柳十兵衛 牢人のふりをして潜入する 5

 廃村へと続く道を見張っていた牢人――それを十兵衛らはうまく誑かし廃村へと案内させる。仲間からの『紹介』なら他の牢人たちもさほど警戒をしなくなるだろうという魂胆だ。

 程なくして十兵衛らは廃村が見えるところにまでやってきた。

「着いたぞ」

「ほう。ここが……!」

 十兵衛はお上りさんのように興味深げに村を見渡す。

 この廃村には数日前に来たことがあったが、その時は深夜でかつ村の中にまでは忍び込まなかったためその細部までは把握していなかった。陽の下で改めて見てみれば村の大半は崩れた土砂で埋まっており、残っているのも朽ちた家屋の骨組みばかり。修繕された家屋もあるにはあったがそれも数軒だけで、その修繕も素人仕事だったために余計に継ぎはぎ感が溢れ出ている。つまりは想像よりもはるかに打ち捨てられていた村だったということだ。

(なるほど。奴ら、よく廃村なんて拠点を手に入れられたなと思っていたが……これならどこも気に留めていなかったわけだ)

 そんな感想を抱きながら村に入ろうとすると、村の門番らしき男が持っていた棒を横にして十兵衛たちを止めた。

「おい、待て。まだ交代の時間じゃないだろ。それにそいつらは誰だ?」

 これに見張りの男が返答がてら『紹介』する。

「俺たちの仲間になりたいそうだ。どうも俺たちが人を集めてるっていう噂を聞いたらしい」

「はぁ!?お上に気付かれるとまずいから人集めは慎重にって話じゃなかったのかよ!?」

「俺に言うなよ!……まぁそういうわけでこっちの事情も知っているから下手に追い返せなくってよ。それに腕も立つようだし一応連れてきたってわけだ」

「腕は立つってもお前……」

 門番は十兵衛と新左衛門をじろじろと見る。

「……若いし片方は小僧も小僧じゃねぇか」

「だけど無下にするのもアレだろ?頭数は足りてないんだし」

「……チッ。ちょっと待ってろ。誰か……上の人を呼んでくっから」

 押し引きの末とうとう根負けした門番は十兵衛たちをその場にとどまらせ村の中へと駆けていった。その背中を見ながら十兵衛は内心で(なるほど、こうなったか)とつぶやいた。

 間者騒動のことから多少警戒されるのは折り込み済みである。最悪いきなり切りかかられる可能性も考慮していた。だが、流れはどうであれ、彼らの上役と顔を合わせられるというのならそれは上々の滑り出しといえた。


 待ちつつ十兵衛はふと思う。

(それにしても『上の人』か。まさかいきなり敵首魁と対面、なんてことはないよな?)

 一瞬そんな期待もしたが、さすがにそこまで都合よくはいかないようだ。門番が連れてきたのはあやかしの気配など微塵もしない普通の人間が二人。見た目は共に四十代前後。片方ははいかにも無頼者らしく肩で風を切るような見栄を張った歩きが染みついており、対しもう片方は武術の心得があるのか重心をぶらさずに粛々と歩を進めていた。

「あれは誰だ?」

 十兵衛が共に隣で待つ牢人にそれとなく尋ねると男は少し緊張した様子で答えた。

「右はうちの副頭領の赤丸あかまる様だ。そして左は辰一たついち殿。ここで一二を争うほどの剣の名手だ」

「ほう。それはそれは……」

 やがて十兵衛らの近くまで来た副頭領・赤丸は猜疑心を微塵も隠していない顔で自分を連れてきた門番に尋ねた。

「こいつか?なんか勝手に来たとかいう奴は」

 門番が「はい」と答えると赤丸は無遠慮に十兵衛たちをじろじろと見る。

「……若いな。お前、名前は?」

「柳十兵衛。こっちは弟の新左衛門だ」

「俺たちの人集めの話を聞いたって話だが、どこで聞いたんだ?」

「御油で遊び仲間からちょっとな。先に言っておくがそいつがどこで聞いたかまでは俺も知らないからな」

 その後も意味があるのかどうかわからない問答が続く。どうやら赤丸は御公儀からの間者を警戒しているようであった。だがいくら警戒したところで十兵衛がうっかりボロを出すはずもない。そして人手が欲しい以上無下に追い返すこともできない。結局赤丸はチッと舌打ちをして、この無意味な詰問を終わらせた。

「チッ。時間の無駄だな、こりゃ。……おい、お前。噂を聞いて俺たちのところに来たって言ってたよな?」

「ああ、そうだ」

「なら少しは腕に覚えがあるってことでいいんだな?」

「そりゃあもう」

「よし。それじゃあ辰一の旦那。ちょいとあの若造の具合を見てはくれませんかね?」

 赤丸がそう言うとそれまで興味なさげに立っていた辰一が小さく顔を上げた。

「……腕前を見るのは構いませぬが、それはどの程度でですかな?単に型を見ればいいのか、それとも手傷を負わせても構わないのか……」

「半端な奴はいらない。本気でやらなきゃ意味がない。だよな?」

 赤丸は挑発気味に十兵衛を見る。だがもとより荒事は望むところである。十兵衛はザッと一歩前に出た。

「問題ない。好きにしてくれ」

 十兵衛が承諾したのを確認すると、赤丸は辰一に小声でつぶやいた。

「あの若造、怪しいので本気で切りかかって構いません。最悪切り捨てても結構です」

 その指示に辰一は一言「御意」と言って、こちらもまた一歩前に出た。


 廃村入口門付近にて十兵衛と辰一が対峙する。両者の間合いはまだ五間ほど(約5.5m)。互いにまだ抜刀もしていない。その間に十兵衛は相手――辰一を軽く観察する。

 牢人徒党の一人、辰一。門番の男の話によるとこの徒党の中でも一二を争うほどの実力者らしい。その顔はいかにも人生の辛苦を舐めてきたという風に深いしわが刻まれていたが、父・宗矩ほど老いているという印象は受けない。年はおそらく四十と数歳というところだろうか。

(……厄介だな)

 十兵衛はひとちる。単純な筋力や敏捷性なら若い十兵衛の方が上であろう。しかしこれくらいの年の牢人は実際の戦場を知っている場合が多い。その磨かれた技巧は警戒に値する。

 そんな風に考えていると対面の辰一が八尺(約2.4m)ほどの距離のところで重心を低くして身構えた。

「準備はいいか?」

「!?」

 十兵衛は顔には出さなかったが驚いた。まだ距離がある上に互いに抜刀もしていなかったからだ。だが辰一の気迫は本物で、見ればその右手は抜刀をせずに柄のやや上のところで宙に浮かせている。ここで十兵衛ははっと気付く。

(立ち居合。抜刀術か……!)

 居合、あるいは抜刀術。鞘に納められた刀を抜き放ち一撃を加える、その一連の流れに重きを置いた剣術である。正確な起源は定かではないが一説には室町時代の林崎はやしざき勘助じんすけが体系を確立させた祖だと言われている武術の一つだ。

 後年では他の武術同様形骸化や見世物化が進んでしまったため「実戦で役に立っていたのか?」などと言われる抜刀術であるが、この頃のそれは戦国の時代を生き延びて伝えられてきた技法である。事実辰一が構えるや周囲の誰もが息を呑み、指一本動かせないほどの緊張感に包まれた。修羅場をくぐってきた者だけが出せる圧である。

「……」

 十兵衛は無言で重心を後ろ足に移す。その顔はいたって落ち着いているように見えたが、内心ではすでにひどく打ちのめされていた。

(くそっ!また無様を晒してしまった!先程辰一殿が声をかけていなければ……問答無用で切りに来ていたら俺は切られていた!畜生!)

 自分の甘さに反吐が出そうになる十兵衛。しかしそれを堪え今は目の前の相手――辰一に集中する。そうしなければ本当に勝てない相手であるからだ。こうして十兵衛がようやく本腰を入れたところで、それを待っていたかのように辰一がゆっくりと動き出す。

 先程の八尺(約2.4m)という間合い。あれは『見てから対応できる』間合いであった。辰一がいかに居合の達人であったとしても一足では届かず、かつ十兵衛側も押すことも引くこともできた間合いである。そんな間合いを辰一はじりじりと詰めていく。

「……っ!」

 極限の集中の中、両者の間合いは早くも七尺(約2.1m)となった。もう間もなく辰一の刃が届く距離となる。十兵衛は静かに唾を一つ飲みこんだ。悔しいが辰一の実力は認めざるを得ない。十兵衛ももちろん自分の剣技には自信を持っていたが、それでも抜刀から初撃までの速さという点ではおそらく門下の誰も彼には勝てぬだろう。それだけ研ぎ澄まされたものを彼からは感じ取れた。

 だからこそ十兵衛はこの間合いになってもなお刀を抜いていなかった。これは刀を持ったままでは初撃を避けるのは難しいと悟ったからだ。これが命のやり取りならまた別の選択もあったのかもしれない。しかし今回はこの初撃を避けることに全霊を掛ける戦略の方が勝算がある気がした。この十兵衛の判断を辰一がどう思ったのか、それを表情から読み取ることはできない。彼はただ石仮面のような表情のまま静かに間合いを詰める。

 そして彼の草鞋の先端が十兵衛まで六尺半になったとき、辰一はわずかに体をひねり、音もなく抜刀した。

(来っ……!)

「っくおぉぉぉぉっ……!」

 もはや反射なんて甘いものではなかった。十兵衛は本能的な嗅覚から死線を感じ取り、なりふり構わず後ろに飛びのいた。そしてそんな十兵衛の鼻先数寸、後ろに飛んでいなければ切られていたであろう空間を辰一が抜いた刀の切先が通過した。

 ヒュオン。ザザザ。

 鋭い風切り音と両者の草鞋が地面を踏ん張る音。そこでようやく他の者たちも「おぉっ!?」と今起こった攻防を認識する。だが十兵衛はまだ気を抜かない。十兵衛は二撃目を避けるため、さらに後ろに飛びのき体勢を立て直そうとした。

 しかしその二撃目は来なかった。見れば辰一は少し驚いたような顔で抜刀姿勢のまま固まっていた。それはまるで時間が止まってしまったかのようで、つられて十兵衛や新左衛門その他牢人らも動けずにいたくらいであった。

 しばしの沈黙の後、まず口を開いたのは辰一であった。

「……貴殿、確か名は十兵衛とか申されましたな?」

「いかにも」

 十兵衛が警戒したまま頷くと辰一はやはり音もなくその刀を鞘に納めた。

「見事でした、十兵衛殿」

 辰一がわずかに口角を上げる。それが認められた合図だとわかると十兵衛もようやく緊張を解き肺に溜まった空気を一気に吐いた。

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