柳十兵衛 山賊を討伐する 3
「ありました。あれでしょうね」
しばらく進むと山賊の言った崖はすぐに見つかった。高さ五丈程度(15m程度)の切り立った崖。そこには一つ大きな横穴が空いていた。穴の前には腰掛けやすい倒木や焚火の跡、竹かごや鉄鍋といった生活用品が散らばっている。山賊の根城とみて間違いないだろう。
十兵衛らはギリギリまで近づき観察する。横穴は入ってすぐに曲がっているのか奥は見えない。気配を読むのに長けた平左衛門もこれにはお手上げだった。
「駄目ですね。私は何も感じません。十兵衛殿はどうですか?」
「匂いはします。ですが動いていない。……残り香かもしれません」
あやかしの根城だけあってその匂いは今日一番で感じている。しかしそれは底に溜まっているかのような匂いでまるで動きが感じられない。これはあやかしが奥に潜んで動いていないためか、それともすでにここから逃げていてその残り香なのか、それを確かめるには踏み込む他ない。十兵衛は再度――今度は明確に清めのために――刀に酒を吹きかけた。
「平左衛門様はここにいてください。半刻で戻らなければ本庄までお戻りください」
平左衛門は真剣な顔でこくりと頷いた。
身をかがめ素早く静かに横穴に近づく十兵衛。やがて入口のところまでたどり着くと十兵衛は首だけ出して中を覗いてみる。しかし横穴内に明かりはなく、そして入ってすぐのところで曲がっているためにその奥までは見えない。やはり踏み込む他ないようだ。十兵衛は一度平左衛門が潜む藪の方に目配せをしてから横穴の中へと滑り込む。一歩踏み込むと強烈なあやかしの匂いが十兵衛の鼻を衝いた。
(くぅ……匂いがひどい……)
日に焼けた毛皮と熟れた果実のような匂い。それが眩暈がするほどに充満している。ただし罠ないし明確な意図があるような感じはしない。単に風が通らないために篭ってしまった匂いだろう。そしてここにも動いた形跡はない。
(これはやはり……)
十兵衛は慎重に足を進める。横穴はさほど長いものではなく、入口から二度曲がればもう最奥にたどり着いた。最奥には戦利品だろう剥ぎ取った衣服や小銭の入った壺、そしてその一番奥には姿を隠すための衝立が置かれていた。十兵衛は迷わずその衝立の奥を見た。そこにはケモノの毛が着いた藁ござ以外は何もなかった。
(……やはり、か)
一歩遅かった。ケモノのあやかしは当の昔に逃亡していた。
横穴から戻った十兵衛は平左衛門に中の様子を説明した。横穴の構造。山賊の戦利品が奥にあったこと。そして敵の大将がすでに逃げてしまっていたことを。
「そうですか。やはり一足遅かったですか。ところで十兵衛殿、それは?」
「奥に敷かれていたござです。何かわかることがあるかもと思いましてね」
十兵衛は横穴の奥から藁ござを持ってきていた。場所から考えるに敵の大将が使っていたものだろう。天日の下に広げてみるとそれは一辺一丈程度(3m程度)の使い古された藁ござで、その所々に動物の毛らしきものが付着していた。十兵衛はそれを手に取って観察する。
「これは……狐の毛ですね。しかもかなり大きかったようです。ござの擦れ方から見るに七尺(2m強)はあったかと」
「七尺も!?まさに化け狐ですね……」
「ええ。体格もですが妖術も相当長けているようでした。まさかこんな大物が江戸の近くに潜んでいただなんて……この化け狐は戻ってくるでしょうか?」
十兵衛は緊張からごくりと喉を鳴らして尋ねた。だがそれに対する平左衛門の回答は意外に淡白だった。
「おそらくは戻ってはこないでしょうね」
「……そうでしょうか?」
「これだけ引き際を弁えているんです。こういった手合いは引くときは『そこまでやるか』というくらいに引くものですよ。仮にまた悪さをするとしても、それは決して私たちの目の届かぬ遠い地で行うでしょうよ」
「それは、そうかもしれませんが……」
十兵衛ももう化け狐が戻ってこないであろうことは感じ取っていた。それでもなお認めきれないは、それを認めれば自分たちが敵大将を討ち漏らしたことを認める他ないからだ。
「少しだけ周囲を見て回りましょう。あるいは何か後を追う手掛かりがあるやもしれませぬ」
十兵衛は意地で周囲を捜索し、さらに半刻ほど横穴の前を見張っていた。しかし何の成果もあげられなかった。
「もう戻りましょう、十兵衛殿。賊のほとんどを生け捕りにしたのです。成果としては十二分ですよ。狐の方は相手が老獪だったと思いましょう。きっともう碓氷の関所を越えた頃でしょうよ」
平左衛門の言葉に力なく頷いた十兵衛は、せめてもと碓氷の方に顔を向けた。そして誰に聞かせるわけでもなく「なぜ戦わないのか。逃げるのか」と呟いた。
だが十兵衛はもう狐が逃げた理由を知っている。それは生きるためだ。戦場では生き残るためには戦わないか、あるいは最後まで戦うかの二通りしかない。半端な勝負など命を落とすだけである。だから狐の逃げるという判断は正しい。
そこまで分かっていてなお十兵衛の心がすっきりしないのは、やはり心のどこかで物語のような華々しい刀の撃ち合いを期待していたからであろう。激闘の果てに片方が勝者となりもう片方が屍と化す、そんな世界を夢見ていたせいだ。だがそんな世界はあり得ない。それをこの初陣に手痛いほどに教えられた。
「まったく、ひどい初陣だ……」
十兵衛はやや疲れた様子でそう呟いて平左衛門と共に下山の準備を始めた。
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