柳十兵衛 牢人のふりをして潜入する 4

 本格的に動き出した牢人徒党。今はまだ人集めの段階だが十分な頭数が揃えばすぐにでも三ケ日襲撃の計画を実行に移すことだろう。

 だが幸いにも三ケ日側はこの計画を知っており、また牢人らに『知っている』ということを知られていない。その情報格差を生かし三ケ日側もまたひそかに人員を集めたり、『刈り取り』作戦のような対抗策を打ち出したりしていた。

 そんな対牢人計画の一環として今、三ケ日宿の北門から十兵衛と清厳の二人が出ていった。二人の格好は本来の武士あるいは旅人姿ではなく、くたびれた修験者服を着た山伏崩れの兄弟という外見であった。もちろん油断を誘うための変装だ。十兵衛たちの目的は牢人のふりをして徒党に参加し、隙を見て敵首魁を直接討つことであった。


 三ケ日から出た十兵衛と清厳はしばらく進んだところで荷物を担ぎ直すふりをして背後を振り返った。

「……誰かつけている者はいるか?」

 これは三ケ日に潜んでいるであろう敵の間者を警戒してのことだ。一応見られても問題がないように行動はしていたが、それでもやはり見られていないに越したことはない。

「……どうやらいないようですね。数日前より与力の方々が動いておられましたので、そちらに気が向いているのでしょう。あるいはこの山伏の服に騙されたか」

「ふっ。それなら着替えた甲斐もあるというものだ。それでは急ごうか、清厳殿……ではなく新左衛門しんざえもんよ」

 慌てて言い直す十兵衛に清厳もとい新左エ門は苦笑した。

 この『新左衛門』とは今回清厳が名乗ることにした偽名である。これは剣に覚えのある少年という点から尾張柳生の柳生清厳だと気付かれることを恐れてのことだ。なお今回十兵衛と新左衛門は兄弟というで行くため姓は十兵衛と同じく『やなぎ』、フルネームだと『柳新左衛門やなぎしんざえもん』ということになる。

 このように細かいところまで設定されてはいたものの出会った時から清厳と呼んでいたのだ。急に別の名前で呼ぶようにと言われても、そうそううまく切り替えられるものではない。十兵衛はもう言い間違えないようにと二度三度と口の中で「新左衛門……新左衛門……」とつぶやいてみる。そんな姿を見て清厳改め新左衛門は「気を付けてください、兄上」と若干冗談めいた口調で返した。


「気を付けてください、兄上」

「ああ。わかっているさ、新左エ門」

 今回二人は山伏崩れの兄弟というていで牢人らに近づく。故に清厳改め新左衛門が十兵衛のことを「兄上」と呼ぶのは至極当然のことなのだが、その妙な距離感に十兵衛は座り悪い感覚を覚えていた。

(兄上か。変な感じだな、まったく)

 十兵衛には弟がいるため「兄上」と呼ばれること自体には慣れている。それでも変な感じになるのは赤の他人に呼ばれているからだろうか?この問いに十兵衛は(……いや、違うな)と内心で自答した。

(これはきっと、なまじ血縁がために感じてしまう違和感なのだろうな)

 十兵衛(三厳)と新左衛門(清厳)は同じ柳生の一族で、等親で言えば五等親の間柄である。普通の親族関係なら自然と「兄上」と呼ばれるような関係になっていたとしてもおかしくない。

 しかしそうはならなかった。江戸と尾張、あるいは宗矩と利厳との間に横たわる溝は想像以上に深かった。両家は断絶といっていいほどに交流がなく、十兵衛と新左衛門の二人はつい数日前に初めて顔を合わせたほどである。

 故に急に清厳から「兄上」などと呼ばれても、そこには皮肉にも似た違和感しか感じない。あるいはその違和感自体が江戸柳生と尾張柳生の歪みの現れなのだろうか。十兵衛は「……因果なものだ」と独り言ちたが、それは新左衛門の耳には届かなかった。


 そんなことを考えながら進んでいると、ふと道の先にある土手のところで一人の旅商人が休んでいるのが目についた。

「十兵衛殿……」

「あぁ。わかっている」

 土手に腰を下ろし休んでいる旅商人。一見すると牢人ではないがそれでも警戒は怠れない。十兵衛はひとまず考え事をやめ不自然でない程度に顔を伏せながら進む。出来ることなら相手の記憶に残りたくない。その思惑のもと旅商人の前を通過しようとするが、その商人はおもむろに「これ、そこの方」と声をかけてきた。

 十兵衛は一瞬隠し持っていた刀に手が伸びそうになったが、その顔を確認するとほっと胸をなでおろした。髭や丸めた背中で遠くからでは気付かなかったが、それは変装をした平左衛門であった。

「平左衛門様でしたか……!」

「ふふ。お待ちしておりましたよ、十兵衛殿。それに新左エ門殿も」

 今回の潜入計画。直接廃村に潜入するのは十兵衛と新左衛門の二人だけではあったが、廃村の外には平左衛門と種長が支援役として待機することとなっていた。そしてその平左衛門は十兵衛たちよりも先に久助から報告を受けて偵察に出ていたのだ。

「さぁ、こちらにどうぞ。周囲に他の人影はありませんのでご安心を」

 十兵衛らは平左衛門の隣に腰を下ろし、偶然出会った旅人同士のふりをして情報の受け渡しを行う。


「して、向こうはどのような様子でしたか?」

「廃村に大きな変化はないようでしたね。あやかしの罠があるやもでしたのでやや離れたところからの観察でしたが、相変わらず大仕事前の緊張感のようなものは感じられませんでした」

「ふむ。まだ時間的猶予はありそうですね。ですが出来ることならやはり向こうが警戒する前に始末をつけてしまいたいですな」

 頷く平左衛門。

「まったくですな。それからたいした変化ではありませんが道中に見張りが置かれていましたね。例の廃村へと向かう道の中頃に二人ほど。ただこの見張りも厳重なものではなく、あくまで知らない者が村に入ってこないようにする程度の温いものでした」

「回避は容易いと?」

「避けることもできるでしょうが、それよりも彼らに『紹介』してもらうのがよろしいかと」

「『紹介』……?あぁなるほど。確かに『紹介』があった方が潜り込みやすいですからね」

 十兵衛がにやりと笑うと平左衛門がそれを軽く諫めた。

「十兵衛殿。油断してはいけませんよ。数はまだまだでしたが確かに武闘派らしき者の姿も見受けられました。六つ頃までには種長も合流するでしょうから、事を起こすのはそれからにしてくださいね」

「わかっておりますとも。さて、それではそろそろ行きますかね。なぁ、新左エ門」

「はい、兄上」

 平左衛門は(大丈夫だろうか)と少し心配したが、まぁ短いながらも付き合いはある。若さが出ることはあるがそれでも仕事をする奴だということはわかっていた。

「ともかく危険だと思ったらすぐに逃げてくださいね。それでは私は隠れたところから見守っておりますので」

 そう言うと平左衛門は近くの獣道に潜り込み気配を消した。それは十兵衛ですら正確な位置がわからないほどの潜伏であった。


 平左衛門と別れてから少しのち、十兵衛と新左衛門は宇利峠の麓に到着する。そこを少し上ると廃村へと続く横道が現れる。先が廃村故にすっかり寂れた道であったが、それでも少数ながら人の通りが感じられる道であった。

 そんな横道をしばらく進むと、突然「止まれ!」という野太い声と共に道の両脇からいかにも牢人といった男二人が飛び出してきた。十中八九平左衛門が言っていた見張りの男たちだろう。

「止まれ!……お前、見ない顔だな。悪いがここから先に通すわけにはいかない。宿が欲しいのなら素直に三ケ日にでも行け」

 やはり徒党の見張りのようだ。男らはそう言って引き返すように促す。だが逆に言えばそれだけであった。こんな人気のない山奥である。彼らからしてみればいきなり切りつけてもよかったはずなのに、あえて穏便に済ませようとするのはやはり今はまだ目立ちたくないからなのだろうか。それに対し十兵衛が一歩前に出た。

「この先の廃村に用があるんでね。すまないけど通させてもらうよ」

「その村は俺たちが少し『借りて』いる。余所者は入れられん」

「知ってるさ。はみ出し者たちの集まりだろ?俺もちょっとそこでお世話になりたくってね」

 そう言うと十兵衛はゆったりとした修験服の下に隠しておいた刀をちらと見せた。この時代、護身用以上の刀を武士以外の者が持ち歩くのはご法度とされていた。にもかかわらずそれを隠し持っているということは、つまりはそんな法などクソくらえな無頼仲間という証であった。牢人の気配が少し緩くなったのを十兵衛は感じた。

「……お前も根無し草か。だが悪いが今はちょっと忙しくってな。小僧の相手あいてしてる暇はないんだ」

「そんな連れないことを言うなって。あんたら、腕が立つ奴を集めているんだろ?宿代くらいは働くぜ?」

「あん?どこで聞いたんだ、その話」

「御油の方でちょろっとね。あんたらは口止めしていたようだけど、まぁ人の口に戸は立てられんよな」

「ちっ……慎重にって話じゃなかったのかよ……」

 牢人の男はそう吐き捨ててから改めて十兵衛たちに目をやった。

 にわかに現れた山伏風の若い男が二人。上の方(十兵衛)は確かに体格もよく不敵な態度も無頼者らしい。しかし下の方(新左衛門・清厳)は若いというよりももはや子供だ。場慣れしているのか妙に落ち着いてはいるが即戦力の欲しい今、無理に引き入れるような人材には見えない。

「むぅ……」

「……」

 そんな牢人らの心中を察したのか、十兵衛は少し挑発を混ぜる。

「おい、どうした。通さぬと言うのなら、気賀や三ケ日の御公儀にお前たちが人集めをしているぞと忠告するぞ?」

「なっ!?てめぇ!」

 牢人たちは露骨にうろたえた。やはり向こうはまだ計画が露見していないと思っているようだ。そして十兵衛はそのまま牢人の一人に近づく。

「ち、近づいてんじゃねぇ!?」

 急な十兵衛の動きに驚き刀を振りかぶる牢人。しかしもう遅い。

 十兵衛はふっと鋭く息を吐くと一足に相手の懐に飛び込み、男の腕と刀の柄を持つ。そしてそのまま少し体をひねると、なんと牢人が持っていた刀がすっぽ抜け逆に十兵衛の手に収まった。

「え?あ?あれぇ!?」

 急に手の中が寂しくなった男は狐につままれたかのような顔で、自分の手の平と十兵衛が持つ刀とを交互に見る。もう一人の牢人の男も似たような感じだった。それを見て十兵衛がにやりと笑う。

「ふふふ。悪い悪い。だがこれが一番わかりやすく俺の力量を伝えられると思ったからな」

 十兵衛はくるりと手を返し刀の柄を牢人の方に向ける。

「ほら、刀は返すよ。それでどうだ?俺を紹介する気にはなったか?」

 刀を受け取った男は相方と困った顔で目を合わせる。十兵衛の腕前はもはや疑うべくもない。しかし勝手に村に連れて行っていいのだろうか。しばしの相談ののち結局二人は自分たちの手には余ると判断して十兵衛たちを廃村へと連れて行くことに決めた。

「そ、そうだな。まぁ腕っぷしのいい奴が仲間になってくれるってんならいい話だな。とりあえず連れては行く。だが他の奴らも受け入れるかはわからねぇぞ?」

「結構結構。その時はまぁ力づくで『仲良く』するさ」

 十兵衛はそう言うと無頼者らしく笑いながら自分の刀の柄をぽんと叩いた。


 さて、こうして十兵衛が『交渉』をしていたさなか、新左衛門はというと先程十兵衛が見せた技――牢人の刀を奪った技に感嘆をしていた。

(上手かった……!)

 牢人たちはまるで見えていなかったが新左衛門にはきちんと見えていた。というのもあれは新陰流に伝わる捕手とりて術の一つだったからだ。

 新陰流というと剣術を思い浮かべがちだが、戦国の時代を経た武術はどこも実戦的な――つまり刀術だの槍術だの素手による格闘術などを大なり小なり内包している。そんな新陰流の捕手術、当然新左衛門は知っていたしそれを練習する門弟らを見たこともある。しかし実戦にてあれほど鮮やかに決まったのは始めて見た。十兵衛の、柳生三厳の実力の一端がまた垣間見えた。

 そしてそうなると柳生清厳としては自分もできるのかということが気になってしまう。

(あの場所に立っていたのが私だったとして、果たして同じことができただろうか?)

 しばしの考察。そして出した答えは……。

(無理だな……私にはできない……)

 先の武器の分捕り。あれは一見すると単純な力技に見えるが実はそうではない。体幹・関節の向き・てこの原理や瞬間的な力の加減といったかなり細やかな技術を求められる技だ。

 そしてそれらをすべて表現するには成長途中の清厳の体ではまだ早かった。関節の可動域や発揮できる力の上限。そういったものはやはり三厳の方に一日の長があった。

(くそっ!もう少し背が伸びれば……手が長ければ……。もう少し早く生まれていれば……!)

 三厳とのどうしようもならない差に清厳は自分でも気づかぬうちに強くこぶしを握っていた。

 そんな清厳の内心など知る由もない十兵衛が立ち尽くす清厳もとい新左エ門に声をかける。

「どうした、新左エ門?行くぞ」

「あっ、はい。今行きます」

(くそっ!今は役儀中だぞ!?集中しろ!)

 清厳もとい新左エ門は慌てて自分の心中に沸いたわだかまりを胸の奥にしまい込む。そして顔を上げ、まるで本当の弟であるかのように前を歩く十兵衛の背中を追った。

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