柳生三厳 家光に労われる

 江戸城中奥・御座ござの間。本丸御殿のほぼ中央に位置するこの部屋は将軍が平時過ごしたり、あるいは日々の政務を執り行う部屋である。俗な言い方をすれば将軍のくつろげる仕事部屋のようなものだ。

 今この御座の間に隣接する庭に現将軍・徳川家光は立っていた。名目は執務中の休息だったが目的は別にある。家光はさりげなく人払いをし小姓の柳生三厳やぎゅうみつよしと二人になった。家光は庭木を愛でるふりをしながら、心なしか楽し気に三厳に話しかけた。

「聞いたぞ、七郎(三厳の幼名)。武蔵国ではよく働いたそうだな」

 どうやら家光は先の本庄での一件を耳にしたようだ。ほんの半月前、三厳は老中・酒井忠勝の命で武蔵野国本庄へと赴き現地で暴れていた山賊一味を制圧した。三厳の活躍は公表していなかったがさすがに家光の耳には入ったらしい。三厳は深く頭を下げる。

「はっ。しかし敵首魁は討ち漏らしてしまいました。自らの未熟さに恥じ入るばかりです」

「そう謙遜するな。忠勝に宗矩むねのり。その他年寄衆も皆手際の良さに感嘆していたぞ」

「もったいなきお言葉です……」

 主君からの労いは最上の誉れ。しかしあの件に対して思うところのある三厳の胸中は穏やかではない。

 思うところとは単に敵大将を逃してしまっただけではない。三厳は本庄での一戦にて武士としての経験のなさ、未熟さを露呈させてしまった。それは体裁を重んじるこの時代の武士にとってはとても大きな傷であった。その傷は深く、こうして小姓仕事をしている時ですら(果たして自分は武士として働けているのだろうか)と思い悩んでしまうくらいであった。


 だがそんな三厳に家光が投げた言葉は意外なものだった。

「……お前の話を聞いた時にな、私ももっと精進せねばと思ったのだよ」

 思わぬ告白に三厳は「はい?」と間の抜けた返事をしてしまう。三厳のそんな顔を見た家光は笑いながら先を続けた。

「もっと正直に言えば一番初めに思ったことは羨ましいということだった。あぁ、本当にお前が羨ましかったよ。私とて武士の棟梁だ。父上(秀忠)や大権現様(家康)のように戦場で功を上げてみたかった。だが今の世ではそんなこと望むべくもない。立場上という意味でもな。そもそも私の腕では首を上げるどころか生き延びるだけでも精一杯なのだろうしな」

「そ、それは……」

 家光は武士の教養として宗矩から新陰流を習っており、その剣術稽古には息子である三厳が毎度召されている。故に家光の腕前を知っている三厳は言葉に詰まる他なかった。対する家光は特に気にすることもなく笑う。

「よいよい、自分の力量などわかっておる。それに宗矩やら忠世らに口酸っぱく言われたよ。『あれは匹夫の武であり大将の武ではない。大将には大将がすべき武がある』とな。まったく、私とてそのくらい理解しているというのに……だがまぁ、そうなのだ。私に求められているのは『大将の武』。改めてそれを思い出し、精進せねばと思ったというわけだ」

 家光の口調は達観というよりは自分にそう強く言い聞かせているように感じた。このとき家光は数えで二十三歳。滾る血を素直に抑えるにはまだ若い。それでも家光は自分の立場を弁えその職務に精進すると言ったのだ。そんな家光の言葉に三厳は胸の奥が熱くなる感覚を覚えた。


 三厳はとある噂を耳にしたことがあった。それは自分が怪異改め方に選ばれたのは家光の自立心を促すためだという噂だ。曰く近くにいた者が立派に務めを果たしているのを見せれば家光が将軍職に熱を持ってくれるだろうという思惑らしい。根も葉もない噂だがさらに噂についた尾ひれによると三厳が長く小姓職に就いていることも、この前の大一番をわざわざ大広間白洲で行ったのも、父・宗矩の順調な加禄もそのためだという。聞けば気分は悪かったが三厳はこの噂を歯牙にもかけなかった。どうせ大した役ももらえない小物の嫉妬だろう。

 だがいざこうして自分の働きが家光の、主君の、ひいては天下の礎の一石になったと思うと三厳の胸に熱くこみ上げてくるものがあった。その思いをどう表現していいかわからなかった三厳は深く頭を下げて応えた。家光は満足そうに頷いた。

「近々正式に役儀の辞令が届くのだろうな」

「はっ。讃岐守様曰く近日中とのこと」

「少し寂しくなるやもな」

 怪異改め方に就くこと。それは同時に家光の小姓を退くことを意味している。この頃家光付きの小姓は五十人を超えていた。三厳はその中の一人にすぎず、また特別家の地位が高いわけでも小姓仕事に秀でていたわけでもない。しかし剣術稽古で毎度顔を合わせ共に汗を流した間柄。それは表面上の役職以上の関係性だった。家光にしても、三厳にしても。だからこそ三厳は宣誓した。

「天下に、上様に恥じぬ働きを誓いまする」

「うむ。期待しているぞ」

 三厳のもとに正式な怪異改め方への辞令が届いたのはその翌日のことであった。

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