柳十兵衛 牢人のふりをして潜入する 3

 十兵衛が牢人のふりをして敵の組織に潜入する。

 なぜこのような案が出てきたのか。それは『どうすれば十兵衛が敵首魁に近づくことができるのか』について話し合っていた中で生まれた。


 前提として十兵衛たちには、この機にぜひ敵首魁を討っておきたいという考えがあった。特異な力を持ち野心もある。そんな人物を野放しにはしておけない。しかし主目的があくまで三ケ日の防衛である以上数を使って正面切って首を取りに行くわけにもいかない。ならば一人でもあやかしの力に対抗できる十兵衛による闇討ちが望ましいのだが、それだと数的不利の中で十兵衛を敵首魁に近づけることから始めなければならない。

「討てればいいのですが、万が一見つかってしまえばそれこそ絶体絶命となってしまいますよね……」

 こうしてこれといった案は出ず、ただ時間ばかりが過ぎていく。

 そんな折、半ば冗談で十兵衛が以下のような案を出した。

「見つかるとまずいというのならば、あえて奴らの仲間となるのはどうでしょうか?これなら姿を見られても問題なくなりますし、近くで機を窺うこともできます」

「牢人のふりをするということですか?いやいや、それはさすがに無茶な話でしょう。柳生三厳だとバレる可能性だってある」

「ははは。そうですよね。さすがに短絡すぎでしたね」

 さすがにこの案はすぐに流された。十兵衛本人ですら一笑に付したほどだ。しかしその後もこれといったような策は出ず、そうなると先程の冗談じみた案がにわかに存在感を増してくる。

「……先程の潜入の案、それほど悪いものではないのではないでしょうか?」

「潜入の案とは……牢人のふりをするというやつですか?」

「はい。それです」

 これを聞いて平左衛門は非常に嫌な顔をしたが一方ですぐには否定もしなかった。実は変装して潜入するという案自体は平左衛門も考えてはいた。ただ『柳生三厳』という名前と立場を考えればやはりリスクの方が大きい案である。

「どうやって潜り込むおつもりですか。奴らだって御公儀からの介入は警戒しているところでしょうぞ」

「向こうは腕利きを集めにかかるだろうという話でしたよね?ならばその話を聞いて来たということにしてはどうでしょう?徒党に参加したいという手練れなら向こうも好意的に、少なくとも完全に拒絶されるということはないでしょうし」

「……しかし十兵衛殿を狙う牢人もいるのですよ。奴らの中に顔を覚えている者がいないとも限らない」

「なに、それこそその柳生三厳がまさか牢人徒党に入りたがるだなんて思ってもないでしょうよ。仮に疑ったとしても仲間になろうとしている奴を無理に切ろうとする者もいないはず。そもそも危なくなったら逃げればいい。私なら敵の罠にもかかりませんし。そうだ!ここに来るときに来ていた修験者の服を着ていくというのはどうでしょう?山伏崩れの生臭坊主か何かと思ってくれますよ」

「う、うむぅ……」

 このようなやり取りがあって結局この案は、他に良案が出なかったときの最終手段という形で残ることとなった。

 そしてとうとう牢人たちが動き出す。他の案が生まれるよりも先に……。


(よもやこんなことになろうとはな……)

 着替え終えた十兵衛を見て久助は、ここ数日ですっかり遠い所に来てしまったかのような気になった。将軍・家光の元小姓・柳生三厳。それに牢人のふりをさせ敵陣に放り込む。ぞっとするほどに危険な賭けだ。

 時代柄危険な任務を負わせること自体は特に問題ではない。多少の怪我も武士の誉れとされる時代だ。たださすがに死んでしまえばそれは責任問題となる。三ケ日は地理こそ三河国であるが、江戸の年寄りどもが下衆な言葉を並べて尾張をなじる姿が簡単に目に浮かんだ。

(だが取り逃がしたあやかしが別の場所で狼藉を働けばやはり尾張の責を問う声は上がるだろう。つまりもはや十兵衛殿に全幅の信頼を寄せるしかないということだ。あぁなんと皮肉な話だ……)

 そんな風に久助が打ちひしがれていると背後から「こちらも準備が出来ました」と声がかかる。振り向けばそこには尾張柳生家長男・柳生清厳が十兵衛と同じく修験者服を着て待機していた。そこに十兵衛が並ぶ。

「うむ。では早速行こうか」

「はい」

 実は潜入は十兵衛単独ではなかった。清厳もまた牢人に変装して奴らの中に潜り込むこととなっていたのだ。


 話はこの案が出た頃に戻る。流れとしては修験服を着て行けば山伏崩れだと思われて、より騙せるだろうという話をしていた頃だ。

「修験者の服を着て行けばさらに誤魔化せるのではないでしょうか?」

「それは確かにそうかもしれませんが……」

 この頃は時間に余裕があったため久助はまだ冗談半分で聞いていた。そんな折、ふと隣から意見が上がる。

「山伏崩れのふりをするというのなら私も協力いたしましょうか?」

 驚き見れば発言者は今まで黙って控えていた清厳であった。

「な、何を言っておられるのだ、清厳殿!?」

「修験者の服装ならばちょうど私も着てきました。一人で行って注目されるよりも若い兄弟等の方が程よく誤魔化せると思われます」

「そういうことではなく……!ええい、少し失礼する!」

 久助は慌てて清厳を連れて部屋を出た。

「どうしたというのだ、清厳殿!あんな話、本気なわけがないだろう!」

「そうでしょうか?不躾ながら言わせていただきますと、あやかしを放っておけない以上あの案は通さざるを得ないと思われますが」

「それは……まだ時間はある!きっとそれまでには別のいい案が出ているはずだ!」

「出ていなければ?」

 清厳の幼いながらも決意を秘めた瞳が久助を捕らえる。

「出ていなければ我らは十兵衛殿に頼らざるを得なくなります。そうすれば手柄はすべて江戸柳生のもの。逆に討たれたとしても死に花を咲かせたと評価されるのはやはり江戸柳生です。そして尾張はあやかしを恐れて江戸に頼った腰抜けと陰で噂されるようになるのです」

「それは……そんなことは……!」

 ぐっとこぶしを握る清厳に反論しようとする久助。しかし江戸に頼らざるを得ない現状は自覚していた。

「しかしあまりにも危険すぎる。何かあったときに利厳殿(清厳の父)になんと申し上げればいいか……」

「それこそ逆です。江戸の柳生が死地に向かったというのにそれを黙って見送ったとあらば、そちらの方が家の者たちに申し訳が立たない。それこそ腹を切ってでも詫びなければなりません」

「簡単に腹を切るなどと言いおって!若い身空で生き急ぐな!」

 叱る久助。しかし言い争いをしながらも頭の中では冷静に計算を行っていた。

 確かに尾張の清厳がついていけば尾張の面目は一応は保たれる。江戸側もまだ幼い清厳から手柄を分捕るという真似もしないだろう。また汚い話だが、もし二人が討たれたとしても尾張の方も若い清厳を喪っているためその分江戸からの責は軽くなるはずだ。柳生の両家が手を取り合って、と美談にしてもいい。

 久助はそんな計算ができてしまう自分が恨めしかった。だが無視ができるほど現在の政治的状況は芳しいものではない。久助は長い長い溜息をついてから苦々しげに答えた。

「あの案はあくまで他の案が出るまでのものだ。他に良案が出ればすぐになかったことになる。……だがもし本当に潜入することとなれば、その時は任せたぞ」

「はい!」

 清厳はまぶしいくらいの笑顔で返事をした。


 そして現在、山伏崩れの兄弟のふりをした十兵衛と清厳はまさに廃村へと出発しようとしていた。心中は複雑ながらも、こうなればもう久助は見送る他ない。久助はまず清厳に近づいた。

「……清厳殿。無茶はなされるなよ」

「ご安心ください。承知しております」

 清厳の顔は静かながらも自信に満ちていた。久助は次いで十兵衛の方を向く。

「十兵衛殿。頼みましたぞ」

 『何が』とは言わなかった。これに対し十兵衛は――どう解釈したのかは知らないが――「ええ。任せてください」とやはり自信を持って答え、そして清厳を連れて部屋を出ていった。

「お気をつけて……」

 牢人たちの間者が怖いためこれ以上の見送りはしない。久助は一人残された宿の一室にて疲れたようにため息をついた。

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