柳生宗矩 懸念する

 正勝らの使い二人が帰ると十兵衛は早速小田原への旅支度を始めた。

 日本橋から小田原宿までは約二十里で一般的には二日から三日かかる。十兵衛一人ならば本気を出せば一日でも着けたが今回は随伴に普通の武士である小山良兼がいたため、十兵衛は素直に二三日で小田原に着く予定を組んだ。ちなみに先日の本庄宿は日本橋から約二十二里。その経験からか旅支度は思っていたよりも早く片付いた。

 旅支度が済んだところで十兵衛はふと屋敷内があわただしくなっているのを感じた。父・宗矩が帰ってきたようだ。ならばと十兵衛は小田原へと赴く旨を報告しにいく。宗矩は自室で煙草をくゆらせていたところであった。


「父上。今よろしいでしょうか」

「七郎か。どうした」

「改め方の役儀でまた出ることになりました」

 いきさつを語る十兵衛。十兵衛としては厳密な報告というよりは父子の会話程度のつもりでいた。しかし話を進めるうちに宗矩の表情は徐々に険しくなっていく。そして話を終えた頃には宗矩はもう煙草を吸う手すら止めていた。

「小田原。小田原か……」

 何か思うところがあるのかしきりに「小田原か」とつぶやく宗矩。十兵衛が何かあるのかと尋ねると宗矩は少し考えてから、ここだけの話だがと前置きをして話してくれた。


「ここだけの話だが、夏頃に上様(家光)が上洛することとなっておるのだ。二条城がようやく形になったそうでな。今はまだ上だけで大筋をまとめているところだが、まぁ十中八九小田原はお通りになられるだろうな」

 ここでの上洛とは将軍が京都へと上ること。これは当然だが単なる旅行などではなく最上級の政治的イベントである。

 今回の目的は後水尾天皇の二条城行幸。そしてその拝謁時に家光は左大臣および左近衛大将に昇格する見込みとなっていた。将軍となってまだ日が浅い家光に箔をつけるための行事。幕府の面目のためにも是が非でも成功させなければならない。そんな重要行事の道中に小田原はあった。今回の件の思わぬ背景に十兵衛は今更ながら背すじに寒いものを感じた。

「……思った以上に重大ですね。これは向かうのは新参者の私でよかったのでしょうか?」

 珍しく臆する十兵衛を宗矩はたしなめた。

「まったく、何を臆しておる。任された以上は全うする他あるまい。幸いまだ二月ほどある。気負いせずに務めを果たせばよい」

 しかしやはり万全にするに越したことはない。宗矩は少し考えてから提案をした。

「ただまぁ念のために腕っぷしのいい誰かを連れていくといいだろう。又三郎などどうだ?確か小田原に親族がいてよく顔を見せに行っていたのだろう?」

「あぁそういえばそんなことも言ってましたね。それではちょっと呼んできます」

 こうして呼ばれてきた男が大場又三郎おおばまたさぶろう。柳生家家来にして新陰流の門下生。年は十兵衛よりも六つ上で、やや軽薄のきらいがあるが腕は立つ。そして宗矩の記憶通り叔父が小田原におりそれなりに顔が利いた。同行者としてはうってつけだろう。呼んで話をすると又三郎は二つ返事で承諾した。

「任せてくださいよ。小田原は私の庭みたいなもんですからね」

 相変わらずどこか軽薄であったが変に固くなるよりはいいのかもしれない。こうして小田原への同伴者に又三郎が加わった。


 翌日。五街道の起点、天下の往来・日本橋には小山良兼。大場又三郎。そして柳十兵衛が姿があった。互いに手短に挨拶を済ませると良兼が出発の音頭を取った。

「それでは行きましょうか」

 六月某日。天気はあいにくの曇り空だったが梅雨時ならば仕方がない。せめて大雨に振られないことを祈りながら、柳十兵衛らは一路小田原へと出発した。

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