(第十一話 終) 柳十兵衛 室生の山賊騒動を終える
十兵衛たちは、鬼蜘蛛丸をはじめとした山賊一派を壊滅させることに成功した。
しかし騒動を終えたのもつかの間、かねてから言っていた通り勘九郎が春豪に立ち合いを求めた。
こうして十兵衛たちの目の前で、つい先ほどまで共に戦った勘九郎と春豪とが対峙することとなった。
山賊騒動に決着がついたのもつかの間、未だ血霞漂う境内にて勘九郎と春豪房とが対峙した。
「まさか本当に戦うおつもりですか!?もう敵は倒したというのに!?」
ここで二人が争う理由はどこにもない。にもかかわらず対峙する二人に狼狽する十兵衛であったが、両者はもはや互いしか見てはいなかった。
「止めてくださるなよ、十兵衛殿。某はこのためにここまで来たのですから」
「左様。そして十兵衛殿が気に病む必要はない。勘九郎殿は救いを求めて某の前に立ち、某はそれを受けた。ただそれだけのことだからな」
二人はもはや十兵衛に一瞥すらしない。そんな両者の覚悟を見た藤五郎が下がるように諭す。
「十兵衛様。これ以上の口出しは野暮かと……」
「わかってる。わかってはいるのだが……」
もはや理屈ではないのだろう。二人にかける言葉を見つけられなかった十兵衛は不本意ながらも一歩引いた。
水を差す者がいなくなったところで両者はいよいよ集中力を研ぎ澄ます。
「さぁいつでも構わぬぞ、勘九郎殿。この春豪、受けて立とう」
「では望むとおりに……尾崎勘九郎、いざ参る!」
「春豪殿!覚悟っ!」
勇ましい掛け声とともに先に動いたのは勘九郎の方だった。と言ってもいきなり飛び込むような無謀な真似はしない。勘九郎は一歩一歩ゆっくりと間合いを詰めていき、春豪はそれをどっしりと構えて待つ。
十兵衛の見立てでは、勘九郎がこの間合いをどれだけ正確に測れるかが勝負の分かれ目となるだろう。
(勘九郎殿の得物は刀。対する春豪殿は長巻。間合いは圧倒的に春豪殿の方が有利だ)
長巻とは太刀の刀身に両手持ちの長い柄を付けた武器で、見た目は薙刀に似ている。春豪のそれは刀身二尺半、柄まで含めれば六尺強(約180センチメートル)あったが、これでも長巻としては小型の部類であった。
(対する勘九郎殿は刀身二尺の一般的な刀。単純な長さだけですでに二倍近くの差があるが、それをどうひっくり返すつもりなのか……)
十兵衛たちが見守る中、勘九郎は一丈と二尺のところまで間合いを詰めると、そこからは足の指を使って一寸単位でじりじりと距離を縮めていく。やがてピタリと止まった間合いは一丈八寸(約3.3メートル)。それを見て十兵衛は心中でひそかに感嘆した。
(完璧な間合いだ!あれ以上踏み込めば春豪殿の刃が届く、そのちょうど手前で止まって見せた!)
さすが強者を求めて一人旅をしていただけあって、勘九郎の剣士としての技量はかなり高いようだ。春豪もその妙に気付いたのだろう、彼は若干腰を落とし足先に力を込めて迎え撃とうとする。
そこからしばらく睨み合いと駆け引きが続いた。勘九郎が半歩進めば春豪が半歩下がり、春豪が右に動けば勘九郎もそれにならう。静かながらも一瞬も気が抜けない攻防。大きな動きこそなかったものの、両者の額にはうっすらと玉のような汗が浮かび始める。
(焦れる立ち合いだ……。だが睨み合ったままでは勝敗はつかない。どちらが先に動く……?)
全員が呼吸を忘れるほどに集中する中、それを壊すように大きく一歩踏み込んだのは春豪の方であった。
(間合いを詰めた!)
春豪の大胆な前進。これにより勘九郎の体が彼の間合い内に入った。
とはいえ軽率に切りかかったりはしない。今はまだあくまで『刃が届く』だけであり『致命傷』には程遠い。それどころか下手に腕を伸ばせば逆に自分が相手の間合いに入ってしまいかねない危険な距離ですらある。ゆえに春豪はまだ切りかからず、なおもじりじりと間合いを詰める。
これによって追い詰められる形となったのは勘九郎の方だ。なにせ元より間合いは春豪有利。その春豪が先走りせずに冷静に距離を詰めてきているのだ。こうなれば先に『致命傷』の距離に入ってしまうのは自分の方である。勘九郎は静かにごくりと唾を呑んだのち、大きく二歩下がった。
(勘九郎殿が下がった。だがあの気配……。これはいよいよ覚悟を決めたようだな……!)
勘九郎は二歩下がり姿勢を低くした。一見すると春豪の圧に気圧されたかのように見えるが、彼の目に弱気の色はない。春豪を含めた十兵衛たちはすぐさま彼の意図を解す。
(後ろ足に力を込めている……。飛び込むつもりだな!)
間合いの読みは終始春豪が優位を崩さなかった。これをひっくり返すには瞬間の速さしかない。つまり一気に懐に飛び込んで、相手より先に切ってしまおうという作戦だ。二歩下がったのはその一瞬の飛び込みのための力を溜め込むためだろう。
その意図に気付いた春豪は一瞬動きを止めたものの、来るなら来いと言わんばかりに一歩進む。
二人の動きに迷いはない。十兵衛は決着の時は近いと感じ取った。
そしてそれは一瞬の攻防だった。
二歩下がった勘九郎に対し春豪は一歩進み、もう一歩踏み出そうとする。そこで勘九郎が飛び散る火花のように突撃した。彼は肩をすぼめて態勢を低くし、まるでタックルでもするかのように春豪に向かっていく。
「はぁっ!」
(仕掛けた!勘九郎殿は一刀目を受けるつもりか!)
どうやら勘九郎は無傷でこの窮地を乗り越えることはできないと割り切ったようだ。一発だけならくらってやる。その代わり自分の刀も届かせる。それだけの意気を込めての捨て身の突撃だった。
これに春豪は出しかけた足を慌てて下げ、相手の足を払うように長巻を薙いだ。致命傷は与えられずとも機動力さえ削げば勝負はつくと考えたのだろう。しかし勘九郎はこれに刀を合わせて受け止める。
ガキィン
「何っ!?」
「足元だけは警戒していたのでなっ!」
(勘九郎殿が止めた!)
「貰った!」
間合いを詰めたうえ長巻も止めた勘九郎。彼を遮るものは何もない。見ていた十兵衛たちもこれは勘九郎が取ったと思った。
しかしここで春豪は前に出て、あえて自らぶつかってきた。
「ふぅっ……!」
「な……この……!」
肩と肩が、体と体とが衝突し変則的な鍔迫り合いの形となる。
勘九郎はひっくり返されぬようギリギリのところで踏ん張ったものの、この体勢はいけない。体格勝負なら圧倒的に春豪に分があるからだ。また密着しているため刀を振るような空間的余裕もない。
(マズい!このままでは負ける!?)
自身が陥った窮地にゾっと寒気を覚える勘九郎。しかしまだ抗える。勘九郎は春豪が押し倒してくるよりも早く、自分から相手を押して飛び退いた。
そして下がりながらできた間合いを利用して相手の手を狙う。いわゆる引き小手だ。致命傷にはならないが、武器を持つ手を傷つけられれば勝負はまだわからない。
「ここだっ!」
だが春豪は冷静だった。彼は勘九郎の剣筋を読むや手首を器用に捻り、革巻きの柄で勘九郎の一撃を受け止めた。
そしてその勢いのまま長巻をぐるりと縦に回転させて、柄の先端部分・柄頭のところで勘九郎の顎を下から打つ。
「はぐぅっ!?」
意識外から顎を揺らされ全身が硬直化する勘九郎。
(か、体が動かぬ!?何をされた!?くそっ、動け!動け!)
しかし体は思うように動いてくれず、彼はただ自身に向かって振り下ろされる春豪の凶刃を眺めることしかできなかった。
「はぁぁっ!!」
「ぐはあああああっ!」
春豪の長巻が、勘九郎の肩から腹にかけてを容赦なく切り裂いた。
(決まった!)
十兵衛たちの立ち合いのもと行われた勘九郎と春豪の一戦は、春豪の豪快な袈裟切りが決まり手となった。
その一撃は勘九郎の左肩から腹にかけてを大きく裂き、彼は立っていられず膝から崩れて手をついた。
それを見て十兵衛が叫ぶ。
「しょ、勝負ありだ!もうここまででいいだろう!?命までかける理由がどこにある!?」
十兵衛の言い分はまこと正論だろう。これは恨みつらみの一戦ではない。しかし勘九郎は血の気の引いた顔で気遣い無用と制す。
「お心遣い感謝します。ですがお気になさらずに。元より長くは持たぬ身でしたので……」
「えっ……」
「実は胆を悪くしてましてね。医者には長くてもあと三年と言われておりました……」
勘九郎は自身が余命宣告をされた身だと明かす。十兵衛はショックを受けるも、それでもと首を振る。
「三年……。い、いや、しかし三年は十分な長さではないか!何が不満だというのだ!」
「不満、と言うよりは耐えられないんですよ。ただ弱っていくだけの自分に。何も成さずに死んでいく自分に……」
勘九郎はゴホッと血を吐くもなおも言葉を続ける。
「一度でいいから全力で戦場を駆けてみたかった。血の滾るような一騎討ちをしてみたかった。そして願わくば敵の将の首を取って武名を轟かせたかった……」
「勘九郎殿……。それが強者との戦いを望んだ理由ですか?」
勘九郎は苦笑交じりで頷いた。
「左様。名のある者を討ちとり名を上げたかった。あるいは……『強者に挑んだ勇敢な
「……」
「後生です、十兵衛殿。どうか死に場所くらいは選ばせてくださいませ……」
ここまで言われればもはやその意を汲むしかない。十兵衛が口をつぐむと、傍らに立った春豪が静かに長巻を上段に構えた。
勘九郎は呼吸を整え、最後に一つ尋ねた。
「春豪殿……。某は、弱かったですか……?」
これに春豪は優しく首を振る。
「一歩違えば倒れていたのは某の方だっただろう。尾崎勘九郎。身命を賭けて強者に挑んだまことの武士だと、しかと覚えておこう」
それを聞いた勘九郎は満足そうに微笑んだ。
「感謝します。では……」
「うむ」
春豪は長巻をぐっと握りなおすと、そのまま迷うことなく振り下ろした。
武に生きた一人の男が今、戦場にて討ち取られた。
「きっかけは
廃寺にて死者の供養をしている最中、春豪房がぽつりと呟いた。これにそばで死者の身なりを整えていた十兵衛が訊き返す。
「放生?というとあれですか。あの生き物を逃がしてやるという」
「ああ、それだ。もう十年以上も昔の話だな」
放生とは仏教儀式の一つで、不殺生の教えを再確認するために、捕らわれている生き物を逃がしてやる行為のことである。在りし日の春豪もよく市井で魚や鳥を買っては寺の裏の山に放していたそうだ。
そんなある日、海沿いを歩いていた春豪は漁師が採ったハマグリを焼いて食おうとしているところに出くわした。
「これも何かの縁だと思って、俺はその漁師からハマグリを買って海に逃がしてやった。あの時は徳を積んだと思ったよ。しかしその晩、そのハマグリが夢に出てきた。そして奴はこう言ったんだ。『貴殿のせいで千載一遇の好機を逃してしまった』とな」
夢の中に現れたハマグリは春豪に向かってこう言った。
『私たちは輪廻の因果で、この世ではハマグリという取るに足らない身で生まれてしまった。こんな姿では徳を積むこともできないと日々嘆いていたが、今日ようやくその好機が訪れた。しかしそれを貴殿は奪ったのだ』
『俺が奪った?そんな覚えはないが、いったい何のことだ?』
『人間の血肉となって徳を積む好機だ。私は滅私の覚悟でそれを待っていたのに、貴殿が邪魔をした。放生の功徳という貴殿の傲慢な欲望のためにな』
「徳を積んで転生すれば今度は畜生以外の何かになれるかもしれない。ハマグリからすればそんな好機だったのに、俺がいたずらに買って逃がしたせいでその機を逃してしまったとのことだった」
春豪の話を聞きながら、十兵衛は幼い頃に聞いたウサギの布施の話を思い出していた。
昔あるところに空腹の旅人がいた。森の動物たちはこの旅人のために様々な食べ物を持ってきたが、ウサギは適当な食べ物を見つけることができなかった。困ったウサギは自らを炎の中に入れ、自分の肉を旅人に与えたという話だ。
現代人の感覚からすれば少々過激だが、この話の肝は滅私の奉公である。当時の人たちはこのウサギの無償の布施を徳の高い行為だと見做していた。
ハマグリもまさにその心地で徳を積もうとしたのだろう。しかしそれを春豪が邪魔をした。
「夢から覚めた俺は気付いた。俺がハマグリのためにやっていたことは……いや、それも含めてこれまでやってきた修行のほとんどが、結局は自分が満足するための行為だったのだとな。
そう言って遠くを見つめる春豪。彼は自信を矮小と評していたが、その横顔は十兵衛には悟りの一歩手前にまで到達している高僧のように見えた。
「興味深いお話でした。……しかしそこからなぜ今の春豪殿が生まれたのですか?」
「ある日ふと思ったのだよ。時代は人々に太平の世を与えた。しかしそれは本当にすべての人にとっての極楽なのか、とな」
春豪は並べた遺体の横に各人の刀を添えた。
「武士は戦で功を立てるために自らを磨いてきた。しかし新しい時代はそのための戦自体がなくなっていた。新しい道を見つけられた者はそれでいい。しかしそうでない者は?そんな彼らの前に戦場が現れたとしたら、それは地獄かそれとも極楽なのか……」
「……それが春豪殿が立ち合いを受ける理由ですか?」
「そうだ。私自身が戦場となることで、彼らに乱世を与えることができる。彼らは乱世と戦った。名を上げるために強者に挑んだ。そんな『救い』の場を与えてやることができる。言ってみれば戦場の布施だな」
戦場の布施。
その言葉に十兵衛は是とも非とも言えぬまま、ただ眉根にしわを寄せた。それを見て春豪は柔らかく微笑む。
「理解できないか?だがそれはおそらく十兵衛殿がすでに自らの『居場所』を見つけているからだろう。しかし居場所を持たず古い時代に捕らわれている者はまだ大勢いる。ゆえにどうか放っておいてもらいたい。……それともどうする?やはり某を討つか?」
春豪は半分からかい気味に、そして半分本気で殺気を飛ばす。それを受けた十兵衛は自身の複雑な胸中に困惑した。
一武士として強者である春豪と戦ってみたいという想いは確かにある。しかし自身の持つ肩書き――『柳生庄領主の嫡男』『将軍の御小姓』『新陰流の剣士』そして『怪異改め方』という肩書きはそれを許さない。
十兵衛はそれが武士として幸運なのか不幸なのかわからずに、静かに首を振った。
「理由もないのに無理に戦うつもりはないですよ。それに無駄にハマグリに恨まれたくもないですしね」
十兵衛の返答に春豪はくくくと笑った。
「結構。それもまた縁だ。……さぁ急いで弔ってやろう。早くしないと日が暮れるからな」
その後一行は敵味方問わず死者の供養をしたのち廃寺を後にした。日はまだ高く、今日のうちに室生の村に戻れそうだった。
廃寺の後始末を終えた十兵衛一行は来た道を戻り、やがて室生と名張とをつなぐ街道まで戻ってきた。
街道に出るや、おそらく監視をしていたのであろう宇陀の御公儀・高通らが出迎える。
「おぉっ!十兵衛様方、どうぞご無事で!それで首尾の方はいかほどで?」
「山賊たちは壊滅させました。何人かは取り逃しましたが例のあやかしは討ちましたので、あとは下の者でもどうにかできるでしょう」
「なんと!あぁありがとうございます、十兵衛殿!この御恩決して忘れはいたしません!」
今にも踊りださんばかりに歓喜する高通。その横をスッと春豪が通り過ぎた。
「それでは某はこのあたりで……。十兵衛殿。ご縁があればまたお会いしようぞ」
「ああ……。ご武運あらんことを」
「お互いに」
最低限の別れの挨拶を交わしたのち、春豪は名張へと続く道へと歩みだす。その背中を見ながら高通は尋ねた。
「あれが噂になっていた春豪房ですか。よかったのですか、放っておいて?噂では誰彼構わず切り捨てる危険人物だと聞いておりますが……」
高通の懸念に首を振る十兵衛。
「問題ないでしょう。道理もなく人を切るような人ではなかったですし、……それに挑んだ者も承知の上でのことでしょうから」
「そう、なのですか?」
十兵衛の春豪評にいまいちピンときてない高通であったが、十兵衛がそう言うならと早々に興味を無くし、それよりもとパンと柏手を叩く。
「それでは室生に戻りましょう。討伐祝いに八太郎に美味いものを作らせます。あいつは魚の処理が上手いんですよ。酒もたっぷり用意させます」
「なるほど、それは楽しみですな」
十兵衛は最後にもう一度春豪の方を見た。彼の背中はもうだいぶ小さくなっており、まもなく曲がった道の陰に隠れるところであった。
(『救い』か……。いつか俺もそれを求めるような日が来るのだろうか……)
とはいえそれは少なくとも今日ではない。
十兵衛は春豪に背を向けて、仲間たちと共に室生へと続く街道を歩み始めたのであった。
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