柳生宗矩 坂崎家残党たちと交戦する 3

 柳生対坂崎の一戦・第二幕は、秘薬を吞んだ残党一派に対し柳生側が行動を制限する秘策・『鳥かご』を使用したことで柳生優勢で進んでいた。

 一時はこれで完封しかけた柳生側であったが、坂崎側もギリギリのところで踏ん張り、力任せで鳥かごを壊す解決策を思いつく。

 これにより両者の攻防は最後の局地戦へと入ろうとしていた。


「通してたまるか!負け犬どもめ!」

「邪魔をするな!田舎侍がっ!」

 随所で剣の交わる音がする。駿河国は鞠子宿南部。周囲に人家のない草原にて、柳生門下の剣士たちと坂崎家の残党たちとが切り結んでいた。

 数はほぼ互角。技術面では柳生の剣士たちの方が優れていたが、単純な筋力ならば秘薬で力を強化した分残党たちの方に軍配が上がるだろう。ただし戦場には柳生側が用意した麻縄――『鳥かご』がまだ残っている。ゆえに若干ではあったが戦況は未だ柳生側が優勢であった。

「全員焦るでないぞ!縄を使って距離を取って戦え!薬さえ切れればこちらの勝ちだ!」

「させるかよっ!こんなボロ縄、引きちぎってやんよ!」

 残党たちも自分たちの方が追い詰められているとわかっているのだろう、攻防の隙を突いてまずは周囲の『鳥かご』から処理しようとする。『鳥かご』とは腰丈ほどの高さに麻縄を張り、自由な行動を制限する策である。確かに麻縄さえなくなれば単純な力勝負に持ち込むことができるが、そうはさせまいと柳生の剣士たちも攻め立てる。

「寄らば切る!」

「しゃらくせぇ!」

 複数人が入り混じった一進一退の攻防。それを視界の端でとらえながら宗矩は正眼に構えていた。

(向こうは各々に任せておけばいいな。あとは……)

「どこを見ている、宗矩っ!」

「……」

 孝蔵の力任せの一振りを宗矩は軽く下がってかわした。あるいは初めからただの牽制だったのかもしれない。改めて正面に向き直れば、そこには殺意に目を血走らせた坂崎家残党頭領格・箕輪孝蔵がいた。

「柳生宗矩!せめてお前の首だけでも取らせてもらうぞ!」

(あとは私がこいつを倒せるかどうかだな……)

 宗矩はその場で軽く二度ほど飛んだ。体に変な硬さはない。問題ない、戦える。宗矩は細く息を吐き、丁寧に刀を握りなおした。


 合戦場の一角にて睨み合う宗矩と孝蔵。大将同士の一戦、これに勝った方がこの合戦の勝者と言っても過言ではないだろう。それを理解しているために両者は静かに間合いを計り、互いに勝負の瞬間を見逃さないようにしていた。

 なおこの戦いは一対一というわけではなかった。孝蔵側には側近二人がついており、宗矩側には門弟筆頭の木村友重がついていた。数の上では二対三。しかしいざ立ち合うと主導権を握ったのは宗矩たちの方であった。

「おっと。その動きは不用意だな!」

「くっ!素早い!?」

 孝蔵たちは数的優位を生かそうと宗矩たちを囲もうとするが、二人はそれをことごとく避け、時には一方的に反撃までしていた。それができたのはひとえに未だ数多く張り巡らされている『鳥かご』の麻縄のおかげだろう。普段から体幹や足腰を鍛えている宗矩たちは、残党たちが縄一本をくぐる隙に二本の縄を飛び越えて動くことができた。その機動力をうまく利用して二人は常に適切な間合いで戦っていた。

「くそっ!また刀が届かないところに……!卑怯者め!正々堂々と戦え!」

 肩で息をする残党側近の恨み節に宗矩が鼻で笑う。

「ふんっ。的外れなことを言うものだ。戦場で大切なのは生き残ること。余計な美醜など考慮するに値しない。それを知らんとは……、いや、よく見ればお前は相当に若いな。そうか、さてはお前、本当の合戦を知らないな?」

「なっ!?」

 宗矩の言葉に側近の一人――八太という青年は図星を突かれた風に顔をゆがめた。彼の見た目は二十代半ばごろ。なるほど、その見た目通りの年齢ならば大坂の役も未経験のはず。

「はんっ、図星か。まったく、戦場の恐ろしさも知らぬ小僧がこんなところにまでやってきおって……。おおかた暴力くらいしか他人に誇れるものがないクチだろう?お前のような落伍者がいるからまつりごとをつかさどる方々は苦労するのだ」

「う、うるさい、うるさい、うるさい!戦って欲しい物をぶんどる。それの何が間違っている!?」

「もうそんな時代ではない……。いや、言うだけならば自由か。だがそれならば戦場の心得くらい把握しておいてほしいものだ。こんな風になっ!」

 宗矩は会話の隙を突いて隠し持っていた鉄片を投げた。それは口論に夢中になっていた八太のひたいに命中し、そこからまぶたにかかるほどに血が流れる。

「くそっ!血が……目がっ……!ひ、卑怯者め!」

「だから何度も言っているであろう、『油断をした方が悪い』と。はぁ……もう田舎に帰ってはどうだ?お前みたいな小僧、討ち取っても何の価値にもならんわ」

 宗矩が煽ると八太はわかりやすく激昂した。

「ふ、ふざけるな!俺は戦いに生きると決めたんだ!お前みたいな老いぼれに邪魔なんぞされてたまるか!!」

「ほう、そうかい」

(すぐ熱くなる……。やはりこいつも三下だな)

 実戦経験のない八太は面白いように宗矩の口車に引っかかっていた。戦場では怒りや恐れは視野を狭め、自身を危険に晒す。こんな精神では合戦があった時代に生まれていても、すぐに命を落としていたことだろう。実際このあとすぐに八太は無謀な突進をするが、それが彼にとっての致命的な失敗となった。

「覚悟しろよ、このクソジジイがっ!」

 汚い叫びと共に飛び掛かる八太。よほど先の口論が利いたのだろう、彼は不用意にも縄を跨ぐ際宗矩しか見ていなかった。そこに気付いた友重はすぐさま該当する麻縄に近付き、それを頭上まで持ち上げる。持ち上げられた縄は跨ごうとしていた八太の後ろ足をひっかけて転ばした。そしてその隙を見逃す宗矩ではなかった。

「はぁっ!」

「なっ!?がはぁっ!?」

 横薙ぎ一閃。宗矩の一振りは転んだ八太の顔面を一文字に切り、そこから続けて放たれた袈裟切りは彼の首元をぱっくりと切り裂いた。八太は切られた瞬間こそ反射で立ち上がったが、やがて力を失い後ろに倒れ、そのまま張られた麻縄に引っかかる。

「まずは一人……」

「は、八太ぁっ!!」

 孝蔵が叫ぶが反応はなく、力なくだらんと垂れ下がった腕が彼の絶命を如実に物語っていた。

(間抜けな終わりだな。だがこれが合戦だ。恨むなよ、小僧)

 宗矩は軽く刀を振って血を払い、興味なさげに八太の亡骸に背を向けた。その視線の先には鬼気迫る表情の孝蔵が待っていた。

「や、柳生宗矩!お前だけは、お前だけは絶対に許さんぞ!」


 側近の一人を倒したことで二対二にまで持ってくることのできた宗矩。対する孝蔵は腹心を殺されたことにより、今まで以上に殺意のこもった目を向けていた。

「柳生宗矩!お前だけは何があっても殺してやる!」

「何をいまさら、戦場ではよくあることだろう。それが嫌なら田舎に引きこもっておればよかったのだ」

「この畜生がっ!」

 まっすぐ宗矩を見つめる孝蔵であったが、対する宗矩は冷静に周囲の状況を分析していた。

(どうやら全体的にこちらが優勢のようだな)

 軽く目を走らせると所々で柳生の剣士たちが残党たちを翻弄している様子が見て取れた。彼らは適切な間合い管理で相手を寄せ付けず、逆に倒した敵も何人かいるようだ。丸薬の効果があってこうなのだから、効果が切れれば圧倒することはもう間違いないだろう。

(ならば逃げ回るのも一つの選択肢だが、さすがにそれは難しそうだな)

 孝蔵は今にも飛び掛からんほどの剣幕で宗矩を睨みつけている。また視界の端では友重がもう一人の側近を押さえつけているのも見えた。

「一対一か。まあ下手な乱戦よりはマシか」

「その減らず口、今すぐ利けなくしてやる……!」

 孝蔵は怒りの形相のまま間合いを詰める。ただし先の八太のような迂闊さはなく、孝蔵は麻縄一本を挟んで宗矩の間合いギリギリのところで立ち止まった。

「殺す……殺す……。殺してやる……!」

(……ふん。鬼のような顔をしながら、そんな冷静に立ち止まりおって。それで騙せるとでも思ったのか?)

 宗矩は相手の些細な振る舞いから孝蔵が実は冴えており、不用意な飛び込みを誘っていると看破する。要は騙しにきたというわけだが、当然宗矩はそれを卑怯だなどとは思わない。仲間の死を利用してでも生き延びる。そのくらいの胆力がなければ戦場では生き延びられないと知っているからだ。

(さすがは元馬廻といったところか。さて、次はどう動く?)

「……ちっ!」

 二人は数秒見つめ合っていたが、時間に余裕がないのは孝蔵の方である。ゆえに痺れを切らして動き出したのは孝蔵の方であった。


 先に動いたのは孝蔵の方だった。

 孝蔵の初手は麻縄越しの横薙ぎ。これを宗矩は拳一つ分余裕を持って避ける。だが避けられることは孝蔵も想定内だったのだろう。彼はそのまま左手で縄を押し、右手で突きを繰り出す。縄を押して踏み込んだ分射程は伸びたが反面片手ということで精度は落ちた。宗矩はこれも半身でかわし、その勢いを利用して孝蔵の伸ばした右腕を切ろうとした。

「甘いっ!」

 しかし孝蔵は強化された筋力で力任せに刀を振って宗矩の反撃を弾く。そして弾いた勢いのまま縄をくぐった。宗矩も刀を弾かれてすぐは相手の縄越えを阻止することはできなかった。

(ふむ。まだ薬の効果が残っているようだな)

 宗矩は今の打ち合いで改めて力比べは分が悪いと悟り、すぐさま自身も別の麻縄をくぐって距離を取ろうとする。逆に力比べに持ち込みたい孝蔵は間髪入れずにそのあとを追った。

「逃がすかっ!」

「……ふんっ!」

 しばらく麻縄越えの追いかけっこをする二人。孝蔵としてはここで捕らえて決めたかったため全力で追うのだが、宗矩との距離は一向に縮まることはなかった。

(くそっ、どうしてだ!?何故追いつくことができない!?相手は五十を過ぎた老いぼれだぞ!?)

 この時宗矩御年五十八歳。確かに筋力に関しては全盛期には程遠いが、代わりに研鑽を重ねた足さばきは未だ衰え知らずであった。

(やはり基本的な動きに関しては素人同然だな。ならば当初の予定通り、このまま薬の効果切れを待てばよいか)

 宗矩の戦術は徹底していた。とにかく第一は敵の剣を受けないこと。そのために宗矩は常に動いて孝蔵の間合いに入らないようにしていた。その巧みな足さばきは演舞と見間違えるほどに洗礼されている。

「くそっ!また距離を……!」

 もちろんただ逃げ回るだけではない。少しでも隙を見出せばすぐさま反撃に転じ、そして最小限の傷を与えたのちまた回避に専念する。そんな一連の攻防を繰り広げた結果、孝蔵の方は体のあちこちから血を流し肩で息をしているのに対し、宗矩は無傷な上に息も軽く乱れている程度であった。

 ここまで手玉に取られればさすがの孝蔵も思わず自分の敗北を意識してしまう。

(く……くそっ。このままでは……)

 だがその時であった。攻防の最中、彼は不意にとある人影に目を止めた。直後孝蔵は懐に忍ばせていた短刀を手に取り、それを『鳥かご』の外にいたその人物に向けて放り投げる。

「……平四郎様!どうかお力をお貸しください!」

「なっ!?平四郎様だと!?」

「孝蔵……。宗矩様……」

 孝蔵が投げた短刀。それを受け取ったのは人質という名目でここまで連れてこられていた坂崎平四郎であった。


「平四郎様!共にお父上の仇を取りましょうぞ!」

 孝蔵が助力を求めた相手は『鳥かご』の外で戦局を見守っていた坂崎直盛の嫡男・坂崎平四郎であった。

(平四郎様だと!?これはマズい!)

 人質としてここまで連れて来られていた平四郎――彼の存在を思い出した宗矩はわずかに表情を硬くする。

 平四郎の剣の腕前はたいしたものではなかったが、それでも参戦してくれば二対一になる上に、片方は『鳥かご』破壊に専念することができる。さしもの宗矩も今の孝蔵と開けた場所で戦うのは分が悪い。そして何より彼が剣を抜いて敵対してしまえばもう処刑する他なくなってしまう。

 宗矩は十二年前に策謀で直盛の首を取り、その時交わした約束を反故にして坂崎家を取り潰した。その上で今その嫡男の命運まで握ろうとしている。

(くっ!これもまた因果か!?だがもし平四郎様が剣を抜けば、その時は……!)

 苦しい選択であったが覚悟を決めようとする宗矩。しかし平四郎はその短刀を抜こうとはしなかった。

「平四郎様!?」

 これは孝蔵にとっても思いもよらぬ展開だったのだろう。彼は宗矩を追うことも忘れ思わず足を止めた。それに対し平四郎は諭すように首を振る。

「……いかんのだよ、孝蔵。私は見届けるためにここまで来たのだ。父上の敵討ちのためではない」

「な、何をおっしゃられているのですか、平四郎様……?」

「孝蔵、お前もわかっておるのだろう?仮に宗矩様を倒したところで御家が再興するわけではない。江戸の御公儀様方を討っても同じこと。今の私たちがしなければいけないことは敵を作らずに生き延びることだ。それこそが坂崎家を残す唯一の道なのだ」

「な……」

 呆然と立ちすくむ孝蔵。どうやら彼は本気で平四郎が協力してくれると思っていたようだ。彼はしばらく神経質に頭を掻きむしっていたが、やがて叫ぶように問いかける。

「……で、ではなぜここまでついてきてくれたというのですか!?江戸に疑われるというのに!?こんな駿河くんだりまで!?」

 確かに平四郎の行為はリスクを挙げるばかりで意味のない行動のように見える。だが平四郎はこれにも優しい声色で返答した。

「それは名目上とはいえ父上のために立ち上がったお前たちを無下にするわけにはいかなかったからだ。意見こそ違えどお前たちもまた父上の残した坂崎家。お前たちのような者がいてくれたことに本当に感謝している。だから私は……」

「もう何も言わないでくださいまし!」

 孝蔵が悲痛な声で遮った。合理的に考えれば平四郎がこの場で宗矩と敵対するメリットはどこにもない。一方でこの時代、仇討ちを尊い行為とする価値観も確かに存在していた。つまるところどちらに転んでもおかしくない状況で、孝蔵は義理人情を信じていたのだ。

(甘い考えをしおって。まぁ気持ちはわかるがな……)

 宗矩も思わず同情しそうになったが、それでも今は敵同士である。卑怯とは思いつつもさりげなく孝蔵の背後に回り込み、刀を構えた。

「はっ!?」

 孝蔵も寸でのところで気付いたが、気力の枯れ果てた刀では宗矩の猛攻を止めることはできなかった。宗矩の刀は孝蔵の左膝のやや上のところを切った。ここを切られると一気に踏ん張りがきかなくなるため、孝蔵はそのまま倒れこんだ。

「う……うぅ……」

 転がった孝蔵はうずくまったまま、なかなか起き上がらない。宗矩はそれを冷めた目で見下ろしたのち、一人の家臣を呼んだ。

「時茂!おるか!?」

「あっ、は、はい!ここに!」

 返事をしたのは柳生家家臣の一人で、途中で得物を弓矢に持ち替えた男だ。宗矩は彼に向かい一言だけ指示を出した。

「射れ」

「はっ!」

 宗矩の短い命令ののち時茂は迷わず矢を構える。忍びが使う取り回し重視の短弓だったが、動けぬ相手ならば外すことはないだろう。こうして時茂が構えたところで孝蔵は慌てて顔を上げた。

「ふ、ふざけるなよ!とどめも刺さぬというのか、この冷血漢め!」

 孝蔵の叫びはやはり悲痛な――信じていたものすべてに裏切られたかのような悲痛な叫びであった。宗矩はそれにわざと小馬鹿にするような態度で返した。

「ふん。どうせ油断して近付いてきたところを狙っていたのだろう?悪いがそれに付き合ってやる道理もない」

「く、くそっ!」

 当てが外れた孝蔵は慌てて立とうとするも傷自体は本物である。痛みと焦りで足がもつれている間に矢羽根の風切り音が一つ鳴った。

「……戦場に夢なんぞ見おって、馬鹿者が」

 腹部に矢を受けた孝蔵が小さく呻いたのち崩れ落ちる。宗矩が周囲を見渡せば他の攻防もおおよそ柳生側の勝利で決着がついていた。

 柳生家と坂崎家の決戦は柳生側の勝利で幕を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る