柳十兵衛 沢庵からの依頼を受ける 2

 沢庵宗彭そうほう。出石出身の臨済宗の僧で一時は大徳寺の首座を務めたほどの人物である。その知識や人徳は位に恥じぬもので、そこから生まれる交友関係も天皇、公家、大名、各種知識人と幅広く、多くの人から当代一の禅僧と称される稀代の傑物の一人であった。

 その一方で沢庵は十兵衛の父・宗矩の旧友であり、その縁で十兵衛とも個人的に親しい関係にあった。故にこれほど高位の人物でありながら簡単に面会にまでこぎつけることができたというわけだ。


 沢庵が住職を務める宗鏡寺の法堂にて二人は十数年ぶりの対面を果たした。一人の坊主をお供に連れて入ってきた沢庵は十兵衛を見るや満面の笑みを見せた。

「いやぁ、大きくなったなぁ、七郎(十兵衛の幼名)。若い頃のお前の父によく似ておる。いや、昔のあいつよりも凛々しいくらいだ」

「ありがとうございます、和尚。和尚も御壮健そうで何よりです」

「はっはっは。そうかしこまるな。お前にそんな態度をされてはむずがゆくて仕方がない」

 そう笑う沢庵の表情は世に称されるような賢人のものではなく、単なる昔なじみの好々爺のそれだった。

(あぁやはり和尚は和尚だ。この話しているだけで安心するような不思議な心地。まるで幼き日の記憶が呼び起こされるようだ)

 その親しみやすい雰囲気に流されて十数年ぶりの再会にもかかわらず二人の会話は自然と弾んでいく。

「どうだ七郎。宗矩の奴に変わりないか?」

「父上ですか。それはもう相も変わらずです。今日も江戸城にて上様方の稽古に精を出していることでしょう」

「そうかそうか。いやあれも年のくせによく働くものだ。そう言えばお前は江戸からわざわざ来たのか?」

「いえ。今は柳生庄に戻っております。そこでその、いろいろと学んでいるところです」

「学ぶ?……あぁそうか。お前もいい歳だからな。次期領主としてよく学び、早く父を楽にしてやるといい」

「善処いたします」

 長年の隔たりを埋めるかのように談笑に花を咲かせる十兵衛と沢庵。話題は柳生庄や江戸について、あるいは宗矩の近況など尽きる気配はない。

 しかし和やかに話しつつも十兵衛は警戒を怠ってはいなかった。沢庵の柔らかな人柄でつい忘れそうになるが、現在この寺の中は非常に濃いあやかしの気配で満たされていた。そして談笑しつつも十兵衛はその発生源を特定していた。このあやかしの気配の原因――それは和尚と共に法堂に入ってきた見知らぬ坊主が原因であった。

 沢庵が法堂にやってきたとき、彼は一人の坊主を連れていた。その坊主は今も沢庵の後ろで顔を伏して静かに座している。知らぬ者が見れば単に沢庵お付きの坊主に見えるだろう。だが十兵衛の鼻は誤魔化せない。この者は普通の人間ではなく間違いなくあやかしであった。しかも……。

(……参ったな、こいつは『鬼』じゃないか!なんで鬼が坊主の格好をして和尚の寺に入り込んでいるんだ!?)

 十兵衛が看破した坊主の正体。それは現代でも名前が残っている妖怪の代表格的存在――『鬼』であった。


 鬼。姿かたちこそ人間と似ているものの人間とは比べ物にならないくらいの体躯、筋力、生命力を持つ著名なあやかしの一種である。

 彼らを語るうえで避けられないのが、いわゆる一般的な人間との敵対の歴史であろう。多くの昔話に残っているように古くから人と鬼とは対立し争っていた。そのため多くの人は鬼という種族はもれなく粗暴で人間を嫌悪しているものだと考えている。

 しかし実際のところ人と鬼との対立が表に出ることは滅多にない。というのも両者のコミュニティーは文化的な違いから普段は自然に距離が取られているからだ。鬼と呼ばれる一族のほとんどは人里離れた山奥で閉鎖的に暮らしている。接点がなければそもそも争いようがない。現在まで残っている伝承のほとんどが偶然両者が接触したときに起こった諍いに尾ひれがついた噂話に過ぎなかった。

 そのため逆に言えばその文化的違いを乗り越えれば鬼であっても人間と友好な関係を築くことができる。事実十兵衛もそんな鬼に幾人か覚えがあった。

(しかしそれでも坊主になった鬼の話など聞いたことないぞ。こいつ、一体何が目的だ?)

 沢庵との会話を続けながら十兵衛は静かに座する鬼の坊主の真意を探る。

 先に述べた通り人と鬼とは根本的な文化的価値観が異なる。その差異の原因は鬼という種族が持つ強靭な肉体に由来するのだろう。彼らは野生生物や他のあやかしに襲われることはない。普通の人間と比べて病気や飢えにも強い。少数の一族でまとまって暮らしているため内側に敵はおらず、仮に外から攻められても撃退できるだけの力を持つ。そんな彼らが仏に救済を求める思考に理解を示すだろうか?

 もちろん見様見真似で念仏くらいは唱えられるかもしれない。だがそれで沢庵のお付きのような立場までなれるはずがない。

(やはり和尚を操っているのか?しかし話す限り和尚に怪しい兆候は見られない……。くそっ!いっそ思いっきり動いてくれた方が向こうの思惑もわかるというのに!)

 目まぐるしく思考する十兵衛の脳内とは対照的に鬼の坊主に動く様子は一切ない。故にその内面はまるで量れない。一時は逆にこちらから仕掛けてみようかとも思ったが沢庵もいる手前それも難しい。

(さて、どうしてくれようか……)

 十兵衛がそのように手をこまねいている中、事態を動かしたのはなんと沢庵であった。沢庵はこほんと一つ咳払いをして少しばかり声を低くして十兵衛に尋ねる。

「さて、お前との話も楽しいがそろそろ本題に入ろうか。よもやこんな季節に世間話をしに来たわけでもあるまい。さぁ七郎、何を目的にわしの元へとやってきたのだ?」

「……っ!それは……」

 思わぬ急展開であった。さすがは沢庵、十兵衛たちがただ顔を見せに来たわけではないことをすでに察しており、十兵衛は逆に真意を問いただされる側となった。

 だがここで十兵衛は言葉に詰まる。江戸から依頼されたのは沢庵の素行調査。しかしそんな失礼な話を打ち明けてもいいのだろうか?鬼の話を抜きにしても沢庵との仲がこじれるのではないだろうか。

 ごちゃごちゃと考えてしまい次の言葉を出せずにいる十兵衛。そこに沢庵がイタズラそうに笑って追撃をかける。

「どうせおおかた江戸城の方から私の素行を調査するように言われて来たのだろう?」

「なっ!?」

 十兵衛は露骨に目を見開いた。沢庵は依頼の内容まで看破していたようだ。これに対し十兵衛は始め反射的に否定しようとしたが、ここまで見抜かれていてはもうしょうがないと慚愧の念と共に深く頭を下げた。

「……はい、その通りにございます。江戸から和尚の素行調査を依頼されました」


 降伏して江戸からの指令だったことを白状する十兵衛。こうなればもう沢庵に軽蔑されても仕方がないと覚悟するが、しかし当の沢庵はそれを聞いても「そうかそうか」と楽し気に微笑むばかりであった。

「……責めないのですか?」

「ふふふ。この程度のいざこざで腹を立てていては時間がいくらあっても足らんわ。それにしてもお前も立場というものに振り回されるようになったのだな。ふふふ。精々精進するといい」

 年長者らしく慈悲深い微笑みを浮かべながら泰然と座る沢庵。しかし、そのかわりというわけではないが、これに沢庵の後ろに控えていた鬼の坊主が声を荒げた。

「甘すぎます、師僧!こ奴らは師僧を害するために来た痴れ者共!今のうちにさっさと追い返してしまうべきですぞ!」

 先程まで静かに控えていた鬼の坊主は急に文字通り鬼の形相となって今にも飛び掛からんと腰を上げた。その敵愾心に十兵衛も驚きつつ膝を立てて身構える。

「なっ!?くそっ!」

(なぜこの鬼の方が怒っているのだ!?いや、そんなことより、よもやこんなところで鬼と戦うことになるとは!)

 十兵衛と鬼の坊主、二人の距離は一丈(約3メートル)ほど。その距離で二人は今にも飛び掛からん姿勢で睨み合う。法堂という厳かな場は一瞬で一触即発の雰囲気となってしまった。あとはもう呼吸さえ合えば戦いの火蓋は切って落とされることだろう。

 しかし沢庵がこの睨み合いをすぐに諫めた。

「落ち着け、李全りぜん。私の客だぞ」

「で、ですが師僧……」

「二度も言わせるな。私の客人だ。それに何度も言っているだろう。物事を決めつけ前後不覚に陥ること。それは悟りへの蓋となる煩悩だと」

「くっ……。……失礼しました」

 沢庵にたしなめられて李全と呼ばれた鬼の坊主は素直に腰を下ろした。それを見届けると沢庵は今度は十兵衛の方に向き直る。

「すまないな、七郎。こやつは少しばかり生真面目でな、今しがた怒ったのもわしの身を案じてのこと。どうか許してやってほしい」

「それは……」

 十兵衛は答えに窮する。

(これは和尚の本心か?この鬼か、あるいは別の者に操られているのではないだろうか?)

 これが沢庵の心からの言葉ならば十兵衛も素直に頷いただろう。だが先の結界といい気掛かりなところは多々ある。十兵衛は焦りつつも慎重に状況を見極めようとする。

 だがここでも沢庵が確信を突く。

「七郎、お前が懸念するのはもっともだ。お前は気付いているのだろう?李全の正体が『鬼』であることに。あるいはそれでわしが脅されているのではないかなどと思っているのだろう?」

 これにこの場にいた沢庵以外の全員が「なっ!?」と驚きの声を上げ固まった。

 時直の場合は控えていた坊主が鬼であると教えられたことに。李全の場合は自分の正体を暴露されたことに。そして十兵衛の場合は自分の考えをすっかり見抜かれていたことに対しての驚きである。そうして全員が驚き呆けている顔を見て沢庵はまた笑うのであった。

「ふふっ、図星か。まぁ詳しい経緯は後で話そう。だが今はとりあえず腰を下ろしてくれ。お前とてここに刀を抜きに来たわけではあるまい」

 心を読まれたこともあったが沢庵にここまで言われれば十兵衛も引き下がる他ない。十兵衛は浮かせた腰を再度床につけ頭を下げる。

「……取り乱してしまい申し訳ございませんでした」

 これに沢庵は「うむ」と満足そうに頷いた。


 場が落ち着いたところで沢庵は話を再開した。進行は自然と沢庵が務めていたがこれに異論をはさむ者は誰もいなかった。

「さて、各々言いたいことはあるだろうが物事には順序があるからな。まずは七郎、お前がここに来た経緯が知りたいのだが話してくれるな?」

 話を促された十兵衛は特に反抗することなく「少々長くなりますが……」と前置きをしてからここまでの経緯を語り始めた。

 始めは江戸からきな臭い依頼があったことを。そこから京都を中心に政治的対立が起こっていると知ったこと。江戸からの介入を防ぐために隠れて出石まで来たこと。そして万が一和尚と幕府との間で何かあったとしても古い付き合い故にどうにか便宜を図りたいと思っているということを。

「お役目ではありますが和尚を貶めるつもりは全くありませんでした。私も父も和尚の御身のご無事を心より願っております。そこだけはご理解ください」

 頭を下げる十兵衛に李全は懐疑的な視線を向けるが、沢庵の方は相変わらずのほくほく顔で頷いた。

「そうかそうか、お前も大変だな」

「……お疑いになられないのですか、師僧」

「くどいのぉ、李全。お前は知らないだろうがこいつの父親である宗矩はそういうお節介を焼く奴だ。それにこちらの裏をかくつもりならこんな真正面からやってくるはずもあるまい」

「それはそうですが……」

 相変わらず納得がいかない様子の李全。そんな李全を沢庵は苦笑しつつも温かい目で見ていた。

「すまないのぉ、七郎。こやつの疑り深さもわしを心配してのことなのだ。悪く思わんでくれ」

「詳しく訊いてもよろしいでしょうか?」

「ふむ……」

 沢庵はちらと李全の方を見る。これに対し李全はぶすっとした表情のまま顔を伏せた。おそらくどうぞご自由にということなのだろう。その意を介した沢庵はやはり愛おしそうに苦笑しながら十兵衛にむき直った。

「では話すが、まずこれだけは先にはっきりとさせておこう。先程話した通り李全は確かに鬼ではあるが仏心に目覚めて修行をしている立派な坊主だ。そこはわしが保証しよう」

「……」

「まぁお前がそういう顔をするのもわかる。鬼が坊主などなかなか聞かぬ話だからな。ただこやつがここにいるのにはちゃんと理由がある。はっきりと言ってしまえば李全はわしの用心棒も兼ねているのだ」

「用心棒?」

 沢庵は「うむ」と頷き話を続ける。

「最近都(朝廷)と江戸との関係性がとみに悪くなっているのはお前も知っているな?それを受けてか都に近しい多くの公家や僧侶が江戸からの搦め手に怯えるようになってしまったのだ」

「搦め手ですか」

「そうだ。醜聞集めや裏取引の持ちかけ。金を使った圧力に時には直接暴力を振るうこともあるだろう」

 江戸勤めだった十兵衛からすれば聞いていて楽しい話ではなかったが、都にてそういった下賤な攻防があることは知っていた。例えば現幕府の朝廷監視強化のきっかけとなった猪熊事件でも幕府と公家たちとの間でかなりの裏取引がなされたと聞いている。

 そして近年江戸は再度朝廷への干渉を強めようとしている。沢庵の言う通り大規模な裏工作が行われていることは想像に難くない。

「ともかくそのような江戸からの刺客に怯えて多くの者たちが閉鎖的に、引きこもるようになってしまったのだ。寺や屋敷の中にこもっていれば向こうもそう易々と手を出しては来ないからな。かく言うわしの元にも大徳寺に戻ってはどうかという催促が何度か来たものだ」

「和尚は戻られなかったのですか?」

「そんなものいちいち気にしてなどいられんわ。それにこんな老僧の首一つ取ったところで何にもなるまい」

 そう言って笑う沢庵であったが、この点に関しては完全に沢庵の方が世間からずれていた。沢庵ほどの影響力を持つ人物に何かあればそれこそ誰がどう動くか分かったものではない。幕府が沢庵を気に掛けつつもまだ手を出していないのは、あるいは未だ素行調査程度にとどまっているのはその影響力を恐れてのことだろう。

 そんな周囲の気苦労を知らない沢庵は呆れたようにため息をついた。

「だが京の奴ら、わしが戻るつもりがないと知るとせめて腕っぷしの強い者をそばに置いておけと言うようになってきた。要は用心棒を置けと迫ってきたのだ。わしとしてはそんな無粋なものを置きたくはなかったのだが周りの圧も強くてな。そこでつい『あくまで坊主としてならばそばに置いておく』と返してしまったのだ」

「それで引き合わされたのが彼だったと」

 十兵衛がちらと見ると李全は無言で肯定の意を示した。沢庵はその時を思い出しているのかくっくと喉の奥で笑った。

「まさか鬼の坊主を連れてくるとはわしも思ってもみなかった。まぁ会ってみたところなかなか見どころのあるやつだったため、これも一興と承諾したというわけだ。もちろん用心棒とはいえ無闇矢鱈に手を出すなとは言ってあるし坊主としての修行もさせてある。つまり刺客なんぞが現れない限りはただの坊主と変わりないということだ」

 そう言って沢庵は釘を刺すような目配せを十兵衛に送った。

「……つまり彼のことを悪しく報告するなと?」

「凝り固まった頭の奴に知らせるようなことではないということだ」

 沢庵の懸念は理解できた。普通の人は鬼と聞けば恐れおののくものであるし、それの排除を口実に幕府が介入してくるかもしれない。あるいはそういった介入の口実こそ幕府が欲していたものかもしれない。

 どちらにせよ沢庵としては李全のことを報告してほしくはないようだ。だがそれでは十兵衛の任務が達成できなくなる。

「しかし私にもお役目というものがございますので……」

 一旦は断ろうとする十兵衛。しかしここで沢庵が突拍子もない提案をしてきた。

「そのことなのだが、お前が出すべき報告書。それはわしが書いてやろう」

「はっ?」

 思わず呆ける十兵衛。沢庵の素行調査書を沢庵自らが書くというのか?混乱する十兵衛であったが沢庵は構わず話を続けた。

「今はいろいろと複雑なのだ。お前を疑っているわけではないが、都を知らぬお前では何が火種になりうるかわからないだろう?なに、案ずるな。柳生家に不利になるようには書いたりはせぬ」

「それは……お心遣いはありがたいのですが……」

 確かに『何もない』のは十兵衛も宗矩も、そして沢庵にとってもいい話である。だが御公儀から直々にお役目を受けた者としてそれでいいのかという責任感らしきものも心中にはある。そこに例の心穏やかになる笑みを浮かべた沢庵が追い打ちをかけた。

「なに、気に入らなければ後で破って自分で書き直せばいい。それより昔からのよしみで一つ頼まれごとをしてはくれないか?こんな老僧の調査よりもお前の性に合っている仕事だ」

「……仕事?一体なんでしょうか?」

 反応した十兵衛に沢庵はにやりと笑った。

「難しい話ではない。実は寺の東の山中に最近落ち武者の霊が出るらしくてな、それをお前にどうにかしてほしいのだ」

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