柳十兵衛 沢庵からの依頼を受ける 3
江戸から沢庵の調査命令を受けた十兵衛は紆余曲折ののち、どうにか沢庵との面会にまでこぎつけることができた。これで沢庵を間近で観察できるようになったわけだが、このとき十兵衛は偶然立ち寄っただけだと説明し素行調査であるとは明かさずにいた。これは沢庵の自然体を見るためでもあったが、幼少期からの親交があるにもかかわらずこのような狡い真似をしているという負い目故の判断でもあった。
しかしそんな十兵衛の魂胆を沢庵はあっさりと見破った。
「こんな時期にわざわざ来たのだ。どうせ江戸からわしのことを調べてこいなどと言われたのだろう?」
沢庵のあまりの慧眼に十兵衛は誤魔化す気すら失い、恥じらう思いのままに頭を下げた。
「……はい。和尚のおっしゃる通り、和尚の素行調査の命が私に下りました」
床に額を付ける十兵衛は(あぁこれで和尚との縁も切れてしまうのだな。父上に何と申せばいいのだろうか)などと考えながら裁きを待った。しかし沢庵は特に憤慨するようなそぶりは見せず、それどころかその報告書は自分が書いてやろうとまで言い出した。
「気にするな。御公儀に仕えて居ればそんなこともあるだろう。それよりもお前が提出するであろう江戸への報告書、それはわしが一筆書いてやろう」
その提案は実に唐突で荒唐無稽であった。あまりに唐突過ぎて十兵衛は「へ?」と間の抜けた声と共に顔を上げた。
「えっと、今何と……」
「おや、聞こえなかったのか?お前の江戸への報告書をわしが書いてやろうと言ったのだ。なに安心しろ。お前や宗矩が責められるようなものにはしないから」
そう言って沢庵は楽しそうにはっはと笑った。
「ちょっ、ちょっと待ってください!そんなこと急に言われても困ります!」
沢庵の巧みな弁舌で思わず流されそうになってしまったが、さすがにこれは十兵衛も拒絶した。
「だって……どう考えてもおかしいじゃないですか!何故和尚についての報告書を和尚自らがお書きになられるのですか!?」
「なんだ、お堅いのぉ。それとも何か?江戸暮らしで剣術ではなく書類仕事の方に目覚めたのか?」
「そういう話ではありません!これは私が受けた指令。ならば私が最後まで責任を持つのが筋というものでしょう!」
道理を説く十兵衛。しかし沢庵はこれに面倒そうにため息を吐いた。
「はぁ。真面目な話をすればな、わしはお前が何か変なことを書いてしまうのではないかと危惧しておるのだ。お前では報告していいことの可否などわかるまい」
「お言葉ですが私はもう子供ではございません。報告書などもう幾度も書いております」
「そうではない。お前では何が火種かわからぬだろうと言っておるのだ」
「火種、ですか……?」
要領を得ないという顔をする十兵衛に沢庵は居住まいを正して語り始める。
「お前も噂くらいは耳にしているだろう、現在朝廷と江戸との関係はあまり良好なものではない。いや、そもそも良好だった時期などなかったのかもしれないが……。まぁともかく今朝廷と江戸は互いに主導権を握らんと水面下で攻防を繰り広げているのだ。そんな中でお前が下手なことを――醜聞につながりかねないことを書いてみろ。江戸はそこを突こうと暗躍し、都の公家や坊主たちは守るためにまた手を尽くす。両者の争いはさらに激しさを増してしまうことだろう。それこそ互いに引き返せなくなるほどにな」
沢庵はさらに言葉を続ける。
「……どちらか片方が一方的に負けるのならまだマシだろう。だがもし互いに引かずに兵を率いての合戦になればその先は誰にも分らなくなる。あまりこういうことは言いたくはないが、江戸を憎んでいる者は数多くいるからな。最悪の場合また烽火の途切れぬ戦国の世に戻ってしまうやもしれん。それを防ぐためにもわしが穏便に済ませてやろうと言っているのだ。『何も問題ない』というのはお前も望んでいることだろう?」
「それは……その……」
確かに沢庵周辺に『何もない』というのは十兵衛や沢庵、宗矩にとって非常に望ましいことである。だがそのために沢庵に報告を任せるというのはお役目の放棄に他ならないのではないだろうか?ギリギリのところで悩む十兵衛に沢庵は最後の一押しをした。
「そう難しく考えるな。わしはただ余計な火種を持ち込みたくないだけだ。そんなに信用ならんというのならわしが書いたのちにお前が中身を見て、それで気に入らなければ破って書き直してしまえばいい」
手厚く配慮する沢庵。ここまで言われてしまえばさすがに十兵衛も拒絶できない。
(まぁあとでこちらで手直ししていいというのなら任せてみるのも悪くはないか。最悪俺が一から書き直せばいいだけだからな)
「……承知いたしました。ではお手数ですが和尚に一筆お願いいたしまする」
これに沢庵は「うむ、任せろ」と一笑で返した。
さて、こうして妙な流れで沢庵が報告書を書く運びとなったのだが沢庵にはまだ十兵衛に頼みたいことがあったようだ。
「無理を言ってすまんな、七郎。ところで重ね重ねで申し訳ないのだが、すまんついでにもう一つほど頼まれごとを聞いてくれるか?」
「……まだ何かあるんですか?」
露骨に警戒する十兵衛。それに沢庵は苦笑する。
「そう身構えんでもいい。時間潰しがてらちょっとしてほしいことがるだけだ。実はだな、最近ここから東の山中に落ち武者の霊とやらが出るらしくてな。それをお前に退治してほしいのだ」
沢庵からのもう一つの依頼。それは十兵衛も噂で聞いていた出石周辺に出没する落ち武者の幽霊、それの退治であった。
「落ち武者の霊の退治ですか……」
「ほう、あまり驚いてないようだな。噂くらいは聞いていたか?」
「え?ええ、まぁ。豊岡の方で少し耳にしたくらいですが」
「それならば話が早い。知っての通り最近近くの山中に落ち武者の霊が出るそうでな、町人たちが怯えてわしの元にどうにかしてほしいと相談に来るのだ。わしとしても何とかしてやりたいとは思っているのだが剣の方はからっきしでな……。そこでお前の力を借りたいのだ」
「うぅん……そう言われましても……」
沢庵からの依頼に渋る様子を見せる十兵衛。だがその様子とは裏腹に、十兵衛はこのときすでにこの依頼をほとんど受ける気でいた。そもそも十兵衛はこの噂を豊岡以前の生野近くの村で偶然居合わせた旅人から聞いており、そしてその時から是非ともこの落ち武者たちと一戦交えてみたいと思っていたのだ。
そう思うに至ったのは職業柄というのもあるが、それ以上に落ち武者という存在に――敗者とはいえあの戦国の世で戦っていた者に興味があったためである。
(あぁ彼らは一体どのような心地で戦場を駆けたのだろうか。どんなものを見てきたのだろうか。どのような思いで地に伏したのだろうか)
十兵衛のような若い世代にとって戦場とはもはや遠い昔のことで、いくら望んでも肌で感じることのできない時代である。それを幽霊越しの仮初とはいえ感じることができるかもしれないのだから心躍らないはずがない。
ならばこの依頼はまさに渡りに舟であったのだが、十兵衛はあえて渋るような態度を見せていた。
なぜ十兵衛は素直に依頼を受けなかったのか。それは沢庵の裏の意図を警戒していてのことだった。もちろん沢庵が自身を貶めようとしているなどと思っているわけではない。しかし鬼の坊主や朝廷との力関係、そして何より沢庵の底知れなさに十兵衛は(また何か裏があるのでは?)と勘繰ってしまい素直に頷けずにいたのだ。
沢庵もそんな十兵衛の警戒心を感じ取ったのだろう、少しばかり声色を優しくして再度頼み込む。
「そう難しく考える必要はない。わしがお前の報告書を書き上げるまでの間、軽く見てくれるだけでいい。それだけで町の者たちは安心するだろう。それに別に今日明日に柳生の里に帰らねばならないというわけでもないのだろう?」
「それはそうですが……」
「ならばいいではないか。わしも、落ち武者云々を抜きにしても、久しぶりに会ったお前ともっと話したいと思っているのだ」
「……私も和尚ともっとお話ししたいと思っております」
ここで十兵衛は情に折れたかのように大きく息を吐いた。
(まぁこれ以上渋れば和尚と気まずくなるやもしれないしな)
長い逡巡の末、十兵衛はこの落ち武者討伐の依頼を受けた。
「承知いたしました。どこまでできるかわかりませぬが、ともかく一度その幽霊とやらを見てみようかと思います」
「おぉそうかそうか、引き受けてくれるか。すまないのぉ、せっかく来てくれたのに色々と無理ばかり言って」
「和尚のためならば構いませんよ。ところでその落ち武者とやらはどこに出てくるのですか?」
「うむ。ここから東の山中でな、ちょっと言葉では説明しづらい所だが心配するな。李全に案内をさせよう。李全、頼まれてくれるな?」
これに十兵衛は今度こそ本心からの渋い顔をした。鬼の坊主である李全についてはまだ完全に、というより未だ全く信用していないからだ。出来ることなら出石を出るまで一切関わり合いになりたくないとまで思っていた。そしてそれは向こうも同じなのだろう。ちらと見れば李全もまた不満そうに口を真一文字に閉ざしていた。
鬼の坊主・李全。沢庵の知人の僧侶が用心棒代わりに寄こした坊主だそうで、沢庵曰く生真面目故に熱くなることはあるものの指示がない限りは不要に暴れたりなどはしない人物とのことだった。
「確かに鬼らしく力はすごいがそれを使って無闇に人を傷つけたりなどはしていない。普段は黙々と修行に励む立派な坊主だ」
沢庵はそう評していたが十兵衛はそれを素直に信じてはいなかった。鬼が仏心に目覚めるだなんて聞いたことがなかったし、何より立場上彼に対して警戒を怠るわけにはいかない。なにせ相手は『鬼』である。油断から不意打ちをくらってしまえばさすがの十兵衛でも致命傷は免れられないだろう。
ただそれほど危険な存在ではあるものの、今現在十兵衛は彼をすぐさま排除しようとまでは思っていなかった。
(まぁ見たところ人を操るような複雑な術か何かは使えないようだし、油断さえしなければどうにかなるだろう。和尚の手前もあるしな。……討つとすればそれは向こうが手を出してきてからだ)
そんな十兵衛の内心を知ってか知らずか、李全もまた警戒を維持しつつも沢庵の命に従い頭を下げた。
「……承知いたしました。僭越ながらご案内をさせていただきます」
一瞬顔を上げた李全と十兵衛の視線がばちりと合うが、李全はそれをすぐに逸らした。
「では今から向かわれますか?今から向かわれても行って帰ってくるくらいの時間はありますが……」
「……そんなに近いのか、その落ち武者とやらが出る場所は?」
「谷間沿いの獣道を通って小山二つ分ほどです。歩き慣れた者ならば半刻とかからないでしょう」
「なるほど。それ程ならば町人たちも不安になるか……」
十兵衛はしばし思案したのち和尚に一つ確認をした。
「和尚。落ち武者の件は別に今日中に片を付けろというわけではないですよね?」
「もちろんだとも。それに先も言ったが無理に解決しろとまでは言わんさ。軽く追い払ってくれるだけでも町の者たちは安心するはずだ」
「なるほど……ならば一度見ておくのも悪くないか……。よし、わかった。では一度見るだけ見てみようと思います。ですがこちらに控える時直殿はただの案内人。危険な場所には連れて行けません。先に宿に戻ってもらいますが構いませんね?」
これに李全は興味なさげに顔を伏せ、沢庵は「何ならうちに泊まっていくか?」と提案した。しかし十兵衛はこれを丁寧に断る。
「お心遣いありがとうございます。ですがもう宿を取ってありますので、心苦しいですがこちらに泊まるのはまたの機会ということで」
沢庵からの宿の提案をすでに取ってあるからと固辞する十兵衛。この何気ないやり取りに一人非常に戸惑っている者がいた。それが今しがた名前が出てきた時直であった。
(どういうおつもりなのだ、十兵衛殿は!?)
十兵衛の後方でこれまで静かに控えていた時直は顔にこそ出さなかったが非常に困惑していた。理由は先程十兵衛がすでに宿を取ってあると言ったからためである。二人は出石に来てすぐに沢庵の寺まで来たため、まだ宿を取ってはいない。つまりは十兵衛は嘘をついたのだ。
(しかしなぜそのような真似を?)
時直はその真意を聞き出そうとした。しかしそれより早く、まるで時直に余計なことをしゃべらせないかのように十兵衛が口を開く。
「というわけだ、時直殿。悪いが先に宿に戻っていてくれるか?夕刻までには帰ってくるさ」
そう言うと十兵衛はさりげなく柳生の家紋が彫られた短刀を時直に持たせた。
「!?」
瞬間、時直は十兵衛の意図を理解した。この短刀は柳生家の使いであることを示すものである。それをこの場面で預けたということ――それはつまり十兵衛に万が一があって夕刻までに戻らなければこの短刀を持って柳生庄に報告に行ってほしいということだ。
十兵衛が未だ強く警戒しているということを知ると時直はごくりと唾を呑み慎重に頭を下げた。
「……承知いたしました。十兵衛様もお気をつけて」
「わかっているさ。……待たせて申し訳ない。それでは李全殿、案内頼みましたぞ」
「承知いたしました。ではこちらに……」
李全が立ち、それに続いて十兵衛と時直も法堂から出た。その三人の背中を沢庵は座しながら静かに見送った。
法堂から出た十兵衛はまず時直と別れた。寺の外に出た時直は一礼したのち通りを駆けていき、やがて見えなくなる。
もし沢庵や李全が何か企んでいればここで動いてくると踏んでいたのだが、李全は特に気にすることもなく時直が去っていくのをただ黙って見ていた。
(何もしてこなかったか。まぁだからと言って信用できるというわけではないのだがな)
「ではこちらもそろそろ参ろうか。……どうした、こっちを見て?」
「いや、何でもない。それでは案内頼んだぞ」
時直を見送ったのち十兵衛と李全の二人は寺の裏手側に回り込んだ。寺の裏はすぐに山となっており、近くには奥へと続く獣道も見えた。おそらく平時はここから山に登って薪や山菜などを採っているのだろう。その獣道の前で李全がつんけんした様子で十兵衛に問いかけた。
「一応聞いておくが獣道を進む心得はあるか?雪もまだまだ残っているからな。油断しているとスッ転ぶぞ」
ぶっきらぼうとした李全の言葉遣い。どうやら沢庵の目の届かぬところに来たことで十兵衛たちに丁寧語を使うのが嫌になったのだろう。ただこのくらい乱雑に振舞ってくれた方が十兵衛にとっても性が合っていた。
「舐めるなよ。そもそもここに来るときも生野の山道を通ってきたのだぞ」
「ふん。その程度で粋がるな。まぁ経験があるならいい。遅れずについて来いよ。遅れたら置いて行くからな」
「案内役が言っていい言葉じゃないな」
二人は売り言葉と買い言葉の応酬をしたのち、李全を先頭にして寺の裏山へと足を踏み入れるのであった。
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