柳生三厳 菊山保知と出会う 3
「さて、その
よく暴れる牢人一行がやって来たと聞き、一目見るために大通りを歩き出した三厳と友重。相手の顔は知らなかったが派手な格好をしているというのできっとすぐに見つかることだろう……などと考えていると、不意に遠くの方から鋭い怒声が聞こえてきた。
「これは……」
「ええ。早速ですね」
明らかに事件性のある声。どうやら牢人らは来て早々に騒動を起こしたようだ。三厳らは頷き合いその声のした方へと駆け出していった。
そのまましばらく道なりに進んでいくと、二人はとある辻にて人だかりを見つける。おそらくここが騒動の中心のようだ。二人は直接その野次馬の輪には加わらず、少し離れたところから様子を伺うことにした。
「……どうやら男二人が揉めてるようですね」
野次馬の隙間からは二人の男が見えた。一人はこざっぱりとした
「だからよぉ、ぶつかっておいて詫びの一つもないだなんて、そりゃあ少々礼節が足りてないと思わねぇのか?」
「くっ!だ、だからさっきからぶつかってないって言ってるだろう!なのに急に殴ってきて、売り物だって散らばっちまったじゃねえか!ふざけんじゃねぇぞ!」
「あぁん?なんだぁ?文句あるってのか!?」
どうやら輪の中の二人はぶつかった・ぶつかってないで言い争っているようだ。また彼らの周囲には棒手振りの商品だろうか、小桶や担ぎ棒、小魚の干物が散乱していた。
前情報から考えればあの傾奇者の男がぶつかりそうになった棒手振りに因縁を付けたかのように思われる。ただし三厳らはその瞬間を目撃したわけではないため本当に二人がぶつかった可能性もなくはない。もしそうならば問題の牢人はまた別のところにいることになる。
(あれが女将の言っていた伝兵衛か?それとも本当にぶつかって言い争いになっているだけなのか?)
悩む三厳。そこにふと近くにいた野次馬のひそひそ話が耳に入る。
「また伝兵衛か……。毎度毎度酷い奴だ……」
「あぁまったく、あの若いのも気の毒なことだ……」
これを聞き洩らさなかった三厳はすぐさまその二人組に声をかけた。
「ちょっといいか?あそこの傾奇者の名は伝兵衛と言うのか?」
「おや、旅のお侍様ですかい?そうですが、それがどうかしましたか?」
「いやなに、以前知人が『上野にて伝兵衛とかいう傾奇者に因縁を付けられて殴られた』と言っていたのを思い出してな。奴がそうなのかと思ったのだが……」
三厳がそう嘘話を聞かせると野次馬の二人は「あぁ」と同情めいた相槌を打った。
「それはそれは御愁傷さまでした。おそらくあやつで間違いないでしょう。見ての通りの傾奇者で、ああして因縁ふっかけて強請ったり店の代金を踏み倒したりしてるんですよ」
「あそこの棒手振りも可愛そうに。あっしは初めから見てましたが、ぶつかってもないのに急に殴られて不憫なもんだ」
「うぅむ、聞いてた以上にあくどい奴のようだな。しかしそんな奴を野放しにしているだなんて同心連中は何をしているんだ?俺がひとっ走りして呼んできてやろうか?」
だが野次馬二人は関わろうとする三厳をやんわりと止める。
「やめておきなせぇ、お侍様。あいつらは何より逃げるのが得意なんで。ちょっとでもお上の気配がしたらイタチのように逃げていきますぜ」
「義侠心から助けようとするのもやめといたほうがいいでしょう。今暴れているのは阿呆の伝兵衛一人ですが、ほら、周りの野次馬を見てくだせぇ。あいつの仲間がちらほらと潜んでますよ」
言われて改めて野次馬を見てみれば、確かに心配そうに見つめる中に数人ほど明らかにこの騒動を楽しんでいるような派手な格好の奴が混じっていた。そういえば団子屋の女将が牢人らは勝手気ままにつるんでいると言っていたが、おそらくあれがそうなのだろう。相手が一人だと思って下手に割って入れば奴らが加勢してくるというわけだ。
(なるほど、小物の割に捕らえるのは面倒そうだな)
「よくわかったよ。忠告ありがとうな」
野次馬たちから情報を引き出した三厳は友重の元に戻り話を共有、これからどうするか意見を交わす。
「いかがしようか?某たちの目的はあくまで新陰流を語る奴ら。あやつがそうだとはまだ決まってはない」
「そうですな。あまり上野で目立つのもよくないし、ここは静かに潜伏しておくのがいいでしょう」
「同感です。……あの棒手振りには気の毒ですがな」
こうして三厳と友重は冷ややかな結論に達した。しかし二人の視線の先――牢人と棒手振りとの言い争いは対照的に、いよいよ本格的に熱が入ってきたようだった。
「だからよぉ!誠意として有り金全部置いてったら許してやるって言ってんだよ!てめぇだって痛い目は見たくねぇだろう!?」
「ふざけんじゃねぇぞ!これは俺が働いて稼いだ金だ!金が欲しけりゃ真っ当に働いてみろってんだ、この三下がぁ!」
二人の罵り合いは未だ続いており、そして思わぬ拮抗状態となっていた。普段なら牢人の恫喝一つでへこたれるはずの町人側が引かずにやり返していたためである。こうなると周りの野次馬たちの雰囲気も変わってくる。牢人に対して鬱憤が溜まっていた町人らは棒手振りの意外な健闘に感化され「いけいけ、やれやれ」と囃し立て、逆に傾奇者連中は騒ぎを聞きつけて同心がやってくるのではないかと焦り始めていた。
「お、おい、伝兵衛!いい加減にしねぇとそろそろお上が嗅ぎつけてくるぞ!」
「うるせぇ!ここまで
怒りに顔を赤くしてわなわなと震える伝兵衛。確かにここで引けばいい恥さらしであるが、それでも口の調子がよかったのは棒手振りの方だった。
「おやどうした、腰抜け牢人?やっぱりお上は怖いのか?だったら早く逃げたほうがいいぞ。お前のその下品な羽織りは遠くからでもよく目立つからな!」
「て、てめぇ……。言わせておけば……!」
伝兵衛はイライラから力任せにドンと地団太を踏み、そして近くに転がっていた棒手振りの担ぎ棒を手に取った。すわいよいよ手を出すのか。周囲の者は身構えるが、どうやらまだその一線を越えるつもりはないらしい。
「人が下手に出てりゃあいい気になりやがって!調子乗ってんじゃねぇぞ!はぁっ!」
そう叫ぶと伝兵衛は手に取った担ぎ棒を、膝を使って二つに折ってみせた。バキィと乾いた音が辻に響くと野次馬の中の若い女が小さく「ひぃっ!」と悲鳴を上げた。
「はんっ!調子に乗ってるからこんな目に合うんだよ!てめぇもこの棒っ切れみたいになりたくなかったらさっさと有り金出しな!」
伝兵衛は満足げに二つに折れた棒を投げ捨てる。彼としてはこれで十分に自分の恐ろしさを知らしめたと思ったのだろう。だが棒手振りの男も若く熱かった。
「……て、てめぇ!ふざけんじゃねぇぞ、この
なんと棒手振りは引くどころかさらに過激な剣幕で言い返してきたのだ。商売道具を壊されたことで彼の堪忍袋の緒も切れたらしい。その気迫はすさまじく、伝兵衛の方が思わず半歩引いたほどである。そして棒手振りはその後ずさりを見逃さなかった。
「はっ!引いたな?今お前、俺に気圧されて一歩引いただろう!?牢人のくせに情けない奴だなぁ!」
「ば、馬鹿言うな!そんなわけないだろうが!」
「いいや、引いたね!はんっ!町人相手に後ずさるなんて情けない牢人だ!哀れすぎて涙が出てくらぁ!」
棒手振りはわざとらしく涙をぬぐう真似をして伝兵衛を煽る。野次馬の中からはくすくすという笑い声も聞こえてきた。対する伝兵衛は怒りのあまり「な……このっ……!」と言葉も出せなくなっていた。
(これはまずいな……)
以上のように牢人と棒手振りとの舌戦は一見すると棒手振り優勢で進んでいるように見えた。だが三厳始め周囲でこの様子を窺っていた幾人かは(これはまずいぞ……)と焦り始めていた。
「……三厳様。これは少々危険なのでは?」
「ああ。どちらも頭に血が昇って引き際を見失っている。誰かが間に入って止めなければ最悪血を見ることになるぞ……!」
ぶつかった・ぶつかってないの言い争いはもはや単なる煽り合いと化しており、そして周囲の盛り上がりも誰も止められないほどに過剰なものとなっていた。こうなるともう行くところまで行かなければ止まることはない。
そしてとうとう危惧していたその時がやってくる。進退窮まった伝兵衛が勢いに任せて腰の刀を抜いてしまったのだ。
「こっの、くそったれがあぁぁぁっ!!!」
「きゃあぁぁぁっ!」
白昼の大通りに野次馬女の絹を裂いたような悲鳴が響いた。だがそれも仕方あるまい。伝兵衛が刀を抜いたことにより状況は一変してしまったのだ。
(あの馬鹿牢人が!刀を抜いてしまえばもう引き返せないだろうが!)
この時代、面子は何よりも重く、そして刀は強靭な意思の象徴であった。それを抜いてしまった以上半端な決着は許されない。それはつまりどちらかが血を流すまでこの闘争は終わらないということだ。ちょっとした辻喧嘩は一気に血なまぐさい刃傷沙汰寸前の所まで来てしまった。
「三厳様、これは……!」
「ああ、わかっている……!」
目立ちたくはなかったがさすがに目の前の人切りを放っておくわけにもいかない。少し離れたところにいたがまだ間に合うと駆け出す二人。
だがそんな二人よりも先に伝兵衛と棒手振りとの間に割って入った者がいた。
「おうおう、待ちな!あんた、丸腰の相手にそんな光物抜いて恥ずかしくないのか!?」
見れば割って入ってきたのは三厳と同年代くらいの若い武士風の男であった。
「あぁん!?なんだ、てめぇは?」
伝兵衛は白刃をぎらりと突きつけて間に割って入ってきた男を睨む。しかし男はそれに臆することなくにやりと笑って堂々と名乗ってみせた。
「俺の名は
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