(第十二話) 柳生三厳 謎の護衛任務を受ける 1

 梅雨が明け夏の気配が漂ってきた寛永五年(1628年)の六月某日。柳生宗矩が嫡男・柳生三厳は今日も屋敷の庭先にて鍛錬の汗を流していた。

「ふっ……!はっ……!てりゃっ……!」

 新陰流の型を初伝から丁寧になぞる三厳。仮想の敵を脳内に描き、それを一人二人と丁寧に処していく。

 響く風切り音に躍動する若い四肢。その流れるような動きは見ている者を思わず感嘆させるほどだったが、当の本人は自身の心と体の噛み合わなさを自覚していた。

(……ダメだな。雑念を振り切れていない。これでは何も切れやしない)

 洗練された動きとは裏腹に、その手中には泥のような違和感がこびりつく。言ってしまえば不調。そしてその原因もわかっている。それは先日出会った春豪しゅんごうという名の僧侶との問答にあった。

『時代は人々に太平の世を与えた。しかしそれは本当に武士にとって幸福な世なのか?』

 平和な時代における武士の役割とは何か?以前より薄々気付いていた問題ではあったが、改めて問われればやはり簡単には答えは出ない。

 そもそも前提からして矛盾しているのだ。武士とは戦場にて功を挙げる者――つまりは戦場の存在を前提としている。だが戦は家族や主君の命を脅かすものである。実際三厳も主君・家光や柳生庄が脅かされるような戦火は望んでいない。

 しかし戦火を望まぬのならば、こうして日々鍛錬している意味は何だ?それにまだ主君を持たない牢人たちはどうすればいい?つまるところ本当に今の世が武士にとって幸福な世界なのだろうか?

(俺はこの問いに何て答えればいいんだ……!?)

 苦悩しながら三厳は、型稽古の締めとして最後に一つ鋭い逆袈裟切りを放った。跳ね上げられた切っ先は脳内の仮想敵を一刀両断する。その出来に心の靄はほんの少しだけ晴れた。

(……まぁそう簡単に答えが出るような問題ではないか)

 武士の在り方については三厳だけでなく、この時代の多くの武士たちが腐心してきた問題だ。それゆえに一日二日悩んだ程度で快刀乱麻な答えが出てくるはずもない。

 情けない話だが今はこうやって誤魔化していくしかない。三厳は大きく息を吐き静かに刀を納めるのであった。


 稽古が一段落したところで縁側に腰掛け汗を拭う三厳。そこに慌てた様子で下男が駆けてきた。

「三厳様。伊賀より火急の使者にございます」

 どうやら鍛錬中に訪問者があったようだ。三厳は気付かなかったがそれもそのはず、下男の言う伊賀とは伊賀の忍び一派のことである。

 柳生家は戦国の頃より伊賀の忍びたちと縁があり、時折こういう風に伊賀側から依頼が来ることがあった。

「火急とは剣呑だな。それでどこの使いだ?」

「はっ。百地ももち様にございます」

 その名を聞いて三厳は(おや)とわずかに訝しむ。

 百地といえば現代までその名が残っている伊賀忍者の名門だ。しかし柳生家とのつながりはそれほど深いわけではない。

 いかに柳生家と言えどもすべての家と親しいなんてことはなく、特に仕事関係の窓口は三つの家に絞っていた。仮に百地家が柳生家に頼みたいことがあるとすれば、それらの家の者を仲介役にして送ってくるはずだ。

 しかし今回その使いとやらは、その暗黙の了解を飛び越えて直接依頼を持ってきた。どういうことだと三厳が考え込んでいると、そんな裏事情など知らない下男が不思議そうに尋ねてきた。

「いかがなされましたか、三厳様?」

「あぁいや、なんでもない。すぐに向かう」

 気になるところはありはしたが、会わぬわけにもいかないだろう。三厳は手拭いとたすきを下男に預け、草履を脱いで奥座敷へと向かった。


「お待たせいたしました。柳生庄領主・柳生宗矩が嫡男・柳生三厳にございます。着流しにて失礼いたします」

 奥座敷では代官の小沢頼元と見知らぬ三十代ほどの男が待っていた。彼が百地家の使いなのだろう。痩身で薄味顔、隙なく座っている様は熟練の忍びの風格がある。

 三厳が相手の様子を窺いつつ上座に着くと、頼元がスッと一通の手紙を差し出してきた。

「三厳様。これを……」

 おそらく読めということなのだろう。三厳が渡さるがままに開くとそこに文章はなく、ただ柳生家と親交のある忍びの家――植田家当主の花押が一つ記されていた。これは植田家が彼の身分を保証するという意図のものだ。

(なるほど、一応他の家に話は通してあるのか。しかし並の依頼なら植田家に仲介を頼んでいるはず。それを断り直接来るとはいったい何事だ?)

 怪訝に思いながらも、まずは話を聞かねば始まらないと三厳は使いの男に訪問の目的を尋ねた。

「して火急とお聞きしましたが、いったいどのようなご用件でしょうか?」

 使いの男は一礼して返答する。

「ある人物の道中の護衛をしてほしいのです。急な話なのは承知の上ですが、遅くとも明日までに三厳様も含めた腕の立つ者を五人ほど用立てていただきたい」

「明日までにですか?しかも某含めてとは……。詳しくお聞かせ願えますか?」

 ここで三厳が詳細を聞こうとするのは当然の流れだろう。しかし男は申し訳なさそうに首を振る。

「申し訳ございません。詳しいことは某も聞かされてないのです。筋の通っていない話なのは承知の上。それでもどうか何も訊かずに依頼を受けていただきたい」

 そう言って頭を下げる使いの男に困惑顔をする三厳。ちらと見れば先んじて聞いていたのだろう、隣の頼元も難しい顔をしていた。

(これは……面倒そうな話になりそうだな……)


 百地の使いが持ち込んだ依頼は里を出ての護衛任務だった。余程火急なのだろう、明日までに用意してほしいと言ってきたうえに、わざわざ三厳を指名してきている。

 だがそこまで要求するにもかかわらず、護衛相手だのどこまでの護衛なのかといった詳しいことは一切明かしてこない。

(さて、どうしてくれようか……)

 普通ならこんなふざけた依頼など一蹴していただろう。しかし相手は名門・百地。しかも信頼している植田家も内々に協力をしているということは、決して無理筋の依頼ではないということだ。

 では何も訊かずに協力してもいいのではないかとなるが、困ったことに今現在三厳はそれほど暇というわけでもない。

「百地様からのご依頼、できることならお助けしたいですが……、しかし現在某は江戸御公儀からのお役目を言い渡されておりますゆえ少々難しいかと……」

 この頃三厳は『怪異改め方』として、周辺の大名・城主からあやかし関連の相談を受けるお役目を承っていた。現在も直接出向くほどではないが、ちょっとしたアドバイスをしなければならないような案件を複数抱えている。

 だが使いの者はそれを承知の上で、三厳に護衛として同行することを求めに来たと言う。

「此度の護衛は何が何でも万全を期せねばならぬのです。そのため対あやかしに明るい三厳様の御助力がどうしても必要なのです」

「どうしてもですか?」

「どうしてもです」

「うぅむ……」

 引く様子のない男に閉口する三厳。別に百地の家をないがしろにするつもりはないが、それでもさすがに幕府のお役目と比べれば名前不足は否めない。

 せめて何か他に判断材料があれば話は変わるのにと思っていると、まるでその心を読んだかのように使いの男はおもむろに懐に手を入れた。

「……でしたらこちらをご査収なさってください」

「これは……書状?」

 使いの男が取り出したのは表に何も書かれていない書状であった。いったい誰のものかと開いてみた三厳は、そこに書かれていた名前に思わず驚嘆の声を上げる。

「なっ!?京都所司代だと!?」

 書状には簡潔に以下のように書かれていた。

『この書状を持つ者に全面的に協力するように 京都所司代・板倉周防守』


(まさかここで京都所司代の名が出てこようとは……)

 使いの者が取り出した書状は京都所司代からのもので、内容はこの書を持つ依頼者に協力するようにというものだった。もちろん文は直筆で隅には花押も記してある。

 ちなみに京都所司代とは、京都およびその周辺地域の治安を守るために置かれた幕府の役職のことで、板倉周防守とはその現職・板倉重宗しげむねのことである。その権限は当然怪異改め方よりもはるかに高い。

「所司代様からの依頼とあらば謹んでお引き受けいたします。しかしこんなものがあるなら先に出していて欲しかったですよ」

「それは、まあ……こちらにもいろいろと事情がございまして……」

「?」

 歯切れの悪い使いに三厳が不思議がっていると、不意に頼元が三厳を呼んだ。

「三厳様。少々よろしいでしょうか?」

「ん、何だ?」

「ここではなんですから少し外に……」

 珍しいことに頼元は妙にそわそわとしていた。不思議に思いつつも三厳は百地の使いを残して部屋を出る。

「どうかしたのか。何か気になるところでもあったのか?」

「気になると言いますか……。三厳様。此度の件、相当に責任重大なものになるやもしれません」

「何か気付いたのか?」

「気付いたと言えるほど確証のある話ではありませぬが……今回の依頼はとある人物の護衛とおっしゃっておりましたよね?もしかしたらその護衛対象は相当に高貴な方やもしれません」

「高貴?どういうことだ?」

「考えても見てください。並の貴人相手に京都所司代の名前が出てくるでしょうか?」

 ここまで言われて三厳もハッと察した。

 京都所司代とは名目上は治安維持のために置かれた行政機関であるが、その主任務は幕府の代行として朝廷と交渉・折衝することであった。現代風に言えば対朝廷の全権大使といったところだろう。

 そんな京都所司代が便宜を図る存在が護衛対象――つまり相手は幕府・朝廷における政治的重要人物かもしれないということだ。さすがに天皇本人ということはないだろうが、それに近しいくらいの相当の高官が来てもおかしくはない。でなければあんな書状を預けられてるはずもない。

「なるほど、それならば情報を小出しにしていたのも頷ける。手紙を伏せていたのも類推されるのを嫌がったからか」

「おそらくは。万が一のことが起これば、それこそ取り返しのつかないことになりかねませんからね」

 現在幕府と朝廷との関係はかなり冷え切っている。その原因は幾つかあるが、目下一番の原因は沢庵和尚も関わっている紫衣事件だろう。

 この事件は朝廷や寺社の権限を幕府が管理しようとしている事件であり、判決次第では一気に全面対立・全面戦争すら起こりかねない非常に厄介な問題である。

 そのため各勢力は水面下にて頻繁に交渉を行っているとも聞く。もしかしたら今回の依頼もそれにかかわるものなのかもしれない。

「外部の者である俺に護衛を頼むとは、相当切羽詰まってるようだな」

「あるいはあやかし関係の専門家が必要になったとかですな。何にせよ護衛が失敗した時の影響は計り知れないものとなることでしょう」

「計り知れない影響か。考えるのもイヤになるな。……ということは、つまりお前はこの依頼は受けない方がいいというのか?」

 今回の件が予想通りなら、下手をすれば火中の栗を拾うことになりかねない。しかし三厳が断るべきかと尋ねると頼元はそうではないと首を振った。

「とんでもない!むしろ受けなければならないのですよ!そうしなければ最悪の場合、すべての責任を背負わされるやもしれませぬ!」

 頼元が気にしていたのは御家に責任が降りかかるかどうかという点だった。

 確かに所司代直々の依頼を断って事態が悪くなれば、『あの時柳生家が協力してくれていれば……』と責任を擦り付けられるかもしれない。もちろん依頼を受けた後も失態を犯せば似たような責任問題になるだろう。最悪御家取り潰しという話が出てきてもおかしくはない。

「つまり逃げることも失敗も許されないということか。ふっ、思っていたよりも過酷な依頼になりそうだな」

「ですがやってもらわねばなりませぬ。構いませぬな、三厳様?」

「当然だ」

 話をまとめた三厳たちは早速座敷に戻り、使いの男に依頼を引き受ける旨を伝えた。

「此度の依頼、謹んでお受けいたします。別件のために急ぎで三枚ほど手紙を書かねばなりませぬが、それが終わったらすぐに発ちましょう」

 使いの男は「感謝いたします、三厳様」と深々と頭を下げた。


 それから一刻後。柳生屋敷の前に旅装束に身を包んだ三厳と百地の使いの男、それに頼元が見繕ったお供四人が集まっていた。言うまでもないことだが選ばれたのは全員新陰流の腕利きばかりである。

「うむ、全員準備はできたようだな。それで使いの方。某らはこれからどこへ?」

「まずは柘植つげへと向かいます。そこに今回の護衛の指揮を執るお方がおりますので、詳しい話はそちらでさせていただきます」

 柘植とは伊賀国北東部、現代で言えば三重県西部にある村である。古くから伊賀忍者が拠点の一つとしている村であり、柳生庄からは笠置街道を抜けて上野まで行き、そこから柘植川に沿って東進すれば二日ほどで到着する。

 ただし柘植はあくまで依頼主がいる場所で、実際の護衛任務が何日くらいかかるかは詳しい話を聞くまではわからない。

「もしかしたら想定よりも長くなるやもしれないな。頼元、留守は任せたぞ」

「はっ。無事の御帰還を心より願っております」

 こうして三厳は護衛対象もわからぬまま、百地の使いに連れられて里を発ったのであった。

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