柳十兵衛 初陣を終える 2(第一話 終)

 宗矩に促され三厳は覚悟を決して話し始めた。

「今回戦った者の中に大坂の役に参戦したと言う者がおりました」

「ほう、大坂か。あれももう十年以上も前か……」

 大坂夏の陣。当時宗矩は先代将軍・徳川秀忠の護衛を務めていた。宗矩は懐かしむように遠くを見たがすぐに三厳に向き直り聞く体勢に戻った。三厳は話を続ける。

「私はその者と打ち合い、そして深手を負わせました。もはやろくに戦えないであろう深手です。しかしその者は引くことなく私に刀を振ってきました」

 三厳の脳裏に鬼気迫る表情の山賊の姿が思い起こされる。

「よくよく考えればそれも当然。戦場では刀を引けばそれはすなわち死を意味します。その意味では最後まで戦おうとする彼は武士でした。そしてそこに気付けなかった私は、未熟でした……」

 どれだけ禄を重ねようとも、名誉ある地位につこうとも、武士の本分は戦場にある。少なくとも十兵衛はそう思っている。だがいざ実戦に立った時、自分は所詮戦場を知らぬ若侍であることをまざまざと理解させられた。

「私が勝てたのは私の鍛錬が偶然相手を上回っていただけのこと。覚悟という点では完全に武士として負けていました。そんな私が果たして勝利したと言えるのでしょうか?」

 現代の感性では少しわかりづらいかもしれないが、この時代の武士にとって「武士らしく生きる」というのは至上命題の一つであった。武士らしく生きられないのであれば場合によっては命を絶つことすら厭わない、そんな時代だ。

 それ故に三厳は戦場に立つ者としての矜持で後れを取った自分をどうしても許せずにいた。あるいは認められずにいたと言ってもいい。ともかく三厳は自分の武士としての理想と実情にどうしても呑み込めない部分があった。それを宗矩に吐き出したというわけだ。


「以上でございます……」

 話し終えて頭を下げた三厳はそれはもう酷い顔をしていた。三厳の胸中には苦渋と、そして宗矩に叱られるのではないかという恐れがあった。これは単に父子の話ではなく、武士として恥ずかしい真似をしてしまったことを咎められるという恐れである。これはこの時代の武士にとって最上級の恥辱であった。だがそれも自らの未熟故。三厳は覚悟を決めてその時を待っていた。しかし宗矩から返ってきた言葉は予想してなかったものであった。

「……七郎。何度も言っているが我らの剣は天下の剣。切る相手ではなく切った先に天下泰平があるかどうかが肝要なのだ。今回お前は剣を振るい、そしてその結果江戸から危機は遠ざけられた。つまりお前の剣は新陰流として恥じぬ剣だったということだ」

「父上!?」

 思わず宗矩の顔を見る三厳。信じられるはずもない。相手の覚悟を見誤り不覚を取った、そんな剣が新陰流の剣だったと言われたのだ。何か言いたげに腰を上げた三厳に対し宗矩は重い、しかしどこか優し気な口調で言葉を続ける。

「お前の後悔はわかる。だが長い剣の道、そのような一戦もあることだろう。その一戦に捕らわれてどうする。大事なのは大きく道を外れないこと。新陰の剣は大局で語る剣なり」

「……では武士らしくない振る舞いを受け入れろと?」

 宗矩は苦笑した。

「そうではない、とは言い切れないな。そこがお役目の難しいところだ。だがいずれお前にもわかる日が来るだろう。我らが語るのは匹夫の剣にあらず、天下大将の剣なり。こういったものは無理に諭すものではない。いずれわかる日が来る。それまで励めよ、七郎」

 そう言って宗矩は体勢を庭の方に向けた。もう話は終えたという意思だろう。三厳は食って掛かりたかったがその悠然と座る宗矩に対して何と言えばいいのかがわからず、不本意ながら「お休みなさいませ、父上」と言って部屋を出た。宗矩はそんな息子を静かに見送った。


 三厳は自室には戻らずに道場の戸を開けた。当然こんな時間に誰かがいるはずもなく、ただ月明かりが差し込んでいるだけであった。だがそれでいい。今は一人でいたかった。三厳はおもむろに竹刀を持ってきて振り始めた。空気を切る音が道場内に静かに響く。

「っ……はぁっ!」

 上段、中段、下段。袈裟、逆袈裟、突き。煮え切らない思いを払拭するかのように三厳は剣を振るう。この鍛錬こそが武士の本分へとつながると信じて。

 思えば三厳は宗矩にこっぴどく叱られるのを望んでいたのかもしれない。叱られて、そして「これではいけない。もっとしっかりとした武士を目指さなければ」とまた明日からの稽古に励みたかったのかもしれない。だがそうはならなかった。宗矩からは労われ、さらには新陰の剣として間違ってはないとまで言われてしまった。

(それを受け入れろと……!?)

 三厳は感情に任せてさらに鋭く竹刀を振るう。結局三厳の気が晴れたのは一刻ほど過ぎた頃だった。

 気が晴れたと言っても完全に納得したわけではない。特にあの時無様に三歩下がった自分を三厳は決して忘れることはないだろう。ただ過ぎたことにこれ以上捕らわれても仕方がないと気づいただけだ。不覚はこれから取り返せばいい。なにせ三厳の怪異改め方のお役目はまだ始まったばかりなのだから。

「まったく、ひどい初陣だ……だが、これからだ……!」

 三厳は暗く静まり返った道場にて一人新たに覚悟を決めた。

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