柳生宗矩 過去の因縁に決着をつける (第十話 終)
いよいよ相まみえることとなった柳生宗矩と箕輪孝蔵。
両軍大将同士の戦いは終始技術で圧倒した宗矩に軍配が上がり、そのまま柳生側の勝利で幕を閉じた。
「おーい。誰かこいつを縛るのを手伝ってくれるか?」
「怪我した奴はいるか?薬なら十分にあるから遠慮なく言ってくれよ」
「うぅむ。さっきの立ち合いではああ動いておけばよかったか。やはりまだまだ鍛錬が足りないな」
十二年前の事件を契機とした柳生と坂崎の衝突は柳生側の勝利で幕を閉じた。
決戦を終えた彼らはそのまま事後処理に移る。怪我人の治療をし、死者のために穴を掘り、まだ息のある残党を縄で縛る。その様子を宗矩と検分役として同行していた土井利勝の家臣・綱元とが見て回っていた。
「友重や。被害のほどはどうだった?」
「あぁ宗矩様。こちらの大きな被害は腕の骨を折った者が一人いただけですね。あとは切り傷擦り傷が数名。ですがどれも命に別状はございません」
「うむ。同数で戦ってそれなら上出来だな」
敵は薬で強化された残党たちだった。それとやりあって一人も死者が出なかったのは上々と言う他ない。綱元も満足そうにうなずいている。
「さすがは柳生一門ですな。まさに鬼神がごとき強さだ」
「いえいえ、綱元様の『鳥かご』があってこそですよ。……それで友重、残党らの方はどうだった?」
「向こうは死者が三名。息のある者は順次縄で縛っております」
「三名?思ったよりも少ないのだな」
互いに命を懸けて戦った割には残党たちの死者はそれほど多くはなかった。友重によるとそれも例の薬が関係しているという。
「薬の効果が切れて降伏した者が大半でしたからね。あとは乱戦だったため、とどめを刺す余裕がなかったというのもあります。下手に近付いて反撃されても困りますからね。ですから死んでないだけで致命傷……おそらく駿府まで持たない者も幾人かおります」
生き残った残党たちはその背後関係を洗うために駿府に連行することが決まっていた。だが話を聞ける者がそれなりにいるのなら無駄に苦しめることもないだろう。
「ふぅむ。幹部級以下なら話を聞いたら楽にしてやるか」
「それがよろしいかと。他に気になるところと言えば……」
そんな会話をしている折だった。少し離れたところから不意に「うるせぇ!近寄るな!」という怒声が響く。
「ええい!おとなしくしろ!」
「まだだ!まだ終わってなどいない!」
「おい、後ろに回れ!後ろに!」
騒ぎにつられて見てみれば、それは宗矩が倒した残党頭領格の孝蔵が拘束に抵抗しているところであった。
「……しぶとい奴だな。こちらは任せたぞ、友重」
そう言うと宗矩はこの場を友重に任せ、孝蔵が暴れる方へ向かっていった。
孝蔵のところでは二人の家臣が彼を取り押さえようと四苦八苦していた。
「ええい!いい加減にお縄に付け!」
二人の家臣は孝蔵を挟むように立ち、縄をかけようとしていたが、孝蔵はそれに身をよじって抵抗する。
と言っても満身創痍の体な上に薬の効果もとっくの昔に切れているため、脅威となるような抵抗ではない。家臣たちが慎重になってたのは、弱っている孝蔵を殺してしまわないように気を遣ってたためであった。
そこに宗矩が近付き声をかける。
「どうだ、問題ないか?」
「あっ宗矩様。お恥ずかしながら御覧の通りです。もう抵抗しても無駄だというのに」
「柳生宗矩……!お前は絶対に殺す……!」
少し離れたところに座している孝蔵は血走った目で宗矩を睨む。もはや立てぬほどに痛めつけられたにもかかわらず、彼の目には未だ衰えぬ殺気がこもっていた。
「ふむ。まさに手負いの獣だな。刃物の類は持っているのか?」
「自害できそうなものは没収しております。腹部に矢じりが残っておりますが、矢柄は折ってありますので取り出して使うことはできないでしょう」
「ならば放っておけばいい。やがて血が足りなくなって動けなくなるはずだ。ただし死なないように注意しておけよ。裁きは沙汰の場に出してこそだ」
「はっ」
孝蔵の意思は未だ健在だったが、それで誤魔化せるほどの手傷ではない。どうせすぐに限界が来るだろうと宗矩が背を向けると、孝蔵はその屈辱に再度吠えた。
「ふざけるなよ、宗矩っ!せめて殺せ!殺していけっ!」
「……」
「くそぉ……。ならば平四郎様!先の短刀を私に!あるいは丸薬を!丸薬だけでもくださいまし!」
「なにっ、丸薬だと!?」
宗矩は孝蔵が口走った「丸薬」という言葉に反応する。まさか平四郎にも分け与えていたのだろうか?よもや今更丸薬一つで戦況がひっくり返ることもないが、それでも余計な被害は望むところではない。
にわかに警戒する宗矩。しかし当の平四郎は悲し気に孝蔵を見たのち無言で首を振っただけだった。
「そんな……平四郎様……!」
「ほら!もうあきらめろ!」
「うぐぅ……!?」
呆然としていた孝蔵を家臣の一人が後ろから殴りおとなしくさせた。そのまま猿ぐつわをはめ麻縄で縛る。これで今度こそ孝蔵の最期だろう。
宗矩は縛り上げられる孝蔵に背を向け、そのまま平四郎の元へと歩んでいった。
平四郎は一行から少し離れたところに一人立っていた。一人だったのは皆どう接していいかわからなかったためだろう。
一応人質として連れてこられたことになっていた平四郎であったが、彼が自分の意思で残党たちに同行していたのは明白だった。かといって罪を追求できるほどに彼らに肩入れしていた様子もない。そんな曖昧な立場の彼を家臣程度がどうこうできるはずもなく、結果全員距離を取って放置せざるをを得なかったというわけだ。
平四郎もそんな自分の立ち位置を理解しているのだろう。彼は決戦終了から今までじっと動かず待っており、宗矩が近付いてくるのを見るや覚悟を決めた顔で深々と一礼した。
「お手数をおかけしました。どのような処罰も覚悟できております」
潔い態度だったが宗矩にとってはあまり望ましいものではなかった。
(あぁ……いっそ言い訳でもしてくれた方が楽だったのだがな……)
確かに平四郎は責任を取らされかねない立場にいるわけだが、宗矩の心情としては親子二代続けて手にかけるような真似はできれば避けたかった。とはいえ御公儀の手前理由もなしに手打ちにすることもできない。言い訳でもしてくれればそれに沿って話を進めることもできたのだが、残念ながら平四郎は無駄に愚直だった。
ならばどうしてくれようか。宗矩は少し悩んだのち一つ質問を切り出した。
「平四郎様は私を討とうとは思わなかったのですか?」
直球な質問である。この問いかけに平四郎は少し困ったような笑みを浮かべてから返答した。
「正直に申し上げれば、全く思ったことがないと言えば嘘になります。実際この場に着いてからも、宗矩様方と敵対する可能性は考えてはおりました」
「しかしあなたはそれをなさらなかった。あの孝蔵と言う男が助力を請いたにもかかわらず」
孝蔵は宗矩と戦っている最中に短刀を投げ渡し、共に仇を討とうと持ち掛けた。これを平四郎は断ったわけだが、このことを指摘すると平四郎は若干バツが悪そうに「ああ」と呟いた。
「そのことですか。……実を言いますと、本当に直前まで――鞘に手をかけるまでどうしようか決めかねておりました。ですがあの時短刀を渡され、いざ参戦かとなったところでようやく自分の本心に気付いた次第にございます」
「本心とは?」
宗矩が問うと平四郎は言葉を選んだのち、少し寂しそうに答えた。
「なんと言いましょうか……、今更『あの時代』に戻るのが無意味だと感じた、と言ったところでしょうか……」
「無意味ですと?」
宗矩が訊き返すと平四郎は「ええ」と頷いた。
「ええ。今更合戦で優劣を決めることに意味があるのか。あれほどの血を流すだけの価値があるのか……。仮にこの場で宗矩様たちに勝ったとしても、その先に待っているのはさらに強大な江戸の御公儀たちです。とてもじゃないですが明るい未来があるとは思えなかった……」
「それが短刀を抜かなかった理由で?」
「そうですね。お恥ずかしながら私は恐れたのです。孝蔵たちが歩もうとした道に。そして悟ったんです。私と父上は違う時代に生きていた――私は合戦を知らない世代の人間だったということに……」
遠い目をする平四郎。それは厭戦の憂いだろうか。一方宗矩は彼の『合戦を知らなかった』という発言に引っかかっていた。
平四郎の年齢は四十代後半。ならば大坂の役はもちろん、それ以前の関ヶ原なども経験しているはずだ。宗矩がそのことについて尋ねると平四郎は「そうではないです」と首を振る。
「いえ。私なんぞ、ただ父上の陰に隠れていたに過ぎませぬ。十分な装備を渡され、大勢の味方に囲まれ、殺す殺されるも報告で聞くばかり。私は合戦の本質などまるで知らなかった……。あんなにも凄惨で……、あんなにも簡単に人が死んで……」
平四郎はぶるりと震えた。
なるほど当時から平四郎の父・直盛は多くの部下を従える武将であった。その陰に隠れていれば、最前線での殺戮や謀略も遠い世界の英雄譚に過ぎないのだろう。
そこに今回の決戦だ。見知った者同士が生き意地汚く殺し合うさまを最前線で見せつけられた。平四郎が受けた衝撃は相当なものだったはずだ。
「本当に恐ろしい戦いでした……。ですがそのおかげで気付くこともできました。父上と私は違う。父上は父上なりに時代に合った生き方を貫き、そして死んでいったのだなと。ならば時代の違う私が口を挟むのは筋違いと思ったまでです」
そこまで語ると平四郎は大きく「ふぅ」と息を吐いた。おそらく今まで溜め込んでいたものを吐き出して安堵したのだろう。その顔は疲れも見えたがどこかスッキリした風にも見えた。
「……平四郎様は例の丸薬をお持ちなのですか?」
「ええ。以前彼らの一人が里に来たときに譲り受け、万が一のために持ってきておりました。ですが……こんなことを言える立場にないことはわかっておりますが、どうか見逃していただきたい。数少ない父の形見ですので……」
平四郎は印籠の中から竹皮で包んだ丸薬を取り出した。黒く小さい丸薬は宗矩たちにとっては忌々しいものであったが、それを見つめる平四郎の目は故人を
「……善処いたします」
宗矩がそう呟くと平四郎は「ありがとうございます」と返した。
その後一行は生き残った者たちを連れて駿府へと凱旋した。
残党討伐後、宗矩たちは十数日あまり駿府に滞在したのち江戸に帰還した。そして翌日、早速老中・土井利勝に呼び出される。
呼び出された理由は討伐の報告であったが、それ自体はすでに検分役の綱元がしていたので実質
「よくやってくれた、宗矩殿。これで十年来の憂いが晴れたというわけだ。心情としては大々的に称賛したいところだが話が話だからな。こうして内々で労わせてもらおうぞ」
「お心遣いありがとうございます。ですが某はお役目を果たしたにすぎませぬ」
「そう謙遜するな。大御所様もお喜びになっておられたぞ」
ここで言う大御所様とは二代将軍・徳川秀忠のことだ。思い起こせば今回の残党騒動の契機となった『坂崎事件』は秀忠政権初期に政治的失態から生まれた事件である。表にこそ出てこなかったがおそらく秀忠なりに思うところもあったのだろう。
そしてそれを解決したのだから、非公式ながらも宗矩の功績は大きい。当然それに見合った褒美が期待できるわけだが……。
「しかし本当に良かったのか?褒美が平四郎殿の助命で」
「はい。坂崎家を断絶させないことが、某が交わした約束ですので」
宗矩は今回の褒賞として平四郎の助命を嘆願した。理由は述べた通り、坂崎家を存続させることが十二年前に出羽守の家老と交わした約束だったからだ。
もちろん反発はあったという。しかし平四郎が大した力を持っていないこと、他の坂崎家家臣への牽制として使えること、そして功労第一位の宗矩からの嘆願ということで平四郎の処分は大きく軽減されることとなった。
「まったく、律儀な男だ。まぁだからこそ信頼できるのだがな」
「いえ、某などまだまだで……」
「そう言わんでくれ。実のところ今回の件で身に沁みたのだ。もうこういったことを頼める相手も少ないのだなと」
利勝は年に見合った重い溜め息をついた。
「最近改めて世代交代の流れが来ていると感じている。それ自体は自然の摂理ゆえ気にしても仕方がないのだが、果たして次の世代がこの太平の世を任せるに値するか、時折不安になるのだよ」
利勝にしては珍しい完全に私的なぼやきだった。それだけ宗矩のことを信頼しているのか、あるいは年が近しいゆえに口が軽くなったのか。どちらにしても利勝の不安は宗矩にも覚えがあった。
「某にも覚えがあります。時代と言えばそれまでですが、どうしても若い世代が軟弱に見えてしまう。果たして彼らは戦乱が起こったときにきちんと戦えるのかと思うと……」
「全くその通りだ。今は幸いにも十年以上太平が続いているが、次の十年がどうなっているかなど誰にもわかりやしない。実際今も問題は山積みで……」
そう憂いたところで利勝はハッと我に返った。
「……っと、すまないな、宗矩殿。労いの場だというのに辛気臭い話をしてしまって」
「いえ。そうして上の方々が苦心なさっておられるゆえの太平でしょう」
「そう言ってもらえるとありがたい。まぁともかくだ、今後も何かあったら貴殿を頼ることだろう。その時はまたよろしく頼むぞ」
「はっ」
宗矩は床に跡がつきかねないほどに深く一礼した。
江戸城を辞した宗矩は桜田門を出たあたりで大きく安堵の息を吐いた。老中との会合で緊張したというのももちろんあるが、それ以上に自分が利勝から高い評価を受けているということを知り、ちょっとした興奮状態になっていたのだ。
(あまりお話したことはなかったが、よもや大炊頭様があそこまで私を見ていてくださったとは……)
上からの覚えがめでたいに越したことはない。しかし単純に喜んでばかりもいられない。今回宗矩が信頼された理由はひとえに宗矩が戦国の世を知っていたためである。それはもう少し踏み込んで言えば、今の幕府中枢に戦場を知る武将がいないことを意味していた。
(やはり世代交代は進んでいるのだな……)
宗矩はふと平四郎の言葉を思い出す。
『私は合戦が何たるか知らなかったのです』
最後の大規模な合戦である大坂の役ももう十年以上前である。もしかしたらもう二度とあのような合戦は起こらないのかもしれない。
もちろん宗矩とて太平の世を願っている。しかしそのような世界ではどうしても武は軽視されてしまう。実際江戸の世になってから失脚した戦国武将は数知れず。宗矩への高い評価はそうしてできてしまった空白部にたまたまいたからに過ぎない。
(もし世が今以上に平和になったら、私も柳生家も没落してしまうだろう。かといって戦乱の世を望むのも間違っている。……あぁ私は、新陰流はいったいどうすればいいのだろうか)
だが当然これに答えてくれるものはなく、代わりに門の近くで待っていた家臣二人が駆けてくる。
「殿!お早いお帰りですね!」
「今駕籠を捕まえてきますので少々お待ちください!」
「……」
「殿?どうかなされましたか?」
「いや、何でもない。なるようにしかならんと思っただけだ」
悩んでいた宗矩であったが、愚直な部下たちを見ていたら複雑に考えていた自分が不意に馬鹿らしくなった。
(考えていても仕方がない。どんな世になっても私ができるのは剣を振ることだけだ。どんな状況になろうとも、必ずやこの剣で道を切り開いてくれようぞ)
一人小さく決意した宗矩は家臣が呼んだ駕籠に乗った。
寛永五年(1628年)五月某日。過去の因縁に決着をつけた宗矩は、早くも次の時代について苦心するのであった。
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