柳十兵衛 小田原からの使者と対面する

 さて、辞令が届き正式に怪異改め方に就いた三厳であったがその仕事内容は決して華々しいものではなかった。主な仕事はあやかしを感じ取れる才を生かしての治安維持。具体的には江戸城内外の警らや江戸へと流れてくる物品の検分などを行う。特殊なものだと城お抱えの他の術師と共に地脈や霊門などを診て回ったりもした。

 幸いなことにこれらはどこも異変等はなく今日も江戸の町は平和であった。思わず退屈だと思ってしまうほどに。

(今日も何もなしか。やれやれ、これじゃあやってることは書院番や目付の連中と変わらないな。何か起こってでもくれればこの退屈も……と、さすがにそれは不謹慎が過ぎるか)

 三厳とて平和が第一であることは理解している。しかし平和も過ぎるとその尊さをついつい忘れがちになってしまう。そんな三厳のもとに、幸か不幸か願いが通じたのか、老中からの使者が訪れたのはその数日後のことであった。


「卒爾ながら御免。柳十兵衛やなぎじゅうべえ殿はいらっしゃるか?」

 柳十兵衛とは三厳が怪異改め方の務めを行う際に名乗っている名だ。これは単なる偽名というわけではなく、両名というある程度公的に使うことのできる名前であった。つまり三厳を『柳十兵衛』の名で呼んだ彼らは『怪異改め方の柳十兵衛』に用があるということだ。当然三厳も『柳十兵衛』と名乗り応える。

「怪異改め方・柳十兵衛にございます。何か御用でしょうか?」

 十兵衛を訪ねてきた使いは二人。うち片方には見覚えがあった。老中・稲葉いなば丹後守たんごのかみ正勝まさかつの家来の一人だ。怪異改め方は老中直下のお役目であるため正勝から連絡が来ることはおかしなことではない。だがもう一人には覚えがない。役儀の脂が乗ってきたであろう三十代ほどの武士。十兵衛が視線を向けると目が合ったその男は頭を下げた。

「お初にお目にかかります、十兵衛殿。拙者、小田原城城代じょうだい近藤石見守家来・小山良兼おやまよしかねにございます」

「小田原城城代……ということは」

 小山良兼が頷いた。

「左様。急な話で申し訳ないのですが、十兵衛殿には小田原に赴いてほしいのです」


 小田原。現在の神奈川県小田原市を中心とした地域のことである。関東平野の西端に位置しており、これより西には箱根の険しい山々が続く。この険しい峰が西よりの敵勢を食い止めてきたため古来より関東鎮座第一の要所などと言われてきた。もちろん現幕府にとっても最重要地の一つである。

 そんな場所に怪異改め方として飛べと言われたのだ。必然十兵衛の眼光も鋭くなる。

「小田原ですか。丹後守様の命とあらば是非もありませんが、理由をお聞きしても?」

 そう尋ねると良兼らは少し言葉に困る顔をした。目に見えないあやかし関係の話でよく見る顔だ。

「実はですね、最近小田原を中心に怪しい雰囲気が立ち込めているという報告が上がって来たのです。十兵衛殿にはそれを調査していただきたい」

「怪しい雰囲気……それは具体的にはどのようなものなのでしょうか?あやかしが出たとか、人がおかしくなってしまったとか……」

「それが、具体的に何かが起こったというわけではないんですよ。ただ怪しい、今までにないほどに怪しい気配が漂っているとしか報告がなくて……」

「えっ、それはまた……」

 これには十兵衛も困惑した。確かにあやかし関連の話ははっきりとしないものが多い。それは怪異を観測できる者の絶対数が少ないためだ。そのため改め方へと上がってくる話は原因が不明瞭で、そして具体的に目視できる被害だけが報告されることが多い。

 だが今回のそれは原因も被害もはっきりとしていない。よくこんな話が老中に通ったものだ。あるいは曖昧だからこそ十兵衛のような新人に話が回ってきたのかもしれない。

 そんな十兵衛の思料を変に解釈したのか、良兼はばつが悪そうに嘆願する

「情報が曖昧であることは承知しております。しかし場所が場所でして、何も手を打たないというわけにはいかないのですよ……」

「それは……そうですよね……」

 小田原が天下の要所であることは十兵衛もよく理解している。実際に何かが起こっているとすれば早期対処できるに越したことはないし、そもそも老中からの案件を断るという選択肢が十兵衛にはない。少々すっきりとしないことは否めないがそれでも十兵衛は改めて頭を下げた。

「承知いたしました。怪異改め方・柳十兵衛。丹後守様の命により早速小田原へと向かいます」

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