柳生三厳 菊山保知と出会う 5

 伝兵衛と保知との争いは伝兵衛が傾奇者仲間を呼んだことで一人対六人の構図となってしまった。こうなるといくら保知であっても多勢に無勢、四方を囲まれ絶体絶命の窮地に陥ってしまう。誰もがもはやこれまでかと覚悟したそんな折、一人の旅装束の男が傾奇者の一人を蹴飛ばして乱入してきた。

「な、何だ、てめぇは!?」

「名乗るようなもんじゃない。ただ単にあんたらの無様な振る舞いを見てられなかったってだけの男さ」

 そう言って保知の背中を守るように立った男――何を隠そう彼こそが我慢できずに飛び込んできた三厳であった。


「くっ、てめぇも仲間を潜ませてやがったのか!?」

 突如現れた保知の助っ人に動揺する傾奇者たち。だが思わぬ助けに驚いたのは保知も同じであった。

「い、いや、俺も知らぬ奴なのだが……。そこの者、誰かは知らぬがどういうつもりだ?」

「今しがた言った通りだ。仲間を呼んで一対六なんて見苦しい真似をこれ以上見たくなかったんでな。向こうだって途中から入ってきたんだ。俺が参加しても問題ないだろう?」

 三厳がキッと睨みを利かすと傾奇者たちは思わず半歩ほど後ずさった。一人増えただけだがそれでも戦力は二倍。しかもこんな場面でわざわざ出てきたのだ。相当に腕に自信があることは察しがつく。

 ただ傾奇者らにも意地がある。彼らは臆した腰を誤魔化すように声を張り上げた。

「はんっ!いい度胸だが状況が見えてねぇのか!?一人増えたところで二人と六人。どう見たってお前らの負け戦だろうが!」

「ほう?本当にそう思うのか?」

「なっ!?あ、当たり前だろう!舐めた口利くってんならてめぇから先に叩き切ってやろうか!?」

「面白い。切りたいのならば切ればいい。無論それが出来たらの話だがな」

 三厳の手が腰の刀に伸びるとその迫力に周囲の者は皆緊張で息を呑んだ。

 しかしいざ抜かんという寸前でその手はピタリと止まってしまう。妙なところで固まった三厳に周囲の者たちが訝しんだ。

「……いかがなされたか、旅のお方?刀を抜かぬのか?」

「いや、貴殿は抜かないのかと思ってな。せっかく立派な大小を下げているというのに」

 抜刀寸前の体勢で固まっていた三厳はあごで保知の腰の刀を指し示した。三厳の指摘する通り彼の腰には立派なこしらえの刀が二本下がっている。にもかかわらず先の伝兵衛戦といい今の乱戦といい、彼はまるで抜く気配を見せず、拾った棒っ切れで戦っていた。

「よもや竹で作った模造刀ではあるまいな?」

 貧乏牢人の中には金に困った末に刀を売り、代わりに見栄として竹で作った刀を下げることがあると聞く。よもや保知もそれなのではないかと勘繰ったが本人はそれは違うと苦笑した。

「あぁこれか。安心してくれ、ちゃんと刃はある。抜かなかったのは単にその機会がなかっただけだ。……実を言えばつい先程まではさすがに抜くつもりでいたのだが、貴殿が来てくれたのでな。もうしばらくは短刀の鍛錬ができそうだ」

 どうやら保知はまだ例の棒っ切れで戦うつもりらしい。やはりよほど自分の腕に自信を持っているようだ。

「ふむ、まぁ他人の流派に口出しするつもりはないさ。……しかしそうすると少し困ったな」

「どうかしたのか?」

「いや、貴殿が抜かずに戦っているのに俺が抜くというのは少々見栄えが悪いだろう?」

 この発言に保知は一瞬キョトンとし、そしてにやりと笑った。

「俺が言うのもなんだが貴殿も大概狂人だな。これは俺の我儘なのだから無理に付き合う必要はないのだぞ」

「そうはいくものか。さて、何か他に得物にできるものがあるだろうか……」

 三厳は刀の代わりになるものがないかと周囲を見渡す。やがて何か思い当たったのだろう、彼は自身の懐をごそごそと漁ったのち何かを丁寧にくるんだ小さな包みを取り出した。

「……なんだそれは?」

「団子だ。ちょうど先程包んでもらったものでな。まぁ何も持たないよりはいいだろう」

 そう言うと三厳はさっと団子を平らげ、残った串を片手で構えた。長さ一尺(約30センチ)にも満たない団子串の切先もとい串先が傾奇者たちにまっすぐに向けられた。


 折れた棒っ切れで戦う保知に当てられたのか三厳もまた刀を抜かず、代わりに団子の串を得物として構えた。その長さはもはや一尺もなく両手で持つことすらままならない。

 そして勝負の場でそのような得物を向けられたのだ。傾奇者たちからすればそれは相当な侮辱に他ならない。

「て、てめぇら……!人をおちょくるのも大概にしろよ……!」

 しかし三厳は素知らぬ顔で言い返す。

「仕方がないだろう、他に都合のいい武器がなかったのだから。それに団子の串だからと言って甘く見ない方がいいぞ。先端は見た目よりも大分尖っているからな」

「うるせぇ!この糞虫野郎がぁっ!」

 ふざけた煽りにいよいよ我慢の限界となったのだろう、傾奇者の一人が足並みを無視して飛び掛かる。だがそれは悪手に他ならない。

(馬鹿が。素直に囲んでいればまだ勝機があったものを)

 三厳は冷静に左右の連携がないことを確認すると飛び掛かってきた男の大振りを紙一重で避け、そしてちょいと手を伸ばして団子串の先で男の腕をぶすりと突いた。

「いったぁっ!?」

 傾奇者の男が叫ぶ。所詮は串、されど串。深手こそ負わせられないものの、その鋭い串先で突かれれば体をビクンと強張らせるくらいの痛みを与えることはできた。その隙に三厳はさらに踏み込んで相手の小袖を掴み、そしてやわらの要領で顔から地面にたたきつけた。

「ぶへぁっ!?」

「う、馬吉っ!?」

「ほう、見事だな」

「ち、ちくしょう!かかれっ!」

 三厳が一人を打ち倒すとそれが契機となったのか、残りの傾奇者たちも包囲を無視して一斉に飛び掛かってきた。戦況は一気に乱戦模様となり、各々が入り乱れて刀やら棒やらを振るう。

「はあっ!」

「くそっ!何なんだ、こいつら!二人だけだってのに全然捕まらねぇ!?」

「ほら!よそ見なんかしてんじゃねぇぞ!」

「ぐはぁっ!」

 数の上では未だ傾奇者たちの方が有利であったが所詮は我流の集まり。正道で鍛えられた三厳と保知の前ではなす術もなかった。ある時は三厳が「ふっ」とかわしてから反撃し、またある時は保知が「はあっ」と敵の攻撃を受け止めてからやり返す。そうこうしているうちに傾奇者たちは一人二人と倒れていき、最後にまた保知が伝兵衛をひっくり返したところで決着がついた。

「な、何なんだ、こいつらは……」

 呆然として青天井を見上げる伝兵衛に保知が冷たく声をかけた。

「さぁまだやるかい?」

「くっ!ち、ちくしょう、覚えてろよ!」

 傾奇者たちは月並みな捨て台詞を吐いて逃げていき、野次馬たちはワッと歓声を上げた。三厳たちの完全勝利であった。


 傾奇者たちを打ち負かした三厳たちは野次馬たちから惜しみない称賛を受けていた。なにせ二人は棒っ切れと団子串だけで威張り散らしていた傾奇者たちを圧倒してしまったのだ。普段彼らに悩まされていた側からすると実にスカッとしたことだろう。またその中にはいつの間にかどこかに避難していた棒手振りの男もいた。

「本当にありがとうございました。お二方がいなければ俺は今頃なます切りにされていたかもしれません」

「なに、いいってことよ。これもまた多生の縁という奴だ。……それにしても旅のお方よ、助かった。さすがに六人相手はきつかったからな。差し支えなければ名前を訊いてもよろしいかな?」

 保知が笑顔で三厳に名前を尋ねた。それは自然な成り行きであったが、これに三厳は(あぁやっぱり訊かれるよな……)と内心でため息をついた。なにせここは柳生庄からそう遠くない上野の町。馬鹿正直に『柳生三厳』と名乗ればすぐに領主の息子だとバレてしまうだろう。また『柳十兵衛』にしてもよく使う偽名なためあまり広まってほしくはない。

(できることなら名乗らず去りたかったがこうも囲まれてはそれもできまい。さて、どう切り抜けたものか……)

「あぁ俺の名は……」

「名は?」

 今や保知だけでなく野次馬たちもこの突如舞い降りた英雄の名前を聞こうと耳をそばだてていた。

(しまったな。偽名の一つくらい用意してから飛び出せばよかった……)

 そう密かに困っていると、ふと右手に持ったままだった団子串が目に入った。そして三厳は思わずつぶやいた。

「団子……」

「え?」

「俺の名前は……『団子だんご串太郎くしたろう』だ」

「団子……串太郎……?」

 あからさまな偽名にぽかんとする一同。あるいはあれだけ格好いい立ち回りの跡にこの間抜けな偽名だったので唖然としたのかもしれない。どちらにせよ周囲の反応を見て三厳は(しまった……。さすがにこれは安直過ぎたか……)とほのかに後悔した。

 一応補足をしておくとこの時代、言葉遊び的な偽名を名乗ることは全くない話ではなかった。例えば少し古い話になるが尼子の武将・山中幸盛の別名・『山中鹿介しかのすけ』などは、友人らと「苗字にちなんだ名前を自分で考えてみよう」と遊んだことがきっかけで出来た名だという逸話があるし、また松平信綱の俗称である『知恵伊豆』なども彼の官命・伊豆守とをかけたものである。

 とはいえそんな言葉遊びも場合によりけりである。三厳と保知は会ったばかりではあったが互いに修羅場を潜り抜けた者同士。相手に対する情も沸いてきた中でこの雑な対応は不義理と思われても仕方のないものだ。だが幸いにも保知はそのあたりの機微を理解してくれる人物であった。

「ははは。なるほど、串太郎殿か。ならばあの巧みな串さばきも道理だな」

「……すまないな。少々訳ありでな」

「構わん構わん、気にするな。名乗りたくない日もあるだろうさ。ともかく世話になったな、串太郎殿。汁の一杯でも奢らせてくれ。上手い山菜汁を出す店を知っているんでな」

「ありがとう。ではご相伴にあずかろうか」

 こうして保知のおおらかさに救われた三厳は野次馬たちの称賛を背に受けながらこの場を去ったのであった。


「ほう。では串太郎殿は江戸から参られたのか」

「ああ。ここで数日休んだのち笠置街道を抜けて大坂まで向かうつもりだった」

 上野のとある飯屋の一角。そこで串太郎もとい三厳と保知は保知お薦めの山菜汁をすすりながら互いの身の上話をしていた。

 もちろん馬鹿正直に柳生庄の領主の息子だとは名乗っていない。三厳は自らを『団子串太郎』と名乗り、とある江戸の旗本に仕える身で大坂へ向かう途中でここ上野に立ち寄ったということにしておいた。騙すのは少々心苦しかったが、保知は特に不審がることなく素直に信じてくれた。

 またその流れで保知の来歴を知ることもできた。どうやら彼は最近までとある武家で世話になっていたそうだが主家のごたごたの際に出奔、牢人となって生まれ育ったここ上野に戻ってきたそうだ。その際にしばらくのんびりできるだけの金を貰ったらしく、また本人も剣の腕を磨くことに興味があったため定職に就かず気ままな牢人稼業を続けているとのことだ。

「なるほど。だから同じ牢人であっても伝兵衛らと面識がない様子だったのか」

「ああ、あの手の輩がいることは知っていたが、どうも俺の性には合わない連中だったからな」

 伝兵衛らのような傾奇者の行動範囲はおおよそ賭場や表店が並ぶ大通りのようなにぎやかで騒ぎ甲斐のある場所である。対し保知は馴染みの道場などをめぐっていたそうなので同じ上野の牢人ながらこれまで接点がなかったそうだ。

 なお三厳の予想通り保知の流派は中条流だった。

「中条流は祖父と父から教わった。若干新道流も混ざっていると聞いている」

「見事な腕前だったぞ。あの腕ならば道場を興したりどこぞで指南役に就くこともできるだろうに」

「ははは。まだその域には達していないさ。俺はもっともっと自分の腕を磨きたいのだ。そういえば串太郎殿の流派はどこなのだ?そちらもかなりの体さばきだったが……」

「……」

 三厳は汁をすするふりをしてほんの少しだけ考える時間を作った。今の質問、身分を隠したいのなら新陰流であるということも隠した方がいい。しかしそれをしてしまえば保知にとっての『新陰流』があの傾奇者どもとなってしまう。しばしの逡巡ののち三厳は白状する。

「……柳生新陰流だ。本物のな」

「なんと!ということはあの傾奇者らは……」

「語りだろう。まったく腹立たしいことだ。あやつら、基本のきの字もできていなかったくせに新陰流を語りおって……」

「なるほど。だからいてもたってもいられなくなって飛び込んできたと?」

 にやりと笑う保知に三厳は一瞬「うっ」とばつの悪そうな顔をした。

「……否定はしない。だが一対六が危ないと感じて助けに入ったのも事実だ」

「ははは、わかっているさ。冗談だ。しかしそれにしても新陰流か……。初めて近くで見たが素晴らしい技量だったな。是非とも一度お手合わせ願いたいものだ」

 保知は熱っぽい視線を向けてきたが、三厳はそれを軽く「旅の途中ですので……」と言ってかわした。

「それは残念。だがいつかは新陰流の者とも手合わせしたいものだな」

「……ご縁があるといいですね」

 その後は適当に江戸のにぎわいや上野の名物といった毒にも薬にもならぬ話をし、頼んだ酒が尽きた頃に二人は店を出て別れた。


 保知と別れた三厳が宿に戻ると部屋にはすでに友重が帰ってきており、一人先に晩酌を始めていた。

「おや、もう帰ってらしたのですか、友重殿」

「ええ。楽な仕事でした。三厳様もお疲れ様でした。さぁどうぞ、一杯」

 そう言うと友重は酒を注いで差し出し、三厳はそれを受けとった。

 さて日中途中まで一緒にいた友重がいつ三厳と別れたのかというと、実は二人は保知を助ける直前に互いの行動について打ち合わせをしていたのだ。

『一対六はまずいですな。これは助けに入らねばですが、友重殿はいかがなさいますか?』

『そうですな……。人数差はありますがあの腕前ならば我ら二人が行くのは少し過剰でしょう。……ここは某は気配を潜めて逃げた奴らの足取りを追おうと思います』

『なるほど、それは明暗ですね。それがいいでしょうな。ではお気をつけて』

『三厳様もご武運を』

 こうして別れた二人のうち三厳は保知を助けに割って入り、友重は気配を消して逃げた伝兵衛たちを尾行していたというわけだ。

「それで首尾はいかがでしたか?」

「問題なく奴らの寝床を突き止められました。あやつら、すぐさま逃げ込んだので楽な仕事でしたよ。場所は上野南東のぼろ長屋。ただ毎日帰っているわけではないようですな。聞いた話ですと知人宅や賭場近くの安宿で夜を明かすことも多いようです。他の者もおおよそそんな感じですね」

「待ち伏せして捕らえるのには不向きということですか。評判の方はどうでしたか?」

「そこはまぁよくいる牢人といったところですかね。最近振る舞いが過激になってきたとのことでしたが、それでも評判は『タチの悪い傾奇者』という程度で収まっております」

「そうですか。それはまたどうするか困りますな……」

 三厳らの目的はあくまで新陰流の評判を守るためであり、牢人や傾奇者の悪行にはさほど興味はない。伝兵衛らが泣く子も黙る極悪人ならば上野の城に話を通して討伐に動くこともできたが、報告通りの小物ならわざわざ三厳らが手を下すまでもないだろう。

 つまりは彼らは三厳らにとって取るに足る相手ではなく、その意味ではむしろ保知に彼らが本物の新陰流剣士でないと伝えられたことの方が今日一日の価値があったくらいである。

「やれやれ、労した割にはあまり実りの無い日でしたね」

「まぁそんな日もありますよ。そういえば三厳様はその後あの保知とかいう牢人とはどうなったのですか?」

「あぁそういえば……」

 友重に尋ねられて三厳は大事なことを言ってなかったと思いだす。

「今日より私は『団子串太郎』となったので、何か訊かれたらそういう風に話を合わせていただけますか?」

「……もう酔っておられるのですか?」

 友重は呆れた様子で訊き返してきた。

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