柳生三厳 谷瀬村の牢人問題を解決する (第七話 終)

 巻き技で腕をかち上げてからの袈裟切り。友重と勝信の立ち合いは友重に軍配が上がった。

「……友重よ、見事っ!」

 ぐしゃりと崩れ落ちる勝信。それを友重は刀を振り下ろした態勢のまま哀愁の瞳で見つめていた。


 衝撃的な決着に一同は息を呑みしばらく動けずにいたが、やがて正気に戻った三厳が静かに友重に近寄った。

「お見事です、友重殿。……かの方のお命は?」

「……まだ息はありますよ」

 見れば勝信の背中は上下しており、か細いながらも痛みにうめく声も聞こえる。

 友重は残心を解き刀を軽く振って血を払うとそのまま数歩進んで倒れている勝信のすぐ横に立った。

「勝一殿……」

 友重が呼びかけると勝信は意識を取り戻したのか大きくぶるりと震え、そして荒い息を吐きながら最後の力を振り絞って仰向けに向き直った。

「っ!はぁっ、はぁっ、はぁっ……。見事だったぞ、友重よ……」

「勝一殿……!」

 仰向けになったことで改めて勝信の傷があらわになった。友重の一撃は勝信の胸から腹部にかけてを大きく裂いていたが、かち上げられた腕が邪魔をしたのか幸いにも傷は臓物にまでは届いていないようだった。それでも傷の範囲が範囲なだけに体を大きく動かすことはできないようで、また彼の小袖は流れた血ですっかり赤く染まっていた。

 多くの血を失ったためか勝信の顔はひどく青ざめており、さらに気力も失ったのか一気に年相応に老けたようにも見えた。だがその一方で浮かべる表情はどこか満足そうでもある。

「ふふふ。どうした、友重よ。勝った者のする顔ではないぞ。さぁさっさととどめを刺してくれ」

「勝一殿……」

 確かにこのままでは、ただいたずらに苦しめるだけだろう。彼のような昔気質な者ならばいっそ楽にしてやる方が有情かもしれない。そう思い友重が改めてグッと刀を握ったその時であった――近くの茂みがガサリと揺れ、二人の男が飛び出してきた。

「ま、待ってくれ!勝さんを殺さないでくれ!」

「頼む!何でも言うことを聞くから、命ばかりは許してほしい!」

 現れたのはいかにも牢人風な格好をした男二人。おそらくはここに集まっていた一味の者だろう。三厳らは彼らの急な登場に驚いたが、その中で誰よりも驚いていたのは他でもない勝信であった。

「お前たち……逃げたのではなかったのか……」

「牢人仲間ですか?」

「え、ええ。仲間内でもそれなりに付き合いのあるやつらです。お前たち、何故ここに?逃げろと言っただろう!」

 三厳が誓紙を掲げて脅した際に勝信は仲間たちに逃げろと言っていた。これに二人は年甲斐もなく緊張の汗と涙でボロボロになった顔で叫んだ。

「なめるなよ!十数年来の仲間を見捨てて逃げるほど情のない人間じゃねぇよ!」

「なぁ頼むよ、お侍様!勝さんは俺らの用心棒みたいなもんで無駄な殺生なんかはしちゃいねぇんだ!そりゃあ牢人らしいことは結構やったが、それでも勝さんは俺らの中じゃまともな方なんだ!」

「お前たち……」

 どうやら二人は勝信の安否が気になって危険を承知で戻ってきたらしい。彼らの叫びを聞いて勝信は今までとは違う意味で苦しそうな表情を浮かべた。それは一見すると情けをかけられたという屈辱や死に場所を失ったという武士特有の無念さがあるようだったが、三厳の目にはそれだけではないようにも見えた。

「三厳様……」

 友重もまた同じような印象を受けたのだろう。これに三厳はわかっていると頷き、現れた牢人たちの方を向いた。

「おい、お前たち。二つのうちのどちらかを選べ。一つは不埒な稼業を改め剣を握らぬ生活を送るか、あるいは柳生の里に悪評が聞こえぬところで余生を過ごすかだ。里から遠く離れていれば俺たちもどうこう言うつもりはない。好きな方を選ぶといい」

 三厳がこの二つの案を出したのは勝信から新陰流を奪わぬためでもあった。柳生庄から離れたところならば三厳たちも新陰流の名に敏感になる必要はない。勝信もその真意に気付いたのか、もはや何も言うまいと口を閉ざして仲間の判断を待った。

「わ、わかりました!どちらにするかはまだ決めかねますが、勝さんの傷が癒えたら必ずどちらかの道を選びます!なのでどうかこの場はこのままお見逃しください!」

「お願いします!もう決して皆様方のご迷惑にはならないように努めますから!」

 牢人との口約束。これで済ますのはかなり甘い判断だろう。しかし三厳は勝信の中に残る新陰流門下の魂を信じることにした。

「……さっさと連れていけ。友重殿もそれでよろしいでしたかな?」

「某からは何も言うことはございません」

 友重は懐紙で刀の血を拭い納刀した。それを見て勝信の仲間たちは急いで勝信に駆け寄る。

「勝さん、大丈夫か?……あぁこりゃあヒドイ傷だ。まずはこれをどうにかしないとな」

「……すまないな。手間をかけさせて」

「いいってことよ。なぁ勝さん、傷が治ったら西の方に逃げようか。西ならばお上の目も届かぬだろうし、いっそ海を越えるのもいいかもな。お前もそう思うよな?」

「ははっ、それもいいな。また一から始めようや。……薬はまだ中にあったよな?俺、ちょっと取ってくるわ」

「おう、頼んだぞ」

 牢人のうちの一人が廃寺の中へと駆けていく。それを横目に三厳は伝兵衛にこそりと尋ねた。

「お前が盗ってきた誓紙はこれで全部か?」

「ああ。あと寺に残ってるのは日用品や連中の私物くらいだな」

「そうか。ならばもうここには用はないな」

 そう言うと三厳は石段の方へと歩みだした。これに友重と保知も何も言わずに続く。伝兵衛のみ「えっ、もうよかったのか?」と若干困惑していたが、すぐに駆け足で三厳たちの後を追った。

 廃寺から去る直前、上体を起こした勝信が深く頭を下げた。

「三厳様。此度の御恩情、決して忘れませぬ」

 これに三厳らは振り返らずに片手を上げるのみで別れの挨拶とした。古き新陰流門下との確執はこれで決着であった。


 谷瀬村へと戻ると、村の入り口にて又三郎と草吾、それに武装した村の若い男たち数名が三厳らを出迎えた。

「おぉっ!戻られましたか、みつ……串太郎様!その様子だと万事うまくいったようですね」

「ああ。捕縛こそできなかったが、おおよそ追い払うことはできた。こっちの方は大丈夫だったか?」

「はい。襲撃はもちろん不審な人影すら見受けられませんでした」

 三厳たちは寺から逃げた牢人が村を襲うのではないかと危惧していた。だがどうやら今のところは杞憂で済んでいるようだ。

「それはよかった。だが今は潜伏しているだけかもしれないからな、数日は様子を見た方がいいだろう。監視の段取りは……」

「串太郎様。それはこちらでやっておきますので、皆様方はどうかお休みになってください。食事や湯の準備はすでに済ませております。特に保知様は……あぁっなんと痛ましい傷なんでしょうか。早く手当てをいたしましょう」

 割って入ってきたのは草吾であった。草吾は三厳らに休むようにと言い、そして保知の体についた無数の切り傷を見て痛まし気に眉根を寄せた。

「なんという切り傷……激戦だったのですね……」

「これは……ま、まぁそれなりにな……!」

 確かに保知の体には多くの傷がついていた。しかしこれは寺の牢人相手ではなく三厳によってつけられたものである。一時とはいえ保知が裏切ったことを知らぬ草吾はその傷を牢人たちとの大立ち回りでできたものだと思い込み、対し保知は助けを求めるような視線を三厳に送っていた。

(仕方がないなぁ)

 三厳は苦笑しながら助け舟を出してやる。

「保知殿には一番槍をお任せしたのでな、必然傷も多くなってしまったのだ」

「おぉ!そうだったのですか!」

 一番槍という響きに草吾の目が輝く。

「ああ。彼のおかげで楽に事を成すことができたようなものだ。そうですよね、保知殿?」

「お、おう。そういうのもあるかもな!」

 実際余計な戦闘なく牢人たちを散らすことができたのは保知と伝兵衛のおかげと言ってもいい。だが良心の呵責というやつだろうか、草吾の羨望のまなざしに保知は変わらずバツの悪そうな顔をしている。そのちぐはぐさが面白くなって三厳はとうとう噴き出した。


 それから三厳らは念のためにと二日ほど村に逗留した。牢人たちの動きを警戒してのことである。

 しかし結局危惧していたような襲撃はなく、また後日廃寺に行ってみればそこには勝信の血の跡以外は何も残っていなかった。どうやら牢人らは本当にこの地から手を引いたようだ。そのように報告すると庄屋の平右衛門は深々と頭を下げた。

「まことにありがとうございます、三厳様。此度の御恩、もはや言葉も出せぬほどにございます」

「いやいや、このくらいなんでもありませんよ。それにこちらも新陰流について考えるいい機会となりました。これを機に各地の新陰流を語る者が減ってくれればいいのですが……」

「あやかしたちが恐れているお話ですね。そちらはお任せください。某が責任をもって話しておきましょう」

 今回の牢人たちの増長の原因は、あやかしたちが新陰流の名前の大きさに怯んだために起こった。だが今回の騒動を気にそれも少しずつ改善されていくことだろう。これでここでできることはもうすべて終わった。三厳らは村を後にして上野へと帰還した。


 上野へと帰還した三厳らは一日休養を取ったのち柳生庄へと戻ることにした。

 出立の日、見送りには保知が来てくれた。

「三厳殿。ここ数日、実に楽しい日々でした。またいつかお相手できる日を心待ちにしております」

「今度は黙って裏切るような真似はしないでくださいよ?」

「ふふっ、肝に銘じておきます。ところであの誓紙はいかがなされたのですか?伝兵衛が自分も捕まるのではないかとひやひやしてましたよ」

「あれならば信頼できる者に預けました。かの人ならば上手く使ってくれることでしょう」

 三厳が誓紙を預けたのは上野の裏の顔役・利助であった。広い視野を持っている彼ならば程よい塩梅で情報を活用してくれることだろう。

「伝兵衛には下手に目立たねば捕まりはしないと伝えておいてください。……というより伝兵衛は来てないのですね。城への報告は昨日のうちに済ませたと聞いたのですが」

「まぁ上野では顔を合わせづらいのでしょう。奴も一応そこそこ名の通った傾奇者ですからね」

「そういえばそうだった。まったく、安寧な暮らしを望むなら傾奇者なんぞやめればいいものを」

「まったくですな」

 三厳らは笑い合い、そして遠くで鳶が高く鳴いた。ちょうどいい頃合いだろう。

「ではいずれまた」

「ええ、いつかまた」

 三厳と友重、又三郎は保知の見送りを背に上野を後にした。


 さて、そこからさらに数日後。柳生庄・柳生屋敷では駿河に発つ友重の送別会が始まるところであった。

「今日は皆、忙しい中集まってくれて感謝する。存分に食って飲んでくれ。ささ、友重殿、柳生の酒。どうぞ飲み納めくださいな」

「これはどうも。……かぁっ、いい酒ですな。これがしばらく飲めなくなると思うと心苦しい限りです」

「ははは。ならば今日は溺れるくらいに飲んでいってくださいな。里の者たちも今日は無礼講だ。存分に飲んでいってくれ」

 三厳の音頭に屋敷に集まった客たちは皆歓喜の声を上げた。

 徳川忠長の指南役に就くこととなった友重。これは武芸者としては最上級の誉れであり、また柳生家の血族ではなくその門下が選ばれたということは柳生新陰流そのものが評価されたということでもある。ただでさえ快挙なうえに、加えて友重自身も新陰流門下になって長いため彼を祝おうとする里の者は多く、結果屋敷の客間三部屋の戸を外してつなげても手狭になるほどに送別会は盛り上がった。

 そんな騒ぎが日中続き日も傾き始めた頃、三厳はふと友重がどこかに消えたことに気付いた。

「おや、友重殿はいずこに?」

「そういえば見当たりませんな。まぁ小便か何かでしょう」

 三厳も初めそんなとこだろうと思ったがしばらく経っても帰ってくる様子はない。何かあったのかと気になったので探してみれば友重は屋敷の外、里全体が見渡せるところに一人立っていた。

「こんなところにいたのですか、友重殿」

「三厳様。すいません、宴を抜け出して。この景色も見納めかと思うと妙に感傷的になってしまって……」

 柳生家の屋敷はやや高いところに建てられており、敷地の端に立てば里を一望することもできた。友重は先代の頃よりここに通い鍛錬をしていたのだからこの景色に対する思いも人一倍あるのだろう。

「まぁなかなか気軽に帰ってこれる距離ではないですからね」

「……あるいは生きてこの地に戻ってくることもないやもしれませぬ」

 友重の不穏な発言に三厳は思わずギョッとする。確かに時代や年齢を考えればそれもあり得るだろうが、友重の真意はもっと別のところにあると三厳は感じ取った。

「……それは上様と大納言様の関係についてですか?」

 友重は無言で頷いた。彼がこれから仕える忠長は家光の実弟であり、その政治的立場は不安定極まりない。それこそ一歩間違えれば勝信が言っていたようにこの国を戦国時代に逆行させかねないほどの人物だ。

「ただ剣を教えていればいい、というわけにはいかないのでしょうな……」

 友重の実力に関しては疑うべくもないが、それでも今回の指南役推薦に政治的な背景があることは想像に難くない。巻き込まれ方次第では本当に命を懸ける必要もあるだろう。

「友重殿……」

 心配そうに横顔を見つめる三厳であったが、それに気付いた友重は何てことないとでも言うように笑って見せた。

「そんな顔をなさらないでください。確かに難題ですが、それ故にやりがいも感じているのですよ。某の、いや新陰流の肩にこれからの平和がかかっている。なんと挑戦しがいのあることでしょうか」

 頼もしき年長者の顔に三厳も勇気を得る。

「そう……そうですな!俺たちがこの平和を守らねばですな」

 三厳は友重に並んで里を見下ろした。

 柳生の屋敷から里が一望できるのはおそらく戦国時代の名残だろう。この立地なら里の異変がすぐわかるし、戦闘となっても指揮をとりやすい。

 しかし今はそんな時代ではない。見える里は平和そのもので、血生臭さや狂気じみた緊張はどこにも見られない。里ではいくつか煙が上っているがおそらく刈った草を焼いているのかあるいは炊事の煙だろう。柳生の里は、あるいはこの国は今日も変わらず平凡なままだった。

(確かに強さを求めるのも間違いではないだろう。だがそれ以上に俺達には守らねばならないものがあるのだ)

 暮れなずむ里を見下ろしながら三厳は自分たちの使命を再度心に刻み込むのであった。

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