柳十兵衛 幽霊退治に励む 3
「……ちっ。おい、伏せろ」
「な、何だ急に?……あっ、あれは!」
生い茂った草木の陰に隠れる十兵衛と李全。二人の視線の先には山中をふらふらと歩く一つの影があった。距離があったため細かい容姿までは判別できなかったがこんな山奥である。町の者が偶然迷い込んだというわけではあるまい。
ということはあの人影の正体は……。
「ようやく現れたようだな、落ち武者とやらめ……!」
十兵衛はにやりと口角を上げて腰の刀の納まりを確かめた。
出石の町を不安にさせている落ち武者の幽霊。探索二日目にして十兵衛はようやくその実物にお目にかかることができた。
「ようやく現れたか。しかし本当に出るとはな」
「……お前、俺たちの話を疑っていたのか?」
「そう睨むな。よくよく調べれば枯れ尾花だったなんてよくある話だろう?」
幽霊話の大半は勘違いか見間違いのオチになると相場は決まっていた。だが今回はそうではない。十兵衛の霊感は遠くの彼が幽霊であるということをはっきりと感じ取っている。
こうなるともう半端なままではいられない。十兵衛は集中力を研ぎ澄まし、静かに遠くの落ち武者に目を凝らす。
「……向こうは気付いてないようだな」
「まぁこの距離だからな」
十兵衛たちと落ち武者との距離は現在十五間ほど(約27メートル)。見かけの大きさは指数本分程度で、加えて草木が生い茂っていることもあり肉眼で相手を発見するのはかなり難しい。十兵衛のような気配を察する能力がなければ気付けぬ距離だっただろう。
対し落ち武者側はこちらに気付いた様子はない。どうやら感知能力に関してはこちらに分があるようだ。十兵衛たちはこれを好機とし慎重に距離を詰めて対象の観察に努める。
「さて、どのようなやつなのか……」
対象の男はふらふらとした足取りで獣道を進んでいた。身長は当時の成人男性の平均値である五尺程度。肌は生気のない土色で素人目でも生者ではないとわかるだろう。
また装備はいわゆる戦国武将のような全身甲冑ではなく
なお余談だが『幽霊には足がない』というイメージは江戸時代中期のとある著名な画家が書いた幽霊画が元で生まれた説である。なのでこの落ち武者にはきちんと両足がついていた。ただしその足取りに目的があるようには見えなかった。
「山の奥へと向かっているな。見回り?いや、そんな意図があるようには見えないな。ただ徘徊しているだけなのか?」
男の歩みはいうなれば『歩くこと』だけしか命令されていないからくり人形ようであった。そしてやはりこちらに気付く気配はない。
「……まだ気付かぬか。どうやら知覚はかなり鈍感なようだな」
十兵衛たちと落ち武者との距離は現在五間(約9メートル)ほど。だがここまで近づいたにもかかわらず落ち武者の男の行動に変化は見られない。ついにはじれったく思ったのか李全が小声で尋ねてきた。
「まだあの男を追うのか?見たところあやつはただの木偶だ。このまま尾行しても何かを得られるとは思えんぞ」
十兵衛は「うぅむ……」と唸って考える。この李全の予想は十兵衛も同意見であった。時間も有限であることを考えると、ここらで一つ大きな手を打つのも悪くない。
「そうだな……。ならばいっそ声でもかけてみるか」
「えっ?はっ?何を言っているんだ、お前は!?」
十兵衛の突飛な案に李全は思わず小声ながらも声を荒げてしまう。だがどうやら十兵衛は本気のようだ。
「そうは言うが他に何ができる?このまま見ているだけでは何も得られないというのはお前も承知のことだろう。ならばもう次は声をかけるくらいしかないではないか」
「いや、そうかもしれないが、いくらなんでもそれは性急すぎるというか……」
制止しようとする李全。しかし十兵衛は構わず近くの獣道のど真ん中に立ち堂々と叫んだ。
「やあ、そこの!俺がわかるか!?」
「あっ、このっ!」
「!!」
落ち武者の男は弾けるような反応で十兵衛の方を向く。ただそこに感情があるかまではわからない。
男はしばらく光なき双眸で十兵衛を見つめたのち、目撃証言にあったように奇声を上げて十兵衛を威嚇し始めた。
ついに見つけた落ち武者の男――その男に十兵衛はコミュニケーションを試みる。
「やあ、そこの!俺がわかるか!?」
だがその反応は芳しくない。
「グオォォッ!ガアァァァァッ!」
「落ち着け!俺はお前を害するつもりはない。少し話がしたいだけなんだ!」
「ガアァァァァッ!ガアァァァァッ!」
「本当にわからないのか?それとも単に喋れないだけなのか?」
「ガアァァッ!」
幾つか言葉を投げかける十兵衛。しかし男は有意の反応を見せず、目撃証言の通り一定の距離を保ちながら十兵衛を威嚇する。
威嚇の方法も報告の通り、男は言葉にならない奇声を上げながら右手の獲物を掲げる。この男の獲物は短刀で錆びた刀身は鈍く空を切っていた。
「やはり無理か……」
残念そうに肩を落とす十兵衛。戦国の世に憧れる十兵衛としては是非とも当時を生きた者の話を聞いてみたかったのだ。
しかし現れたのは文字通り言葉の通じぬ幽霊。十兵衛はそんな霊をじっと観察したのち苦笑した。
「……ふっ。確かに山の中でいきなりこんな奴と出くわしたら腰を抜かすだろうな」
土色の肌に光のない目。壊れかけの具足に奇声による威嚇。もし事前情報もなしに山奥で出会えばさしもの十兵衛も肝を冷やしただろう。
だが十兵衛は事前の報告によりこの男が手を出してこないことを知っている。一応急に飛び掛かってきたり短刀を投げてきたりする可能性の警戒はしているが、どうやらそれも甲斐なく終わりそうだ。
やがて安全だと悟った李全も恐る恐るではあったが近付いてきた。
「……本当に威嚇だけで襲いには来ないのだな。しかしどういう理屈だ?こいつが何かを考えているようには見えないのだが」
「おそらく手を出さないようにと命令しているのだろう」
「命令?お前がさっき言ってた術式の話か?」
「……」
十兵衛は李全からの問いかけには答えず、しばらく落ち武者の男を眺めたのち「むごいものだな……」とつぶやいた。
「むごい?こいつのことか?」
十兵衛は悲しげな表情で頷いた。
「ああ。こいつも何かしらの夢を抱いて戦場に出たのだろう。だがその願いは叶うことなく、しかし朽ちることもできずにこんなところを彷徨っている。これをむごいと言わずに何と言えばいい……」
十兵衛は威嚇してくる男の顔をじっと見る。そうすると歪んだ顔に何となくだが生前の面影も見えてくる。
武士と農民という違いはあれどこの男もかつては大志を抱いて戦場を駆けていたのだろう。しかし運は彼に味方をせず、志半ばで倒れるばかりかこんな山奥にて成仏もできずに彷徨っている。時代や身分は違えども一兵卒の末路に十兵衛は同情を禁じ得ない。
だがこれを聞いた李全の反応は存外ドライなものであった。
「……武士なんてそんなもんだろう。目のくらむような輝かしい逸話を持っているのは一握りの勝者か物語の中だけの存在だ。ほとんどの奴が今のこいつみたいにわけのわからぬまま戦場を彷徨って、そして何も語らず語られずに死んでいく。こいつの場合は縁あって倒れてから朽ちるまでの時間が他の奴よりほんの少し長かった、ただそれだけの話だ」
「なるほど。無常だがそういう考えもあるか」
「……余計な世話だったな。忘れてくれ」
ばつが悪そうにそっぽを向く李全。それはあからさまに何かある態度であったが無理に聞き出すのも野暮だろう。その代わり十兵衛は落ち武者の方に向き直って静かに脇差を抜いた。
「切るつもりか?幽霊だぞ?」
「やりようはあるさ。それにこのままにしておくのも酷な話だろう」
そう言うと十兵衛は懐から小さな竹水筒を取り出して中に入っていた液体を脇差に流しかけた。
「それは?」
「酒だ。結構いい酒なんだが……まぁ餞別ということにしておこう」
十兵衛は刀身が満遍なく濡れたことを確認すると、そこに口を寄せ一言二言祝詞を吹き込んだ。
するとここで何かに感づいたのだろう。これまで威嚇を続けていた落ち武者はそれを急に止め十兵衛から離れるように一目散に逃げ出した。
「ガァッ!」
「あっ、あいつ!」
「ふうん、感づいたか。だが遅い」
十兵衛は脇差を右手で掲げて狙いを定め、そして呼吸を整えるとそれを真っすぐに投げつけた。
「ふっ!」
ヒュオン。
十兵衛の脇差は柄まで含めると二尺半(約75センチメートル)程の長さであった。また拵えや刀身の反りもあるためその重心は見た目通りの場所にはない。しかし十兵衛はそれを真っすぐに飛ばし、そしてそれは逃げ行く落ち武者の背中に見事突き刺さった。
「グァォン!?」
一撃を受けた落ち武者はその勢いのまま倒れ込み、そしてそれ以上動かなくなる。
「……やったのか?」
「元から死んでいる相手に『やった』も何もないだろう。俺はただ成仏するのを手伝っただけだ」
二人が倒れた落ち武者に近付くと男はピクピクと痙攣し体の大半が透けて消えかかっていた。成仏の途中であることは一目瞭然である。十兵衛と李全は彼を見送るために自然と手を合わせていた。
数分後、やがて男は完全に霧散する。そのあとには年代物の具足の一部だけが残されていた。
一人の男が成仏するのを見送った十兵衛と李全。やがて合掌を解いた李全はその場に残った物体に気が付いた。
「……ん?これは……あの落ち武者が付けていた具足か?何故これが残っているんだ?俺はあまり詳しくないのだが、こういうのは大抵着ていたものも消えてなくなるのではないのか?」
李全が見つけたのは先程の落ち武者が身に付けていた具足の一部であった。
なるほど確かに白装束の幽霊が成仏したとしてその場に白装束は残らない。ならばこの具足も消えてなければならないのだが何故かこうしてこの場に残っている。
李全は警戒して指でつついていたが十兵衛は構わずそれをひょいと手に取った。
「『依り代』だな。お前の言う通り霊は基本的に実体を持たない。だが稀にこのような生前縁が深かった物に取りつくことがある。依り代を持つと自然消滅しにくくなったり、霊感のない人でも目視できるようになるんだ。それこそ今の落ち武者の霊のようにな」
「ほう、よくあることなのか?」
「……まぁないこともないな」
歯切れ悪い返答に李全は少し引っかかったが、十兵衛はそれに構わず近くの適当な石を手に取った。
「何をするんだ?」
「依り代にならないように少し手を加える。そうしないとまた別の霊が定着するかもしれないからな」
そう言うと十兵衛は鎧の紐をすべて切り、拾った石を数度打ち付けて傷をつけたのち適当に土に埋めた。
「あれでもう依り代にはならないのだな?」
「まぁあれで十分だろう。そもそも霊が定着すること自体滅多にあるものではないからな」
「……先程も似たようなことを言っていたな。お前、何か気付いたのか?」
訝しむ李全であったがこれに十兵衛は挑発じみた笑みを浮かべながら返した。
「お前が以前した調査とやらを話したら話してやるよ」
「っ!」
ぐぅと押し黙る李全。落ち武者とのどさくさで流されていたが李全は先程少しばかり失言をしていた。
『以前中心らしきところを調べた時は何もなかったぞ!』
当然この調査について十兵衛は何も聞かされていない。それはつまり李全たちにはまだまだ裏があるということである。
しかしここに来てなお李全はこのことについて話すつもりはないらしい。
「……」
「まだだんまりか。まぁいいさ。まもなく術式の中心にたどり着く。何があるかは自分の目で確かめることにしよう」
そう言うと十兵衛は改めて術式の中心に向かって歩き出す。
「あっ!ま、待てっ!」
李全は複雑そうな顔をしつつも十兵衛を止めることなくその後を追っていった。
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