柳十兵衛 幽霊退治に励む 2

 出石二日目。この日の十兵衛は珍しいことに非常に寝起きが悪く、起きてからもしばらくは部屋の壁に寄りかかってうなだれていた。

「大丈夫ですか、十兵衛様?下で白湯を貰ってきましたのでお飲みください」

「うぅ、悪いな……どうやら昨夜は飲みすぎてしまったようだ……。まったく情けないな。ははは……」

 湯のみを受け取った十兵衛は自嘲気味に笑ったが、原因がそれだけでないことは時直も十兵衛自身もよくわかっていた。

 十兵衛の心労の原因。それは沢庵和尚の不可解な行動にあった。

(和尚はいったい俺に何をさせたいんだ?)

 昨日の各々の行動を振り返ってみた結果、沢庵は十兵衛が特異な力を持っていると知っているかのようなそぶりを見せていた。実はこれ自体はさほど問題ではない。十兵衛の能力については存外多くの人が知っているため沢庵ほどの情報網があればどこからか漏れ聞いていたとしても不思議ではない。問題は沢庵がそれを隠して十兵衛に依頼をしたという点であった。

(落ち武者の件はこの町の問題――つまり本来は和尚や出石の城の者が解決すべき問題だ。それを部外者である俺に解決させようとしている。それはつまり実行の責任者を俺にしようとしているということだ……。これが俺の考えすぎなら後で笑い話にすればいい。しかしもしあらかじめ仕組まれていたものだとすれば……和尚は一体俺をどうするつもりなんだ……!?)

 信頼していた和尚からわずかに見えた怪しい影。それに一度気付くと他の行動も怪しく見えてくる。

 思えば報告書の件も不可解極まりない。沢庵は本来十兵衛が書くべき江戸への報告書を自分が書いてやろうと提案していた。これは沢庵曰く余計な火種を生み出さないためであり、また最終的な裁量は十兵衛が握ったままだったため一応任せてみたものの、改めて考えればかなり奇妙な行動であると言わざるを得ない。少なくとも沢庵にはまだ十兵衛には見せていない裏があり、そしてそれは一つや二つ程度ではないはずだ。

(くそっ!まったく何故こうも皆、腹に一物を抱えているのだ!?そういうのは俺とは関係のないところでやってほしいのだが!?)

 元よりこういった腹芸が好みではない十兵衛。だがいつまでも壁に寄りかかっているわけにはいかない。武士である以上お役目は果たさなければならないし、なんだかんだ言って沢庵とはこれからも付き合いを続けていきたいと思っている。

 ならば面倒であってもやることはやらなければいけない。十兵衛がその重い腰を上げたのはまもなく四つの鐘が鳴るという頃(午前十時前後)であった。

「……いい加減腹をくくるか」

「向かわれるのですね」

「ああ。これ以上ここでうじうじしていても意味などないからな。こうなればもうさっさと解決してしまおう。というわけで申し訳ないがもうしばらく協力してくれるか、時直殿?」

「水臭いことを。それで何をしてくればよろしいのでしょうか?」

「うむ。とりあえず和尚周辺のことを調べてきてくれるか?和尚本人やあの鬼の坊主の評判など。それと渡した短刀はまだ持っているな?」

 時直は「無論」と懐から柳生の紋が彫られた短刀を取り出した。これは万が一の時に十兵衛の関係者であると証明するために持たせたものだ。

「お返しいたしましょうか?」

「いや、今しばらく持っていてくれ。それと念のために町から抜け出すための道も確認しておいてくれ。どこに門があるのか、どの通りだと人目につかないかとかな」

「承知いたしました。……やはり危険な相手なのですか?」

「万全を期していたいだけだ。では行ってくる」

 十兵衛はすっかり冷えた白湯を飲み干し立ち上がる。それを時直が「お気を付けくださいまし」と言って見送った。


 宿を出て一人、沢庵の寺・宗鏡寺へと向かう十兵衛。宿と寺とは離れていたが狭い町のためすぐにその門が見えるところにまでたどり着いた。そしてここで十兵衛は門の前に一人の坊主がいることに気付く。

(あれは李全……ではないな。だが見覚えのある顔だ……。あぁそうだ。あれはこの寺で最初に出会い和尚へと取り次いでくれた坊主だ)

 寺の前にいたのは初日に十兵衛たちの応対をした坊主であった。彼は一人門前の通りの掃除しており、特に十兵衛を待っていたという様子はない。十兵衛は警戒しつつも素知らぬ顔で門へと向かう。近付くと坊主もさすがに気付いたようで、人当たりの良い笑みを浮かべて一礼した。

「おや、三厳様、おはようございます。本日も師僧に御入り用でしょうか?」

「ん、あぁ。用と言えば用なのですが……えっと……」

「?……あぁ申し遅れました、わたくしこちらで学ばさせてもらっております『安明あんめい』にございます」

 十兵衛の様子からまだ名乗っていないことを思い出した坊主は、自らの名を安明であると明かした。

「安明殿ですね。昨日はお世話になりました。それで本日なのですが、今日は和尚ではなく李全殿に用がございまして。お手数ですが呼んでいただければ幸いなのですが……」

「李全に?……あぁあの落ち武者騒動の件ですか。すみませんね。遠路はるばるお越しいただいたのにこのようなことにお付き合いさせてしまって」

 どうやら安明は落ち武者退治の件を聞かされているようだった。ただ十兵衛の素性や沢庵の思惑まで知っているかは疑わしい。どちらにせよここで腹の探り合いをするつもりはないため十兵衛は差し障りなく返す。

「いえ。和尚のお役に立てるのならばむしろ光栄ですよ」

「そう言っていただけると幸いです。と、李全でしたね。少々お待ちください。今呼んでまいります」

 一礼して寺の中へと消えていく安明。それを見送った十兵衛は思わずふぅと安堵のため息を吐いた。

(ふぅ、気を遣う……。だが和尚を顔を合わせずに済んだのはよかったな)

 沢庵のことは変わらず尊敬しているが、その本心がわからぬ以上今はあまり顔を合わせたくはない。そういった意味では裏表のない李全の方が楽な相手である。

 しばらくしてからやってきた李全は十兵衛の予想通り坊主とは思えない喧嘩腰な言葉で出迎えた。

「やっと来たか。随分と遅い参上だな。怖気づいて逃げ出したのかと思ったぞ」

 本人としては舐められないようにするための態度なのだろう。だが今そのわかりやすさは一種の癒しですらあった。

「ふふっ」

「なっ、何がおかしい!?」

「いやぁすまんすまん。わかりやすい奴だと思ってな」

「何だと!?くそっ!師僧に頼られたからといい気になりやがって!」

 馬鹿にされたと思って憤る李全。しかしそんな李全を遅れてやってきた安明が諫めた。

「こら、李全!師僧の客人だぞ!」

「師兄!?し、しかしこやつは江戸御公儀の手の者でして……」

「まだ言うか!そこは師僧気にするなと申されただろう!……申し訳ございません、三厳様。こやつはどうも敵味方の彼岸ににこだわる未熟者でして……」

 未熟な弟弟子のために頭を下げる安明。それに十兵衛はわざと寛大な態度で返した。

「気にしてませんよ。それだけ和尚を敬愛しているということでしょう。そこまでして守りたい相手がいるというのは羨ましい限りです」

 この返答に安明はありがたそうに頭を下げ、李全は「ぐぬぬ」という表情をしていた。十兵衛は再度噴き出しそうになるのを静かに堪えた。


「畜生め、お前のせいで師兄に怒られてしまったではないか」

 場面は変わって出石東部の山中。十兵衛と李全の二人は安明と別れ、昨日と同じように寺の裏手の獣道から山へと入っていた。前を歩くのはやはり李全で十兵衛はその後を一丈ほど距離を開けてついていく。

「そうは言うが先程のはお前の不注意が原因だろう。まったく、いつまで俺を疑っているんだ」

「ふん。これでも師僧の手前、手を出さずにいるのだ。お前こそ師僧の慈悲深さに感謝しろ。……ほら、着いたぞ」

 しばらく歩いたのち二人は昨日の高台までやってきた。ここは相変わらず見晴らしがよく、観察するにはちょうどいい。さっそく十兵衛は近くの岩に乗り東の山々に目を凝らす。だがその結果は、こちらも昨日と同じく、遠くにわずかに異常の気配を感じるばかりであった。

「……予想はしてたが、やはりここでは限度があるか」

 結果自体は残念であったが予想の範囲内である。今日の本命はこれではない。

「ではやはり奥に入るのか」

「ああ、今日は時間もあるしな。お前はどうする?ここで待っててくれてもいいのだぞ?」

「ふざけるな。当然お前を見張っておくに決まっているだろう」

 二人は適当にののしり合いながら自身の装備を確認する。今日は二人とも始めから山の奥地へと入るつもりであった。

 もちろん奥へと進めば件の落ち武者を鉢合わせる可能性がある。今のところ落ち武者たちが人を襲ったという話は出ていないが次もそうであるとは限らない。そのため二人は軽口をたたき合いながらも装備の確認は念入りに行った。

「で、当てはあるのか?今日は昨日と違って時間に余裕があるが、それでも適当に歩き回ってたらすぐに日が暮れちまうぞ」

「わかってる。まずは目撃情報があった場所を回るつもりだ。場所はわかるよな?」

「ちっ、わかるにはわかるがここからだと、えぇと……こっちだな。ついて来い」

 場所を訊かれた李全は南東へと伸びる獣道を選び進んでいく。その後を追いながら十兵衛は尋ねた。

「これはどこに向かっているんだ?」

「最初の目撃者が出た炭焼き小屋だ。他の目撃証言も大体その近くで出ているからここ一か所で事足りるだろう。ただここからだと山中を突っ切ることになる。雪や崖で迂回することもあるからたぶん半端な場所に出てしまうだろうな」

 その言葉通り曲がりくねった獣道をしばらく進んだ二人はやがてきちんと整備された山道に出た。

「ここがそうか?」

「ああ、見覚えがある。ここから北に行けば炭焼き小屋で、南に進むと出石川に出るようになっている」

 出石川はその名の通り出石南西を流れている川で、豊岡付近で円山川へと合流し先は日本海にまでつながっている。李全曰く炭焼き小屋と川が道でつながっているのは出来た炭を楽に運ぶためだそうだ。

 そして北に目をやれば晴れた冬空に細い炭焼きの煙が上がっていた。

「ん?今炭焼き小屋に人はいるのか?」

「最低限の火の番が三人くらいいると聞いている。もちろん彼らも落ち武者の噂は聞いてはいるが、炭焼きは冬場の数少ない収入源だからな」

「それは大丈夫なのか?気を付けてどうにかなるものでもないだろう」

 十兵衛の当然の疑問に李全はさらりと「問題ない」と答えた。どういうことかと十兵衛は訝しむが炭焼き小屋までたどり着くと理解する。

「……なるほど。ここは霊が出る範囲ではないんだな」

 炭焼き用の小屋や窯は少しでも温度を維持するために、とある山の南向きの斜面にまとまって建てられていた。そしてこの区域にはあの霊と術式の気配が感じられなかった。李全や数名の人夫に話を聞いたところ霊が出るのは稜線を越えた先――この山の北側かららしい。

「ほとんどの目撃情報がここから先だ。と言ってもしょっちゅう出てくるというわけでもないらしい。城から何度か調査隊が出たが実際に見かけたのは一回だけだそうだ」

「なるほど、確かに向こうから微かに気配がするな。……これなら行けるな」

「行ける?何かわかったのか?」

「まぁな。ただ今のところはあくまで推察だ。最後は直接この目で確かめないとな」

 そう言うと十兵衛は適当な獣道に入りずんずんと進んでいった。それはまるで自分がどこに向かうべきなのかわかっているかのような足取りであった。

「お、おい!ちょっと待て!」

 慌てて追う李全。今度は十兵衛が前、李全が後ろの形で移動が始まった。


 獣道ですらない木々の間を進みながら十兵衛は自身の推理を説明し始めた。

「ここいらの山一帯を覆う異質な気配、それはお前も感じ取っているんだろう?」

「……まぁ俺は鬼だからな。普通の人間よりは霊だの何だのの気配がわかる。だがそれがどうしたんだ?」

「感じるのならば気付かなかったのか?このあたりを漂う気配、その中にあからさまに人為的な気配があることに」

「なんだと!?」

 驚く李全。彼の性格からして本当に気付いてなかったのだろう。

「まぁ気付かなかったというのなら仕方がない。おそらくそれは誰かが仕掛けた術式の気配だ。そしておそらくこれが今回の落ち武者騒動の元凶なのだろう」

「なっ!?」

 言葉を失くす李全を尻目に十兵衛は丁寧に自信の位置を確認する。

(あそこが高台で炭焼き小屋が向こう……。ならばこっちか)

 微妙に方向を修正してさらに山奥へと進む十兵衛。それを慌てて李全が追う。

「と、ということは俺たちは今その術式とやらがある場所に向かっているのだな?しかしなぜおまえはその場所がわかる!?」

 李全の当然の疑問に十兵衛は少しおどけてこう返した。

「境界は『点』である。『点』をつなげれば『線』となり、『線』をつなげれば『画』となる。また『点』をそのまま拡大すれば『円』となる……」

「な、なんだ急に……」

「ふふっ。このお役目に就く前にさんざん暗唱させられた語句だ。意味はなんてことはない、術式は基本その中心に置かれてあるというだけだ」

 続けて十兵衛は二本の指を立てた。

「俺たちは二つの境界を知っている。一つはあの高台付近のもの。もう一つは先の炭焼き小屋の北のもの。これだけわかれば円の中心もおおよそわかる。この先――おそらく今左手前に見えている山、あの南西中腹あたりに術式の大元があるはずだ」

 自信を持って進む十兵衛。それに対し李全は何か良くないことを予感するかのように先程から怯えていた。

 そしてその不安が爆発したのだろう、李全は思わず叫んでしまった。

「し、しかし中心らしき場所には何もなかったぞ!?」

「!?」

 李全の思わぬ発言に十兵衛は立ち止まり振り返った。見れば自分が失言をしたのに気づいたのだろう、ハッとした顔の李全と目が合う。

「あ、その……」

「……やはり何か知っているようだな」

「いや、それは……」

 李全はこれまでの尊大な態度からは信じられないくらいにうろたえていた。どうやらかなり後ろめたいことを隠しているようだ。問いただそうと近付く十兵衛。しかしここで思わぬ邪魔が入る。

「……ちっ、こんな時に。おい、伏せろ」

「な、何だ急に……?」

 すっかり縮み上がった李全に十兵衛は顎である方向を指し示した。その先を見て李全は目を丸くする。

「あっ、あれは……!」

 二人の視線の先には意思なく彷徨う一人の落ち武者の姿があった。

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