柳十兵衛 幽霊退治に励む 1

 出石周辺の山中に出現するという落ち武者の霊。その退治を依頼された十兵衛はとりあえず一度見ておこうということで、鬼の坊主・李全を案内役に山へと踏み入った。

 二人が進むのは出石東部の山中を走る獣道。案内役の李全が前に立ち、その一丈(約三メートル)程後ろを十兵衛がついている。

 草木が茂る獣道にて二人がこれほど距離を取っていたのは互いに警戒し合っているためであった。十兵衛は鬼である李全を未だ疑っていたし、李全もまた沢庵の裏をかこうとした十兵衛に悪印象を抱いている。こうして二人は互いの距離を保ちながら終始無言で未舗装の道を進んでいた。

「……」

「……」

 声こそ掛け合いはしなかったが元より地力のある二人である。彼らは雪の残る山すそを一つ二つと難なく越えて奥地へと進む。そしてそれが四半刻(約三十分)ほど続いたころ、ふと李全がその足を止めた。

「ふぅ……着いたか……」

 後ろをついていた十兵衛も李全に倣って足を止める。李全が「着いた」と言ったからにはここが目的地なのだろうか?周囲を見渡せばそこは開けた高台のような場所で、主に東に連なる山々がよく見えるところであった。

(いい景色だ……。だがあやかしの気配などは感じられないな。どういうことだ?)

 十兵衛の観察の通り、ここはただ眺めがいいだけの場所で落ち武者どころか下等な動物霊ですら見受けられない。

(休憩のつもりか?しかし俺もこいつも体力にはまだ余裕がある。それはこいつだって気付いているはずだ……)

「……なぜ立ち止まった?ここには何もないようだが?」

 十兵衛は万が一を考えて軽く刀に手を沿える。しかしどうやらそういうことではないらしい。

「そんな目をするな。お前の言う通りここはまだ手前で何もない。奴が出るのはここから先だ」

「ここから先だと?」

 睨みつける十兵衛に対し李全は「ああ」と言って東の山をざっくりと指差した。

「隣の山が見えるだろう?あの山から先が例の落ち武者たちが出ると言われているところだ」

「……」

 十兵衛は警戒しつつ李全が指差す先に目を凝らす。すると確かに隣の山からほんのりとだがこの世の者ではない異質な気配を感じ取った。

「……なるほど、確かに感じるな。だが……どうも薄い印象を受ける。本当にあそこに出るのか?」

 十兵衛のつぶやきに李全が少しばかり感心したような目を向ける。

「ほう。わかるのか。ただの木偶じゃないようだな」

「ちっ、試したのか?鬱陶しい真似を……。まぁいい。それで?本当の出現場所はどこだ?」

「試したわけではない。本当にあの山から先があいつらの領域なんだ。ただ目撃情報が少なくてな、あまり断言するようなことは言えないんだ」

 淡々と語る李全。その口調から話の真偽は量れないが、とりあえず情報を小出しにされていることは感じ取った。苛立ちから十兵衛は再度舌打ちをする。

「ちっ。知っていることがあるのならさっさと全部話せ。下手に隠そうとすれば印象を悪くするだけだぞ」

「ふんっ、気の短い奴だ。まぁいい。それなりに使えそうなことはわかったしな。それで何が知りたいんだ?」

「全部に決まっているだろう。なにが重要なのかわからないのだから始めからすべて話せ」

「はぁ。長くなりそうだ」

 わざとらしく面倒そうなポーズを取る李全。しかし一応話してはくれるようで、彼は近くの岩に腰掛けると楽な姿勢になって十兵衛の方に向き直った。


「まず初めにに断っておくが、こちらもあの落ち武者については何も知らないのも同然だ。だからこれから話す内容はあくまで噂や聞き取りによるものだということを忘れるな」

 李全はそう断ってから件の落ち武者の霊について話し始めた。

「奴らが最初に目撃されたのは年が明けてすぐのことだった。目撃者はとある炭焼きの男。こいつは年越しで町に降りてきていたんだが、年明けすぐに振った雪で炭焼き小屋が大丈夫か気になったそうで、天候が落ち着くとすぐに山に入ったそうだ」

「その際に落ち武者に出会ったと」

「ああ。場所はここからだと南東の方。ただ時期が正月だったため正月祝いで酔って幻覚でも見たのだろうということで誰も信じやしなかった。何なら本人ですら始めは見間違いだったと思っていたくらいだ。しかし実際は知っての通り、その後も薪を拾いにきた者、獣を狩りにきた者、そして噂を聞きつけて調査に入った出石城の武士なども落ち武者の霊を目撃したそうだ」

「ほう、城に仕える者も見たのか!ならば正式な討伐隊でも組めるんじゃないのか?」

 町人だけでなく公的な人間からの目撃情報があるのならば御公儀も兵を動かしてくれるはずだ。しかし李全によると今のところそのような動きはないらしい。

「案自体は一応出はしたのだがな。うちの寺にも話が来た。だが現在それは保留となっている」

「何故だ!?」

「そりゃあ相手の目的も対処法もわかってないのだから仕方あるまい。そもそもが山に入る時期ではない。動くにしてもせめて雪解けの季節になってからだそうだ。それにまだ直接的な被害者も出ていないしな」

 そう語る李全の最後の言葉に十兵衛は思わず「ん?」と訊き返した。

「ん?まだこの件で被害者は出ていないのか?」

「ああ。今のところ誰かがこの落ち武者に襲われたという話は出ていない。目撃した奴らの証言によると、その落ち武者たちは自分たち以外の存在を見つけると奇妙な唸り声をあげながら得物を、つまりは刀や槍なんかを振り上げて威嚇してくるらしい。そしてそれをするだけしたら勝手に山の奥に引っ込むそうだ」

「……それだけか?得物を振り下ろしたりなどは?」

「そういう話は聞いてないな。それどころかこっちが意を決して近付くと逆に逃げ出したという話もあるくらいだ。ただしこれは数少ない目撃例での話。これから暖かくなって山に入る者が増えればどうなるかは分かったものではない」

「つまり早期の解決が望まれるということか……」

 十兵衛は今の部分を頭の中で整理する。

 現在のところ霊による被害は出ていない。しかしこれから先はわからない。今のうちに収拾を付けたいが大人数を動員するには時期が悪い。ならば十兵衛一人を派遣する――というのは、なるほど確かに理にかなっているだろう。

「なるほど。それで和尚は俺に任せたというわけか」

 そう思い何気なくつぶやいた十兵衛。

 しかしこれが何故か李全の気分を害してしまった。

「あぁん?お前、今何て言った?」

 眉間にしわを寄せて睨みつける李全。その急変に十兵衛もわけが分からず動揺する。

「えっ!?何って、和尚が俺を寄越した意味が分かったと言ったのだが……」

「……ちっ。気楽でいいな!」

「な、何だ急に……?」

「知らん!」

 そう言ってプイと顔をそむけた李全を十兵衛は困惑した顔で見ていた。別に仲良くなりたいと思っていたわけではないが、最低限の情報交換くらいならできるだろうと思った矢先のこの態度である。

(何かマズイことでも言ってしまったか?……うぅむ、見当がつかんな)

 十兵衛は自分の言葉を思い返すが心当たりはない。そのまま李全の機嫌を直す方法も考えるが原因が不明な以上解決策も思い浮かばない。

 結局十兵衛は李全の癇癪をあきらめて本来の目的――幽霊退治のために改めて東の山の方に目をやった。

「……しかし広いな。こうも広いと探すのも一苦労だ」

「……どうするつもりだ?」

 李全がぽつりと尋ねる。どうやら機嫌はよくないが問題解決への意欲はあるようだ。

「ここではまだ何とも言えん。とりあえずもっと近づいて、あの場の雰囲気を肌で感じ取って……そのまま登場してくれたら儲けものなのだが、さすがにそれは望みすぎか。ともかく俺は向こうの山に向かうがお前はどうする?」

 尋ねると李全は気乗りしない様子ながらも立ち上がる。

「俺はお前の監視役だ。不穏な真似をしないようしっかりと見ているぞ」

「好きにしろ」

 こうして二人は高台から下り、例の落ち武者の霊が出るという東の山へと向かった。


 十兵衛と李全の二人はより詳細な情報を得るためにさらに東へと向かう。

 高台からおおよその位置は把握ていたため今度は十兵衛が前を歩き、李全がその後ろについていた。李全に背中を向けるのはいささか気にはなったが、先程は李全が文句も言わずに案内したのだ。十兵衛は鬱陶しさをぐっとこらえて獣道を進む。

 そしてしばらくして十兵衛は目的の場所――落ち武者の霊が出るという領域に足を踏み入れた。

(入ったか……。残り香程度だが確かに霊の気配だ……)

 ようやく怪しい気配を肌で感じられるところにまでやってきた十兵衛。そこに漂っていた気配は予想通りこの世の者ではあらざる者――幽霊の気配であった。

 さてここまでは予想通り。だがここで十兵衛の顔が曇る。十兵衛はここで別の気配も感じ取ったからだ。

(幽霊のそれとはまた違うこの気配。これは……誰かの術式か!?……間違いない。こんな作為的な気配、自然のものではない。しかし誰がこんな山奥で術式を……?)

 十兵衛が幽霊以外に感じ取った異常な気配。それは誰かが術を使った痕跡であった。

 十兵衛曰く、一口にあやかしの気配と言ってもそれは対象の種類によって全く異なるものとなるそうだ。十兵衛の感覚で言えば近くに霊的存在がいるときは肌が粟立つ感覚に加え、湿った草か乾いた古銭のような香りがするらしい。これが対象が動物の場合は獣臭さが増量し、術ならばその場に不自然な規則性のようなものを感じ取る。

 そして今十兵衛はこの原生林の中で、この場に似つかわしくない規則的な数字の並びのようなものを感じ取ったのだ。

(……誰かがこの近辺で術を使ったのは間違いない。くそっ!思っていたよりも面倒なことになった……。これが急に現れた落ち武者たちの原因なのか、それとも全く関係のない古い術の残り香なのか……。まずはこっちの術の方から調べてみるか?)

 立ち止まったまま神経を集中させようとする十兵衛。しかしここで後ろに控えていた李全が声をかけてきた。

「どうしたんだ、急に立ち止まって。何か見つけたのか?」

「あ、いや……思った以上に見通しの悪い森だと思ってな。日も傾いて影も伸びてきたし、いっそ今日はもう町に変えるのもいいかもしれぬな」

 十兵衛は術については話さなかった。これはまだ李全を警戒しているためで、これに対し李全は特に怪しんだりはしなかった。おそらく日の入りが近いのが事実であったためそちらに気を引かれたのだろう。空を見上げれば太陽はだいぶ稜線に近付いている。町までの距離を考えればここらが潮時だ。

「おや、何の成果もなしに町に戻るのか?」

「安い挑発はやめろ。なんならお前だけ残って俺より成果を上げてもいいのだぞ?」

 煽ってきた李全であったが彼もここが引き際だということはわかっているようで、「……ふんっ!」とだけ言って反転し町へと歩き出した。もちろん十兵衛もそれに続く。その後二人は問題なく日が暮れる前に出石の町まで戻ってきた。


「ふぅ。どうにか帰ってこれたか……」

 出石の町、宗鏡寺の裏手まで戻ってきた十兵衛たち。時刻は日暮れぎりぎりで、まもなく各通りの門が閉じられる頃である。

(時間がないな。ともかくまずは和尚に報告だけしておくか……)

 沢庵の報告のために寺の門をくぐろうとする十兵衛。しかしそれを李全が止める。

「待て!なに寺に入ろうとしている?」

「何って和尚への報告だ。確かに碌な成果はないが一言言っておくというのが筋というものだろう」

「お前をそう何度も師僧に会わせるわけにはいかない。報告なら俺がしておこう」

 十兵衛は呆れてため息をつく。

「……まさかお前、まだ俺が和尚を害するとでも思っているのか?」

「ないと言い切れない以上通すわけにはいかない。お前が逆の立場なら俺を通したか?」

「それを言われると弱いのだが……」

 李全の振る舞いは面倒であったが、彼の立場を考えればそれも致し方なしなことはわかっている。それに十兵衛はこれから時直が待つ宿を――名前も場所も知らない宿を探さなければならない。結局時間に負けた十兵衛は李全の主張を飲んだ。

「わかったわかった、今日のところは引いてやる。ただ一つ言っておく。今日みたいな大きな発見のない日はこれでいいが、何かしらの重大な何かが起こったときはお前を切り捨ててでも和尚に会わせてもらうからな」

 これに李全は明確に返事をせずにふんと鼻を鳴らした。

「あぁそれともう一つ。明日以降の調査はどうすればいい?一人で勝手に山に入っていいのか?」

「それは……いいや、ダメだ。監視する者がいないと半端な仕事をされるかもしれないからな。山には俺がまたついていくから入山するというのなら一声かけるように」

「ちっ、面倒な……」

 李全の提案は明らかに向こう側に都合のいいものであった。しかしそこについて議論をしている時間はない。

(仕方がない。郷に入ってではないが多少は向こうに合わせてやるか)

「わかった、それでいい。ただし和尚に虚偽の報告なんぞするんじゃないぞ。そんなことをすれば俺も動かざるを得なくなるからな」

「ふん。俺とて仏門で修行する身。そのような下劣な行為をするはずがあるまい」

「どうだか。まぁとにかく和尚にはよく言っておいてくれ。それでは明日また参る」

 こうして結局最後まで喧嘩腰のまま十兵衛は寺から離れた。

「まったく面倒な。あの鬼の坊主の対策も考えねばな……と、いけない。早く時直殿の泊まる宿を探さなければ」

 寺の前で問答しているうちに日はだいぶ沈んでいた。いよいよ本当に門を閉じられ締め出されるかもしれない。十兵衛は急いで出石の大通りへと足を勧めたのであった。


 出石大通りへと出た十兵衛。もはや日の入りは目前で通りを駆ける人影もまばら。気の早い店はもう暖簾を下ろし戸締りの用意を始めている。

 さてこんな中で時直の泊まる宿を見つけることができるのかと言えば、実はそれほど難しい話ではない。現代のような通信機器のない時代。当時の旅人がどうやって旅仲間と待ち合わせをしていたかというと、自分の笠や草履を宿の軒先に吊るしそれを目印に見つけてもらうという手法を用いていた。つまり十兵衛は宿屋の軒先を見渡して時直の笠を見つければいい。夕暮れの通りをしばし歩いたのち、十兵衛は目当ての時直の笠を見つけた。

「見つけた!時直殿、結構距離を取ったのだな」

 時直が選んだのは出石北門近くにある宿だった。時直なりにいろいろ考えたのだろう、沢庵の寺が町の南東の方にあるためこの宿はそこからほぼ正反対のところにあった。

 宿の主人に名前を告げると十兵衛はすぐに時直が待つ部屋に通された。待っていた時直は十兵衛が無事に帰ってきたと見るやわずかに口角を上げて安堵を表現した。

「おぉ十兵衛様!よくぞご無事で戻られました。いやぁ心配いたしましたぞ」

「すまないな、面倒をかけて。こちらはおかしなことなどはなかったか?」

「こちらは何も。十兵衛様の方はもう片を付けたのですか?」

「いや、思ったよりも時間がかかりそうだ……」

 十兵衛は夕食代わりの豆を食みながら今日の成果を時直に話す。主な出現場所の特定。威嚇行動の把握。幽霊の気配の確認。そして人為的な術の痕跡の発見についてだ。

「術式に関してはこの騒動に関わっているかはまだ不明だ。しかしもし関わっていたとするとこの騒動、下手をするともう一枚二枚ほど裏がありそうでな。まったく気が滅入る……」

「なるほど、本当に大変だったのですね。口惜しい限りです。某にも力があれば十兵衛様のお手伝いが出来たというものを」

「まぁこればかりは仕方がないからな。」

 しかし時直が不意に発した一言がまたもやこの事件に波紋を与えた。

「しかしそう考えると十兵衛様はまさに適材適所なのですね。沢庵様が十兵衛様をご指名なされたのも納得です」

 時直としては単に十兵衛の才を褒めただけだった。しかしこれを聞いた十兵衛は何かに気付いたかのようにびたりと止まってしまった。

「……」

「ど、どうしたのですか、十兵衛様!?」

 急に固まった十兵衛に動揺する時直。そんな中で十兵衛がぽつりと口を開いた。

「俺は和尚に話したか……?」

「え?」

「俺は和尚に役儀(怪異改め方)のことを話したことは一度もないはずだ……。単にあやかしが見えるくらいなら手紙に書いたことがあるやもしれないが、それと一戦交えられることまでは和尚は知らないはず……にもかかわらず和尚は俺に幽霊討伐の任を与えてきた……」

 沢庵が何でも知っている風だったのでつい気付かずにいたが、あの時何の確認もなしに十兵衛に幽霊の退治を依頼するのは思い返せば少しおかしい気がしなくもない。

(和尚は知っていたのか?俺が怪異改め方であるということを。しかしそうだとしても何か一言あってもいいはずだ。それをしなかったのはなぜだ?偶然が、忘れたのか。それとも何か裏がある故に知らぬふりをしていたのか……?)

 不意に現れた不穏な可能性に十兵衛の心臓が早鐘のように鳴る。

(くそっ!なんなんだ、今回の任務は!?どいつもこいつも腹に一物抱えてやがる!俺の預かり知れぬところでいったいどれだけのものが蠢いているのだ!?)

 計り知れぬほどの人の深淵。その一端を覗き込んだことで十兵衛の出石一日目は終わった。

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