柳生三厳 保知たちと対峙する 3

「お前たちの名前が入った誓紙は俺が預かった。役人たちに公表されたくなかったら、さっさとここから立ち去れ!」

 廃寺へとやってきた三厳はいろいろあって牢人たちの誓紙を入手した。それを掲げると牢人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていき、最終的に境内には三厳と友重、保知と勝信、そして黒覆面の伝兵衛だけが残った。


 人が消え随分と見通しがよくなった境内を眺めて、勝信は一種の達観を込めて呟いた。

「やれやれ。明日なき身だとは承知していたが、本当になくなるのは一瞬なのだな」

 そしてそのまま保知の方を向き声をかける。

「何か裏があるかとは思っていたが、まさかここまで滅茶苦茶にされるとはな。お前も七郎様側なのだろう、保知殿?」

 事のタイミングを考えればそこに思い至るのは当然の流れだろう。保知もまたここまでくればもう隠す意味もないと特に悪びれることもなく御公儀側だったことを認めた。

「すまなかったな、狡い真似をしてしまって。だが三厳殿と本気で戦うにはこうするしかなかったのだ。貴殿ならわかってくれるだろう?」

 どうやら保知の目的は初めから三厳との勝負のみだったようで、それ以外の邪魔をするつもりはなかったようだ。それを聞いて三厳が渋い顔をする。

「……それならそうと言っておいてくれればよかったのに」

「ふふふ。言えば本気で戦ってはくれなかっただろう?苦労したのだぞ。貴殿の顔のみに泥をかけるにはどうすればいいのかとな。……できることなら最後までやりたかったが、まぁ今回はこれで満足しておこう」

 そう呟く保知はすでに刀を納めていた。今のごたごたで興が冷めたのか、あるいはもう三厳が本気で向かってこないと悟ったのだろう。こうなればあとはそこに立つ一人を残すのみである。

「それで貴殿はいかがなさるのかな、勝信殿」

「どうするも何も、我らがすることなど一つしかないでしょうに」

 仲間は逃げ周りは敵ばかりのこの状況。それでもなお勝信はそれが当然とでもいうように淀みなく刀を抜き、そして構えた。しなやかな所作は一見すると投げやりなようにも見えたが、その実勝信の構えは一縷の隙もない歴戦の剣豪のそれであった。こんな状況下でも変わらぬ勝信の精神力に三厳は小さく身震いする。

(……なんという胆力だ。余計な争いはしたくはないが、やはり戦うしかないのか)

 三厳は誓紙の束を伝兵衛に預け刀を握りなおす。しかしそこに一人の男が割って入った。

「お待ちになってください、三厳様に勝一殿。もはや勝敗は決しました。戦う理由などありません」

「友重殿……」

 友重からすれば旧知の同門だ。無意味に争ってほしくない気持ちはわかる。しかし勝信はそれを鼻で笑って返した。

「異なことを。戦う意思を持って立てばそこが戦場よ。剣士がそれ以外の何をすればいいというのだ」

「できることなどいくつもあります。いかがですか、勝一殿。今一度宗矩様の下で刀を振るってみる気はありませぬか?きっと殿もお喜びになることでしょう」

 本気で勧誘し矛を収めさせようとする友重。しかしやはり勝信には響かない。

「江戸の軟弱侍の尻を舐めろと?」

「そうではありませぬ。剣の道はいくつもあるのです。……そうだ、共に駿河に参りませぬか?実は近々駿河の大納言様に剣を教えることとなったのです。多くの人に新陰流を認めてもらう、宗厳様もきっと喜んでくれることでしょう」

 友重が提案したのは徳川忠長の指南役の話である。そして意外にもこれが勝信の気を引いた。

「ほう、駿河の殿様か。貴殿がかのお方に剣を教えると?」

「はい。ありがたいことに某の長年の稽古を認めてもらったようです。興味がございますか?」

「ああ、興味深い。かのお方は西国を巻き込んで江戸に弓を引いてくれるやもしれぬお方だからな」

 勝信の言葉に友重達はギョッとする。

「何を言っておられるのだ!?上様の弟君だぞ!江戸に弓引くことなどあるわけなかろう!」

「お前こそ何を言っている。駿河の殿様が前将軍の子でありながら江戸から冷や飯を食わせられていることなど周知の事実。ならばその内心でたぎっている憎悪も並のものではあるまい。それこそ時節さえ合えば反旗を翻すほどだろう。あるいはそそのかすというのも悪くない。指南役ならばそれもできようぞ」

「なっ!?そのような真似、するわけなかろう!天下にまた戦の火をばらまくつもりか!?」

「それの何がいけないのだ。強き者が評価される世界、それこそが本来の社会の姿であろう。……まぁいい。この問答が解決しないのは互いにわかっている。ならばどうする?するこそは結局同じであろう」

 そう言うと勝信は挑発するかのように刀を構えなおした。その構えはほんの少しだけ剣先をずらした正眼――新陰流でよく使われる構えである。友重は「くっ」と歯嚙みする。勝信の言う通り結局のところこの場面で剣士ができることなどたかが知れていた。

「……友重殿。某が行っても構わないが?」

「……いえ、三厳様のお手を煩わせるわけにはいきませぬ。何より奴とは旧知の身。せめて引導は某が……」

 気を遣う三厳を振り切り友重は自らの刀を抜き、こちらも剣先をややずらした正眼に構えた。両者を中心に張り詰めた空気が広がる。

「ふふふ、それでいい。所詮我らは刀を振ることしかできないのだからな」

「求めるものが違いまする。貴殿の剣はもはや狂剣。宗厳様も悲しんでおられることでしょう」

「果たしてそうかな?常人の振りをして剣にしがみついてるのはそちらのように見られるが?」

「……もう言うことはございません」

「結構。こちらも喋りすぎた。これからは剣で語り合おうぞ!」

 友重と勝信。同じ構えの二人はやはり同じように一歩踏み出し戦いの火蓋を切った。


 廃寺境内での友重と勝信の立ち合い。それは互いの闘志とは裏腹に実に静かな攻防から始まった。

「……」

「……」

 両者は一間半(約3メートル)ほどの間合いを保ちながら、まるで鏡写しのように睨み合っていた。片方が一歩進めばもう片方は一歩下がり、片方が打ちに行く気配を見せればもう片方は受けて立つ気配を見せる。しばしの間境内には二人が砂利を食む音のみが響いていた。

 その様子にしびれをきらしたのは伝兵衛であった。彼は隣に立つ三厳にこそりと尋ねる。

「なぁ、あいつらは何をしてるんだ?」

「あれは互いに相手の動きを誘っているのだ。彼らほどの実力者になれば並の動きでは有効打を与えることはできない。故に小さく動いて相手を誘い、相手が動きの『起こり』を見せたらそれを先の先で突こうとしてるんだ」

「……本当か?あの小さな動きにそこまで深い意味があるのか?」

「当然あるさ。なにせ二人は同じ流派だ。微細な動きでも伝わる、あるいは伝わってしまうことは多い」

 そこまで言って三厳は(いや、同じではないか)と内省した。

 二人の流派は確かに共に柳生新陰流である。だが勝信のそれは三厳の祖父・宗厳がまとめあげたものであり、また彼自身が実戦の中で磨いてきた剣である。対し友重の新陰流は父・宗矩が改めて体系立てたものであり、時代の変化に合わせてその細部を変えてきたものだ。

(お爺様の剣筋か……。よく考えたらきちんと目にするのは初めてやも知れぬな)

 三厳が生まれたのは西暦で言えば1607年。対し宗厳が没したのはその前年の1606年である。そのため三厳は祖父の剣筋を直接見たことがない。弟子経由でなら幼少期柳生庄にいた頃に見ていたかもしれないが、いかんせん幼かった上に宗矩の弟子も混ざっていたためやはり覚えがない。

 故に三厳はどちらが優れているかなど安直に言える立場にはなかった。今この場でそれができるのは双方の剣を知っている友重のみである。

(頼みましたぞ、友重殿……!)

 さて、そんな期待を寄せられている友重は未だ勝信と舞踏のような静かな攻防を続けていた。一見するとそれは単なる切り合いの下準備のように見えるが、玄人からすればこれだけで相手の実力がある程度わかる。それを踏まえて勝信はある一つの確信を得た。

(……こちらがやや不利といったところか)

 勝信は友重の方が上手であることをひそかに認めた。友重は間合いの押し引きがうまく、また誘いもすべて見切っているかのごとく反応してこない。もちろん続けていけばやがてほころびも出るだろうが、それより先にこちらが下手を打つ方が早いだろう。

(やれやれ。あの青二才がここまで腕を上げたとはな。しかしこちらも負けるわけにはいかぬ身。勝ち筋があるとすればこちらから攻めるのみか……!)

 方針を固めた勝信は重心をぐっと落とし呼吸を整える。戦闘の型を攻撃的なものに切り替えるためだ。しかしその微細な変化を見逃す友重ではない。

(動く気か!ならば……!)

 相手の攻め気を感じ取った友重はほんの少しだけ重心を前に持ってきた。いわゆる先の先を取ろうとしたのだ。

 しかしそんな友重の踏み込みに合わせるかのように勝信ははじけるような小手を打ってきた。友重が先の先を取ろうとしたのに対し勝信はそのさらに先、いうなれば『』を打ってきたのだ。

(やはり来たか!友重っ!)

 勝信がこの閃光のような一打を打てたのはひとえに友重への信頼であった。友重ならば絶対に自分の隙を見逃さない。絶対に先の先を突いてくる。その確信が勝信に迷いなき一撃を打たせた。

「はあっ!」

「くぅっ!?迂闊!」

 勝信の先々の先を間一髪で避ける友重。しかし先手を取ろうと動いた矢先の一撃だったためほんの少しだけ体の軸がぶれる。勝信はそれを逃すまいとさらに攻め立てた。

「まだだっ!」

 それまでの静かな攻防から一転して勝信の乱打。それは先程三厳が保知に放ったそれに似ていたが、それよりもはるかに乱雑で暴力的なものであった。

「はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!!」

 小手から始まり突き、薙ぎ、時に誘い。乱れ飛ぶ剣劇は激しく友重は防戦一方で後ずさる他ない。だがそれも流れるような足さばきで詰めていく勝信。その動きは初老の者とは思えないほど流麗でそれだけ彼が鍛錬を重ねてきたことが見て取れる。

「はぁっ!どうした!?この程度か!?」

「くっ……!」

 勝信の煽り。それを受けて友重は思わず後ずさる足を止めてしまった。武士としての誇りがためだろうか。だがこれが悪手だった。

「好機!」

 勝信は力強く踏み込み片手の薙ぎを放つ。片手の分威力は落ちるが間合いが長く、故に今の友重では避けることができず思わず刀で受けてしまう。刀がかち合った瞬間友重は巻き技を警戒する。だが勝信の本命はこれではなかった。この時勝信はひそかに左手を友重の小袖へと伸ばしていたのだ。

「……くぅっ!?させんっ!」

 捕まれたら投げられる。伸びてくる勝信の手に直前で気付いた友重はなりふり構わず全身のばねを使って後ろに大きく跳躍した。そして二度ほど転がったのち素早く立ち、構えなおして勝信の追撃に備えた。これに対し勝信は無理に追うのは分が悪いと感じたのだろう、無理に追撃などせずに自らの呼吸を整えることに専念していた。二人の立ち合いは仕切り直しとなった。


「ふぅむ。今のも見切るか。なかなかやるな」

「そ、そちらこそ……」

 友重と勝信の攻防は決着には至らず仕切り直しとなる。これにより少しだけ緊張が緩いだのか、伝兵衛が大きく息を吐いた。

「ふぅ、なんて腕前だ、あの爺さん。なんであの年であんだけ動けるんだよ」

 伝兵衛の感想に三厳も無言で頷いた。

(多彩。まさにそれに尽きるな。あの雑に見えて正確な乱打もそうだが、最後の袖をつかみに行ったのも実に実戦的だ。あれがお爺様の時代の新陰流か……)

 実際の戦場では得物や手段にこだわっているような余裕はない。故に古流になればなるほど一つの流派の中に柔術や手裏剣術、棒術といった本流以外の要素が含まれている。柳生新陰流もまたその内に柔術や小太刀術を含んでいたが、どうやら勝信のそれはさらに戦国の気風を色濃く残しているようだ。

(あれは確かに強い。大いに学ぶところもあるだろう。しかし……うぅむ……)

 二つの新陰流に複雑な感情を抱く三厳。しかし彼が考えをまとめる暇もなく、対峙する二人は次の攻防に移っていた。

「はぁっ!」

「行くぞっ!」

 次の攻防、友重と勝信はほぼ同時に動き出した。互いに相手に主導権を与えるとマズいと判断してのことだろう。そこから数合互角に剣を振るっていたが、先程見せられた勝信の手数の多さに気圧されたのか、友重が一瞬踏み込みを躊躇ってしまったことで再度勝信が主導権を握る。

「甘いな、友重よ!」

(くっ!これでは先程と同じではないか!)

 単純な技量ならば友重は勝信に負けていない、あるいは若干友重の方が有利なほどであった。だが勢いと実戦的な手数に関しては今のところ勝信の方が勝っている。特に瞬間に見せる彼独自の搦め手は友重の集中力を著しく削いだ。

(二十年来の研鑽か。見事ではあるが、こちらも負けるわけにはいかぬのだ!)

 防戦一方ながらも一瞬の勝機を狙う友重。そしてそれは勝信にも伝わっていた。

(……友重め、何か狙っておるな!だがそうやすやすとやられるわしではないぞ!)

 勝信も友重が何かを狙っていることに気付いたが、かといって引けば不利になるのは自分の方である。ならば押し切るまでと勝信は攻勢を続け、友重はそれを受ける。

 そんな打ち合いをしばらく繰り返したのち、とうとうその瞬間はやってきた。

(ここだ!)

 友重が待っていたのは大振りの次の横薙ぎだった。友重はこの横薙ぎが、相手が近付いてこないようにするための牽制の攻撃であると見抜いていた。

 牽制故に力の入った剣でなく、牽制故に初めから当てるつもりのない剣。故に受け止めることも可能。友重はあえて一歩踏み込みこの横薙ぎを刀身で受けた。キイィンと甲高い衝撃音が響き、両者の手には衝撃の痺れが伝わる。そして勝信はこれに目を見開いて驚く。

 勝信が驚いていたのは先の横薙ぎが当てるつもりのない牽制の攻撃だったからだ。この攻撃は空を切り、両者の間には構えなおすのに十分な間合いが広がっているはずだった。しかし友重はあえて踏み込み刀を合わせてきた。そして友重は素早く手首を返す。

(これは……巻き技!?)

 勝信は刀が引っ張られる感覚で友重の意図に気付いたがもう遅い。彼の腕は刀と共にかち上げられ、そして無防備になった身体に友重の袈裟切りが振り下ろされる。勝信は何かしようとしたがこの距離では間に合うはずもない。友重の一撃は勝信の胸から腹にかけてを大きく裂いた。

 新陰流は『合わせない』流派であるがそれは絶対ではなく、また戦国の世を知る者ほど実戦的な剣の使い方を知っている。 

「……舐めないでいただきたい。私とて宗厳様に剣を教わっていた身なのですよ!」

「見事……!」

 勝信は数秒ほど意地で立っていたが、ついには耐えられなくなり膝から崩れ落ちた。友重は肩で息をしながら静かにそれを見下ろしていた。

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