柳生三厳 菊山保知と出会う 2
牢人調査のために上野に向かうと決めた数日後、改めて予定を合わせた三厳と友重の二人は柳生屋敷の前にいた。二人は旅装束に身を包んでおり、見送りには代官の頼元とその下男二人が立っている。
「では三厳様。こちらの方はお気になさらず、どうぞ道中お気をつけて」
「うむ。それでは行ってくる。留守の間は任せたぞ」
「はっ」
丁寧に下げられた白髪頭に見送られ二人は一路上野へと歩き出した。
目的地である伊賀・上野は現在の三重県伊賀市に位置する伊賀上野城の城下町である。柳生庄からは山を複数隔てた北東の方にあり、北の笠置街道に合流後道なりに東に進むことでたどり着く。距離は並の男が歩いて一日程。三厳たちならば本気で走れば半日もかからずに着く距離であったが、別段急ぐ理由もないということで彼らはやや早歩き程度の速さで笠置街道を進んでいった。
季節は春から初夏にかけての頃。笠置の山々は新緑がまぶしく、街道のすぐそばを流れる木津川では時折ウグイか何かが跳ねている。気温は暑くもなく寒くもなくと旅日和であり、そのためか街道には三厳たちの他にもちらほらと旅装束の人影が見えた。
「思ったよりも人がいますね」
歩きながら呟いた三厳に友重が答える。
「稲の根も定着して一段落つく頃ですからね。買い出しに町に出るなら今の時期でしょう。あるいは梅雨も近いから今のうちに、かもしれません」
「なるほど。では町の方にも……」
「ええ、賑わっていることでしょうね。そして賑わっているということはそれだけ騒動も起こりやすいということ。存外すぐに目的の牢人が見つかるやもしれませんな」
「それはそれで嫌ですがね。……と、見えてきましたね」
高倉神社を過ぎたあたりで笠置の山影は途切れ上野盆地が一望できるようになる。そして開けた先では皐月の空を背景に上野城の天守がよく見えた。三厳たちは一息入れたのち歩き出し、間もなくして上野の門をくぐるに至った。
三厳たちが上野に入ったのは八つ半(午後三時ごろ)の頃だった。町は予想通り多くの人で賑わっており調査のし甲斐がありそうではあったが、時間が時間なためそれはひとまず置いておき、二人はとある長屋通りへと向かった。
「えぇと確かこのへんだったはず……」
記憶を頼りに数度角を曲がったのち目的の部屋を見つけた三厳はその戸を叩く。すると「はぁい」と気の抜けた返事と共に一人の中年の男が顔を見せた。
「はぁい。……おや、三厳様に友重様ではありませんか!どうしたのですか、このようなところに?」
「お久しぶりです、
「それはまたわざわざご足労いただき……あぁこんなところで話すようなことではありませんね。狭いですがどうぞお入りください」
利助と呼ばれた男に促され三厳たちは中に入り、そしてここに至るまでの経緯を手短に話した。
「なるほど、流派の名誉のためですか。さすがは三厳様、細やかなところまで気に掛けておりますな。では今回いらしたのはその牢人らを捕まえる協力をしてほしいということですかな?」
利助の目が一瞬鋭く光る。しかし三厳はそれを押しとどめた。
「い、いえいえ。今回はあくまで調査に来たまで。むしろ余計な気など使わなくてもいいと伝えに来たのです」
「そうなのですか?まぁ三厳様たちがそうおっしゃるのならば他の者にもそう伝えておきましょう。ですが何かあれば遠慮なくおっしゃってくださいね」
そう言うと利助は愛想よくにこりと笑って見せた。
さて、この時折とぼけたような振る舞いを見せる利助という男――彼が一体何者かと言うと実は彼は伊賀の忍びの一人であり、そしてここ上野で多くの忍びの仲介役を担っている一種の顔役のような男であった。
上野は四方に街道が走る交通の要所であるため目を光らせている者も少なくない。そういった者からあらぬ疑いを向けられぬために、ここ上野で活動する際は一言彼に話を通しておくことが忍びたちの間で一つの慣習となっており、三厳らもまたそれに倣ったというわけだ。
することを済ませた三厳らは「ではそろそろ……」と腰を浮かせる。
「挨拶も済みましたし、ではそろそろお暇させていただきます」
「おや、もうお帰りになられるのですか。寂しいですね。ところで三厳様たちは宿の方はお決まりで?」
「いえ。これから探すところです」
「そうですか。でしたら……」
そう言うと利助はさっと懐紙を取り出しさらさらと何かを書くとそれを三厳らに手渡した。
「でしたらこのあたりに向かうといいでしょう。安い宿が並んでおりますし城からも離れている」
「ありがとうございます。しかし何故城から離れた場所を?」
「新陰流を語るあくどい牢人をお探しなのでしょう?そのような者ならばお上を恐れて城や武家屋敷付近には近づかないはず。加えてこのあたりは牢人でも泊まれる安宿が多い。運が良ければ隣の客がその目的の相手になるやもしれませんよ」
「なるほど。重ね重ねありがとうございます」
「いえいえ。どうぞご武運を」
こうして三厳たちは利助の家を後にして薦められた地区に向かい宿を取った。そこは六畳一間の安宿で、窓を開けると通りの喧騒やら怒声やらが聞こえてくる部屋だった。夕時頃でこれなのだから昼間はもっと騒々しいのだろう。なるほど安いわけである。友重はこれにくすりと笑った。
「なるほど、これはいい宿を薦められましたな」
これに三厳も「まったくです」と笑い返して二人の上野一日目は終わった。
上野二日目。三厳たちはこの日より本格的に調査を始める。
とはいっても知りたいのは新陰流に対する悪評なため行動自体は地味なものである。三厳と友重はそれぞれ適当に町をぶらつき、時には茶屋に入るなどして牢人たちの噂を集めまわった。その結果やはり多くの店や人が牢人による被害を受けており、そして予想通りその牢人らはおどしの際に何かしらの流派を名乗っていたそうだ。
三厳らは昼食代わりの汁粉をすすりながら現状を嘆く。
「軽く耳にしただけでも中条流に一刀流に新当流。そして柳生新陰流……。わかっていたとはいえ、やはり気分のいいものではないですな」
「まったくです。できることなら語った奴らを一列に並べて片っ端から打ち倒してやりたいくらいですよ」
「気持ちはわかります。不幸中の幸いなのはやはり誰も本気にしていなかったということですな」
これも事前に予想していたが、やはり町人らは牢人が流派を名乗ったところでそれを特には信じていなかった。あるいは重視していなかったと言ってもいい。もはや一般人にとって流派の違いなど小話の演出程度の価値しかないのだろう。剣の道に生きるものとしては寂しいものだが、そのおかげで柳生家にまで火の粉が飛んできていないのだから皮肉な話である。
「してこれからいかがなされます?噂を聞く限りでは牢人によるいざこざは頻繁に起こっているようですが」
「そうですな……。やはり一度実物を、実際に新陰流を名乗るところを見ておきたいですな。それがあまりに目に余るようであるならば取り押さえるなどして、そうでなければ……まぁそこはその時考えましょう」
「承知いたしました。ではまずその牢人を見つけなければですね」
こうして二人は再度町に出て暴れる牢人を探す。しかしこの日は折り悪くその現場に遭遇することはなかった。二人の調査は翌日に持ち越しとなった。
上野三日目。この日も三厳らは朝から町をうろつくが、それらしい事件と遭遇することなく昼を迎える。
「まったく出るなら出る、出ないなら出ないではっきりとしてほしいものだ」
三厳は呆れた顔で団子を頬張る。二人は小腹を満たすために大通りに面した茶屋に腰を下ろしていた。もちろんあわよくば牢人を見つけられればとも考えている。だが茶屋から見える往来は平和そのものであった。
「しかし本当に見当たりませんね。噂ではもっと暴れていると聞いていたのですが」
「城が近いせいだろうか?これは別の町に行くことも視野に入れなければならないか?」
「うぅん……あまり柳生庄から離れるのもよくないと思われますが……」
そうこう話していると彼らの席に頼んでいた追加の団子が運ばれてきた。持ってきたのは恰幅のいいこの店の女将だ。
「はい、お待たせいたしました。団子四串です」
「ん、すまないな」
友重は皿を受け取り、ついでに女将に町の現状をそれとなく訊いてみた。
「それにしてもここは平和だな。先日名張の方では牢人が暴れたとか聞いたのだが、こっちの方ではそういうのはないのか?」
恰幅のいい中年の女将は人懐っこい笑みを浮かべて返した。
「えぇえぇ、こちらも時折騒動は起こりますが他所と比べれば平和なもんですよ。お城の人も時折見回りに来てますんで」
「なるほど。町の治安にも気を遣っているとは、いい領主のようだな」
しかし今回ばかりはそれが裏目に出ている。友重は愛想笑いの下で密かにため息をついた。
(やはりこの町を選んだのは失敗だったか?)
だがそう思った矢先であった。友重らは大通り全体に不意にピリッと緊張が走ったのを感じ取った。
(ん、これは……!?)
それは本当に些細な緊張であった。おそらく通りのほとんどの人は気付いていないだろう。だが確実に『誰か』が『何か』を警戒している。それも一人や二人ではない。結構な人数がその警戒を共有していた。
友重が三厳を見ると向こうも隙の無い目で周囲を観察していた。おそらく同じように何か異様な雰囲気を感じ取ったのだろう。
(だが原因がわからない。なぜ急にこんな雰囲気になったのだ?私が気付けたということはあやかし関係ではないのだろうが……)
友重たちは不自然じゃない程度に周囲を見渡す。するとそこに一人の奉公人風の男がやってきて女将に小声で忠告をした。
「女将さん。『
「まぁいやだ。そろそろよね?わかったわ。気を付けるから他の人にもよろしくね」
「うん。それじゃ」
それだけ言うと男はさっさと店から離れ、また別の店へと入っていった。友重は早速今のについて尋ねてみる。
「女将さん、今のは?『伝兵衛』なる者がどうとか聞こえたが」
「え?あぁいやだ、聞こえてらしたんですね。大したことじゃないですよ。ただちょっとタチの悪い牢人たちが来たってだけです」
これに友重は「ほう」とつぶやく。三厳も興味深そうに耳をそばだてている。
「興味あるな。ちょっとどんな奴か訊いてもいいかな」
「あらあら、勘弁してくださいな。客人には聞かせられない恥ずかしい話ですよ」
女将は町の恥だと渋っていたが、友重がさらに団子をもう二串頼むと根負けしたのか「そんな面白い話じゃないですよ?」と言って話してくれた。
「まぁほとんどはさっき言った通りなんですがね。タチの悪い牢人たちが来たから気を付けろっていう警告です。あいつらは適当な店に入って飲み食いしては難癖をつけて代金を踏み倒すんです。もう何件もの店が被害に遭っていて、本当困っているんですよ」
「そりゃあ大した悪党だ。しかし同心たちがしょっ引いたりはしないのか?それほどまで有名なら城の方にも名は知られているだろうに」
だがこれに女将は首を振る。
「それがずる賢い奴でねぇ、毎回いちゃもんを付けてくるってわけでもないんですよ」
「というと?」
「本気でいちゃもんを付けてくるのは二回に一回ほど。そこから本当に代金を踏み倒すのがやっぱり二回に一回くらい。しかもきっちりお侍様の監視がない時を狙って。だからしょっ引かれることもないし、かといってあたしらが力で取り押さえられる相手じゃないんで泣き寝入りするしかないってわけですよ」
女将の話に友重はあくどいなと思いながらも感心した。
「なるほど、聡い奴だ。それだと城の者もいちゃもんか店に問題があったのか判断しづらいしな」
「えぇえぇ全くその通りで、前にとある店が押し入られたことがありましてね。その時にそこの旦那さんがこっそりと奉公人を走らせて城の人を呼んできたこともあったんですよ。でもそんなときに限って牢人らはきちんとお金を支払っていたんです。代金が支払われた以上お城の人も帰るしかなく、その上『きちんと代金を払ったってのに城の侍を呼び出すとはどういう料簡だ!?』とか何とか改めて恫喝されて店の物を持っていかれたそうで……」
「それはひどいな。表店の人たちが警戒するわけだ。それでその『伝兵衛』ってやつが頭なのか?」
「え?あぁいやいや、そいつは単に一番目立っている奴ってだけですよ。あいつらは誰が頭と言うわけでもなく勝手気ままにつるんで暴れてるだけなんです。『
傾奇者。江戸時代初期によく見られた派手な格好をして騒ぎ立てる者たちのことである。町奴、旗本奴などとも呼ばれ、今暴れているこの牢人のように悪事に手を染めている者も少なくなかった。
「なるほど、厄介な連中のようだな。……ちなみにその牢人たちは腕が立つのか?どこの流派だとかは言ってなかったか?」
友重の質問に女将は一瞬「えっ?」とキョトンとしてから答えた。
「え?あぁそういえば何か名乗ってたような気もしますね。でもごめんなさい、どこかまでは覚えてませんわ。そもそも本当かどうかもわからないですしね」
女将の答えはある意味で友重たちの予想通りだった。牢人らはハッタリとして勝手に流派を名乗っている。ただしそれはもはや形骸化しており聴く側も対して信じているわけではない。
(これは直接見に行かなければ駄目か)
三厳を見れば向こうもほぼ同意見になったようだ。
「すまんな、女将。少し用事が出来た。代金はここに置いていくぞ」
三厳と友重は余った団子を懐紙で包んで懐に入れ、現れたという牢人を見に行くために立ち上がった
「あ、ありがとうございました。またのお越しを」
女将に見送られながら二人は報告者が来た方、牢人が現れたであろう方へと歩き出した。
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