柳生三厳 菊山保知と出会う 4
白昼の路上で行われた牢人・伝兵衛と棒手振りとの言い争いは白熱した挙句とうとう抜刀騒ぎにまでなってしまう。こうなるともはや血が流れるまで止まることはないだろうという中、二人の間に割って入ったのは
「菊山……保知……?聞かねぇ名だなぁ。ともかく急にしゃしゃり出てきて何のつもりだ!?」
棒手振りをかばうように立った保知を伝兵衛は気に食わないといった顔で睨みつけた。しかし保知はこれに臆することなく不敵な笑みを浮かべている。
「なに、町人相手に刀を抜く無様な奴が目に入ったものでな。あまりに恥ずかしいから俺が相手になってやろうというのだ」
「何だとぉ!?」
急に現れて弱きを助けた上に挑発的な発言。まるで物語の英雄のような振る舞いに伝兵衛の顔はさらに赤くなり、野次馬たちはさらに熱狂した。そんな中、三厳と友重の二人は野次馬に溶け込み成り行きを見守っていた。
「菊山保知……。友重殿は聞いたことがありますか?」
「いえ、少なくともすぐに思い出せるうちにはいませんね。そも偽名かもしれませんよ。牢人にしては格好が小綺麗です」
なるほど友重の言う通り保知の格好は牢人にしては小綺麗なものだった。服装はほつれのない浅葱鼠の小袖に袴、月代はしっかりと剃られており腰には大小が据えられている。その姿は牢人と言うよりはどこぞの城のお抱え侍だと言われた方がしっくりと来る。
その点は伝兵衛も気付いたのだろう。彼は怒り顔のままではあったが先程までの今にも飛び出しかねない様子から一転、冷静に重心を落とし保知の出方を伺っている。
「ふん、人の喧嘩に首を突っ込むとはとんだ暇人だ。しかし貴様、本当に俺とやり合うつもりか?」
「なんだ?怖気づいたのか?」
「馬鹿を言うな。お前の心配をしてやってるんだ。先に言っておくが俺の剣は新陰流だ。生半な剣は通用せんぞ」
(うっ……。あの男、こんな場面で新陰流を語るとは……)
間の悪いことに伝兵衛はこのタイミングで自分は新陰流であると語ってきた。言うまでもないことだが三厳の知る門下の中に彼の名前はない。あまりの愚行に三厳は思わず眩暈を覚えたほどであったが、これを聞いた周囲の野次馬たちは少しばかりざわついた。
「新陰流ってあの柳生様のか!?」
「あの牢人様、大丈夫かしら……」
やはり柳生庄に近いためか新陰流の名声はよく知られているようで、畏怖する声や心配する声がちらほらと聞こえた。おそらくそうして相手を委縮させるのが伝兵衛の狙いなのだろう。しかし当の保知はまるで気にしていないという風ににやりと白い歯を見せた。
「ほう、それは丁度いい。噂の新陰流とやらがどれほどのものなのか興味があったのだ」
「くっ!ほざけっ!」
どうやらこの男に脅しは効かない。そう感じ取った伝兵衛はもうやるしかないと覚悟を決めて改めて刀を正眼に構えた。
「そこまで言うなら味わわせてやる!さぁさっさと刀を抜きやがれ!」
「やれやれ、血の気の多い奴だ。ちょっと待ってろ……」
殺気をみなぎらせる伝兵衛。しかし保知はそれには乗らず周囲を見渡し、やがてあるものを見つけそれを手に取り構えた。
「さて、じゃあ少し相手をしてやるか」
ようやく正対した保知。しかし彼の構えた得物を見て伝兵衛はじめ周囲の人々はみな困惑した。
「な、何だそれは?何のつもりだ?」
「おや、見てわからんのか?さっきお前が折った棒っ切れだよ。さぁかかってくるといい」
なんと保知は刀を抜かず、その代わりに先程伝兵衛が折った棒手振りの担ぎ棒の一片を武器として構えたのだった。
刀を抜いた傾奇者の伝兵衛。それに相対する保知が選んだ得物はなんと半分に折れた棒手振りの担ぎ棒であった。
それを見ていた野次馬の一人が唖然としながら呟いた。
「おいおい、あの牢人は狂人か……?」
だがその感想も無理もない。保知が手に取った棒っ切れは端から端までを計っても二尺(約60センチ)ほど。持ち手のことを考えれば間合いは一尺(約30センチ)あるかないかというところだ。対する伝兵衛の刀はごく普通の数打ちであったがそれでも刃渡りは約二尺半(約75センチ)、柄まで含めればその長さは三尺(約90センチ)を超えている。どちらが有利かなど素人目でも一目瞭然だ。当然伝兵衛は馬鹿にされていると思い憤慨する。
「てめぇ、人をおちょくるのも大概にしろよ!そんな棒っ切れで勝負になるわけないだろうが!」
だが保知は口元に笑みを残しつつ正眼の構えを崩さない。
「さぁどうだろうか。それはやってみなければわからないぞ?」
「チッ!……いいだろう。そんなに死にたいんだったらお望み通り殺してやるよ!」
もはや話しても無駄だと思ったのだろう、伝兵衛は諦めたように舌打ちをしたのち改めて同じように正眼に構える。両者の間に裂帛の気合が張りつめた。
この時おそらくこの場にいたほとんどの者がリーチの観点から伝兵衛有利だと思ったことだろう。だが三厳や友重はそうは思わなかった。彼らはこの勝負は五分、あるいはやや保知有利と推察していた。その理由は両者の構えにあった。
両者がとった正眼の構え――それは自然に腕を伸ばし剣先を正面に置く、おおよそ多くの人が『構え』と聞いて思い浮かべる基本の構えである。だが基本故に実力の差が出やすい構えでもあり、そして保知と伝兵衛のそれには雲泥の差があった。
(あの保知なる者、いい構えだ。あれは相当鍛えられているな。それに引きかえあの伝兵衛とかいう奴は何だ。無駄に力んでるし剣先もブレている。新陰流の名を語るのならせめて正眼くらいきちんとできるようになってほしいものだがな)
構えだけ見れば力量は保知の方が上。とはいえそれだけでどちらが勝つかを断言することはできない。特に保知は刀よりもはるかに短い棒っ切れを得物としているのだ。結局三厳たちですらどうなるか予想もつかぬ中、ついにその時がやってきた。
意外なことに先に動き出したのは間合い的に不利なはずの保知の方であった。彼は正眼を維持しつつ一歩二歩と大胆に間合いを詰めていき、そしてとうとう彼の体が伝兵衛の刀が届く範囲に入る。そこで保知は気迫を一閃飛ばす。
「はあっ!」
こうなるともう伝兵衛も刀を振るしかない。振らされた感は否めないものの、それでも伝兵衛は渾身の袈裟切りを保知に振り下ろした。
「くっ、てりゃあっ!」
伝兵衛の袈裟切り。振らされた感こそあるがリーチは圧倒的に伝兵衛の方が有利である。故にこの一刀は無理に仕留るのではなく相手を振り払うくらいでいい。距離さえ維持し続けていれば勝算は自分にあるのだから――それが伝兵衛の目論見であった。
しかし次の瞬間、ぐるりと視界が暗転するや伝兵衛は後ろにどてんと尻もちをついていた。
「……っ!?な、なんだぁ!?」
困惑する伝兵衛。急に見える世界が回転したと思ったらいつの間にか尻もちをついている自分がいた。また胸には何故か痛みもある。何かが起こったことは明白であったが、何が起こったのかが全く分からない。見ていた野次馬たちも一瞬の出来事に同じように困惑していたが、そんな中、三厳と友重の二人のみが何が起こったのか正確に見極めていた。
(……あの一瞬で太刀筋に合わせて、なおかつ反撃までするとは、なんという腕だ!)
あの瞬間――伝兵衛が袈裟切りを放ったあの瞬間、保知は手に持った棒っ切れを少しばかり傾けてその一撃を受け止めていた。もちろん棒を真横にして真正面から受け止めていたら勢いの差ではじき返されていただろう。しかし保知は棒に絶妙に角度をつけ、そして手首をしなやかに回転させて衝撃を後方に受け流し、さらにその回転の勢いを利用して柄頭に当たる部分で伝兵衛の胸を突いて後ろに転ばしたのだ。
保知はこの一連の動きを一足のうちに行っていた。まさに刹那の神業。そしてその技に三厳は覚えがあった。
「見事だ。おそらくは
「はい。しかも実戦経験も豊富のようですな」
中条流。念流の流れを汲む武術の流派で、冨田流や一刀流の元となったとされる流派である。近畿畿内を中心に伝えられており、剣術槍術の他に短い太刀を使って長物に勝つ術に長けていた。まさに保知が今しがた披露した剣技である。
「く、くぅっ!てめぇ!何しやがった!?」
転ばされた伝兵衛は困惑しつつも立ち上がり再度保知に向かっていく。しかし彼の素人剣術が保知を捕らえることはなく、しばらく攻防をしたのちまたも太刀筋に合わせられて尻もちをつかされていた。
「ぐうっ!?な、何故だ!何故なんだ!?」
何が起こっているのかわからず混乱する伝兵衛を保知は小馬鹿にしたような顔で見下ろした。
「なんだぁ?新陰流ってのも大したことないな。それとも新陰流には『尻もち』なんて技でもあるのか?」
野次馬たちはどっと笑い、伝兵衛はじめ傾奇者たちはさらに顔を赤くする。そして当の新陰流である三厳や友重はこのやり取りを複雑な感情で見守っていた。
(あんなまがい物が新陰流だと思われるのは甚だ心外だが……)
だが果たして新陰流の門下で彼に勝てる者が何人いるだろうか?二尺にも満たない棒っ切れでこれほどまでの強さなのだ。刀を手にすればあるいは……。
(……俺ですら危ういかもな。まったく、剣の世界は広いものだ)
三厳がそう感心する中、伝兵衛はとうとう三度目の尻もちをついた。
「ち、畜生!何だ、何だってんだよ!?」
三度目の尻もちをつかされた伝兵衛はいよいよ発狂気味に吐き捨てた。刀で棒っ切れに負けていることがよほど理解できないのだろう。そんな伝兵衛を保知はうすら笑いを浮かべながら見下ろす。
「さぁて、もういい加減力の差もわかっただろう?そろそろ尻尾を巻いて逃げ出したらどうだい?」
確かにもう誰が見ても伝兵衛に勝ち筋はない。しかし怒りか意地か、伝兵衛はまだあきらめてはいなかった。
「ふ、ふざけんな!もう我慢ならねぇ!おいっ!この勘違い野郎をやっちまおうぜ!」
伝兵衛がそう叫ぶと野次馬の中に紛れ込んでいた他の傾奇者たちがぞろぞろと前に歩み出てきた。伝兵衛の悪友たちである。彼らは友人を虚仮にされたためか、あるいは『傾奇者』としての名誉を守るためか皆すっかり殺気をみなぎらせて臨戦態勢になっていた。
その数伝兵衛含めて六人。つまり一気に一対六の構図が出来てしまったというわけだ。これにはさすがの保知も目を広げて驚いた様子だった。
「おっと、怪しい奴がちらほらいると思ったらこんなに潜んでやがったのか」
「ふふふ、どうする?今なら裸になって土下座でもすれば半殺しで許してやるぞ?」
「冗談だろう?喧嘩で仲間に泣きつくような臆病者に下げる頭なんぞ持ってないぞ?」
(とはいえこれはさすがに厳しいかもな……)
保知は自分の腕に自信があった。複数人を相手取った経験もある。それでも六人に囲まれるというのは初めてのことであり、しかも小癪なことに彼らは保知の腕を警戒してか安易に飛び掛かってきたりなどせず常に死角を取ろうと立ち回っていた。
(参ったな……。こいつら集団戦に慣れてやがる……)
形勢は一気に逆転した。それは単に頭数の差ではない。傾奇者らは怒り顔とは裏腹に冷静に保知を追い詰めていた。
例えば保知が間を抜けようとしたらすかさずその隙間を埋め、死角にいた者が牽制として刀を振るう。この刀は牽制のため先程のように太刀筋に合わせて反撃することはできない。また保知は「おいおい、誰でもいいからさっさとかかってきたらどうだ?」などと煽りもしたが、彼らはそれには乗らず包囲の維持に専念する。
こうなるとさしもの保知も打つ手はなく、ただただ包囲の輪がせばまっていくのを見ておくことしかできず、そしてその輪はとうとう刀の鉄の匂いが嗅げるまでにせばまっていた。
(これは……まずいな……)
もはや六本の刀が襲い掛かってくるのは時間の問題だった。保知もいよいよ覚悟を決める――そんな折だった。唐突に彼を囲んでいた傾奇者のうちの一人が誰かに蹴飛ばされたのだ。
「ごほぉっ!?」
「な、なんだぁ!?」
張りつめた空気を打ち破るかのような悲鳴。一同が思わず声のした方に目を向けると、そこでは一人の旅装束の若侍が傾奇者の一人を蹴り倒していた。
――そう、三厳である。傾奇者を蹴り転がした三厳は唖然としている一行を尻目にそのまま保知の近くに寄り、彼の死角を補うように構えた。
「……さすがに一対六は見てられなかったからな。少しばかり手助け致す」
保知は一瞬キョトンとした顔をしたがすぐに白い歯を見せて三厳に背中を預けた。
「ははっ。誰だか知らんが、そりゃあありがたい。ではお言葉に甘えて頼らせてもらおうか」
こうしてひょんなことから三厳・保知対傾奇者連中の一戦が始まった。
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