伊賀国・柘植へと向かう三厳一行。彼らはまずいつものように笠置街道を使って上野へと向かう。そこで一泊したのち、東に延びる柘植川に沿って半日ほど歩けば柘植の村へとたどり着く。
このルートは大和街道とも呼ばれており、その歴史は古く、東海道が発達した今でもよく整備されている比較的歩きやすい道だった。そのため一行は道中大きな旅禍もなく、出発から二日目の昼過ぎに目的の柘植へと到着した。
時刻は申の刻(午後四時前後)。初夏の太陽がわずかに沈みかけた頃だった。
「お疲れ様でした、三厳様。向こうに屋敷を用意しておりますので、そちらでしばらくお休みになっていてください」
柘植に到着すると、百地の使いは三厳たちを村外れにある小さな屋敷まで案内した。よく手入れのされてある客人用の屋敷である。
それ自体はありがたかったのだが、三厳としては先に依頼主の方に案内してほしかった。
「ありがというございます。ところで今回の件の責任者には会えぬのですか?早いうちに依頼内容を確認しておきたいのですが……」
ただでさえ今回の任務は不明な点が多い。情報を得るなら早いに越したことはないのだが、しかし使いの者はこれに首を横に振る。
「向こうも護衛の準備で立て込んでおりますゆえ、時が来たらこちらから再度お呼びいたしします。それまでこちらでお待ちになっていてください。連絡用の者も用意しておりますので」
「連絡用の者?」
ここで不意に屋敷の戸が内側から開かれた。そしてそこには三厳のよく知る顔がいた。
「三厳様。お久しぶりです」
「……与六郎!?与六郎ではないか!どうしてここに!?」
屋敷内にて待っていたのは伊賀忍者にして三厳の旧友である植田与六郎だった。
見知った顔に驚く三厳。それもそのはず、確か与六郎は現在大坂の町での諜報活動を取り仕切っているはずだ。それがなぜここにいるのかと不思議に思っていると、百地の使いが回答した。
「植田家の者がいた方が三厳様方も安心できると思い、お呼びいたしました。以降は彼を連絡役として細かい指示をお伝えします」
「先ほども言っておりましたが、連絡役とはどういうことですか?」
「今回の護衛の件、それなりの人数が参加しておりまして、こちらといたしましても一人一人に指示を出すような余裕がないんですよ。そのため効率よく動かすために小さな班に分けて運用することとなっております」
「つまり某たちと与六郎とで一つの組ということですか」
百地の使いは肯定の意を込めて頷いた。
「左様です。三厳様方五人に与六郎殿の計六人で一つの班ですね。まぁ詳しいことは後で改めてお伝えいたしますので、今はとりあえず休んでいてください。護衛のお役目が始まればゆっくりできる時間なんて無くなりますからね」
そう言って百地の使いは忙しそうに足早に去っていった。これはもう素直に待つしかなさそうだ。三厳たちは言われた通り屋敷に入り、各々草鞋を解いて腰を下ろした。
客人用の屋敷にて旅装束を解いた三厳たちは、まずは与六郎との再会を喜んだ。
「しかしここで与六郎と再会するとは思ってもみなかったぞ」
「某も三厳様がいらっしゃると聞いたときは驚きました。壮健そうで何よりです」
そして話題は必然今回の依頼についてとなる。
「……では与六郎も詳しい事情は聞かされていないのだな」
「申し訳ございません、三厳様。某もただ家の上の者から協力するようにと言われて来ただけですので……」
どうやら与六郎の方も詳しい事情は聞かされていないらしい。
「お前ですらその扱いとはな」
与六郎は若輩ながらも大坂一帯の情報網管理を任されている、いわば若手の出世頭である。そんな彼ですらこの扱いということで三厳は驚いていたが、当の本人はさほど気にしてはいなさそうだった。
「ええ。ですが百地家は時勢を間違えるような家ではありません。上の方が納得しているということは一応の筋は通してあるのでしょう。某はただ言われたことをやるのみです」
ここら辺の割り切りは、さすがは本職の忍びといったところだろう。
三厳は「そういうものか」と呟いて、若干不満そうに頭をガシガシと掻いた。
三厳が手持ち無沙汰になったところで、ここで少し彼の同行者について触れておこう。
今回百地家は、三厳を含めた五人ほどを護衛として用立ててほしいと依頼してきた。ゆえに選ばれた三厳のお供四人は全員が腕利きである。
その筆頭は以前三厳の命で伊勢に赴いたことのある(第八話)松木
二人目は猿田
残る二人は若輩ながらも腕の立つ守山
また彼らは護衛として活躍することもそうだが、万一の場合はその身命を賭して三厳を柳生庄にまで連れ帰るという命も受けていた。
さて、そんな彼らが屋敷に入ってから早くも半刻ほどが過ぎていた。さすがにそろそろ暇を持て余しかねないと思っていたそんな折、改めて百地の使いが訪ねてくる。
「お待たせいたしました、三厳様。
どうやらやっと依頼主――道順とやらに時間ができたらしい。その面通しに代表して三厳と与六郎が向かうことになったのだが、その移動の道中三厳は与六郎にこそりと尋ねた。
「『道順』と言っていたが、有名な者なのか?」
忍びに対して「有名か?」と問うのも変な話だが、これに与六郎はこくりと頷いた。
「道順様は百地家の中でもかなり名の知れた指折りの実力者です。将来の家老衆候補とも言われておりまして、まさかそんなお方が直々に指揮を執っておられるとは、正直驚いております……」
「会ったことはあるのか?」
「とんでもない!聞こえるのは噂ばかりで、実在するのかすら疑ってたくらいですよ」
珍しく硬い顔をする与六郎を見るに、どうやら指揮官は伝説級の人物のようだ。
(そんな人物が指揮を執るということは、やはり護衛対象は相当な権力者のようだな)
三厳がそんなことを考えながら歩いていくと、二人はやがて村の庄屋屋敷にまで案内された。そのまま奥座敷にまで通されると、そこでは無骨な気配を漂わせている四十代ほどの大柄の男が座して待っていた。
男は三厳たちが着座するや丁寧に頭を下げた。
「ご足労まことにありがとうございます、三厳様に与六郎殿。某、此度の件の陣頭指揮を任されております百地家家中が一人、百地道順にございます」
――そう、彼がしたのは単なる挨拶だった。にもかかわらず三厳は彼の一挙手一投足になぜかぞくりと背すじを震わせた。
(何だ、この……得も言わせぬ威圧感は……!?)
息が詰まるような威圧感。それは妖術でも怪しい薬でもない、長年影で生きてきた百戦錬磨の忍びが自然と醸し出す圧倒的な存在感であった。
(これは……本気で剣を握った時の父上のような気迫だ……!)
三厳はその圧倒的な雰囲気に呑まれ思わず心を折りかけたが、寸でのところで気を取り直し、冷静に挨拶をし返した。
「……柳生庄領主・柳生宗矩が嫡男・柳生三厳にございます。此度は火急の大事とのことで、手勢四名を率いて参上仕りました」
これに道順は(ほう)と満足したように口端をわずかに上げた。
「……さすがは柳生家の嫡男といったところか」
「何かおっしゃられましたか?」
「いえ、何も。それよりも時間が押してますゆえ、早速護衛内容について説明させていただきます。さぁどうぞ近くに」
近くに寄るよう促す道順。これに三厳と与六郎は若干躊躇いながらも体一つ分ほど前に寄った。
三厳と与六郎が聞く体勢に入ったのを確認すると、道順は落ち着いた口調で今回のお役目について話し始めた。
「改めて申し上げますと、今回三厳様に依頼するのは某らが承った護衛任務の助力です。本来ならば百地家の依頼ゆえ百地家の者だけで遂行するべきなのですが、少しでも懸念を払拭するために三厳様に声をかけさせていただきました」
「懸念といいますと、やはりあやかし関連でしょうか?」
自分が名指しで呼ばれるとすればそれくらいしかないだろう。三厳の問いかけに道順はこくりと頷いた。
「察しの通りです。お恥ずかしながら百地家家中でも妖術・あやかしに対抗できる者は限られておりまして、そこに護衛に足るだけの実戦経験がある者となるともはや片手で数えられる程度。任務の成功を第一に考えるならば三厳様に声をかけるのが妥当だという結論に至りました」
なるほど確かに三厳ほど対人・対あやかしの双方で高い実力を持っている者はそうそういない。道順の言う通り妥当な人選だと言える。
「ご期待に沿えるよう善処いたします。……時にそのお方はあやかしから命を狙われるようなお方なのですか?」
「いえ、そういうわけではなく、とにかく万事に備える必要があったんです。今回の件は『失敗した』で済まされるようなものではありませんからね」
道順は悩まし気に眉根にしわを寄せた。どうやら予想していた通り、護衛対象は万が一の失敗も許されないような重要人物のようだ。そして相変わらずその名前は出てこない。
「……やはりお名前を聞くことはできないのでしょうか?」
「申し訳ございません。信用してないわけではないのですが、それでも万全を期すために明かすことはできません」
「承知いたしました。それについてはもう尋ねません。……でしたらどこまでの護衛かを聞くことはできるでしょうか?目的地を知っていると知らずにいるとでは、精神的な負荷も大きく違いますので……」
三厳は護衛対象について知ることは諦め、旅のゴールがどこにあるのかを聞くことにした。道順はこちらの方はすんなりと教えてくれた。
「それならば構いませぬよ。予定では某らは駿府まで向かう手筈となっております」
「駿府までですか!?」
思わず驚きの声を上げる三厳。駿府とは現在で言う静岡県中央部の都市であり、ここ伊賀からは250キロメートル以上離れている。三厳は精々伊勢か尾張までだろうと予想していたため、完全に虚をつかれた形となった。
「……失礼しました。思っていたよりも長旅になりそうだったので、つい……」
「いえいえ。実際長旅ですし驚かれるのも無理のないこと。それにこれはあくまで順調にいけばの話。何かしらの問題が起これば、そのまま我らで江戸まで行くこともない話ではありません」
「どういうことですか?」
「実は今回の護衛任務は某ら単独のものではなく、三つの班が分担して護衛することになっているのですよ」
道順の話はこうだった。
曰く今回の護衛対象は京都から江戸まで向かうつもりらしい。つまりは東海道の西端から東端まで。その全長はおおよそ500キロメートルにも及び、一般的な旅人の足だと十五日前後かかる道程となる。
この長い旅路を一つの護衛に任せると、補給や疲労の観点から効率よく進めなくなる可能性があった。どうやら彼らは一刻も早く江戸へと到着したいらしい。そのため彼らはルートを大きく三区画に分け、それぞれで土地勘を持つ別の護衛を雇うことにした。内訳としては京都から近江・甲賀までを甲賀忍者の名門が主導し、近江・甲賀から駿河・駿府までを百地家が担当する。
「そして駿府からは江戸からの使者が護衛を受け持つことになっております。つまり我らのお役目は甲賀より護衛対象を受け取り、駿府にて引き渡すまでの区間ということです」
「なるほど、理解しました。してその護衛相手はもう受け取っているのですか?」
これに道順は首を振る。
「いえ。護衛の引き継ぎはこれから――今晩甲賀の山中にて行います。出発まであと一刻もないでしょう。もちろん三厳様たちにも同行してもらいます」
「同行って、まもなく日が沈みますが……」
「護衛の大半が忍びのため、そちらの方が都合がいいのですよ。なに、与六郎殿は夜目が利くのでしょう?」
横で控えていた与六郎は静かに頷いた。夜間の先導は彼を頼れということだろう。
「夜の山中で引継ぎをし、そのまま日の出まで待ち、日が昇ったら止まることなく関宿へと向かいます。……とりあえず今話せるのはこんなところですかね。何か聞いておきたいことなどはございますか?」
あまり一辺に説明してもどうしようもないだろうとして、道順は一度ここで話を区切った。
三厳としても最低限のことは知れたとは思う。
(できれば護衛対象の名前くらいは聞きたかったが、まぁ無効にしゃべる気がないのなら無理は言うまい)
そして三厳は最後に一つだけ道順に請いた。
「おおよそ理解いたしましたが、最後に一つだけ。某はあやかしが関わっているお役目を行う際には、穢れ防止のために両名を名乗っております。ゆえに此度の件は『怪異改め方・柳十兵衛』として参列してもよろしかったでしょうか?」
これに道順は結構と頷いた。
「構いませぬよ。ではここからは左様にお呼びいたしましょう。頼みましたよ、十兵衛様」
「はっ。身命を賭して臨みます」
こうして柳生三厳改め柳十兵衛は深々と頭を下げて、この会合の終わりとした。
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