団子串太郎 牢人討伐の依頼を受ける 1
上野四日目。この日も朝から気持ちのいい五月晴れで絶好の活動日和であった。
しかし通りを歩く三厳たちの表情にはいまいち活気が見られない。その原因は彼らが今後の活動方針に迷っていたためである。
「新陰流を語る不届き者がいることはわかった。しかしそれを諫める都合のいい手段はあるのだろうか……」
昨日の傾奇者騒動から、噂通りどこの馬の骨とも知れぬ輩が新陰流を語っていることは確認した。これは新陰流の名を貶めるだけでなく、やもすれば将軍の剣術指南役となっている柳生家の地位すら危うくなる懸念事項である。
故にどうにかしようとここ上野まで来ていたわけだが、昨日の騒動を肌で感じてその対策が非常に難しいことを三厳らは悟った。
「伝兵衛のような三下を一人一人成敗して回るのは現実的ではない。かといって放置していてはいずれ御家の名前に傷がつきかねない。まったく難儀な話だ……」
彼らの悩みは要は費用対効果の問題である。三厳たちが無償で動かせる駒の数には限りがあり、かといって外部の者や伊賀の忍びを使うような金銭的な余裕はない。また柳生庄の外で大々的に動こうとすればその土地の為政者にも話を通さなければいけない。そこまでの労力をかけて不埒な牢人を懲らしめたところで、彼らはまたどこかで勝手に新陰流の名を語ることだろう。つまるところ堂々巡りあるいはイタチごっこである。別の手段を講じる必要があるのは火を見るよりも明らかであった。
そのため三厳と友重は昨日から話し合っていたのだが状況を打開するような良案がそう簡単に出てくるはずもなく、次第に滅入ってしまった二人が気分転換として上野の町に繰り出したのが一刻ほど前のことである。それから二人は市中を流れる川を眺めたり小物屋を冷やかしたりして息抜きをし、今は何気なしに通りを歩いているところであった。
「はぁ、いい日和だ。こんな日は縁側あたりでのんびりと日向ぼっこでもしたいものですな」
「全くですな。牢人たちも馬鹿な真似などせずに寝転がってあくびでもしていればいいものを」
「なるほど、縁側で茶でも出してやればあ奴らもおとなしくするのかもな」
どうやら散策の効果があったようで、ようやく冗談を言い合えるくらいには気力が回復してきた二人。そしてせっかくだからこのままどこかで昼飯にでもしようかと大通りの方へと歩き出す――そんな折だった。
「おぉい、
ふいに通りの正面から三厳を、もとい串太郎を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おぉい、串太郎殿ではないか!奇遇だな!」
実を言えば初め三厳は、これが自分を呼ぶ声だとは気付かなかった。気付くことができたのは保知が真正面から声をかけてきていたためであろう。三厳はこっちを見ながら声を上げる男が昨日共闘した菊山保知だと認識したところで(あぁそういえば昨日串太郎と名乗ったのだった)と思い出し、慌てて笑顔を作った。
「昨日ぶりですね、保知殿。またお会いするとは思ってもみませんでした」
「それはこちらもだ。てっきりもう大坂へと発ったと思っていたぞ」
保知がこう言ったのは、昨日三厳が「自分は大坂へと向かう旅の途中である」と偽って教えていたためである。
これを三厳が「えぇまぁ、あまり早く着きすぎても問題ですので……」と適当に誤魔化すと保知は「そういうものなのか」と特に疑問に思うこともなく受け入れ、代わりに横に並ぶ友重に目をやった。
「ところでそちらのお方は?」
保知と目が合うと友重は小さく会釈した。
「話は聞いております、保知殿。昨日は串太郎殿がお世話になったそうで。某は串太郎殿の同僚、
昨日のうちに串太郎の話を聞いていた友重は念のためにと自分も偽名を用意していた。よもや本当に使うことになるとは思ってもいなかったため串太郎よりも輪をかけてふざけた名前であったが、保知は気にすることなくおおらかに笑っていた。
「ははは、蕎麦野切彦殿ですか。これはまた同僚のお方も腹が減ってきそうなお名前ですな。どうです、少し早いがどこか適当な茶屋にでも入りましょうか?」
「構いませんよ。こちらもちょうど何かつまもうかと思っていたところですから。しかし保知殿こそよかったのですか?どこかに向かっているご様子でしたが」
「なに、俺も適当にぶらついていただけだ。……いや、正直に言いますとな、差し障りなければこのまましばらく並んで歩いてほしいのですよ」
明るくしゃべっていた保知の声のトーンが一瞬真剣めいたものに変わる。これに三厳と友重は目を見合わせた。
「……何かあったのですか?」
「いや、たいしたことではないのだが……実は先ほどから誰かに
「なっ!」
保知はあっけらかんと答えたが事態は思っていたよりも切迫していた。なにせ傾奇者たちを成敗した昨日の今日である。早速誰かが復讐にやってきたのかもしれない。三厳らはそれならばと保知を加え、素知らぬ顔で今来た道を引き返し始めた。
尾行されていた保知を加えた三人はわざとだらだらと歩きながら現状の確認をする。
「昨日の傾奇者たちでしょうか?」
当然まず最初に思い浮かぶのはその面子である。だが保知はこれに首を振った。
「いや、一度ちらと確認したが尾行していたのは十五、六の小僧であった。当然顔に覚えはない。百姓らしき服装で垢抜けた様子もなかったから傾奇者らの仲間というわけでもなさそうだった」
不思議がる様子からどうやら本当に保知に心当たりはないらしい。
「なるほど。では尾行はいつごろから?」
「俺が気付いたのは九つの鐘が鳴った頃、四半刻ほど前だな。それ以前はわからんが、かといって長いこと尾行られていたとも思わん」
「よく気が付かれましたね」
「単純に向こうの尾行が下手なのだ。串太郎殿も次の曲がり角あたりで見てみるといいですぞ。少し大きめの小袖をまとった小僧がひょこひょことついて来ているのが見えますから」
三厳が言われたとおり曲がり角にてさりげなく背後を確認すると、確かに一区画ほど離れたところからこちらをちらちらと窺う十五、六ほどの少年がいた。
その少年は着古した麻の小袖をまとっており月代も剃ってはいない。保知が評した通りどこぞの百姓の小僧といった感じで、尾行されていたにもかかわらず保知が割と落ち着いていたのはこの見た目が多分に影響していたのだろう。
また三厳はその少年に関してあることに気が付いた。
(おや、あの小僧はもしや……)
「見えましたかな?確かに一人ついてきているでしょう?」
「え?……あ、あぁ確かに薄汚れた服を着た小僧が一人。あの格好なら傾奇者たちとは無関係でしょうな。しかしそれだと益々目的がわからない。本当に保知殿の方に心当たりはないのですか?」
「ないと言ってるだろうに。むしろ俺が教えてほしい側だ」
うんざりするように肩をすくめた保知であったが、三厳は保知のそんな態度に何となく違和感を覚えた。
「……訊こうとはしなかったのですか?」
「ん?どういう意味かな、串太郎殿?」
「いえ、そんなに気になるのならば捕まえて聞き出せばいいではありませんか。保知殿ほどの腕があればあんな小僧一人、捕らえるにせよ撒くにせよ造作もないことでしょうに」
保知は傾奇者たちのいざこざに自ら首を突っ込みに行くほどの行動派だ。気になったのならば自分からその首根っこをつかみに行くくらいするだろう。なのに今は小僧一人相手に受け身一辺倒である。
三厳がその点を尋ねると、保知は「うっ」と痛いところを突かれたような顔をしたのち少し恥じるように自らの頬をかいた。
「それは考えたのだが……だがどうもあの小僧から妙な気配を感じてしまってな……」
「妙な気配?」
「うむ。笑われるかもしれないが、どうもあの小僧から妙な圧を感じてしまってな。会った覚えもない上に不可思議な気配まであるものだから、どうしたものかと考えていたところにお二方に出会ったというわけだ」
「ほう、そうだったんですか」
情けないなと自嘲する保知。不思議がる友重。しかし三厳だけはこの『妙な気配』について思い当たることがあった。
(これはもしや保知殿は感付いているのか?あの小僧があやかし――狸か何かが人に化けた姿だということに)
先程ちらと見たときに三厳は気付いていた。あの少年が獣のあやかしが変化した姿であるということに。
多くの伝承に残されている通り、狸や狐といった動物の中には別の姿に変化する術を持つ者がいた。そして保知を尾行していた少年――彼もまた狸か何かが人に化けた姿であった。保知が言っていた妙な気配とやらはおそらくこれが原因だろう。
(驚いた。どうやら保知殿は普通の人よりもあやかしの気配に敏感なようだな)
実は本人が気付いていないだけで、あやかしの気配がわかる人間は意外と存在する。とはいえそのほとんどが『なんとなく変な感じがする』程度の力でしかなく、また違和感を感じても誰かが答え合わせをしてくれることもないため結局多くの人が勘違いだったと解釈して自分の能力に気付かずにいた。保知はどうやらそんな『自分の能力に気付いていない能力者』の一人ようだ。
(興味深い……が、あの少年が尾行する理由には関係なさそうだな)
三厳の見たところ例の少年は保知に対して特別敵意を向けている感じではない。おそらくは何か話がしたい、あるいは何か依頼をしたいといったところだろう。しかし縁のない保知に話しかけることができず、保知側も獣の気配に敏感になって近付けずにいたというわけだ。
(どれ、ここは俺が一肌脱いで二人を引き合わせてやるか。俺が近くにいるときに会わせるのが無難だろうしな)
というわけで三厳は早速一度少年と話してみては?と保知に提案した。
「保知殿。おそらくですがこのまま当てもなく歩いていても何の進展もないと思われます。ここは一度どこかで正面切って会ってみてはいかがでしょうか?」
「会うとな?うぅん、あまり気乗りはしないのだが……」
保知が消極的な理由は先に述べた通りわけのわからぬ気配――あやかしの気配に警戒しているためだ。だが原因がわかっている三厳はそれは気にすることではないと背中を押す。
「なに小僧一人に気後れしているのですか。こちらは三人なのですから恐れることなんて何もありませんよ。もし万が一あの小僧が化け物に変化したとしても、その時は俺が切り伏せてやりますから」
この化け物云々は三厳としては本気のつもりで言ったのだが、保知の方は気の利いた冗談だと思ったようで険しい表情をほんの少しだけやわらげた。
「ふふっ、それは頼もしい限りだ。……そうですな。確かにこのまま歩いていても埒が明かない。気乗りはしませんが一度あの小僧と話してみることにしましょう」
「その意気です。それでどちらに誘い込みましょうか?あまりかしこまった場所だと向こうも寄ってこないでしょう」
三厳が尋ねると少し考えてから保知が答えた。
「それならばこのまましばらく歩いた先にちょっとした材木置き場があるのでそこにいたしましょう。あそこなら程よい広さがあるし人気もない。用があるのなら近付いてくることでしょう」
「ならばそちらに。しかし三人だとさすがに警戒されますかね?」
この懸念には横から友重が案を出した。
「でしたら某と串太郎殿は一度別れてその少年のさらに後ろにつけばいいでしょう。これなら保知殿が一人になって誘いやすくなりますし、逃げたにしてもその後を追うことができます」
友重が提案したのは昨日三厳らが傾奇者たちに使った手だ。昨日はこれで傾奇者たちのねぐらを突き止めた。
「名案ですな。いかがかな、保知殿?」
「こちらも異論ありません。ではせいぜいうまそうな餌になりましょうか」
こうして作戦が決まると早速三厳と友重は次の辻で保知と別れた。そしてぐるりと長屋の裏を回り尾行していた少年の裏を取る。
「……いました。こちらに気付いた気配もありません。見失うといけませんし、もう少し近づいてみましょうか」
距離を詰めようとした友重。しかしそれを三厳は引き留めた。
「いえ友重殿、これ以上近付くのは危ないでしょう。言ってませんでしたがあの小僧、ただの人間ではなく何かの獣が化けた姿です。野生の者故に普通の距離だと気付かれてしまうかもしれません」
「なんと!では保知殿が感じていたという妙な気配というのは……」
「おそらくはそれに由来するものでしょう。しかしなんでまたそんな獣なんぞが保知殿を尾行ていたのだろうか?」
三厳が疑問に思う中、一行の先頭を歩いていた保知は目的の材木置き場へと入り、後をつけていた少年も遅れて足を踏み入れた。
(さて、うまく釣れたかな?)
保知は打ち合わせ通り材木置き場に入り込んで奥へと進んでいた。
この材木置き場は普通のそれではなく、加工の際に切り落とされた規格外の木片や火事で焼けた家から出た廃材などを貯めておくための場所であった。そのため集められた木々は乱雑に積まれており熱心に管理するような者もいない。特に今は昼飯にでも行っているのだろうか、本当に人っ子一人見当たらなく、ちょっと何かをするには都合のいい状況だった。
(いい時分に来れたようだな。ではこのあたりで誘ってみるか)
しばらく歩いて開けたところに出た保知はちょうどいい大きさの丸太を見つけるとそれに腰掛け周囲を見渡した。尾行していた少年の姿は見えないし、自分を助けてくれると言っていた串太郎たちの姿はもっと見えない。はたから見ればかなり危険な状況であったが、それでも保知はどこか楽し気に事態が動くのを待っていた。
(さぁあの少年も、串太郎殿らもどう動くかな?)
実際この場面、尾行している側はいろいろな手が打てる場面であった。材木の山に隠れて背後に回ってもいいし、動かぬとみて仲間を呼びに行ってもいい。あるいは罠だと気付いて逃げ出すのもいいだろう。それならば串太郎殿たちが追っているはず。うまく寝床と突き止めたか、あるいは逆尾行に気付かれて今頃一戦交えているかもしれない。
皐月の空を見上げながら誰がどう動くか予想する保知。だが向こうが出した答えは非常にシンプルなものだった。
なんと例の少年は唐突に姿を現し、小細工など弄せずに真正面から保知に近付いてきたのだ。これには保知の口角も自然と上がった。
(ほう、これは予想外。そしていい胆力だ)
保知はじっくりと待ち構えながら歩き近付く少年を観察した。年は十五前後でやはり見覚えはない。髪は軽く結っているのみで、衣服は古い小袖をまとい刀の類は下げていない。やはりどこかの百姓の子のようで、また気になっていた異質な雰囲気は変わらず漂っていたが改めて正面から見てみればさほど嫌な気はしない。だからこそ何故このような少年が自分を尾行していたのか保知にはわからない。
(だがそれももう直接訊けばいいだけのこと)
少年は無言のまま緊張した面持ちでゆっくりと近付いてきたが、その距離が三間(約5.5メートル)ほどとなったところで保知が鋭く声を上げた。
「止まれ!貴様、俺をつけていたやつだな?いったい何用だ?」
少年は声の圧に一瞬ひるむが、すぐにその場に膝をつき勢いよく頭を下げた。
「お初にお目にかかります、某は
草吾という少年の気合の入った名乗り。それに若干驚きつつも保知は顔に出さずに尋ねた。
「頼みとな?……とりあえず話くらいは聞こう。まずは申してみよ」
「ありがとうございます。実は某、昨日の保知様の御活躍を拝見させていただきました。まさに見事という他ない腕前。その腕前を見込んでお願いしたいことがあるのです!」
「頼み事があることはもう聞いた。下手なおべっかなど使ってないでさっさと要件を言え」
保知が鬱陶しそうに手を振ると草吾は「はっ!」と頭を下げて本題に入った。
「願いというのは保知様にとある牢人集団を倒してほしいのです」
「ふぅん……」
保知は小さく相槌を打ちながら(まぁ予想の範囲内だな)と内心でつぶやいた。剣の腕が立つ牢人にする依頼など稽古か用心棒、あるいは邪魔な相手を排除する刺客と相場が決まっている。心惹かれる話ではなかったがそれでも一応保知は話は聞いておくことにした。
「牢人集団と言ったな?そいつらはどこに、何人くらいいるのだ?」
「はい。ここから南西に三里ほど、私たちの集落近くの廃寺が牢人たちの溜まり場となっております。出入りが激しいため正確な数はわかりませんが少なくとも十名以上。奴らは周囲を通る者を襲ったり、私の仲間を痛めつけるなどして本当に困っているのです」
悔しそうにうつむく草吾であったが保知の態度は変わらず消極的なままだった。
「それならば俺のような風来坊ではなく、ちゃんとしたお上に頼めばいいだろう。堅苦しい連中だがきちんと仕事はしてくれるぞ」
保知の意見は正論ではあった。しかし本当はあやかしである草吾にその案は少し厳しい。
「それはその、私では少々難しいといいましょうか……。それに並みの武士では相手にならないかもしれないのです。それこそ保知様ほどのお力がなければ!」
「俺ほどの力が必要?それはどういう……。いや、まさかその牢人連中とやらは……」
そういえばこの少年は昨日の乱戦を見て依頼しようと思ったと言っていた。そこから何かに勘付いた保知。そしてそれを肯定するように草吾は神妙な顔で小さく頷いた。
「はい。その牢人連中全員が新陰流の剣豪にございます」
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