柳十兵衛 沢庵から依頼を受ける 1

 豊岡で一泊した翌朝、間もなく六つの鐘が鳴るという頃に目を覚ました十兵衛は窓を少し開け、そしてため息をついた。

「はぁ……」

 誰に聞かせるつもりでもなかったため息であったが、これに時直が横になりながら反応した。

「いかがなされましたか、十兵衛様」

「おっと、すまんな。起こしてしまったか?」

「お気になさらずに。それで外で何かあったのですか?」

「あ、いや……」

 十兵衛は少々ばつが悪そうに頬を掻いてから白状する。

「いや、晴天だなと思ってな。情けない話だが大雪にでもなってくれたら和尚の所に行かない口実が出来たのになどと考えてしまった」

「それは……もう一日ほどこちらで情報を集めますか?」

「ふふふ。そこまで駄々をこねるつもりはないさ。朝飯を食ったらすぐにでも町を出るぞ」

 そう言って十兵衛は再度朝焼けの空を見上げた。

(あぁよもやこんな面倒なことになるとはな。江戸で上様に剣を教えていた頃が恋しいくらいだ……)

 実のところ十兵衛は指令を受けた当初ここまで面倒なことになるとは思ってもいなかった。しかしよくよく吟味すればその依頼はきな臭く、深入りすればするほど背後にある政治的なしがらみも見えてくる。政治的な背景があるということは下手をすれば自分だけでなく柳生家そのものが窮地に立たされかねない危険性があるということで、そしてそんな窮屈な任務をこなしたところで自分の武名が上がるわけでもない。これはただの調査任務に過ぎないのだから。そこに気付いた時十兵衛の心は一気に重くなった。

「はぁ……もっとわかりやすいお役目ならばどれほどよかったことか……」

 再度ため息をつく十兵衛。すると心配そうにこちらを見ていた時直と目が合った。それに対して十兵衛は皮肉めいた笑みを見せる。

「大丈夫だと言っているだろう。ただため息をついているだけだ。それくらいは許してくれ」

 面倒ではあったが当然ここまで来て引き返すわけにもいかない。十兵衛と時直は朝食を取ったのちグズグズせずにすっぱりと豊岡南東の門を出た。そして渋る足とは裏腹に二人は特に問題なく一刻ほどで出石の町へとたどり着いたのであった。


 但馬国・出石。四方を山に囲まれているため豊岡よりもややこじんまりとした印象を受ける町であるが、出石城の城下町であったり細いながらも京都へと続く道もあったりと山間部にありながらかなり発展している町でもあった。そんな町に十兵衛と時直は足を踏み入れる。

「ここに沢庵様がいらっしゃるのですね」

「ああ。今はこの地にある宗鏡寺すきょうじという寺の住職をなされているそうだ」

「宗鏡寺……。確か一時はほとんど廃寺同然だった寺ですね。今の出石城城主が建て直してどこぞの偉い僧を呼んだと風の噂で聞きましたが、まさかそれが沢庵様だったとは……」

 時直の言う通り宗鏡寺は歴史ある寺であったが管理者がいなくなり廃寺寸前の状態にまでなっていた。それを現出石城城主・小出こいで吉英よしひでが再建し、ちょうど大徳寺を辞していた沢庵を住職に呼んだ。沢庵は元々この地方の出身で、加えて寺の大小を気にする人物ではなかったためこれを受諾。寺院の一画に投淵軒とうえんけんという庵を建てて住職兼隠居生活を始めて今に至るというわけだ。

 そんな目立つ背景のある寺のためその場所は町の者に聞けば一発で分かった。

「あぁ沢庵様のお寺か。それなら町の南東の方、山のふもとのあたりにあるよ。ここから二本東に大きな道があるからそこをそのまま進むといい。そのまま行けばやがて左手の方に立派な屋根瓦が見えてくるはずだ」

「恩に着る。……十兵衛様、寺の場所がわかりました。町の南東にあるそうですからここからだとちょうど反対側になりますね」

「そうか。……しかしあれだな、いざ顔を合わせるとなるとさすがに少し緊張もするな」

 十兵衛は、彼にしては珍しく所在なさげに貧乏ゆすりをしていた。

「そういえば長いこと会ってないとおっしゃってましたよね。直接顔を合わせるのは何年ぶりなんですか?」

 尋ねられた十兵衛は「そうだな……」と昔を思い出しながら指を何本か折った。

「最後にお会いしたのは俺が七か八の頃だから……直接顔を合わせるのは十二年以上ぶりか。ははっ、十二支一巡以上ならば緊張しても仕方あるまいな」

 ――この十兵衛の発言について少し補足をしておくと、この時代は隣村に住む友人の顔ですら滅多なことでは拝めないような距離感の時代である。そんな中、父・宗矩の旧友で、かつ文のやり取りも行っている十兵衛と沢庵はこの時代ならば十分知人と言ってもいい間柄であった。

 とはいえ十数年ぶりというのも事実といえば事実。沢庵もまた知っているのは子供のころの十兵衛である。そんなわけで十兵衛は念のために自分の身分を証明するためのものを持ってきていた。

「そちらは?」

「なんてことはない、ただの短刀だ。ただ鞘にうちの家紋が彫られてある」

 道すがら十兵衛が時直に見せたのは一本の古い短刀であった。その鞘には柳生家の家紋・地楡ちゆに雀の紋が印されている。

「昔父上が言っておられたのだが、柳生家の古い友人ならばこの短刀を見せればこちらをわかってくれるそうだ」

「沢庵様もその中の一人であると?」

「だといいのだがな……。と、あれがそうか?」

 通りを歩いていた十兵衛らは家々の奥に寺の屋根瓦を見つける。近付けばそこがまさに沢庵が住職を務める寺・宗鏡寺であった。

「ここか。立派な寺だな」

 十兵衛が感嘆した通り寺は周囲の建物とは一線を画す洗練された雰囲気でそこに建っていた。真っ白い漆喰の外壁に厳かに構える山門。壁の向こうに見える庭木や建物の屋根は丁寧に管理されているのだろう、どこにも欠損らしきものは見られない。近年再建されたためというのはもちろんだが、それを差し引いても穢れらしきものは全く感じられない立派な寺であった。

「さすがは和尚の寺といったところか。では参ろうか」

 しかし山門の敷居を跨ぎ一歩中に足を踏み入れた瞬間、十兵衛は寺の中の異質な雰囲気に気付いた。

「なっ……!?こ、これは……!?」

 思わず足を止め顔を引きつらせる十兵衛。それに時直は不思議そうな顔をする。

「いかがなされましたか、十兵衛様?」

「……いる」

「え?」

 困惑する時直をよそに十兵衛は静かに唾を呑みこみ、そしてギリギリ時直に届く程度の声でつぶやいた。

「……あやかしの気配だ。しかもかなり濃い。これは一時的な残り香ではない……ここに住み着いている気配だ……!」

 十兵衛は重心を低くして周囲に眼光を飛ばす。しかし少なくとも見える範囲にはそれらしい影は見受けられなかった。


「この寺にあやかしが住み着いている……!」

 沢庵が住職を務めている寺・宗鏡寺。そこに一歩踏み入れた瞬間、十兵衛はここに濃厚なあやかしの気配が漂っていることに気付いた。その重層な存在感は一時的な残り香などではなく長期間ここにいる――はっきりと言えばここに住み着いている気配であった。

(一体どういうことだ、和尚の寺にあやかしだなんて!?しかも直前まで全く分からなかった!)

 実は市井にあやかしがいること自体は珍しい話ではない。寺にいるということも、まぁないこともないだろう。本当に問題なのは寺に足を踏み入れるまでその気配に全く気付けなかったことである。

(術か、あるいは結界か!?どちらにせよいったい誰が……!?)

 あやかしの気配がわかる十兵衛が寺に入るまでまったくその気配を感じることができなかった。理由はおそらく結界なり術なりを使っているせいだろう。しかし誰がそのようなことを?中にいるあやかし本人か……。

(それともまさか和尚がか!?くそっ、ここじゃ何もわからない!和尚は無事なのか!?)

 急な展開に困惑する十兵衛。そしてそれは隣の時直にも伝播する。彼にはあやかしに関する力はないが十兵衛の様子から現在非常にまずい状況であるということを感じ取っていた。

「……一度引きますか?」

 時直の提案に十兵衛は少し考えてから首を振った。

「いや、もしかしたら向こうは寺に来る前からこちらに気付いていたかもしれない。引けば向こうに時間を与えてしまう。ならば今踏み込んだ方がいいだろう。和尚の安否も心配だしな」

 そして十兵衛は時直をちらと見た。

「相手はあやかしだ。時直殿は引いてくれても構わぬが……」

 これに時直は険しい表情のまま少しだけ口角を上げた。

「ご冗談を。ここで十兵衛様をおひとりにしては末代までの恥ですよ。これでも腕には覚えがある方です」

「……わかった。だが危険だと思ったら迷わず引くのだぞ」

「承知いたしました」

 二人は頷き合い、互いに左右を警戒しながら寺の奥へと足を進めた。


 寺の中は外観と同じくやはりよく手入れされていた。落ち葉や雑草、泥汚れなどは見受けられず、庭木は丁寧に刈り込まれ自然ながらも落ち着いた雰囲気を醸し出している。その清貧な雰囲気はこんな状況でなければ感嘆の修辞を述べていたことだろう。だが今はその静けさが逆に心地悪い。

 周囲を警戒しながら慎重に進む二人はとりあえず本堂の前までたどり着いた。しかしここまで沢庵やあやかしはもちろんそれ以外の人影も見つけられなかった。

「誰もいませんね……」

「そうだな。……ちょっと呼んでみるか」

「えっ!?大丈夫ですか、そのような真似をして?」

「仕方があるまい。後手に回っているのはこちらの方だ。ではいくぞ……。おおい!誰かいるか!?」

 情況を変えるために声を出してみる十兵衛。するとしばらくして寺の奥の方から一人の坊主が駆けてきた。

「はい、お待たせして申し訳ありません。おや、これはこれはお侍様。何か御用でしょうか?」

 やってきたのは少しのんびりとした様子の三十代くらいの坊主だった。顔には柔和な笑みを浮かべているがそれが本心かまではわからない。十兵衛はこちらの警戒を隠しつつその男をじっと見た。

(……こいつは普通の人間だな。だからと言って油断できるわけでもないが)

「お侍様?」

「あぁすまない。実は私の父がここの住職であらせられる沢庵和尚の旧友でな。偶然近くに来たため一度顔を見せようと思って尋ねてみた。和尚はおられるか?」

師僧しそうのお知り合いですか。師僧なら庵の方におりますが、ええと、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「柳生七郎(十兵衛・三厳の幼名)。それにこの短刀でわかるはずだ」

 十兵衛は先程の鞘に柳生の紋が彫られた短刀を差し出した。坊主はそれをまるで宝物か何かのように恭しく受け取り「確認してまいります」と言って寺の奥の方へと消えていった。

「……いいのですか、短刀を預けて?」

「気掛かりではあるが今は仕方あるまい。万が一帰ってこなければそれを口実に寺を調べられるしな。……できることならちゃんと戻ってきてほしいがな」

 少し不安ではあったが坊主を信じて待つ十兵衛たち。その甲斐あってかしばらくして坊主は短刀と共に戻ってきた。

「お待たせいたしました、七郎様。師僧がお会いになられるそうですので、お連れ様共々あちらの法堂はっとうの方でお待ちになっていてください。それとこちらはお預かりしていた短刀にございます」

 十兵衛は短刀を受け取りざっと確認する。見た目はもちろんあやかし的な術をかけられた様子もない。

「確かに。では待たせてもらう」

 こうして二人は先んじて宗鏡寺の法堂に入って腰を下ろした。

 二人が待つ法堂とは僧が経典の講読や説法を行うための建物で他の宗派では講堂などとも呼ばれる建物である。そのため華美な装飾や家具などはなく、ここもまた不思議と自然に身が引き締まるかのような空気が漂っていた。

「……こんな時でなければさぞ感動したことでしょうね」

「違いない。……と、どうやら来たようだぞ」

 二人が耳を澄ますと遠くから誰かが玉砂利を踏んでこちらへとやってくる音が聞こえる。その足音はとうとう法堂手前までたどり着き、そして間もなくして戸が開いて一人の老僧が入ってきた。その老僧は十兵衛を一目見るや、まさに喜色満面の顔をした。

「おお!大きくなったなぁ、七郎!一目でお前だとわかったぞ!」

 そう言って気持ちのいい笑みを見せる老僧に十兵衛もまた懐かしい面影を感じ取り、こんな状況であるにもかかわらず自然と深く頭を下げていた。

「和尚も御壮健そうで何よりにございます」

 入ってきた五十半ばほどの老僧――彼こそが宗矩の友人である当代一の禅僧・沢庵宗彭そうほうであった。

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