柳十兵衛 初陣を終える 1

 十兵衛らは山賊一味を見事打ち倒し、捕らえた四人を本庄の役人に引き渡した。受け取った原田らは驚き、そして感謝した。これで本庄を悩ませていた山賊騒動に終止符が打たれたのだ。

 しかし十兵衛と平左衛門はその後さらに三日本庄に留まりやはり周囲の山中を歩き回った。敵の大将がまだ残っていたためだ。だが結果としては敵大将と思わしき化け狐の痕跡は影も形も、匂いも何も見つけることができなかった。

 とある山の中腹で平左衛門が呟いた。

「やはり完全に逃げたようですね」

 見晴らしのいい場所だった。空は高く青く、遠い秩父の山々は力強い新緑で覆われている。見下ろせば名前も知らぬ川が見え、その周囲では日々の生活をする人たちが小さく見える。山賊騒動などとは無縁な長閑のどかな景色であった。

「やはり、そうなのですね……」

 十兵衛も同意するしかなかった。他ならぬ十兵衛自身の鼻があやかしを捕らえられないのだからそれも仕方がない。十兵衛らは明日朝一で本庄から江戸に戻ることに決めた。

 

 明日本庄を発つことを告げると原田らはその晩盛大な宴会を開いてくれた。

「いやぁ、感謝してもしきれないとは正にこのことですな。全くお二人がいらしてい無ければどうなっていたことか。やはり江戸の方は違いますな」

 わいわいと盛り上がる宴席。それはもちろん接待の意味もあっただろうが、それ以上に山賊騒動が終わった安堵と二人に対する感謝の念があった。田楽や焼き魚といった料理の他に、どこからか十兵衛が酒好きであるというのを聞いたのだろう上等な酒も多数用意してくれた。早くも気分がよくなった誰かが十兵衛の椀になみなみと酒を注ぐ。

「さぁさぁ十兵衛殿。これはここいらでは名の知れた酒でしてね。どうぞ一気にぐいっと」

 言われたとおりにぐいっと飲み干せば周囲はやんややんやと盛り上がった。馬鹿げた雰囲気であったがそれでもこの時間は十兵衛の慰みにはなった。


 翌朝。まだ日も登っていない時間であったが、それでも少なくない数が二人を見送りに来た。

「我々本庄の者一同は今回の御恩を決して忘れません。近くまでいらしたらぜひまたお顔をお見せください」

 二人は原田一同の下げた頭を背に本庄を出た。

 急ぐ旅路でもなかったので二人は二日かけて江戸へと向かう。一日目は浦和で宿を取り、そして二日目の昼頃に特に問題なく江戸に戻ってきた。平左衛門とは神田明神のあたりで別れることにした。

「では十兵衛殿とはここまでということで。此度の見事な活躍、確かに殿に伝えておきますぞ」

 殿とは平左衛門の主君、老中・酒井忠勝のことだ。本来ならば十兵衛自ら報告に赴くべきなのだろうが十兵衛はまだ正式には怪異改め方ではない。故に今回は素直に平左衛門に任せることにした。

「お任せいたします。道中誠ありがとうございました。ご縁があればまたよろしくお願いいたします」

 平左衛門と別れ十兵衛が屋敷に戻ったのは正午の鐘が鳴ったころだった。


 帰宅した三厳は旅の荷物を整理したり道場の門下生に稽古をつけるなどをして時間をつぶした。やがて旗本らの下城の時刻となり、まもなく父・宗矩も帰宅した。

「おかえりなさいませ、父上。三厳、戻りました」

「ん。帰っておったか。それでは夕餉の後にでも話を聞こうかの」

 宗矩の言葉通り、夕食からしばらくしたのち三厳に部屋に来るようにとの言伝があった。時刻は暮れ六つをとうに過ぎていた。夕闇ですら西の空にわずかに残る頃に三厳は宗矩の部屋へと入った。薄暗い部屋では宗矩が静かに座していた。

「来たか、七郎。それでは聞かせてもらおうかの。本庄でのお前の働きを」

「はっ」

 三厳はここ数日のことをできる限り淡々と話した。本庄へと向かったこと。役人らから事情を聴きだしたこと。山の中で山賊を釣ったこと。根城を襲撃したこと。山賊を壊滅させたこと。そしてその大将を逃してしまったこと。その間宗矩は怖いくらいに黙って聞いていた。話し終えた三厳は恐る恐る頭を下げる。

「い、以上にございます……」

 宗矩は最後まで黙って聞いていた。そして話し終えた後もしばらく押し黙ったままであった。不気味なまでに静かな父に三厳の緊張が高まる。

 それからどれだけの時間が経っただろうか。半刻かもしれないし、あるいはほんの一瞬だったのかもしれない。ともかく怖いくらいの沈黙ののちに宗矩は「七郎」と声をかけた。

「七郎。役儀の最中に何かあったのか?」

 唐突な質問だった。

「え?何かと申しますと?」

「誤魔化すな。雰囲気が違う。役儀中に何か思うところがあったのだろう。それを話せ」

 三厳は困惑した。父は何を感じ取ったのだろうか。宗矩の意図は読めなかったが、それでも何か言わなければならない。三厳は少し考えてから口を開いた。

「やはり心残りは敵の大将を討ち漏らしたことでしょうか。もう少し早く行動を起こしていれば……」

「違う」

「えっ?」

「違うと言っている。そこではない」

 互いの顔も見えぬ闇の中、宗矩はきっぱいとそう言い切った。

「敵の首魁を逃したこと。確かに悔いてはいるようだが、それはお前自身もある程度仕方がないと納得している。だからそこではない。お前の悔いは何だ?心残りは何だ?お前は今回の役儀で何を見た?」

 ここまで来てようやく三厳は宗矩が何を聞きたがっているのかを知った。だが三厳は迷った。これは他人に知られたい話ではない。できることなら完全に自分の中に封じ込めておきたい話であった。だが宗矩はそんな胸中すら見越して「七郎」と声をかけた。こうなればもう話す他ない。

(かなわぬな、父上には)

 十兵衛は話す決心をした。

「……今回戦った山賊の中に大坂の役を経験したという者がおりました」

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