柳生宗矩 坂崎家残党たちと交戦する 2
駿河国・鞠子宿南部にて激突する宗矩一行と坂崎家残党一派。彼らは初め互いに代表を出して先鋒戦を行ったが、ここで両軍の力の差が如実に出てしまう。
「正攻法では敵わぬか。ならば丸薬を使うぞ!」
負けられないこの一戦。残党たちは早速力を増大させる秘薬を使って巻き返しを図る。しかしそれは宗矩たちにとっても想定の範囲内のことであった。
「やはりそう来たか!ならばこちらも『鳥かご』を出せ!」
合わせて動き出す宗矩たち。両者の戦いは次の段階に移行しようとしていた。
膂力を増大させる薬を呑む残党たち。しかし宗矩たちもこれに対抗するための策を用意していた。
「皆の者!『鳥かご』を出せっ!」
宗矩の合図とともに柳生の一団から右に三人、左に三人駆けて行く。彼らは包囲を試みるかのように、孝蔵ら残党一派の両翼に回り込む。
「何だか知らんが好きにさせるかよ!」
それを見て残党側の何人かが邪魔をしようと前に出る。人数的に多少囲まれても問題はなかったが、それでもやはり警戒するに越したことはない。しかしそれは残りの柳生剣士たちが牽制し阻止をする。
「おっと。そう簡単に隙を見せて大丈夫か?」
「くっ!薬の効果さえ現れればこんな奴ら……!」
残念ながら薬の効果が出るまでには十数秒のラグがあった。その間に左右に回った家臣たちは目的の位置に着いたのか、しゃがみこんでごぞごそと足元を探る。何か隠していたのだろうか。見通しのいい草原であったが、ちょっとした物を隠すくらいの起伏や草むらは存在していた。
「まさか鉄砲でも隠してんじゃねえだろうな!?」
こんな開けた場所で射撃系の武器は確かに脅威になりうる。そう身構える残党たちであったが、柳生家家臣たちが隠していたのは銃ではなかった。
彼らが取り出したのは長さ五尺(約150センチメートル)ほどの青竹で、彼らはそれをその場に立てる。おそらくあらかじめ立てる用の穴をあけていたのだろう、青竹はしっかりと直立し、そしてその先端には麻縄が結び付けられていた。麻縄は残党たちの方に向かってゆったりと垂れている。
「……なんだ、あれは?」
「わからん。わからんが、とりあえずあまりいい予感はしないな!」
この状況で無意味なことをするはずもない。嫌な予感を覚えた残党の一人が何かが起きる前に倒してしまえと歩み出る。しかしその時だった。一歩踏み出した彼の足元から何かが急に飛び出してきたのだ。
「うおっ、な、なんだっ!?」
足を取られそうになった男は少しよろけたのち飛び出してきたそれを見た。それは腰の高さほどに張られた麻縄だった。柳生の剣士たちが立てていた青竹はこの麻縄を張るためのものだった。
「これは……縄か?」
唐突に足元から現れた麻縄。その出所を目で追うと、両翼に回った柳生の剣士たちが立てた二本の青竹から垂れていた。どうやらあらかじめ青竹に麻縄を結んでおき、それを溝などに埋めて隠していたようだ。
しかもこれは一本や二本ではない。柳生の剣士たちは両軍がいるこの草原を取り囲むように青竹を立てていき、そしてそのたびに戦場を横断するかのように麻縄のアーチが張られていく。気付けばその数はとうに十を越えていた。
「くそっ。やはり小細工を仕掛けていたか」
「しかしこんな縄だけでどうするつもりだ?ただ緩く張ってるだけ……俺たちを捕まえるという風でもないし……」
残党の男が困惑した通り、十数本の麻縄はまるで蜘蛛の巣のような様相を作っていたが、ただそれだけであった。確かにどれも腰丈ほどの高さで張られているため多少身動きは取りづらいだろうが、かといってそれ以上の仕掛けがある様子もなく、なんならそれらは柳生陣営の近くにも張られている。
「くだらん時間稼ぎだ。こんなの、
やがて血の気の多い一人がこんなものに意味などないと、目の前の麻縄を越えようとした。しかしその瞬間、恐るべき速さで柳生の剣士が寄ってくるのに他の残党が気付いた。
「むっ!危ない、小平太!」
「えっ?」
警告のおかげで小平太という男は柳生剣士の一撃を間一髪でかわすことができた。
「はぁっ!」
「くっ!このっ!」
「大丈夫か、小平太!?」
「あ、ああ、当たってない。だが畜生っ!
縄を跨ごうとしたその瞬間、一瞬重心が不安定になるその瞬間を狙って柳生の剣士は切りかかってきた。小平太たちは睨みつけて反撃しようとしたが、その剣士はすでに麻縄三本分くらい距離を取っている。驚くべき速さで近寄り、そして驚くべき速さで離れていったということだ。
それを見ていた草助が事態の深刻さに気付く。
「まさか奴らの狙いは……!?」
草助は軽く足を挙げて縄を跨ぐような仕草を見せた。すると少し離れたところにいた柳生の剣士たちが素早く縄をくぐり、その刀が届く間合いにまで接近してくるのが見えた。
「くっ!?」
彼は少し位置を変えて別の縄をくぐろうとする。だがここでも別の柳生剣士が抜刀姿勢のまま縄をくぐって間合いを詰める。このあたりで他の残党たちも柳生の真意に気付いた。
「まさかこれが奴らの狙いなのか!?」
「ああ、そのようだ。あいつら、俺たちが縄を越える際の隙を狙ってやがる……!」
丸薬によって筋力が上がった残党たちであったが、根本的な体裁きや重心移動といった技術まで向上するわけではない。狭い場所での足さばきに関しては明らかに鍛錬を積んだ柳生側の方が優れている。どうやら宗矩たちはその差を生かし、彼らが縄をくぐるその一瞬、体制が崩れたところを狙う作戦のようだ。
「マズいな。あいつら近付くのも早いが、引くのも早い。これじゃあ一方的に切られちまうぞ」
「そ、そんな……。な、なら縄ごと切っちまえば……!」
焦った残党の一人が張られた麻縄に刀を振り下ろす。しかし麻縄はピンと張られているわけではない上に、青竹のしなりも加わってまるで切れる気配がない。しかもその隙を突こうと柳生の剣士たちが近寄ってくる。危険を察知した男はすぐに引いたため切られることはなかったが、その代わり縄もまた切れずに残ったままであった。
「くそっ!切ることも、越えることもできない!どうすればいいってんだ!?」
改めて周囲を確認すれば彼らの周りには無数の縄が張られており、そこから逃さぬように柳生の剣士たちが囲んでいた。
これが宗矩たちが用意した策・『鳥かご』の完成形であった。
丸薬を呑んだにもかかわらず攻めあぐねている残党たち。それを見て宗矩は策が上手くハマっていることに安堵する。
(ふぅ。予行練習なしの一発本番だったが、どうやら上手くいっているようだな)
対残党たち用の秘策・『鳥かご』。実はこれは決戦の三日ほど前に用意した急ごしらえの策であった。
さかのぼること数日前。宗矩たちは駿府へと向かいつつ、道中の宿でどうすれば残党たちを討伐できるのかいろいろと話し合っていた。彼らが目下最も警戒していたのは残党たちが持っているという、膂力を増大させる丸薬であった。
「やはり厄介なのは例の丸薬ですな。七郎(三厳の幼名)からの話では一粒呑むだけで軽く三人力にはなるだとか。こんなものを使われれば戦力の計算のしようがない」
歴戦の武将でもある宗矩は、合戦は簡単な数式で動いていることを知っていた。強い方が勝ち、弱い方が負ける。数の多い方が有利で、少ない方が不利である。そんな当たり前の常識をひっくり返してしまうほどの力が例の丸薬にはあった。最大限に警戒してしかるべきものである。
とはいえそう簡単に対策が思いつくものでもない。彼らはまず吞まれる前に倒してしまえばいいのではないかという案を出したが、十人近くいる敵を気付かれずに同時に倒すことなど不可能に近い。続いて効果が切れるまで逃げてみてはどうだという意見も出たが、これもすぐに追いつかれることは目に見えていた。果ては
「さて、どうしたものか……。そういえば三厳様は一度薬を呑んだ者を倒したのですよね?どうやったのかなどはお聞きになってないのですか?」
「七郎ですか?ええと、確か上手いこと立ち回って、相手の刀を木に引っ掛けたとかなんとか……」
宗矩たちが話題に上げたのは、柳生庄近くにまでやってきた残党たちを三厳たちが打ち倒したときの話である(第八話)。その際三厳は相手の技量が低いことを見抜き、刀を乱暴に振らせて近くの木に食い込ませて隙を作った。
「なるほど。強化されるのはあくまで筋力のみで、技術の方は変わらずお粗末なままということか。ならば奴らを上手いこと入り組んだところにでも誘い込めれば……」
光明を得たと家臣が顔をほころばすが、すぐさま宗矩が問題点を指摘する。
「そんな場所にどうやって誘い込むというのだ?」
「あ……」
「向こうも狙われているのは百も承知のはず。そんな奴らが死角の多い、入り組んだところに来るわけがなかろう」
宗矩が呆れたように溜め息をつくと案を出した家臣は恥ずかしそうに小さくなる。
だがこれを聞いていた綱元は「いえ、存外悪くないですよ」と食いついた。
「考え方としてはいいと思いますよ。力が十全に発揮できない場所に敵を誘い込むのは定石です」
「……確かにそうですが、向こうも危険な場所くらいはわかるでしょう」
「発想を逆転させるんです。入り組んだ場所に誘い込めないのならば、誘い込んだ場所に障害物を作ればいい。知人の忍びから聞いたいい策があります。少々準備が必要ですが、上手くいけば奴らを完封できるかもしれませぬ」
こうして綱元主導で、青竹と麻縄を使って残党たちの動きを封じる作戦――『鳥かご』作戦が立案されたのであった。
時は戻り鞠子宿南部の平原。彼らの策・『鳥かご』は十二分に機能していた。
残党たちが腰丈に張られた縄を越えようとすると、すぐさま柳生の剣士が詰め寄って切る気配を見せる。これにより残党たちの足は止まる。時にはうまく越えることもあったが、その時は柳生側が一歩引けばまた縄一本を間に挟んだ睨み合いに引き戻せる。単なる睨み合いだけでも、薬に効果時間があることを考えればそれだけで柳生側が有利であると言えた。
そんな攻防がしばらく続き、気付けば残党たちは鳥かご内にて三つほどの集団に固められていた。
「お、おい!何をしている!固まっていたら奴らのいい的だぞ!?」
「ですが孝蔵さん!前に出ようとしても、あいつらがすぐに邪魔してきて全然進めないんですよ!?」
柳生の剣士たちは全員しっかりと縄二本以上の距離を取って残党たちを囲んでいる。その徹底した動きに残党たちは打つ手がなくなってきていた。
加えてどこかに隠していたのだろう、ついには弓矢を携えた家臣もあらわれた。
「平次郎、惟茂、少し横に動け。流れ矢が当たるぞ」
「くそっ!……おい、卑怯だとは思わんのか!?そんな離れたところから戦って!」
「笑わせるな。合戦なのだろう?戦場に卑怯も何もないわ」
そう言うと弓兵は冷酷に弓を引く。
「くっ……!散れっ!このままでは
残党たちは二手に分かれて縄をくぐる。だがその破れかぶれの動きも想定済み。家臣たちは冷静に詰め寄り、体制の崩れた残党たちに一太刀二太刀と浴びせていく。もちろん残党たちも反撃を試みたが、柳生家家臣たちは巧みな足さばきで縄をくぐって距離を取る。結局残党たちが無駄に手傷を負っただけで、状況は何も変わらずにいた。
「ど、どうします、孝蔵さん?これはいよいよ覚悟を決めなきゃいけない感じですかね?」
「いや、こんなことが……こんなことが許されていいはずがないだろう……!柳生宗矩!お前はまたそうやって自分の手を汚さずに事を成すつもりか!?」
激昂する孝蔵。しかし縄の向こうの宗矩は素知らぬ顔で眺めるばかりで返事もしない。
「この……老いぼれ鼠があっ!!」
とうとう堪忍袋の緒が切れた孝蔵はまっすぐに宗矩を目指す。その際目の前にあった麻縄は、跨ぐでもくぐるでもなく、その手でつかんで力任せに押し通ろうとした。なるほど竹がしなって切れないというのなら、その限界まで力を加えてやればいいという発想だ。縄が結ばれている青竹は今にも折れんばかりにしなっている。
「お、おいっ!誰でもいいから早く奴を止めろ!」
周囲の柳生家家臣たちが慌てて近寄るが、今の孝蔵は片手だけとはいえ地に足がついている状態だ。体勢が崩れてない以上、いかに柳生家剣士であっても簡単には近付けない。そうして手をこまねいているうちに、とうとう青竹がバキリと折れた。
「ま、マズい!引けっ!距離を取れ!」
縄を越えられると薬の効果がある分残党たちの方に分がある。これまで優越顔をしていた柳生家剣士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていくのを見て残党たちの士気は一気に上がった。
「おぉっ!その手があったか!」
「よしっ!俺たちも孝蔵さんに続くぞ!」
「おらっ!止めたかったら止めてみろよ!」
無理矢理ながらも『鳥かご』の突破方法を発見した残党たち。このままでは薬の効果が切れる前に平地での勝負に戻されてしまうだろう。
(そうなれば不利なのはこちらだ!それはなんとしても避けなければ……!)
ここが正念場と見た宗矩は数歩前に出て叫んだ。
「皆の者!縄が残っているうちが勝負だ!奴らが自由になる前に討ち取ってしまえ!」
「おおっ!」
柳生側もいよいよ接近戦の覚悟を決める。宗矩も抜刀し戦列に加わろうとするが、そこに縄を抜けた孝蔵が立ち塞がる。
「柳生宗矩……。覚悟はできているか……?」
目の前に立つのは薬の効果が残っている孝蔵に彼の側近が二人。その背後では残党たちが『鳥かご』を壊したり柳生の剣士たちと剣を交えたりしている。
(どうやらこいつとの一戦は避けられないようだな……)
「友重、いるか?」
「おそばに」
「背中は任せる。後ろの二人を頼んだぞ」
「はっ」
構える宗矩と門弟筆頭・木村知重。対するは坂崎家残党頭領格・箕輪孝蔵とその側近二人。
柳生対坂崎。その一戦は最後の局地戦へと入ろうとしていた。
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